大物伝説・・・入学式事件記念日に・・・その② [<学校の話、子供たちの話>]
で一体、入学式には間に合ったの?といぶかしむ声もあるようなので、1時間半遅れで無事到着し、式自体は終わってしまったが、先輩達の入学祝いミニコンサートが始まる直前に駆けつけることが出来ました・・・と言う事を謹んでご報告させて頂きます。
お陰様でした、しなの鉄道駅員さん!( ^-^)
すなわち大物伝説・・・サクラ記念日にで書いた質疑応答の時間というのは、その後行われた大学構内の一教室での一コマであった。
ま・さ・か!
いくら九子だって、恥は知ってるつもりだ。(ホント?)
Y県民文化会館大ホールでだったら、いくらなんでもそんなバカな事は聞けない。(^^;
3日前の予報では雨だったのに一転、晴天に恵まれたN子の長野N大高入学式では、次男Sの担任だったK先生もいらした。
九子の顔をちゃんと覚えてて下さって(やっぱ美人って目立つからなあ・・(^^;)
「今度は妹さんですね。先日の同級会でS君からいろいろ聞いてます。」と言われた。
いろいろ?
いろいろねえ・・・・・。(^^;
でも知ってる先生がいらっしゃるって、やっぱり心強い。( ^-^)
K先生には悪いが、本当を言うと、SはN子のN大高行きを必死で止めたのだ。
「最初からN大高狙うなんてバカじゃないの?おすすめしないよ。自由がなくて、窮屈だ。」
もしかしたら、自分が果たせなかった名門N高入学の夢をN子に果たして欲しかったのかも・・・。
何しろ可愛がってる、頑張りやの妹なのだから・・・。
言いたくないが、実は九子も同類であったかも・・・。
「鶏頭牛尾」ほか、いろいろわかったような事を言ったり書いたりしたし、N子と二人で説明会を聞きに行って「良いね。」と決めた学校だったのに、いざ彼女が長野N大高の制服を身に付けるのを見ると、少々ほろ苦い思いもあった。
この九子もまた、名門N高校の呪縛にとらわれてる一人であるのだ。
あ~あ、もしかしたら、Sが、N子が通ってたかもしれないN高校!
結局我が家にゃあご縁がなかったなあ・・・。た・め・い・き。
今だってそうなのである。
あの頃、そう、次男SがN高に落ちた直後の精神状態は、やっぱり普通じゃなかったなあと今になれば思う。
N高校に合格出来なかったのならせめて、N高校の生徒と遜色のない大学に進学して欲しい!!
それを見透かしたかのように、あの頃我が家にはよく塾の勧誘が来た。
一つ目は、大きな出版会社がやってる通信添削講座みたいなもので、あわや入会と言う寸でのところで、正気のM氏に、「そんなもん、自分からSがやる訳ないじゃないか。」と言われて断念した。
次に、うら若い女性が勧誘に来た。
応接間に通して、話を聞くこと1時間。
基本的には教材を売りつけての自主学習だが、ちゃんと毎週スクーリングもある。
きっちりやれば、かなりの分量の学習ができるはずだった。
結局「スクーリング」という言葉に負けた。
でも、正気のM氏に最終的判断をゆだねようと、M氏とSを呼んだ。
M氏が駄目と言えばあきらめるつもりだった。
今から思うと、これが間違いの元だったのだ。
M氏、いつもは正気なのだが、相手が若い綺麗なおねえさんだとすぐに正気を見失うことに考えが及ばなかったのは、九子最大の不覚であった。(^^;
どうなったかな?と顔を出した時にはもう、月謝の支払い方法の話になっていた。
まとめて3年間一括払いにするとうん十万円安いですというおねえさんの言葉で、M氏はホイホイ判こを押していた。(^^;
Sのヤツも神妙な顔して「頑張ります!」と言った。
男共なんて、相手が若くて美人だとこんなもんだ。まったくもう!
