長野外国語センター・・その1 [<学校の話、子供たちの話>]
前々回の日記で、よせばいいのにワシントンポスト紙のコラムなんぞを紹介してしまったものだから、ひょっとして九子の英語力を誤解していらっしゃる方があるやもしれぬ。
英字新聞というのは、実は皆さんが思っていらっしゃるほど難しいものではない。すべては「慣れ」の問題なのである。
冬季オリンピックを真近に控えて、長野市中は外国語熱に浮かれていた。
かく言う九子も、一応好きで細々続けていた英語学習のブラッシュアップbrushupを図ろうと、高値の花だった「長野外国語センター」のクラスに通い始めた。
長野外国語センターは、東京大学物理学科、同大学院卒業後、ロンドン大学、ハーバード大学に留学、ハーバード大主任研究員を経て、元神奈川大学教授、元青山大学講師という華麗な肩書きをもつ杉本正慶先生が、山好きが昂じて長野市内に1980年頃創立された語学学校で、当時英語のほかフランス語やスペイン語中国語クラスもあった。
英語クラスの売りは何と言っても、テキストに「The Japan Times」を使い、生徒は誰でも月1回無料で開催されていた「英語討論会」に優先的に出席出来ることだった。
週2クラスの授業料はたしか月12、000円ほどで、当時とすればバカ高いものではなかったが、英字新聞の購読料が8000円ほどしたから、両方で二万円にもなる。
子供達が小さかった頃は、「自分の身につくのだから・・・」と平気で使っていた金額だったが、そろそろ子供の塾の授業料に頭が痛い頃となり、減りつづけていた預金通帳を横目に見ながら(^^;、「1年間だけだから・・」と言い訳しながら申し込みをした覚えがある。
クラスでは、皆英語のニックネームを付けられる。
ちなみに九子の名前はQuayだった。再初九子の「K」としたら、先生がより英語っぽく直された。
前の週の新聞の中で、自分が一番興味深く思った記事を選んで3分位に要約し、それについて何か問題提起をする。
他の出席者が、投げかけられた問いについて自分の意見を述べる。
もちろん新聞をあらかじめ頭に入れておかないと、即座に話について行けない。
時折「バク」というニックネームの杉本先生が、御自身の意見をはさまれる。
九子みたいに非力な生徒ばかりの場合には、先生のこの舵取りがないとクラスが進んでいかないのである。(^^;
すべての生徒が自分の記事を発表し終わる頃には、90分があらかた経っている。
残りの10分ほどで、FENだかCNNだかのテープを聞き、どこまで聞き取れたかの確認をする。
九子はこの聞き取りが苦手で、いつも大変苦労した。
Mikiさんなどは、どんなおかしなアクセントの英語でも、即座に聞きとって、しかも、正確に書き取る。
「努力が及ばない才能がある!」
九子はいつもそう思ってうらやましがって彼女を眺めたものだが、まあ、考えてみれば九子の「努力」である。おのずと限界があったのは目に見えていた。(^^;
九子にとっては理想的に映ったセンターの授業だったが、実はこんな不平をもらす人もいた。
大体は、センター以外で 英語を習った事がない人たちに多かった。
「私達って英字新聞しか習ってないでしょ。だから、日常会話弱いのよ。どうやって話したらいいのかわからないの。こんなことで、オリンピックのボランティア出来るのか心配になるわ。」
そう言ったのは九子がその討論会での英語力に、一目も二目もおいていた人だった。
同じ心配は九子にもあった。
九子がなんとか聞き取れるのは、ニュースだけである。
難しい言葉がたくさんあって聞き取り難いように思うが、実はさにあらず。
アナウンサーの発音は常に明快で、正確な英語ばかり使われるので一番聞き取りやすいはずなのだ。
聞き取れると言っても所詮九子の場合、たたみかけるように続けて言われるともうお手上げなのだが・・・。
頭の回転がついていかないのだ。(^^;
映画だのテレビドラマだのはその点、九子なんかでは全然太刀打ち出来ない。
俗語やイディオム、それにブランド名なんかの情報不足なんだと思う。
それにひきかえアメリカに数年住んだかつての友人は、映画の英語が一番楽しめると言った。
「語学はすべて慣れのなせる業」というのが、わかって頂けるのではないか。
この討論会は部外者にも開放されていたので、実は九子も以前から何度か出席したことがあった。
部外者には、当日参加した時点で配られる資料(本日の討論の目次、背景、使用されると思われる難解語の説明など)がすべてだったが、センターの生徒には授業中にあらかた説明がされて、いつでも発言出来るような準備がされていると聞いた。
moderatorと呼ばれる司会者は、必ずセンターの生徒が順繰りにする。
こう言ったらなんだが、最初のうちはそんなに英語が上手と思えなかった人達が、1年2年のちにはちゃんとこの大役を務めるのである。
「バク先生がみんな教えてくれるから出来るのよ・・・。」と、彼女達は謙遜して言ったが、これぞ長野外国語センターの本領発揮である。
討論会には外国人が常時十人ほど参加して、もちろん英語が母国語の人がほとんどだから、活発な討論を展開する。
テーマは、その時々の世界や日本の大きなニュースが取り上げられた。
日本のニュースは、背景がわかりやすいので討論もまだやりやすいが、時には日本の新聞にはほとんど出ないようなアフリカの国々の話題とか、とにかく日本語の知識として頭に入っていない問題も躊躇無く取り上げられた。
そういう中で、日本人も負けずに論陣を張るのである。
うっとりするような流暢な英語の人も要れば、とつとつとしゃべる人もいた。
それでも彼らの主張は、外国人にしっかりと受け止められて、笑いが起こったり、うなずかれたり、反撃に出られたりする。
「一度で良いから、九子も発言してみたい!」
