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九子家からのまじめな年賀状 [<学校の話、子供たちの話>]

2003年は、我が家にとって夢のような年でした。まず3月に思いがけず次男Sが、合格可能性10%をはねのけて難関ではない国立大学に合格してくれ、財政難の我が家に貢献してくれました。
4月には、タナボタの如く日刊ゲンダイに雲切目薬が紹介され、お蔭様で善光寺御開帳では、薬局始まって以来というお客様が来て下さいました。

そして、今年2004年は長女N子の高校受験の年です。大学区制や自己推薦制度導入で波乱の年でしたが、彼女は推薦入学で決まる学校を目指してくれています。受験で心配するのは去年でもう懲り懲りでしたので、親はこの上なくほっとしています。

N子がその学校を選んだ理由は「掃除が行き届いていて気持ち良かったから」でした。(よほど散らかり放題の家に住むのに嫌気がさしていたのでしょう。(^^;)

親が喜んだ訳は、次男もお世話になって、安心して子供を任せられる学校だったからでした。
(本当はもうひとつ理由があるのですが、まあいずれわかると思います。)

もともと次男が第一志望のN高校にすんなり受かっていたら、決して有り得ない選択だったかもしれません。
人生何がいいのかは、死ぬまでわからないのかなあと思っています。

・・・以上本当の年賀状の内容。以下はその続きで、いつもの文体に変わる・・・

祖父16代笠原十兵衛は、今考えると大変物事の道理を良くわきまえた人だった。
「笠原十子の証言」にも書いたが、「学校の優等生、社会の優等生にあらず」という名言を私に痛烈に残してくれた。

祖父の言葉どおりの人生を歩んでしまった私は、半分人生を捨てかけていた。あの時座禅に出会わなかったら、今の幸福な私は決して存在していない。

ダメ母ではあるが、自分の失敗は決して子供達に繰り返して欲しくなくて、多分一度も「勉強しなさい」と子供達に言わなかった。

学校で良い点数を取ることなど、人生の幸福において何の意味も無いと言うことが身にしみていたからだ。

自分で自分のやりたいことを見つけて、自分で考え、行動する子供になって欲しい。

「勉強しなさい」と一度も言われなくても、なぜか子供達は必要な時には勉強しているらしい。
その勉強が効率良く点数に現れる子もいれば、そうでない子もいるが・・(^^;

子供は一人一人みんな違う。

軽音楽部でバンドを組んでベースギターを弾いている長男R。静かな時間を過ごすことが好きで、身体を動かすことは親に似て苦手だ。だが、兄妹たちに一目置かれる頼れる長兄である。

一番友達の多い次男S。仲間と過ごす時間が、何よりの息抜き。苦手なスポーツも、仲間の影響で、中学高校6年間を運動部で過ごした。

漫画や映画が大好き。いつもは自分の世界の中で楽しんでいる三男Yだが、三度のご飯より大好きな旅行に出るときは、社交家に変身して写真を撮りまくる。(しかし教えられた住所に写真を送ったためしは無い。)

兄妹きっての頑張りや長女N子。小さい頃から折り紙や、工作や、手を動かすことが大好き。見かけや言葉使いは男っぽいが、心根の優しい女の子だ。実は将来漫画家になる事を夢見ている。

日がな一日テレビを見まくっている次女M子。そして「人生に必要なことはすべてテレビで学ぶ」と公言してはばからない。(当然の結果として、お勉強は出来ない・・・・(^^;)

長男の時は親もまだ新米だったので、親が考えた「良い子」の枠に彼を無理やりはめようとして、失敗続きだった。反抗ばかりしていた彼が本当の意味でいい子になったのは、彼がラジコンという趣味を持って、共通の趣味を持つ大人達と付きあうようになった小学校6年生頃のことだ。

