静かなるドン [<学校の話、子供たちの話>]
6年生の始めに、3組の母親は特別、校長先生に呼ばれた。
6年3組には、TK先生に代わって先生が二人付くことになった。
二人とも、元中学校の先生で、しかも副任のS先生は、悪名高かった某中学校を仕切っていた体育の先生だった。
校長先生にしてみれば、いじめっ子の○君専用に先生一人を付けることによって、クラスをまとめようとする精一杯の思いだったに違いないのだが、残念ながら校長先生の思惑通りには事は進まなかった。
彼らのクラスは、考えてみると附属小の中で、一番附属小らしいクラスだったのだ。
KM先生や、TK先生や、なんでも子供達に任せて自由にさせて下さる先生に恵まれて、自分達で考えたやり方でずっとやって来た3組に、突然強い先生が二人もやって来て、上から無理やり押さえつけようとした。
6年生ともなれば、みんな大きくなって力もあるし、もともと強かった自己主張もますます強くなる。(^^;
上から抑えつけようとする力には、当然反発が出る。
いつの間にか3組は「問題のあるクラス」と呼ばれ、M子は中学へ行った今でも「3組さん?大変だったんでしょ。」とある事無い事尾ひれがついて、同情されるようだ。
しかし、「決して3組は問題のあるクラスでは無かった!」と、M子は言い張る。
その証拠に、子供達同士はすごく仲が良いのだ。
初めて附属小へ来て、子供達の様子もわからず、受け持った子供達の強い反発にあった先生方もずいぶん戸惑われたと思う。
その後もたびたび母親たちの話し合いがもたれ、クラス代表の二人のお母様達は大変な思いをされたに違いない。
6年生の個人懇談で、その二人の先生方に深々と頭を下げられた九子は面食らった。
M子はいつの頃からか、「しっかりしている」と先生に評されることが多かった。
まあそれもわからないではない。
こういう母親に育てられればね。(^^;
「わがまま娘で困っています。」とTK先生にご相談しようとしたところ、「いやあ、いつもM子さんには助けられているんです。授業中意見が出ない時、M子さんの意見で新たな発展があるんです。本当に感謝しています。」と言われて仰天したこともある。
口は昔から達者だったので、気が利いて聞こえる事をたまにぽつんと言うのが、先生には新鮮に聞こえたらしい。(^^;
そう言えばこんなこともあった。小4の時だろうか?
我が家の兄弟はみな少なくとも小4位まではスイミング教室に通わせた。何せ5人もいるのだ。
泳げるようになっといてもらわないと、おぼれたとき親は全部を助けきれない。(^^;
それをM子だけは小2くらいで止めてしまった。
とにかくわがまま娘なので、「嫌だ!」と言ったら最後、てこでも動かない。
そうやって、ピアノも公文も英語も止めた。(^^;
だから小4でクロールを習ったとき、最初M子は泳げなかった訳だ。
それを猛訓練の結果か、先生のおだてが上手だったためか(^^;、どうやらこうやら泳げるようになった。
そうしてわずか数日前に50メートルをやっと泳げるようになったばかりのM子が、事もあろうにクロールリレーの選手になってしまったのだ!
