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リーダーの条件・・・エリートの定義・・・・ [<九子の読書ドラマ映画音楽日記>]


リーダーの条件 (新潮文庫)

リーダーの条件 (新潮文庫)

  • 作者: 会田 雄次
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1982/11
  • メディア: 文庫


会田雄二氏の「リーダーの条件」の初端(しょっぱな)で度肝を抜かれた。

みなさんにとって、エリートとはなんだろう?



まあ思い浮かべるのは、灘高→東大→大蔵省→上級官僚コースとか、東大までは一緒で、外務省→外交官コース、難関法学部→弁護士コース、医大→医師コースとか・・・・。



あれっ?国会議員→総理大臣のコースを忘れていた。

だけど日本人にとって、国会議員ってエリートなんだろうか?

今時の子供で「大きくなったら総理大臣になりたい。」 と言う子は少ない。

エリートから外れちゃう事が、そもそも日本の政治の大問題かもね・・・。(^^;



本筋にもどる。

とにかくエリートと言うのは、日本人にとって頑張れば誰でもが「なれるもの」であり、エリートに上り詰めた人は、その才能はもとより、特にその努力を賞賛される。



だから日本人の親たちは、血眼(ちまなこ)になって息子を、娘を、良い大学に入れようと躍起(やっき)になるのだ。



著者は言う。そこに根本的な間違いがあると・・・・・・。



エリートなる言葉が生まれた国、イギリス。

イギリスでは、日本のように子供をエリートにするために努力する親などいない。

なぜか?



エリートとは、決められた階級に生まれついた人間のみに与えられる、生まれついての資格だからだ。



上流階級以外の普通の人々は、いかに努力をしようが、優秀であろうが、カレッジからケンブリッジ大学やオックスフォード大学を出て社会の上層部で活躍するなんて事は考えもしないと言う。



イギリスはじめヨーロッパの国々で、その人の一生を左右する最大の要素は「生まれ」なのだそうだ。

そういう階級に生まれなかった人々は、そういうものだと甘んじて、彼らの親の職業を継ぎ、彼らの社会で生きていく。



コメディアンの綾小路きみまろ氏のご子息が東京大学理Ⅲに在籍していて、将来は医者になるのだと言う。たぶんそういう事って、イギリスでは考えられない事なのかもしれない。



う~ん、そうだったのか!

イギリスにおいてエリートとは、もう生まれついた時点で、そうなるべくして定められた血筋の人々だけに与えられる称号だったのだ。 

英語でいうところの born with a silver spoon in one's mouthね。( ^-^)



だからいわゆるエリート教育というのも、日本のそれとは当然異なる。

日本のような「エリートになるための教育」は、つまり一切必要無くて、「エリートとしてどうやって社会に奉仕すべきか」を学ぶ事が、エリート教育であるというのだ。



目から鱗、まさに目からウロコでしたよ!



もちろん日本とイギリス、どちらが幸せかという問題はある。

誰にでも平等にエリートになれるチャンスがある日本は、見た目イギリスよりも幸せな社会のような気はする。



その上、窓 of mind のNuitさんの日記にあったアメリカの事情も、「自由の国アメリカ」とは名ばかりで、なんだかイギリスと五十歩百歩のようだ。



折りしも、西武王国に君臨し、かつてアメリカの財政誌Forbesで、世界一の富豪と称された前コクド会長堤義明氏が逮捕された。



かつて父康次郎氏から厳しいエリート教育を受けたという義明氏であるが、そのエリート教育とは、「堤家の遺訓」にも明らかなように、家を守り、家を栄えさせ、堤家のみにいかに財力を集中させるかを教え込むためのものであったようだ。



実はわが信大附属長野中学校の先輩である( ^-^)猪瀬直樹氏が、地元信濃毎日新聞でこんな記事を書いている。



「企業は税金を払うことにより社会に貢献するのは当たり前なのに、西武は払おうとしなかった。

(中略)米国の財閥ロックフェラーやトヨタ自動車などは財団を造って利益を社会に還元しているが、西武はそういうこともしなかった。私鉄は公共性が求められているにもかかわらず、それが理解されていなかった。」



堤康次郎氏は家を思うあまり、真の意味でのエリート教育、つまり、いかにして社会に奉仕すべきかを伝授し忘れたようだ。

いや、そんな事は彼の念頭にこれっぽっちもなかったのかもしれない。





行く川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず・・・・。



祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり・・・・・。



日本の社会はあまたの昔から、常なるものの存在を否定して来たように思う。

と言うよりも、仏教の教える社会一般は、刻一刻と変化して、一時たりとも留まっては居ない。



堤家の財力を盤石(ばんじゃく)にするためのエリート教育を施されたはずの義明氏が凋落(ちょうらく)し、図らずも「兵(つわもの)どもが夢の跡」を自ら呈する形となった。



日本は、確かに自由な社会である。

豊かな者も、貧しい者も、次の子供の世代ではおおむね平等の土俵に立てる。

努力が報われる社会でもある。



しかし考えてみると、イギリスなんかよりもずっと浮き沈みの激しい、厳しい社会である。

だからこそ日本のエリート達は、自分を守るために躍起となる。

そしてエリート本来の、社会に奉仕する本分を忘れる。



もとよりあるべきはずの真のエリート教育は、一体誰がどこでするのだろうか?



テムズ川の流れは、もしかしたら日本の川のそれよりも、ゆっくりと穏やかなのかもしれない。



イギリスのエリート達の保証された地位を、財産を、堤義明氏は今、東京拘置所の3畳半の冷たい部屋の中で、悔恨とともにうらやましく思っているに違いない。
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コメント 2

Nuit

[なるほどー]
エリート、って元々そういう意味だったんだあ。
と、飛行機のビジネス・エリートの席のことなどを思い出したりしました。

堤○氏の事件はニュースに疎いわたしは知りませんでした。
後で調べてみよう・・・。

確かに。
浮き沈みの激しい日本ではこっちで見るようなほんとの(?)エリートを見る機会は滅多に無い気がします。
by Nuit (2005-03-08 06:33) 

九子

[Nuitさん!!]
Nuitさん、ごめんなさい。
勝手にトラックバックだけしてご報告にも伺わず・・・。m(_ _)m

アメリカにも、真のエリートっているんですね、やっぱり。
お会いしてみたいなあ。

庶民とは違う空気を吸って、アメリカ人と言えども気さくに話したりしてくれないのかしら・・・。

普段は日本のほうが自由でいいなあと思う九子なのですが、昔で言うところの華族みたいな人々が、彼ら独特の文化や伝統を守って暮らしていたら、もっと文化的に豊かな日本になったんじゃあないかなあと思ったりもします。
by 九子 (2005-03-09 00:08) 

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