信大附属長野小学校、かつての3組 [<学校の話、子供たちの話>]
入学式でM子の担任がKM先生と決まったとき、「当たり!」と思った。
ステージの上に並ぶ3人の先生の中でひときわ目立つ笑顔と、もうすでに子供達の中に入っていろいろ世話を焼いていらっしゃる御様子。
直感は正しかった。
きまぐれなM子もすぐ先生が好きになり、子供達を大きな気持で包んで下さる先生とお母様方の評判も良かった。
前にも書いたかもしれないが、附属小学校ではそのクラスなりのテーマというのがあって、継続してそれについて研究していく。
KM先生がテーマに選ばれたのは「和紙」だった。
ご存知のように長野県の北部、雪深い飯山地方は、「内山和紙」という和紙の産地である。
3組の子供達はバスで飯山に出向き、こうぞとかみつまたとか和紙の原料になる植物を生産者の方から分けて頂いて来た。
まず、それを大きな鍋でゆでるのだという。
柔らかくなるまでゆでたら皮を剥き、漂白剤で白くしてから何千回だか何万回だか叩いて細かい細かい繊維にし、漉いて和紙にする。
一口に何万回というが、途方も無い回数だ。こういうところで根気を育てるのが、附属小教育の特徴かもしれない。
今でも覚えているのだが、KM先生は和紙を漉く授業をする時、自前で漉き機みたいなものを買われてお母さん方の前でデモンストレーションをやって見せた。
その時、水が先生の手元からこぼれて、床に盛大に流れ落ちた。
慌てた先生は大声で「おかあさ~ん、おかあさ~ん、どうしよう!なんとかしてくださ~い。」と叫ぶので、気の効く数名のお母さんが急いで雑巾を持って駆けつけた以外は、クラス中笑いの渦になった。
その光景を見て九子はなんとなく嬉しくなった。
この先生なら、きっと子供と同じ目線で物事を考えて下さるに違いない。
先日久しぶりに小学校へ出向いて保健室の先生に伺ったことだが、附属小学校が他の小学校とどこが一番の違うのかと言えば・・・・。
例えば子供が水をこぼす。ほかの小学校なら「何やってんだ!早く片付けろ!」と先生に叱られて終わってしまう。
ところが附属小学校はそうではない。
「どうして君は水をこぼしたんだい?」と考えさせる。
他の小学校なら先生が「これをやりなさい。」と一方的に押しつけるところを、附属小だと子供が何をやりたいかを相談して決める。
こういうところが違うんだそうだ。
う~ん、なるほどなあ。
それでかつてM子から聞いた話を思い出した。
「確か3年生の時にさあ、今度はケナフから和紙を作ることになったんだけどさあ、ケナフ育てる時、 水やりほとんど先生が一人でやってたんだよ。」
「えっ?どうして?」
「ケナフ、種から育てましょうって先生が言った時さあ、みんな嫌がったんだよね。『先生、そんな面倒くさいことやめようぜ。』みたいな話になって・・・。それでもさ、種まきと収穫はみんなでやったんだよ。」
「・・・・・・・・・。(^^;」
あのクラスならありそうな話だった。
KM先生がおおらかに育ててくださった子供達は、自己主張が強い。
その上みんなお祭り好きだから、種まきやら収穫やらおいしいとこだけはやりたがる。( ^-^)
子供達が遊んでいるの後目(しりめ)に、黙々とケナフに水をやるKM先生。
たまには文句のひとつも言いたくなることもあっただろう。
それを寸での所で抑えていたのは、たぶん・・・。
「子供達は育てるのを嫌がったんだ。
だけどそれじゃあオレが困る。研究発表の論文が出来あがらない。
ここはひとつ、オレが我慢してやるしかないな・・・・。」(^^;
烏骨鶏を飼った時もそうだ。
3羽いた烏骨鶏のうち1羽が病気になり、うちへつれて帰って寝ないで看病して下さったのはKM先生だった。
先生の努力も空しく、その1羽はすぐに死に、残った2羽も子供達がついうっかり小屋の鍵をかけ忘れたすきに、どこかへ逃げ出して帰ってこなかった。
卵がひとつ500円で売れる話も,あえなくおじゃんになった。(^^;
もしかしたらこの時の苦い経験があったから、2年続けて研究をぼつには出来ないと、先生文句も言わず、ケナフに水をやり続けたのかもしれない。
附属小学校は、生徒の根気ばかりでなく、先生の根性も育てる場所である。
(^^;
しかしKM先生のこういう努力は、決して無駄ではなかったのである。
子供達はちゃんと先生を見ていた。
「僕らの気持を大事にしてくれる『KMちゃん』は僕らの味方だ!」
そしてクラスは何事も無く3年生を終えた。
4年、5年を受け持たれたTK先生も、子供達の考え方を尊重してくださる素晴らしい先生だった。
生徒達もすぐに先生に慣れて、まとまった良いクラスになった。
ところが5年生の後半になって、あるいじめ事件をきっかけに、少々クラスにほころびが見え出した。
しかしTM先生は、あるときは優しく、あるときは厳しく、クラスを束ねていらした。
先生がおっしゃったことで忘れられない事がある。
「僕は、子供達にこんな事を学んで欲しかったんです。
ひとつは、人生、時には一生懸命頑張ってみるのも良いもんだということ。ふたつには、そうして頑張ってみても結果がうまく行くとは限らないということ。そして、たとえそうであっても、人生捨てたもんじゃないということ・・・・・・。」
う~ん、なんと含蓄のある言葉だろう。( ^-^)
そのTM先生が、6年生を前に他の学校へ移っていかれてしまったのだ。
子供達にとってそれは、何としても残念な出来事だった。
