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長野外国語センター・・・・その2 [<学校の話、子供たちの話>]

杉本先生の 英語 は流暢ではあるが、今時の帰国子女のそれほど滑らかではない。

どちらかと言うと、昔ながらの無骨な発音であった。



Israel(イスラエル) と Israeli (イスラエルの、イスラエル国民)の発音の違いをくどいほどはっきりと区別されたが、ズリアル、イズイリーと、カタカナで書いた方が似つかわしいくらいの明快さだった。( ^-^)



coalition government(連合政権)などと言う時のcoalition(連合)の発音も、コーションではなくコアションと、特に「ア」にアクセントをつけた発音でないと何度でも言い直させられたし、opposition party(野党)のoppositionはあくまでアパションであり、オポションは忌み嫌われた。



当時は「そこまでしなくても・・・。」と思ったものだが、先生の授業をもう受けられない今になると、しっかりと主張のあった先生の英語がしみじみと懐かしい。





討論会での杉本先生は、一参加者として振舞われた。

ここでの先生は、ニックネームの「バク」で通された。



討論が煮詰まると「バク」が必ず手を上げて軌道修正するのである。

先生の一言がはさまると、ちんやりしていた議論がなぜかまた勢いづくのだ。



今でも忘れられない事がある。

アジアで天変地異や列車事故が相次ぎ、「人の命が虫けら同然に無くなっていく」・・・というのを英語でどう言うか?



人の命が粗末に扱われている・・・だから・・・・、

Life is treated・・・・・・・、

「粗末に」ってなんて言うの?(^^;



杉本先生が明快に一言!

”Life is cheap in Asia.”



えっ?cheap? 安い?

なるほど!cheapかあ。



そういうのをもっとたくさん覚えていたら、あ~たの英語力ももうちょっとまともだったのに・・・。(^^;



とにかく自分の知っている単語だけを駆使して、どこまで話せるか。

聞きとる力の訓練とともに、この英語討論会の役割は計り知れなかった。





その日のことを、九子はまだ鮮明に覚えている。

九子の討論会デビューの日のことである。



議題はたぶん衆院選挙の直後かなんかで、選挙の話題だったと思う。



選挙の話なら任せてよ!

一応九子も、小粒ながら政治家の娘である。(^^;

九子は弾みをつけて手を挙げた。



指名されて立ち上がった途端、足はがくがく、心臓ばくばく。

声が震えるのをなんとか隠して、九子は友達だったアメリカ人が言った言葉を繰り返した。



”Japanese vote not by policy but by friendship.”

(日本人は、主義主張にではなく、友情に投票する。)

今から思うと、byじゃあなくて、onが正しかったも・・。(^^;



あと二言三言付け加えた気がするが、要するに友達の受け売りであった。(^^;



それでも閉会後、見ず知らずの一人の女性が寄って来て「あなたの発言良かったわ。」と言って下さった。もう、宙に舞い上がらんばかりに嬉しかったのを覚えている。





バク先生のバクはたぶん、夢を食べるバクである。



ロマンティストの杉本先生は、たぶん生涯独身で、そんなすばらしい肩書きにも関わらず、御自分の事は一切語らず、オリンピック終了後数年で、長野外国語センターを去られた。





一度だけバク先生にお手紙を出した事があった。

「うつ病がある事がわかって、クラスを続けられなくなりました・・・。」と。



先生から電話が届いた。

「事情はわかりました。お大事に。それから、僕は事情がどうのこうのではなく、頂いたお手紙はすべて処分しておりますので、ご理解下さい。」



先生の孤高の人柄がしのばれた。



実は九子は、センターに通っていた時期の半分以上うつ状態に苦しんでいた。



九子のうつ状態が最悪だった時、つまり2年半の間に4回のうつ状態を経験した時、ウツとウツの合間を縫うように、まさに絶妙のタイミングで長野冬季オリンピックがやって来た。



