律速段階 [<番外 うつ病編>]
皆様、お休み頂いてから一ヶ月が過ぎました。
更新が無いにもかかわらず、毎日思いがけずたくさんの方々に読みに来て頂きまして本当に有難うございました。
本人にとりまして、どれだけ励みになりましたかわかりません。ただただ感謝でいっぱいです。
さて今回のうつ状態ですが、症状は最初から軽く、辛さは少ないのですが、一ヶ月経ちましても症状が消えておりません。
ただ、そろそろ書きたい気持も募っておりますし、実際調子の良いところを見計らって書いた数篇がございますので、暫くの間不定期で更新させて頂きます。
マイカテゴリーうつ病篇から来てくださった皆様。
これからの数篇は、うつ病をあつかっておりますが、比較的楽な時に書いたものですので笑える内容も含みます。
楽しい読み物を見たくない気分の方は、時を改めてお読み下さい。
ではどうぞ。
**********************************
九子も一応こうしてネットでものを書いてる身の上だから、陳腐な言いまわしはなるべく避けて、人が使わない表現を使いたいという無意識の気働きがある。
一応理系の大学を出て、理解度は???ながらも授業で専門っぽい言葉はある程度仕込んだ。
そして本日の日記のタイトルは理系らしく??「律速段階」になった訳である。
化学反応では、触媒(しょくばい)というそれ自体は変化しないが、反応の速度を上げる物質が使われることが多々ある。
そして触媒があるか無いかが、反応の効率を決めるのだ。
身体の中ではさまざまな酵素が、この触媒の働きをするのである。
つまり身体の中の酵素の働きの良さ悪さが、さまざまな反応の律速段階なのである。
わかりやすいたとえでは、アルコール分解酵素。
この酵素がうまく働くか否かで、酒に強いか弱いかが決まる。
さらに話をわかり易くしようか。
たとえば流れ作業の中で、九子が一人混じっているとする。
他のみんなはてきぱきと仕事を終えるが、九子一人がのろいがために、そこで仕事が滞る。
ここで九子は触媒ではない。
なぜなら反応の効率をあげるために九子はなんら貢献していないからである。(^^;
しかし九子の仕事の出来不出来が、全体の作業の速さを決定する。
つまり九子が全体の仕事における律速段階なのである。(^^;
今日のタイトルが日記にふさわしいか否かは別として、軽いうつ状態でお休み頂きながら、こんなことを考えていた。
今回九子はほとんど毎日普通の7割くらいの感じで過ごせるほど軽い症状だったと思うが、中で何日かはちょっとしんどい日もあった。
そんな日には、ふだん考えないことを考えるものである。
うつ病と言うと、気分が落ちこむ病気という捉えられ方が一般的だし、それ自体間違いではないと思う。
ただ、そのうつ病の期間中、毎日日代わりで気分がコロコロ変わることや、どんなに薬を飲んでいても、時期が来ないと治らない病気であること、そして心の疲れもさることながら、身体も相当に疲れて参っている状態である事などは案外知られていないのかもしれない。
実際朝になってみないとわからないその日の気分の良さ悪さは、長い間その日起きたときの気持ちの重さ軽さが決めるものだと思っていたが、今回「実はそうではないのかも・・・。」と始めて思った。
つまりその日の身体の動き易さを決める「律速段階」が、気分の良さ悪さというのと別のところにあるのではないか?と始めて考えたという意味である。
九子の独断と偏見により言わせて頂くと、九子は相変わらず
雅子妃殿下の症状を「適応障害」などというあいまいな病名ではなく、うつ病であると信じているのであるが、彼女が公務をこなせたりこなせなかったりするのも、もちろんわがままでもなんでもなくて、うつ病の気分のゆらぎであろうと思う。
回復にかなり長引いていらっしゃるのも、本来なら根本的に人前に出なくてもいい仕事に変えて差し上げるとか、そういう事が立場上お出来にならないからだろう。
本当にお気の毒に思う。
うつ病とは、エネルギーが極端に足りなくなる病気である。
ふだんは当たり前のようにしているしゃべること、見ること、会うこと、話すこと、考えること、歩くこと、食べること・・・などなど。
そう言う諸々のことをするのにはかなり多くのエネルギーを消費するものなのだと言うことをまざまざと見せつけられるのがこの病気だ。
そして人間にとって一番自然で楽な姿正とは、直立したりましてや歩くことなどではなくて、地面に身体を横たえて、重力に逆らわずに寝ていることなのだなあという事に改めて気づかされる。