その後一月ほど経って、Sは少々遅れてバトミントン部に入った。
何事も出足が遅いのが、Sのいつものパターンだ。
長野N大高の部活は厳しい。
バトミントン部はそれでもまだ楽らしいが、「それにしても附属中の『お遊びみたいな部活』をやってたくらいで、良く我が高の部活に入りましたね。」とK先生に後から言われた。
それっきりであった。
3年生の6月末まで・・・というのは実際夏休み一杯まで、彼は数えるほどしか塾に行かなかった。
もちろん理由は、「部活が忙しくて・・・・。」
その後はたまに行っていたようだが、良く聞いてみると自習室を貸してもらっていただけらしい。
「頑張ります!」が聞いて呆れる。
くう~っ!教材と、自習室借りるのにうん十万円!と考えると頭に血が昇るので、以来考えないようにした。
まあ良い。国立へ入ってくれたんだから、それで、もうチャラだ。(・・・親と言うものは、かくも甘いもんである。(^^;)
Sの評価はジェットコースターのようだ。(^^;
たいてい入学したては高いのだが、真中で先生にお小言を頂戴する。
「○○君は部活やりながらも頑張って入学時の成績を維持しているのに、ちょっとたるんでませんか!」(叱られているのは、Sではなく九子である。(^^;)
デジャヴ・・・と言うんだっけ。昔どこかであったこんな風景。
あれは附属中の担任のK先生の言葉。
「このままじゃあ、友達みんなにおいてきぼりをくいますよ!」
しゃくだから、九子は長野N大高のK先生にこう言った。
「Sは、実は中学の時も途中で先生に同じようなこと言われて叱られました。そのあと頑張って成績をずいぶん伸ばしましたから、たぶん今回もそうなると私は信じたいのです・・・。」
おお~、母親だねえ。( ^-^)
忘れもしない長野N大高3年生夏休み直前の三者懇談会。ここで最終的に目指す志望校を絞り込む。
Sは結構しぶとく、要所要所では良い成績を残していたので、今回のK先生の対応はまだ柔らかい。
「力のあるお子さんだと思うんですよ。でもいかんせん、このままの成績では・・・・。」
「先生の前で何ですが、御承知のように、彼はN高に行きたかったわけです。彼にとってN高はとても魅力ある目標だったと思うんです。だから、頑張って勉強して成績を伸ばしたのだと思います。
でも、今回彼が目標としているY大学は、ひょっとすると彼にとってN高ほどの魅力がないのかもしれません。目標がしっかりすれば、やる気を出す子だと思っています。」
先生と母親とのやり取りを知ってか知らでか、突然Sが口を開いた。
「ところでK先生って、いったいどこの大学出てんですかあ?」
思わずひやっとした。(同時に「いいぞいいぞ!」とも思った。(^^;)
「オレかあ?地元だ、地元!」
すると、信州大学教育学部だね。ふう~、良かったあ。( ^-^)
名もない大学だったりしたら、先生より先に九子が困るところであった。
ここで先生に恥をかかせる訳にはいかない。
何しろまだ内申点が付く前だったのだから・・・(^^;
Sの成績表はたいていが6か7だった。
しかし、その中に燦然と光り輝く10がある。
2年生の英語、通年10。そして、3年生は通年9。
実はこれ、大いに訳ありなのである。
2年生の初め、先生がこうおっしゃったそうだ。
「英検2級を取った者には、点数に関わらずこの学年の評価10を、3年次も9を与える!」
こういうチャンスには、しぶとく食らい付くSである。
めでたく春の英検で、クラス一番に2級を手にした。(合格通知に刻まれた点数は、合格ラインすれすれの点数ではあったが・・・・。(^^;)
もちろん彼のその後の英語の成績は、2級所持者とは思えぬ低迷ぶりであった。
尊敬に値するのは先生である。
ちゃんと約束を守って、そんなテストの点数にでも従容(しょうよう)として最後まで10や9を付けてくださった。( ^-^)
1年の頃6が多かった通知表は、7が並ぶようになって来た。これも彼なりの戦略である。
6だと3にしかならない内申点だが、7なら4がもらえるのだ!