「ど、ど、どうしてそんな事になったの?」哀れな母親九子は、すがるような目で娘に尋ねた。
「あっ、それさあ。最初みんなたくさん手上げてたんだよね。だからM子も手上げて、そのうちだんだん少なくなって・・・・・・・。いつのまにかM子一人になってた。」(^^;
6年生になって、実は少々心配なことがあった。
その頃頻繁にグループ変えが行われていたようで、一ヶ月毎くらいにグループが代わっていたのだが、どう言う訳かM子のグループには、いじめっ子と噂されてた○君一味の数人がいつも加わっているのだ。
「えっ?また○君といっしょ?もう3回目だよねえ。
いくらなんでも、先生配慮が無さ過ぎだよ。いじめられたらどうすんのよ!!」
九子は本気で心配した。
それが、先生方のお辞儀とよもや関係があるとは、この時想像も出来なかった。
M先生がこう切り出した。
「いやあ、お恥ずかしい話ですが、クラスの男子の中にはどうしても私どもの手に余る子達が数名おりまして・・・。 私達が何を言ってもいっこうに言うことを聞いてくれないのですが、彼らが唯一言うことを聞くのが、実はM子さんなんですよ。だからM子さんにはいつも彼らをまとめて頂くために同じグループに居て頂いて・・・・。いやあ、助かります。」(またしても深いお辞儀)
「・・・・・・・・・・・・・・・(^^;(^^;(^^;」
静かなるドン。
九子の頃はこの名を聞くと、ロシア文学の傑作(ショーロホフ)を思い浮かべたものであるが、(例によって読んだことはない。(^^;)、現代は同名のマンガ本や映画の方が有名とか・・・。
「静かなる首領」と書くと余計わかりやすいのだろうが、まさか娘がそれであったとはねえ・・・。(^^;
M子の中学の担任の Y先生もまた、ひょうひょうとした雰囲気の素敵な先生だ。
附属の伝統を重んじ、クラスの自主性を何より大事に考えてくださる。
組の連中を仕切る・・・・・じゃなくて(^^;、クラスのみんなをまとめるのに一役かっているのが、元附属小3組の女子、具体的に言えばM子とY子ちゃんらしい。
Y子ちゃんなどは更に大物で、先生まで仕切っているらしい。(^^;
昔、選挙のスローガンで「女性が幸せな社会が、明るい社会です。」みたいなのがあって、妙に納得した。
女性が虐げられている国々はどこをとっても先進国とは言い難いし、女性が元気な社会(日本も含めて)は、おおむね健全な社会である。
人間、お勉強など出来なくてもどこかに取りえはあるものなのである。
そして、こういう彼女達が育つ今の日本は、とりあえずは幸せな社会なのではあるまいか。( ^-^)
6年3組には、TK先生に代わって先生が二人付くことになった。
二人とも、元中学校の先生で、しかも副任のS先生は、悪名高かった某中学校を仕切っていた体育の先生だった。
校長先生にしてみれば、いじめっ子の○君専用に先生一人を付けることによって、クラスをまとめようとする精一杯の思いだったに違いないのだが、残念ながら校長先生の思惑通りには事は進まなかった。
彼らのクラスは、考えてみると附属小の中で、一番附属小らしいクラスだったのだ。
KM先生や、TK先生や、なんでも子供達に任せて自由にさせて下さる先生に恵まれて、自分達で考えたやり方でずっとやって来た3組に、突然強い先生が二人もやって来て、上から無理やり押さえつけようとした。
6年生ともなれば、みんな大きくなって力もあるし、もともと強かった自己主張もますます強くなる。(^^;
上から抑えつけようとする力には、当然反発が出る。
いつの間にか3組は「問題のあるクラス」と呼ばれ、M子は中学へ行った今でも「3組さん?大変だったんでしょ。」とある事無い事尾ひれがついて、同情されるようだ。
しかし、「決して3組は問題のあるクラスでは無かった!」と、M子は言い張る。
その証拠に、子供達同士はすごく仲が良いのだ。
初めて附属小へ来て、子供達の様子もわからず、受け持った子供達の強い反発にあった先生方もずいぶん戸惑われたと思う。
その後もたびたび母親たちの話し合いがもたれ、クラス代表の二人のお母様達は大変な思いをされたに違いない。
6年生の個人懇談で、その二人の先生方に深々と頭を下げられた九子は面食らった。
M子はいつの頃からか、「しっかりしている」と先生に評されることが多かった。
まあそれもわからないではない。
こういう母親に育てられればね。(^^;
「わがまま娘で困っています。」とTK先生にご相談しようとしたところ、「いやあ、いつもM子さんには助けられているんです。授業中意見が出ない時、M子さんの意見で新たな発展があるんです。本当に感謝しています。」と言われて仰天したこともある。
口は昔から達者だったので、気が利いて聞こえる事をたまにぽつんと言うのが、先生には新鮮に聞こえたらしい。(^^;
そう言えばこんなこともあった。小4の時だろうか?