足りないエネルギーを補うために一番有益なのは横になって休んでいる事であり、休んで貯めたエネルギーも、一度何事もないような普通の顔をして人前に出ることによって極端に消耗し、再び充電される必要が生じる事に、「疲労感」という具体的な症状を通して気づかされる病気でもある。
雅子妃殿下がいくら微笑んでいらっしゃるからと言って、本当に元気になられた訳ではない。
むしろ人前に出て微笑む回数が増えるたびに、病気の御回復がその分遅れていると思ったほうが良いのである。
うつ病の時期の日代わりの気分の大元、その日その日が楽に過ごせるか否かを決定するのは、「その日の気分」という曖昧なものであるというよりむしろ、「その日の疲労感の度合い」という、より具体的なものである可能性が高いのではないか・・・ということに九子は今回始めて思い至った。
もちろん気分が優れない日は疲労感も強いという相関関係は確実にある。
前の日の疲れが次の日に残ると言うことは健康な時でも良くあることであろうが、うつ病の時はただでさえエネルギーが不足している訳だから、疲れは澱(おり)のように溜まる。
いったん横になってしまうと「意志の力をもってしては抵抗しがたい」と表現される気だるい心地よさに襲われてなかなか動けない。
電話が鳴る、来客を知らせる薬局のチャイムが鳴るという場合を除いて、一日中でも横になっていたいと思う訳だ。
症状が軽い時は特に、普通と変わらないつもりでいるのに、実は身体と心に無理を強いていたという事に理解が及ばないから始末が悪い。ついつい調子に乗って無理を重ねがちだ。
そもそもどうすることがうつ病にとって一番負担になる事なのか・・・?
自分ではなんとなく気乗りしない「人前に出る時」が一番のように考えてしまうが、それ以外にも、しつこいセールスの電話がかかってきてガシャリと受話器を置く時とか、ふだんよりもイラつきやすい気分の中で、さまざまな思いを自分の気持の中で消化している時だとか、結構そんな時にも気がつかない消耗があるのかもしれない。
それより何より、嫌いなこともさることながら好きな文章を書くことだってかなりの負担になっている可能性もある。まあだからと言って、やめるつもりはさらさらないが・・・。(^^;
とにかく普通の時よりも神経が高ぶりやすいのだ。
なんでもないことが、心に予想以上のダメージを与える。
ただしどういう訳か、疲労感が積もった次の日が必ず気分が悪いという訳ではない。
逆に良く休息が取れた次の日が必ずしも楽という訳でもない。
「エネルギーの消耗」を如実に示す一例として、うつ病で自殺する人の時期がある。
良く言われることだからご存知の方も多かろうが、うつ病のどん底では自殺はむしろ少ない。
死ぬためのエネルギーも不足するから死にたくても死ねないのだ。
抗うつ薬が効き始めてやれやれ良かったと周囲が思う頃、自殺が多発する。
つまりやっと蓄えられ始めたエネルギーがすべて、自殺のために向けられてしまったということになるのだろう。
もちろんすべてを「エネルギー」だけで語り尽くせるほどうつ病は単純ではない。
気分という言葉に代表される不確定要因が醸し出す独特の空気のようなもの。
これはたぶん実際うつ病になった人しかわかり得ないものだと思う。
おおざっぱに言えば沈んだウツウツとした気分が2週間以上続くのがうつ病であるとされるが、九子の場合うつ病にいつなっていつ治ったかはすぐに言い当てる事が出来る。
なぜならウツ独特の空気の違い・・・とでも言うものがわかるからである。
例えばガスの臭いが少しでもすると誰でもすぐにわかるだろう。
ガスの鼻をつく刺激臭を人間の鼻が嗅ぎ分けるからだ。
それと似た感覚で、ウツの時の重くて暗くて鉛のような空気を九子はいつも感じている。
楽しさや喜びという感情だけが欠如、もしくは薄められているような空気。
特に朝起きる時にその空気の違いを感じる限り、うつ病はまだしばらく居すわり続けるのだ。
もっとも夕方から夜にかけて比較的気分が楽になる頃には、この独特の空気も希薄になっている気がするのだが・・・。
九子のウツは頻度は多いが軽症だから、薬を飲んでいなかった時期でも死を考えるほどひどい日はそう多くはなかった。
今回も最初の頃は特に楽に過ごせたから、誰にもわかるまいと思っていた。
しかし!である。
さすが!と言うべきか、M氏は知っていた。
「九子が調子悪い時、すぐわかるよ。いつもこんな時期だし、すぐ横になってゴロゴロし出すからさあ・・・・。」
このM氏の言葉から、あなたは何を読み取りますか?