あと2週間早くても、あと1ヶ月遅くても、九子はウツの真っ最中だったことだろう。



T先生に巡り合って、たった3ヶ月の寛解期をはさんで、5ヶ月続くうつ状態を4回も繰り返していた再悪の状態から逃れる事が出来たのは、オリンピック終了からまだ1年以上も先の話だった。



病気がわかっていたとしたらセンターに通えた訳がないのであるが、まだ自分の病気を自覚する前だったので、回らない頭で必死に宿題を試み、人に会う辛さを乗り越えてなんとか授業に出た。



それでもどうしても苦しい日には、何だかんだと理由をつけて欠席した。



だからせっかくの杉本先生の授業を、数ヶ月ほどしかまともな状態で聞いていないのだ。

まともな時なら・・と誇れるような英語力ではないのは充分承知の上だが、せめて存分に先生の英語をシャワーのように浴び続けていたかった。



そして杉本先生には、自分があの時ベストの状態で授業を受けていなかった事を、欠席したくて欠席した訳ではなかった事を、どうしてもわかって頂きたかった。



手紙には、そんな文面が並んでいたはずだ。





当時の塚田長野市長の通訳だったMieさんを筆頭に、たくさんの生徒たちがセンターから巣立って、今なお現役でばりばり活躍中だ。



彼らは一様にこう口にする。

「私、大学の英文科じゃあ何も習わなかったのと同じ。センターで育ててもらったのよ。」



長野オリンピックで活躍したNILV(Nagano International Linguistic Volunteers )という通訳ボランティアの組織がある。この組織の設立運営は、杉本先生無しには考えられなかったと思う。



杉本先生のいない長野外国語センターなどなんの意味もない。



今ネット検索して出てくる長野外国語センターのホームページには、杉本先生の事はこれっぽっちも触れられていない。



その上、先生の授業方式をまったく受け継いでいない訳だから、素性はどうあれ、そんじょそこらにあるただの英会話学校だと同じだ。





杉本先生はごま塩髪を長く伸ばし、まるで女の子のおかっぱ頭を横分けにしたような髪型に、黒いチューリップハットをかぶり、挨拶される時には、まるで英国紳士がシルクハットを持ち上げるようにその帽子を頭上高くかかげられて「やあっ!」とおっしゃった。



ドイツ語も堪能と伺っていたせいか、先生の「やあっ!」はBachと書いてバッハと読むドイツ語のchの発音が最後についている気がした。



メガネの奥の先生の細い目が、そんな時にはいつも笑っていた。



昔はかなり厳しくて、泣きだす生徒が続出したという杉本先生だが、九子が入った頃は、もう先生70歳近くでいらっしゃったんだろうか?甘くなったというもっぱらの評判だった。



先生は今、一体どこで何をされていらっしゃるんだろう?



この日記を書くにあたり、オリンピックボランティア仲間のMKさんに連絡がついて、先生がまだ長野市周辺にお住まいでいらっしゃるらしいことがわかった。



良かった。まだ先生と同じ空気を吸っていられる。( ^-^)



群れる事を好まず、一人凛として生きてこられた先生が、山をこよなく愛される事はごく自然ななりゆきのように思う。



先生はまだ、時々山歩きをなさるのだろうか?

類稀(たぐいまれ)な脳細胞が紡ぎ出す言葉を、信州の山々は、今でも折りにふれ聞く事が出来るのだろうか?