こうしてみると、彼は実に戦略家である。
スポーツ、ゲーム、パチンコ、マージャン、ビリヤード・・・。
遊び大好き人間に、戦略はたぶん欠かせない。
彼の学年から家にも通知されるようになった大学の評定を見ても、ほとんどが60点の「可」ばかりである。何科目もきっちり60点ばかり取るって、結構難しそうな気もするが・・・。(^^;
たまにはこんなこともあった。
友達のK君の家に泊めて頂いた時、帰りになぜか綺麗なチューリップの小さな花束を持ってきた。
「どうしたの?それ。」
「K君のお母さんがくれた。」
慌ててお礼の電話をかけた。
そうしたら・・・。
「S君って本当に可愛いわね。
私が、庭のチューリップ花瓶に挿そうとして切ってたら、
『おばさん、きれいな花ですね。』って言うじゃない。
あんまり可愛いから、『要る?』って聞いたら『はい。』って言うから、少しだけど差し上げたのよ。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」(言葉を失ったさま。(^^;)
そんなこと言うっけ??
はは~ん。そうか。
彼は立派に九子家の男ってわけだ。
父もそうだ。祖父もそうだった。
外面(そとづら)が良いというのが、どうやら彼らの特徴らしい。
隣近所のおばさんに会えば、後ろからでも声をかけて挨拶する。
Sは昔からそういう所があって、町内の女性陣の評判は実によかったのだ。
それも戦略?って見方も出来る。
その戦略があまりにも無謀過ぎて、親には切ないことだってあった。
そう。せっかくのN大理工学部の推薦を蹴ってしまった時だ。
「オレは特進に居るんだから、N大なんか行かずに国立狙う!」
模試で結果出してるならいいよ。志望校すべてが合格可能性10%っていう当時の模試の結果を見た途端、九子は頭がクラクラした。11月も終わりの頃だ。
この成績でN大蹴って、いったいどこの大学へ入るつもり??
そしてそれからしばらくして、「薬を飲み続けてさえいればウツにはならない」という自信がついた頃であったのに、九子は4年ぶりに軽いウツ病を発症することになる。
結果オーライだと言えばその通りだけど、母親というもの、特に九子のような人間は、戦略より何より、安穏とした道を好む。
大物伝説・・・。
間違えてはいけない。
次男Sが本当に大物であると言っている訳ではない。
あくまでも、「大物という伝説」なのである。(^^;
本当に彼が大物かどうかは、これから先の人生で決まる。
九子と一緒に、彼のその後を温かく見守ってやって下さい。( ^-^)
お陰様でした、しなの鉄道駅員さん!( ^-^)
すなわち大物伝説・・・サクラ記念日にで書いた質疑応答の時間というのは、その後行われた大学構内の一教室での一コマであった。
ま・さ・か!
いくら九子だって、恥は知ってるつもりだ。(ホント?)
Y県民文化会館大ホールでだったら、いくらなんでもそんなバカな事は聞けない。(^^;
3日前の予報では雨だったのに一転、晴天に恵まれたN子の長野N大高入学式では、次男Sの担任だったK先生もいらした。
九子の顔をちゃんと覚えてて下さって(やっぱ美人って目立つからなあ・・(^^;)
「今度は妹さんですね。先日の同級会でS君からいろいろ聞いてます。」と言われた。
いろいろ?
いろいろねえ・・・・・。(^^;
でも知ってる先生がいらっしゃるって、やっぱり心強い。( ^-^)
K先生には悪いが、本当を言うと、SはN子のN大高行きを必死で止めたのだ。
「最初からN大高狙うなんてバカじゃないの?おすすめしないよ。自由がなくて、窮屈だ。」
もしかしたら、自分が果たせなかった名門N高入学の夢をN子に果たして欲しかったのかも・・・。
何しろ可愛がってる、頑張りやの妹なのだから・・・。
言いたくないが、実は九子も同類であったかも・・・。
「鶏頭牛尾」ほか、いろいろわかったような事を言ったり書いたりしたし、N子と二人で説明会を聞きに行って「良いね。」と決めた学校だったのに、いざ彼女が長野N大高の制服を身に付けるのを見ると、少々ほろ苦い思いもあった。
この九子もまた、名門N高校の呪縛にとらわれてる一人であるのだ。
あ~あ、もしかしたら、Sが、N子が通ってたかもしれないN高校!