「M氏って優しいのねえ。」
「けっこう鋭い人なのねえ。」
まあもちろんどちらも正解ではありますが(^^;、九子が一番感じ取って頂きたかったこと!
そ・れ・は・・・・!
「九子さんってふだんは、言ってるほどお昼寝しないでけっこう働いているんじゃないの!」 (^^;
まあ「鬼の居ぬ間の洗濯」ならぬ、M氏の居ぬ間のお昼寝・・・・なんですけどね。( ^-^)
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九子も一応こうしてネットでものを書いてる身の上だから、陳腐な言いまわしはなるべく避けて、人が使わない表現を使いたいという無意識の気働きがある。
一応理系の大学を出て、理解度は???ながらも授業で専門っぽい言葉はある程度仕込んだ。
そして本日の日記のタイトルは理系らしく??「律速段階」になった訳である。
化学反応では、触媒(しょくばい)というそれ自体は変化しないが、反応の速度を上げる物質が使われることが多々ある。
そして触媒があるか無いかが、反応の効率を決めるのだ。
身体の中ではさまざまな酵素が、この触媒の働きをするのである。
つまり身体の中の酵素の働きの良さ悪さが、さまざまな反応の律速段階なのである。
わかりやすいたとえでは、アルコール分解酵素。
この酵素がうまく働くか否かで、酒に強いか弱いかが決まる。
さらに話をわかり易くしようか。
たとえば流れ作業の中で、九子が一人混じっているとする。
他のみんなはてきぱきと仕事を終えるが、九子一人がのろいがために、そこで仕事が滞る。
ここで九子は触媒ではない。
なぜなら反応の効率をあげるために九子はなんら貢献していないからである。(^^;
しかし九子の仕事の出来不出来が、全体の作業の速さを決定する。
つまり九子が全体の仕事における律速段階なのである。(^^;
今日のタイトルが日記にふさわしいか否かは別として、軽いうつ状態でお休み頂きながら、こんなことを考えていた。
今回九子はほとんど毎日普通の7割くらいの感じで過ごせるほど軽い症状だったと思うが、中で何日かはちょっとしんどい日もあった。
そんな日には、ふだん考えないことを考えるものである。
うつ病と言うと、気分が落ちこむ病気という捉えられ方が一般的だし、それ自体間違いではないと思う。
ただ、そのうつ病の期間中、毎日日代わりで気分がコロコロ変わることや、どんなに薬を飲んでいても、時期が来ないと治らない病気であること、そして心の疲れもさることながら、身体も相当に疲れて参っている状態である事などは案外知られていないのかもしれない。
実際朝になってみないとわからないその日の気分の良さ悪さは、長い間その日起きたときの気持ちの重さ軽さが決めるものだと思っていたが、今回「実はそうではないのかも・・・。」と始めて思った。
つまりその日の身体の動き易さを決める「律速段階」が、気分の良さ悪さというのと別のところにあるのではないか?と始めて考えたという意味である。
九子の独断と偏見により言わせて頂くと、九子は相変わらず
雅子妃殿下の症状を「適応障害」などというあいまいな病名ではなく、うつ病であると信じているのであるが、彼女が公務をこなせたりこなせなかったりするのも、もちろんわがままでもなんでもなくて、うつ病の気分のゆらぎであろうと思う。
回復にかなり長引いていらっしゃるのも、本来なら根本的に人前に出なくてもいい仕事に変えて差し上げるとか、そういう事が立場上お出来にならないからだろう。
本当にお気の毒に思う。
うつ病とは、エネルギーが極端に足りなくなる病気である。
ふだんは当たり前のようにしているしゃべること、見ること、会うこと、話すこと、考えること、歩くこと、食べること・・・などなど。
そう言う諸々のことをするのにはかなり多くのエネルギーを消費するものなのだと言うことをまざまざと見せつけられるのがこの病気だ。
そして人間にとって一番自然で楽な姿正とは、直立したりましてや歩くことなどではなくて、地面に身体を横たえて、重力に逆らわずに寝ていることなのだなあという事に改めて気づかされる。
足りないエネルギーを補うために一番有益なのは横になって休んでいる事であり、休んで貯めたエネルギーも、一度何事もないような普通の顔をして人前に出ることによって極端に消耗し、再び充電される必要が生じる事に、「疲労感」という具体的な症状を通して気づかされる病気でもある。
雅子妃殿下がいくら微笑んでいらっしゃるからと言って、本当に元気になられた訳ではない。
むしろ人前に出て微笑む回数が増えるたびに、病気の御回復がその分遅れていると思ったほうが良いのである。
うつ病の時期の日代わりの気分の大元、その日その日が楽に過ごせるか否かを決定するのは、「その日の気分」という曖昧なものであるというよりむしろ、「その日の疲労感の度合い」という、より具体的なものである可能性が高いのではないか・・・ということに九子は今回始めて思い至った。
もちろん気分が優れない日は疲労感も強いという相関関係は確実にある。
前の日の疲れが次の日に残ると言うことは健康な時でも良くあることであろうが、うつ病の時はただでさえエネルギーが不足している訳だから、疲れは澱(おり)のように溜まる。
いったん横になってしまうと「意志の力をもってしては抵抗しがたい」と表現される気だるい心地よさに襲われてなかなか動けない。
電話が鳴る、来客を知らせる薬局のチャイムが鳴るという場合を除いて、一日中でも横になっていたいと思う訳だ。
症状が軽い時は特に、普通と変わらないつもりでいるのに、実は身体と心に無理を強いていたという事に理解が及ばないから始末が悪い。ついつい調子に乗って無理を重ねがちだ。
そもそもどうすることがうつ病にとって一番負担になる事なのか・・・?