杉本先生が今何を考え、どんな一日を過ごされているのか、聞けるものなら物言わぬ山にでも聞いてみたいと心底思う。




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コメント 4

ケン

1980年代に3年くらいセンターに通っておりました。
当時は信大生で、杉本先生には随分お世話になりました。
いまでもセンターの授業が懐かしく思われます。
そんなことがきっかけで今はオーストラリアに移り住んでしまい
ました。当時いらしたデイビッド モリス先生とも結構遊んだ
記憶がありますが、彼は元気なんでしょうか。
by ケン (2010-08-18 23:55) 

mu-ran

ひょんなことからこの文章に出会いました。
ドイツ語がご堪能な方は
Coalition はコアリッションと読みますね。
そうそう。ラテン語読み。イタリアとかフランスもそう。
そういうことだと思いますよ。Aは強調します。
ちなみに僕はA をすごく強調しますね。

Israeliもラテン語。イタリア語読みですね。こういう読み分けは
完全にヨーロッパ大陸言語の影響。

僕は中学から高校までドイツ人神父に英語ならう時間があって
そのころを思い出します。(笑)みんなで笑ってた。
だってあまりにもはっきり発音するから。おかしいですよね。
Coaって「コー」ですもんね。くせですね。一種の。

life is cheapはちょっとどうでしょうね。
物価が安いとなりません?
英語はしりませんけれど、僕の知っている範囲では
今のところ「物価が安い」かな?
でもわかりませんよ。英語はよくわかりません。

いずれにせよ無茶苦茶しゃべっても
相手に意味が通じれば
段々にコミュニケーション能力がついてくる
そういうやり方、無手勝流で今までやってきた
ムーランさんですから、あまり当てにはなりませんね。(笑)

by mu-ran (2010-08-19 03:30) 

九子

ケンさん、こんばんわ。( ^-^)

びっくりしました。杉本先生の生徒の方からコメント頂戴するなんて!
それもこれもso-netという大きな海でブログを始めたお陰ですね。

この日記は2005年のものですが、オリジナルはマイぷれすさんという小さなブログサイトに載っていました。その時はケンさんの目に止まらなかった訳ですものね。

>1980年代に3年くらいセンターに通っておりました。

その頃にセンターにいらしたと思われる人を数人知っています。

>そんなことがきっかけで今はオーストラリアに移り住んでしまい
ました。

ここにも一人、杉本先生の影響を受けられた方がいらっしゃったのですね。( ^-^)

デビッドモリス先生の名前はあちこちで聞きますが、私は残念ながらお会いした事がありません。もしかしたらもう日本にいらっしゃらない可能性もあります。

ケンさん、もしよろしければ九子にメールを頂けませんか?
コメントにはなかなか書けない固有名詞もメールでしたら書けますので・・。

表紙記事からプロフィールを見てください。そこに書いてある方法でメール頂けましたら幸いです。杉本先生のこともまた聞いてみようと思っている人が居ます。

メールお待ちしております。m(_ _)m
by 九子 (2010-08-19 21:16) 

九子

mu-ranさん、こんばんわ。( ^-^)

ひょんな事から・・。不思議ですねえ。
実は昨日まで、この記事は他の記事にリンクされていなくて、今朝になって気が付いて慌ててリンクしたものなのです。

隠れてるはずの記事にお二人からコメントがあってびっくりしました。( ^-^)

>ドイツ語がご堪能な方は
Coalition はコアリッションと読みますね。
そうそう。ラテン語読み

なるほど!そういう理由があったのですね。

>Israeliもラテン語。イタリア語読みですね。こういう読み分けは
完全にヨーロッパ大陸言語の影響。

ラテン語の影響だったなんて、ちっとも知りませんでした。
(一応ラテン語は薬学部でも齧った筈でしたが・・。(^^;;)

>いずれにせよ無茶苦茶しゃべっても
相手に意味が通じれば
段々にコミュニケーション能力がついてくる
そういうやり方、無手勝流で今までやってきた

この無茶苦茶しゃべるっていうのが、一般的な日本人には難しいんですよね。間違える事を極端に意識するから・・。

無茶苦茶しゃべれるのも才能かな?とも思うのですが、でも結果的にしゃべれなくて損をしてる日本人はたくさんいるわけだから・・。

単語ひとつでも知らないよりも知ってれば格段に役に立ちますよね。

ムーランさん流に乾杯!( ^-^)
by 九子 (2010-08-19 21:27) 

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