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詰めのあまさ [<坐禅、仏教、お寺の話>]

歴史上の人物で、一番詰めがあまいと九子が考える人物は、アメリカのパパブッシュことジョージブッシュ元大統領であろう。



イラク戦争であそこまで追いこんでおきながら、肝腎のフセイン大統領を追い詰めずに引き上げてしまった。

その結果、息子たる現ブッシュ大統領が二度目の不毛な戦争を起こすに至った。



・・・・とまあわかったような顔して書いたが、歴史嫌いの九子はその他の人物をよく知らないんだから、知ってる事しか書きようがない。(^^;

ひょっとすると皆様方の脳裏には、もっと別の詰めのあまい人物像が浮かんでいらっしゃるに違いない。



先日とても面白いCMを見た。

静岡県の放送局が作ったオレオレ詐欺防止キャンペーン用広告だった。



出てくるのはなんとも勇ましい大阪のおばちゃん3人組。



「大阪はオレオレ詐欺がめっちゃ少ないんやでえ~。だまされてお金送ったらあかんでえ~。静岡県の皆さんも気いつけや~。」

と、カメラの前にどでかい顔をさらして大阪弁でまくしたてるのである。

その迫力に、思わず吹き出してしまった。

長野県バージョンも是非作って欲しいと思う。( ^-^)



奇しくも同じ日に、1日で3800万円というオレオレ詐欺の被害の中で今までで最高額の被害にあった人がいると報道されていた。



それを聞いたM氏は、「あるから払えるんだよなあ。」とポツリ。

「ほんとよねえ。」と相槌をうつ九子。

二人の背中を吹きぬける、師走の風が冷たい・・・。(^^;



それはともかく、オレオレ詐欺というのは、日本人の美徳である、まじめさ、信じ込み易さを巧みに突いている点であくどい。



その上世界に冠たる貯蓄王国。

百万単位のお金なら、すぐ右から左に払える人も多いと思う。



そうして考えてみるとオレオレ詐欺がはびこる原因は、良心的な日本人に特有の詰めのあまさではないだろうか?



かつて九子が学生だった頃、(今もそうだろうか?)学校で生徒は先生の言うことを鵜呑みにして、疑問を抱くということは無かった。



初めてそれを知らされたのは、仲良くしていたアメリカ人に「日本人は、疑ってかかるという習慣が欠如している。」と言われた時である。



その時以来、九子もなるべく疑問を持つように努力してみたつもりだが、根がお嬢さん育ちゆえ(^^;、信じやすいことこの上無い。



そういえば先日ナイーブという単語について面白い話を聞いた。



ナイーブという日本語は、繊細なとか、傷つきやすいとか、どちらかというと日本では良い意味に使われるが、英語本来の意味では、「人の言うことをすぐに信じる、未熟な」という事で、言われた人に対する侮辱の言葉である・・・というところまでは、英語大好き人間の九子は知っていた。えっへん!



ところがナイーブには、その上を行く意味があるらしい。

どこかのラジオ番組で言っていた。

「人を傷つける攻撃的な人」みたいな意味もあり、言われた人は烈火のごとく怒るそうだ。



九子の持ってる古い辞書にそういった意味は無かったが、アメリカの俗語なのかもしれない。



そう。欧米では、だまされる人間が悪いのである。

いづれにせよ、日本人は、日本的ナイーブさから抜け出して、少々は攻撃的なナイーブさを身につけたほうが良いのかもしれない。





かつてナイーブが着物を着て歩いてるような九子ではあったが(^^;、しかしここへ来て、事情が変わった。

「営業のお電話ですが、店長さんいらっしゃいますか?」などという度重なる不審な電話には、さすがの仏の九子(?)も剣もほろろの対応をする。



とりあえず疑問をもってみるという態度は、学習によっていつしか身につく物らしく、最近の九子は、

「○○の代理店ですが、電話料金が格安になります。今すぐお申し込み下さい。」などと電話があった時、「いや、まてよ。本当に代理店なのかどうか怪しいぞ!」と、○○のホームページでカスタマーセンターに電話して確かめたりする知恵まで身につけた。





そんな訳で、もしかしたら笠原十兵衛薬局に電話したら、おっかな~いオネエサン(!)が出て感じ悪かったわア!という経験のおありの方、この場を借りて謝ります。(^^;



いづれにしても大阪のおばちゃんたちは、日々の会話から、突っ込み方を心得ている。つまり少なからずの攻撃性を身につけている。

そんな事が、大阪での詐欺被害の少なさに関係があるのではないか?とは、誰もが思いつくところであろう。





12月8日はご存知!臘八接心の最終日、満願の日に当たった。



今年も例によって二日ほどの中抜けはあったものの(^^;、九子も朝3時過ぎに起きて頑張ってお寺に通った。



今日は何があっても、お寺に行かなくちゃ。だってことわざにもあるじゃない。

終わりよければすべて良し。All is well that ends well.(暮石さんとこにもあったわね。)

英語になってる位だから、世界にも通用することわざなんだろう。



これをビートたけし風に言いなおすと、終わり悪けりゃ、すべてダメ!ってことになるんだなあ、これが。(^^;



そう!お察しの通り、九子は最終日、お寺に行けなかったのだ。



3時に目覚ましは鳴った。

一応起きた。何しろ九子でも起きるすごい音の目覚ましだ。(^^;



少し風邪っぽかった。

熱をはかったら、6度1分だった。



「昨日飲んだ期限切れの○ンタック600が効いてるんだね。薬で機械的に下げた体温がこれなんだから、無理しないどこお!」

そして、もう一眠り・・・・。

要するに熱が何度であっても、最初からお寺に行く気などなかったのである。(^^;



これが、すべてに通じる九子の詰めのあまさである。



例えば本来、大本山活禅寺(←ここ)の修行とは厳しいものなのである。



100日参禅という願かけをしてお寺に通う人がいる。



こう言うときは、何があろうと、風邪で高熱が出ようと、家族で不幸があろうと、基本的には毎朝、あるいは毎晩100日間はお寺に通わなければならない。



九子もかつて、それをしようとしたことがある。

まあ、言い訳させてもらえば、若かった九子は、100日参禅を始めますとお寺に届け、無形大師に届ける事の重大さをまったく理解していなかった。



何日目かで行かなくなり、自分がそんな事を言いだしたことすら忘れてしまった。(^^;

九子の詰めのあまさの原点がここにある。



しかし考えてみるとその時点でもう、賢い仏様は、九子の今日(こんにち)のこの姿を見透かされていらしたわけだ。



ってことは・・・・。

いまさら猫かぶって真剣に修行したって仕方ないよね。(^^;
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