「子供は、特に男の子は、集中出来るものに出会うと成長する」という事を、彼は身を持って私に教えてくれた。

テレビが悪い、テレビゲームが悪いと、子供達に時間をやかましく制限した時期もあったが、だんだん親も年を取り、面倒くさくなってきた。そして考えた言い訳がこれである。

ブレーキをかけるのは、彼あるいは彼女自身でなければならない。補助ブレーキは、教習所の中でしか効かないのだから・・・。

彼あるいは彼女のブレーキが、欠陥品の如くにかなり甘かった結果として、人様のお宅よりテレビが占める時間は断然多いかもしれない我が家である。でもまあ今更仕方が無い。

本当はマンガではない本もたくさん読んで欲しいと思う。だが、大きな事は言えない。自分自身が高校生のとき、一冊も本を読まなかったことを自慢していた人間だからだ。

祖父はもうひとつ「鶏頭となるとも牛尾となるなかれ」という言葉も折りに触れて言っていた。
説明するまでもないが、上のランクの一番下にいるよりも、次のランクの一番上にいたほうが良いということだ。

父がかつて同窓会長をし(もちろん優秀だったからでは当然無い。そこそこ名が売れていたからである。)、M氏も卒業生の、地元憧れのN高に、とうとう我が家の5人の子供達は誰一人行けなかった。(もちろん次女M子が残っているが、可能性としては限りなくセロに近い、いやゼロである。(^^;)

はっきり言って、最初は寂しかった。子供をN高に入れたお母さん方が、N高の話しをしているのを聞くのは切なかった。(学校の点数など意味が無いと言いながら、子供には出来ることならなるべく良い学校へ入って欲しいと願う矛盾した親である。(^^;)

だが、長男が、そして次男が、本人の好むと好まざるとに関わらず、運命によって定められて入った高校から、現役で行きたい大学へ入学したのを見届けて、ようやく親は目が醒めた。

「鶏頭となるとも牛尾となることなかれ。」 高校は、所詮通過点に過ぎない。

祖父は「仏の十兵衛」と称される位、穏やかな人だった。「まあまあ」が口癖で、調停役にはうってつけだった。

そんな祖父だったが、祖母には頭が上がらなかったという。

祖母は若い頃「マリーネデートリッヒ似」の美人だった。今でも古い写真を見ると、なるほど、はっとするほど綺麗な人である。ただ、豪商の末娘で、気性が烈しかったらしい。父いわく「ありゃあおやじさん、顔だけ見て舞い上がって結婚して、後で後悔したんだな・・・。」

その上、祖父は名誉職の、つまりただ働きの、市会議長であったから、祖母は雲切目薬を作って、売って、一人で店を切り盛りしなければならなかった。

さぞやストレスもたまったことだろう。
私はあまり知らないが、父は、祖父が祖母にガミガミ言われて、頭を抱えてじっと押し黙って我慢に我慢を重ねていた姿を良く覚えていると言う。

つまりとても辛抱強い、気の長い人だったわけだ。

ところがどこでどうして遺伝子の配列が変わってしまったのか、父17代はずいぶんと短気である。
父に限らず、父方はどうも気の短い人間が多いように思う。

かく言う九子も、実は余り気の長い方ではない。要するに、辛抱強くないのである。自分はトロい癖に、相手にはある程度のすばやさを要求する、まったく呆れたヤツである。(^^;

そんな九子家に、辛抱強い事では多分右に出るものはいないM氏が、仲人口に乗せられて気楽なノリでやってきた。(あっ、お仲人さん、こちらサイドの九子はいつも感謝しております。あちらサイドは存じませんが・・・(^^;)

さて、根性の人M氏の血筋が半分入った我が家の子供達。

どんな人間に育ちあがりますことやら・・・・。( ^-^)


「牛に引かれて善光寺参り」よろしく、年賀状に引かれてはじめて九子のダメ母の証(あかし)日記に来てくださった皆様方、どうもありがとうございました。( ^-^) お正月休みののんびりした時節柄ゆえ、本当は右側の目次より23タイトル、最初から順番に読んで頂きたいところですが、一応お勧めは「M氏の弁明」であります。M氏をご存知の方には、余計楽しく読んでいただけると思います。(^^; また、題名に「事件」と付くものは、ドジが際立っていたという証拠ですので、笑って頂けるかもしれません。では、どうぞ。

次回の日記(1/4予定)に詳しく書かせて頂きますが、1月5日(月)地元SBC(信越放送)テレビ夕方4時55分~(Uパレード)に生九子が出演します。ほんのわずかな時間と存じますが、お暇のある方は御覧下さい。
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