結局我が家にゃあご縁がなかったなあ・・・。た・め・い・き。
今だってそうなのである。
あの頃、そう、次男SがN高に落ちた直後の精神状態は、やっぱり普通じゃなかったなあと今になれば思う。
N高校に合格出来なかったのならせめて、N高校の生徒と遜色のない大学に進学して欲しい!!
それを見透かしたかのように、あの頃我が家にはよく塾の勧誘が来た。
一つ目は、大きな出版会社がやってる通信添削講座みたいなもので、あわや入会と言う寸でのところで、正気のM氏に、「そんなもん、自分からSがやる訳ないじゃないか。」と言われて断念した。
次に、うら若い女性が勧誘に来た。
応接間に通して、話を聞くこと1時間。
基本的には教材を売りつけての自主学習だが、ちゃんと毎週スクーリングもある。
きっちりやれば、かなりの分量の学習ができるはずだった。
結局「スクーリング」という言葉に負けた。
でも、正気のM氏に最終的判断をゆだねようと、M氏とSを呼んだ。
M氏が駄目と言えばあきらめるつもりだった。
今から思うと、これが間違いの元だったのだ。
M氏、いつもは正気なのだが、相手が若い綺麗なおねえさんだとすぐに正気を見失うことに考えが及ばなかったのは、九子最大の不覚であった。(^^;
どうなったかな?と顔を出した時にはもう、月謝の支払い方法の話になっていた。
まとめて3年間一括払いにするとうん十万円安いですというおねえさんの言葉で、M氏はホイホイ判こを押していた。(^^;
Sのヤツも神妙な顔して「頑張ります!」と言った。
男共なんて、相手が若くて美人だとこんなもんだ。まったくもう!
その後一月ほど経って、Sは少々遅れてバトミントン部に入った。
何事も出足が遅いのが、Sのいつものパターンだ。
長野N大高の部活は厳しい。
バトミントン部はそれでもまだ楽らしいが、「それにしても附属中の『お遊びみたいな部活』をやってたくらいで、良く我が高の部活に入りましたね。」とK先生に後から言われた。
それっきりであった。
3年生の6月末まで・・・というのは実際夏休み一杯まで、彼は数えるほどしか塾に行かなかった。
もちろん理由は、「部活が忙しくて・・・・。」
その後はたまに行っていたようだが、良く聞いてみると自習室を貸してもらっていただけらしい。
「頑張ります!」が聞いて呆れる。
くう~っ!教材と、自習室借りるのにうん十万円!と考えると頭に血が昇るので、以来考えないようにした。
まあ良い。国立へ入ってくれたんだから、それで、もうチャラだ。(・・・親と言うものは、かくも甘いもんである。(^^;)
Sの評価はジェットコースターのようだ。(^^;
たいてい入学したては高いのだが、真中で先生にお小言を頂戴する。
「○○君は部活やりながらも頑張って入学時の成績を維持しているのに、ちょっとたるんでませんか!」(叱られているのは、Sではなく九子である。(^^;)
デジャヴ・・・と言うんだっけ。昔どこかであったこんな風景。
あれは附属中の担任のK先生の言葉。
「このままじゃあ、友達みんなにおいてきぼりをくいますよ!」
しゃくだから、九子は長野N大高のK先生にこう言った。
「Sは、実は中学の時も途中で先生に同じようなこと言われて叱られました。そのあと頑張って成績をずいぶん伸ばしましたから、たぶん今回もそうなると私は信じたいのです・・・。」
おお~、母親だねえ。( ^-^)
忘れもしない長野N大高3年生夏休み直前の三者懇談会。ここで最終的に目指す志望校を絞り込む。
Sは結構しぶとく、要所要所では良い成績を残していたので、今回のK先生の対応はまだ柔らかい。
「力のあるお子さんだと思うんですよ。でもいかんせん、このままの成績では・・・・。」
「先生の前で何ですが、御承知のように、彼はN高に行きたかったわけです。彼にとってN高はとても魅力ある目標だったと思うんです。だから、頑張って勉強して成績を伸ばしたのだと思います。
でも、今回彼が目標としているY大学は、ひょっとすると彼にとってN高ほどの魅力がないのかもしれません。目標がしっかりすれば、やる気を出す子だと思っています。」
先生と母親とのやり取りを知ってか知らでか、突然Sが口を開いた。