自分ではなんとなく気乗りしない「人前に出る時」が一番のように考えてしまうが、それ以外にも、しつこいセールスの電話がかかってきてガシャリと受話器を置く時とか、ふだんよりもイラつきやすい気分の中で、さまざまな思いを自分の気持の中で消化している時だとか、結構そんな時にも気がつかない消耗があるのかもしれない。
それより何より、嫌いなこともさることながら好きな文章を書くことだってかなりの負担になっている可能性もある。まあだからと言って、やめるつもりはさらさらないが・・・。(^^;
とにかく普通の時よりも神経が高ぶりやすいのだ。
なんでもないことが、心に予想以上のダメージを与える。
ただしどういう訳か、疲労感が積もった次の日が必ず気分が悪いという訳ではない。
逆に良く休息が取れた次の日が必ずしも楽という訳でもない。
「エネルギーの消耗」を如実に示す一例として、うつ病で自殺する人の時期がある。
良く言われることだからご存知の方も多かろうが、うつ病のどん底では自殺はむしろ少ない。
死ぬためのエネルギーも不足するから死にたくても死ねないのだ。
抗うつ薬が効き始めてやれやれ良かったと周囲が思う頃、自殺が多発する。
つまりやっと蓄えられ始めたエネルギーがすべて、自殺のために向けられてしまったということになるのだろう。
もちろんすべてを「エネルギー」だけで語り尽くせるほどうつ病は単純ではない。
気分という言葉に代表される不確定要因が醸し出す独特の空気のようなもの。
これはたぶん実際うつ病になった人しかわかり得ないものだと思う。
おおざっぱに言えば沈んだウツウツとした気分が2週間以上続くのがうつ病であるとされるが、九子の場合うつ病にいつなっていつ治ったかはすぐに言い当てる事が出来る。
なぜならウツ独特の空気の違い・・・とでも言うものがわかるからである。
例えばガスの臭いが少しでもすると誰でもすぐにわかるだろう。
ガスの鼻をつく刺激臭を人間の鼻が嗅ぎ分けるからだ。
それと似た感覚で、ウツの時の重くて暗くて鉛のような空気を九子はいつも感じている。
楽しさや喜びという感情だけが欠如、もしくは薄められているような空気。
特に朝起きる時にその空気の違いを感じる限り、うつ病はまだしばらく居すわり続けるのだ。
もっとも夕方から夜にかけて比較的気分が楽になる頃には、この独特の空気も希薄になっている気がするのだが・・・。
九子のウツは頻度は多いが軽症だから、薬を飲んでいなかった時期でも死を考えるほどひどい日はそう多くはなかった。
今回も最初の頃は特に楽に過ごせたから、誰にもわかるまいと思っていた。
しかし!である。
さすが!と言うべきか、M氏は知っていた。
「九子が調子悪い時、すぐわかるよ。いつもこんな時期だし、すぐ横になってゴロゴロし出すからさあ・・・・。」
このM氏の言葉から、あなたは何を読み取りますか?
「M氏って優しいのねえ。」
「けっこう鋭い人なのねえ。」
まあもちろんどちらも正解ではありますが(^^;、九子が一番感じ取って頂きたかったこと!
そ・れ・は・・・・!