それは長い間、九子の夢であった。
・・・・つづく・・・・・・
英語
英字新聞というのは、実は皆さんが思っていらっしゃるほど難しいものではない。すべては「慣れ」の問題なのである。
冬季オリンピックを真近に控えて、長野市中は外国語熱に浮かれていた。
かく言う九子も、一応好きで細々続けていた英語学習のブラッシュアップbrushupを図ろうと、高値の花だった「長野外国語センター」のクラスに通い始めた。
長野外国語センターは、東京大学物理学科、同大学院卒業後、ロンドン大学、ハーバード大学に留学、ハーバード大主任研究員を経て、元神奈川大学教授、元青山大学講師という華麗な肩書きをもつ杉本正慶先生が、山好きが昂じて長野市内に1980年頃創立された語学学校で、当時英語のほかフランス語やスペイン語中国語クラスもあった。
英語クラスの売りは何と言っても、テキストに「The Japan Times」を使い、生徒は誰でも月1回無料で開催されていた「英語討論会」に優先的に出席出来ることだった。
週2クラスの授業料はたしか月12、000円ほどで、当時とすればバカ高いものではなかったが、英字新聞の購読料が8000円ほどしたから、両方で二万円にもなる。
子供達が小さかった頃は、「自分の身につくのだから・・・」と平気で使っていた金額だったが、そろそろ子供の塾の授業料に頭が痛い頃となり、減りつづけていた預金通帳を横目に見ながら(^^;、「1年間だけだから・・」と言い訳しながら申し込みをした覚えがある。
クラスでは、皆英語のニックネームを付けられる。
ちなみに九子の名前はQuayだった。再初九子の「K」としたら、先生がより英語っぽく直された。
前の週の新聞の中で、自分が一番興味深く思った記事を選んで3分位に要約し、それについて何か問題提起をする。
他の出席者が、投げかけられた問いについて自分の意見を述べる。
もちろん新聞をあらかじめ頭に入れておかないと、即座に話について行けない。
時折「バク」というニックネームの杉本先生が、御自身の意見をはさまれる。
九子みたいに非力な生徒ばかりの場合には、先生のこの舵取りがないとクラスが進んでいかないのである。(^^;
すべての生徒が自分の記事を発表し終わる頃には、90分があらかた経っている。
残りの10分ほどで、FENだかCNNだかのテープを聞き、どこまで聞き取れたかの確認をする。
九子はこの聞き取りが苦手で、いつも大変苦労した。
Mikiさんなどは、どんなおかしなアクセントの英語でも、即座に聞きとって、しかも、正確に書き取る。
「努力が及ばない才能がある!」
九子はいつもそう思ってうらやましがって彼女を眺めたものだが、まあ、考えてみれば九子の「努力」である。おのずと限界があったのは目に見えていた。(^^;
九子にとっては理想的に映ったセンターの授業だったが、実はこんな不平をもらす人もいた。
大体は、センター以外で 英語を習った事がない人たちに多かった。
「私達って英字新聞しか習ってないでしょ。だから、日常会話弱いのよ。どうやって話したらいいのかわからないの。こんなことで、オリンピックのボランティア出来るのか心配になるわ。」
そう言ったのは九子がその討論会での英語力に、一目も二目もおいていた人だった。
同じ心配は九子にもあった。
九子がなんとか聞き取れるのは、ニュースだけである。
難しい言葉がたくさんあって聞き取り難いように思うが、実はさにあらず。
アナウンサーの発音は常に明快で、正確な英語ばかり使われるので一番聞き取りやすいはずなのだ。
聞き取れると言っても所詮九子の場合、たたみかけるように続けて言われるともうお手上げなのだが・・・。
頭の回転がついていかないのだ。(^^;
映画だのテレビドラマだのはその点、九子なんかでは全然太刀打ち出来ない。
俗語やイディオム、それにブランド名なんかの情報不足なんだと思う。
それにひきかえアメリカに数年住んだかつての友人は、映画の英語が一番楽しめると言った。
「語学はすべて慣れのなせる業」というのが、わかって頂けるのではないか。
この討論会は部外者にも開放されていたので、実は九子も以前から何度か出席したことがあった。
部外者には、当日参加した時点で配られる資料(本日の討論の目次、背景、使用されると思われる難解語の説明など)がすべてだったが、センターの生徒には授業中にあらかた説明がされて、いつでも発言出来るような準備がされていると聞いた。
moderatorと呼ばれる司会者は、必ずセンターの生徒が順繰りにする。
こう言ったらなんだが、最初のうちはそんなに英語が上手と思えなかった人達が、1年2年のちにはちゃんとこの大役を務めるのである。
「バク先生がみんな教えてくれるから出来るのよ・・・。」と、彼女達は謙遜して言ったが、これぞ長野外国語センターの本領発揮である。
討論会には外国人が常時十人ほど参加して、もちろん英語が母国語の人がほとんどだから、活発な討論を展開する。
テーマは、その時々の世界や日本の大きなニュースが取り上げられた。
日本のニュースは、背景がわかりやすいので討論もまだやりやすいが、時には日本の新聞にはほとんど出ないようなアフリカの国々の話題とか、とにかく日本語の知識として頭に入っていない問題も躊躇無く取り上げられた。
そういう中で、日本人も負けずに論陣を張るのである。
うっとりするような流暢な英語の人も要れば、とつとつとしゃべる人もいた。
それでも彼らの主張は、外国人にしっかりと受け止められて、笑いが起こったり、うなずかれたり、反撃に出られたりする。
「一度で良いから、九子も発言してみたい!」
それは長い間、九子の夢であった。
・・・・つづく・・・・・・
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