「ところでK先生って、いったいどこの大学出てんですかあ?」
思わずひやっとした。(同時に「いいぞいいぞ!」とも思った。(^^;)
「オレかあ?地元だ、地元!」
すると、信州大学教育学部だね。ふう~、良かったあ。( ^-^)
名もない大学だったりしたら、先生より先に九子が困るところであった。
ここで先生に恥をかかせる訳にはいかない。
何しろまだ内申点が付く前だったのだから・・・(^^;
Sの成績表はたいていが6か7だった。
しかし、その中に燦然と光り輝く10がある。
2年生の英語、通年10。そして、3年生は通年9。
実はこれ、大いに訳ありなのである。
2年生の初め、先生がこうおっしゃったそうだ。
「英検2級を取った者には、点数に関わらずこの学年の評価10を、3年次も9を与える!」
こういうチャンスには、しぶとく食らい付くSである。
めでたく春の英検で、クラス一番に2級を手にした。(合格通知に刻まれた点数は、合格ラインすれすれの点数ではあったが・・・・。(^^;)
もちろん彼のその後の英語の成績は、2級所持者とは思えぬ低迷ぶりであった。
尊敬に値するのは先生である。
ちゃんと約束を守って、そんなテストの点数にでも従容(しょうよう)として最後まで10や9を付けてくださった。( ^-^)
1年の頃6が多かった通知表は、7が並ぶようになって来た。これも彼なりの戦略である。
6だと3にしかならない内申点だが、7なら4がもらえるのだ!
こうしてみると、彼は実に戦略家である。
スポーツ、ゲーム、パチンコ、マージャン、ビリヤード・・・。
遊び大好き人間に、戦略はたぶん欠かせない。
彼の学年から家にも通知されるようになった大学の評定を見ても、ほとんどが60点の「可」ばかりである。何科目もきっちり60点ばかり取るって、結構難しそうな気もするが・・・。(^^;
たまにはこんなこともあった。
友達のK君の家に泊めて頂いた時、帰りになぜか綺麗なチューリップの小さな花束を持ってきた。
「どうしたの?それ。」
「K君のお母さんがくれた。」
慌ててお礼の電話をかけた。
そうしたら・・・。
「S君って本当に可愛いわね。
私が、庭のチューリップ花瓶に挿そうとして切ってたら、
『おばさん、きれいな花ですね。』って言うじゃない。
あんまり可愛いから、『要る?』って聞いたら『はい。』って言うから、少しだけど差し上げたのよ。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」(言葉を失ったさま。(^^;)
そんなこと言うっけ??
はは~ん。そうか。
彼は立派に九子家の男ってわけだ。
父もそうだ。祖父もそうだった。
外面(そとづら)が良いというのが、どうやら彼らの特徴らしい。
隣近所のおばさんに会えば、後ろからでも声をかけて挨拶する。
Sは昔からそういう所があって、町内の女性陣の評判は実によかったのだ。
それも戦略?って見方も出来る。
その戦略があまりにも無謀過ぎて、親には切ないことだってあった。
そう。せっかくのN大理工学部の推薦を蹴ってしまった時だ。
「オレは特進に居るんだから、N大なんか行かずに国立狙う!」
模試で結果出してるならいいよ。志望校すべてが合格可能性10%っていう当時の模試の結果を見た途端、九子は頭がクラクラした。11月も終わりの頃だ。
この成績でN大蹴って、いったいどこの大学へ入るつもり??
そしてそれからしばらくして、「薬を飲み続けてさえいればウツにはならない」という自信がついた頃であったのに、九子は4年ぶりに軽いウツ病を発症することになる。
結果オーライだと言えばその通りだけど、母親というもの、特に九子のような人間は、戦略より何より、安穏とした道を好む。
大物伝説・・・。
間違えてはいけない。
次男Sが本当に大物であると言っている訳ではない。
あくまでも、「大物という伝説」なのである。(^^;
本当に彼が大物かどうかは、これから先の人生で決まる。
九子と一緒に、彼のその後を温かく見守ってやって下さい。( ^-^)
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