我が家の兄弟はみな少なくとも小4位まではスイミング教室に通わせた。何せ5人もいるのだ。
泳げるようになっといてもらわないと、おぼれたとき親は全部を助けきれない。(^^;
それをM子だけは小2くらいで止めてしまった。
とにかくわがまま娘なので、「嫌だ!」と言ったら最後、てこでも動かない。
そうやって、ピアノも公文も英語も止めた。(^^;
だから小4でクロールを習ったとき、最初M子は泳げなかった訳だ。
それを猛訓練の結果か、先生のおだてが上手だったためか(^^;、どうやらこうやら泳げるようになった。
そうしてわずか数日前に50メートルをやっと泳げるようになったばかりのM子が、事もあろうにクロールリレーの選手になってしまったのだ!
「ど、ど、どうしてそんな事になったの?」哀れな母親九子は、すがるような目で娘に尋ねた。
「あっ、それさあ。最初みんなたくさん手上げてたんだよね。だからM子も手上げて、そのうちだんだん少なくなって・・・・・・・。いつのまにかM子一人になってた。」(^^;
6年生になって、実は少々心配なことがあった。
その頃頻繁にグループ変えが行われていたようで、一ヶ月毎くらいにグループが代わっていたのだが、どう言う訳かM子のグループには、いじめっ子と噂されてた○君一味の数人がいつも加わっているのだ。
「えっ?また○君といっしょ?もう3回目だよねえ。
いくらなんでも、先生配慮が無さ過ぎだよ。いじめられたらどうすんのよ!!」
九子は本気で心配した。
それが、先生方のお辞儀とよもや関係があるとは、この時想像も出来なかった。
M先生がこう切り出した。
「いやあ、お恥ずかしい話ですが、クラスの男子の中にはどうしても私どもの手に余る子達が数名おりまして・・・。 私達が何を言ってもいっこうに言うことを聞いてくれないのですが、彼らが唯一言うことを聞くのが、実はM子さんなんですよ。だからM子さんにはいつも彼らをまとめて頂くために同じグループに居て頂いて・・・・。いやあ、助かります。」(またしても深いお辞儀)
「・・・・・・・・・・・・・・・(^^;(^^;(^^;」
静かなるドン。
九子の頃はこの名を聞くと、ロシア文学の傑作(ショーロホフ)を思い浮かべたものであるが、(例によって読んだことはない。(^^;)、現代は同名のマンガ本や映画の方が有名とか・・・。
「静かなる首領」と書くと余計わかりやすいのだろうが、まさか娘がそれであったとはねえ・・・。(^^;
M子の中学の担任の Y先生もまた、ひょうひょうとした雰囲気の素敵な先生だ。
附属の伝統を重んじ、クラスの自主性を何より大事に考えてくださる。
組の連中を仕切る・・・・・じゃなくて(^^;、クラスのみんなをまとめるのに一役かっているのが、元附属小3組の女子、具体的に言えばM子とY子ちゃんらしい。
Y子ちゃんなどは更に大物で、先生まで仕切っているらしい。(^^;
昔、選挙のスローガンで「女性が幸せな社会が、明るい社会です。」みたいなのがあって、妙に納得した。
女性が虐げられている国々はどこをとっても先進国とは言い難いし、女性が元気な社会(日本も含めて)は、おおむね健全な社会である。
人間、お勉強など出来なくてもどこかに取りえはあるものなのである。
そして、こういう彼女達が育つ今の日本は、とりあえずは幸せな社会なのではあるまいか。( ^-^)
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