「九子さんってふだんは、言ってるほどお昼寝しないでけっこう働いているんじゃないの!」 (^^;
まあ「鬼の居ぬ間の洗濯」ならぬ、M氏の居ぬ間のお昼寝・・・・なんですけどね。( ^-^)
[お帰りなさい!?]
実際の状態はこの文面からははかり知れませんが、とりあえずブログを書ける位の元気さは取り戻されたご様子で、何よりです。
私も、時々、ホームページの更新(この頃はブログを書くので精一杯ですが…)をすることがすごく億劫になって、どうにも話題を見出すことが出来ないときがあります。
お互い無理せず気長にいきましょうね。
まだ本調子ではないようですので、お大事に…。
by よぽぽ (2005-06-26 21:51)
[病気との共存]
少しエネルギーが溜まってきたのかな?
書けるときに書けばいいですよね。
欝って誰にでもなる可能性があるように思います。
私なども、原因になるきかっけはいくらでもある。
なるか、ならないかさえ分からない。
年と共にずうずうしくなったり神経は太くなったようにも
思えるし、このまま鬱病とはお友達にならずにすめば幸いと
考えています。
九子さんの日記を読んでいて成る程な~と思うこと多くあります。
エネルギーで言えば息子が不登校の時に、目に見えないエネルギーが溜められなくて放出してしまうこと、よく分かりました。
でも、どうやってエネルギーを溜めるんだとずいぶんと悩んだ
記憶です。結果、本人以外に溜めることは出来なくて、少し休んだくらいじゃ長年のエネルギー不足は補いないと悟りました。
とにかく気の済むまでじっくり飽きるほど退屈してくれると
ムクムクと元気になるようです。
何でもそうですが無理しない。いい加減が良い加減になるようですね。
九子さんも無理しないでね。
病気と共存していると自分が分かって大事にいたらないですね。
それを実践している九子さんは凄いです。
by ちゃら (2005-06-26 22:15)
[よぽぽさん!]
はい。お蔭様でやっと復帰できるようになりました。
よぽぽさんのところへも、書きこみは出来ませんでしたが覗きに行ってはいたのですよ。
それにしてもよぽぽさんにLDの掲示板を立ち上げて頂いて良かったと思います。すごく良い掲示板ですよね。( ^-^)
>実際の状態はこの文面からははかり知れませんが・・・・・
どうぞご心配なく。この文面以上に元気でやっております。( ^-^)
よぽぽさんの掲示板の返信、いつもすごく適切だなあと感心しているんですよ。それも努力の賜物でしょう。だから、書くだけで手一杯という状況が生まれてしまうのかもしれません。
頑張って!とはとても言えません。息子さんのことだけでも忙しいですもんね。
休み休み、息長く、続けていってくださいね。( ^-^)
by 九子 (2005-06-27 21:32)
[ちゃらさん!]
いつも温かいコメントを有難うございます。
そうそう。ちゃらさんなんか、環境の難しさで言ったらいつウツになってもおかしくないっていうの当たっていると思う。でも、ちゃらさんだから大丈夫だったんですよね。
もちろんだからと言ってこれから先も大丈夫という保証はない。
ウツなんかしないにこしたことはないですよ。
でも、ちゃらさんみたいに忙しい毎日を過ごしていらっしゃる方には、もしかしたら良い骨休みにはなるかもしれませんが・・・。
>エネルギーで言えば息子が不登校の時に、目に見えないエネルギーが溜められなくて放出してしまうこと、よく分かりました。
でも、どうやってエネルギーを溜めるんだとずいぶんと悩んだ
記憶です。結果、本人以外に溜めることは出来なくて、少し休んだくらいじゃ長年のエネルギー不足は補いないと悟りました。
とにかく気の済むまでじっくり飽きるほど退屈してくれると
ムクムクと元気になるようです。
不登校の息子さんの観察。さすがちゃらさん、鋭い!と思います。
なるほど!と私こそ感心しました。
そうですよね。確かに不登校のお子さんの症状は、うつ病に似ているかもしれません。本人にエネルギーが溜まってはじめて、前に踏み出し始めるというのが、共通していますよね。
人前に出たくないというのも、学校に行けないという症状にもつながるし・・・。
それに、良くなってくると寝てると飽きてくるんです。(^^;
>病気と共存していると自分が分かって大事にいたらないですね。
ええ、まあ、初期症状を見逃さないみたいなところはあるかもです。
>それを実践している九子さんは凄いです。
えっ、まあ、それほどでも・・・・・。(^^;(^^;
by 九子 (2005-06-27 21:55)