・・・・つづく・・・
ステージの上に並ぶ3人の先生の中でひときわ目立つ笑顔と、もうすでに子供達の中に入っていろいろ世話を焼いていらっしゃる御様子。
直感は正しかった。
きまぐれなM子もすぐ先生が好きになり、子供達を大きな気持で包んで下さる先生とお母様方の評判も良かった。
前にも書いたかもしれないが、附属小学校ではそのクラスなりのテーマというのがあって、継続してそれについて研究していく。
KM先生がテーマに選ばれたのは「和紙」だった。
ご存知のように長野県の北部、雪深い飯山地方は、「内山和紙」という和紙の産地である。
3組の子供達はバスで飯山に出向き、こうぞとかみつまたとか和紙の原料になる植物を生産者の方から分けて頂いて来た。
まず、それを大きな鍋でゆでるのだという。
柔らかくなるまでゆでたら皮を剥き、漂白剤で白くしてから何千回だか何万回だか叩いて細かい細かい繊維にし、漉いて和紙にする。
一口に何万回というが、途方も無い回数だ。こういうところで根気を育てるのが、附属小教育の特徴かもしれない。
今でも覚えているのだが、KM先生は和紙を漉く授業をする時、自前で漉き機みたいなものを買われてお母さん方の前でデモンストレーションをやって見せた。
その時、水が先生の手元からこぼれて、床に盛大に流れ落ちた。
慌てた先生は大声で「おかあさ~ん、おかあさ~ん、どうしよう!なんとかしてくださ~い。」と叫ぶので、気の効く数名のお母さんが急いで雑巾を持って駆けつけた以外は、クラス中笑いの渦になった。
その光景を見て九子はなんとなく嬉しくなった。
この先生なら、きっと子供と同じ目線で物事を考えて下さるに違いない。
先日久しぶりに小学校へ出向いて保健室の先生に伺ったことだが、附属小学校が他の小学校とどこが一番の違うのかと言えば・・・・。
例えば子供が水をこぼす。ほかの小学校なら「何やってんだ!早く片付けろ!」と先生に叱られて終わってしまう。
ところが附属小学校はそうではない。
「どうして君は水をこぼしたんだい?」と考えさせる。
他の小学校なら先生が「これをやりなさい。」と一方的に押しつけるところを、附属小だと子供が何をやりたいかを相談して決める。
こういうところが違うんだそうだ。
う~ん、なるほどなあ。
それでかつてM子から聞いた話を思い出した。
「確か3年生の時にさあ、今度はケナフから和紙を作ることになったんだけどさあ、ケナフ育てる時、 水やりほとんど先生が一人でやってたんだよ。」
「えっ?どうして?」
「ケナフ、種から育てましょうって先生が言った時さあ、みんな嫌がったんだよね。『先生、そんな面倒くさいことやめようぜ。』みたいな話になって・・・。それでもさ、種まきと収穫はみんなでやったんだよ。」
「・・・・・・・・・。(^^;」
あのクラスならありそうな話だった。
KM先生がおおらかに育ててくださった子供達は、自己主張が強い。
その上みんなお祭り好きだから、種まきやら収穫やらおいしいとこだけはやりたがる。( ^-^)
子供達が遊んでいるの後目(しりめ)に、黙々とケナフに水をやるKM先生。
たまには文句のひとつも言いたくなることもあっただろう。
それを寸での所で抑えていたのは、たぶん・・・。
「子供達は育てるのを嫌がったんだ。
だけどそれじゃあオレが困る。研究発表の論文が出来あがらない。
ここはひとつ、オレが我慢してやるしかないな・・・・。」(^^;
烏骨鶏を飼った時もそうだ。
3羽いた烏骨鶏のうち1羽が病気になり、うちへつれて帰って寝ないで看病して下さったのはKM先生だった。
先生の努力も空しく、その1羽はすぐに死に、残った2羽も子供達がついうっかり小屋の鍵をかけ忘れたすきに、どこかへ逃げ出して帰ってこなかった。
卵がひとつ500円で売れる話も,あえなくおじゃんになった。(^^;
もしかしたらこの時の苦い経験があったから、2年続けて研究をぼつには出来ないと、先生文句も言わず、ケナフに水をやり続けたのかもしれない。
附属小学校は、生徒の根気ばかりでなく、先生の根性も育てる場所である。
(^^;
しかしKM先生のこういう努力は、決して無駄ではなかったのである。
子供達はちゃんと先生を見ていた。
「僕らの気持を大事にしてくれる『KMちゃん』は僕らの味方だ!」
そしてクラスは何事も無く3年生を終えた。
4年、5年を受け持たれたTK先生も、子供達の考え方を尊重してくださる素晴らしい先生だった。
生徒達もすぐに先生に慣れて、まとまった良いクラスになった。
ところが5年生の後半になって、あるいじめ事件をきっかけに、少々クラスにほころびが見え出した。
しかしTM先生は、あるときは優しく、あるときは厳しく、クラスを束ねていらした。
先生がおっしゃったことで忘れられない事がある。
「僕は、子供達にこんな事を学んで欲しかったんです。
ひとつは、人生、時には一生懸命頑張ってみるのも良いもんだということ。ふたつには、そうして頑張ってみても結果がうまく行くとは限らないということ。そして、たとえそうであっても、人生捨てたもんじゃないということ・・・・・・。」
う~ん、なんと含蓄のある言葉だろう。( ^-^)
そのTM先生が、6年生を前に他の学校へ移っていかれてしまったのだ。
子供達にとってそれは、何としても残念な出来事だった。
・・・・つづく・・・
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