楽しむ能力 [<番外 うつ病編>]
喜怒哀楽と一口に言われる人間の感情のなかで、一番高尚な感情はたぶん「楽しむ」だろうと思う。
夜と霧 新版の画像
例によって読みもしないのに知ったかぶって書くが(^^;、精神科医フランクルの「夜と霧」ではアウシュビッツ収容所という極限下の世界でも希望を失わずに毎日に楽しみを持ち、生き抜いた人の話が語られる。
こういう「楽しみ」は、努力によって獲得されるものであり、普通の人が感じることはなかなか出来ないのではないかと思う。精神医学者の彼ならではの、凡人には到達しにくい境地であったかもしれない。
そこまで高尚な「楽しみ」の話では無くても、確かに「楽しむ」という事は、怒ったり悲しんだりよりも数段に上等な高等動物特有の感情であろう。
うつ病の薬はここ数年で飛躍的に向上し、うつ状態にあっても九子のように前よりもずっと楽に過ごせるようになっている。本当に有り難いことである。
しかしながら薬が効いてきて、最初の頃の辛さが治まり、いろいろ出来る事が増えて来ても、最後まで残る症状が「楽しめない。おもしろくない。」という症状だそうである。
自分の経験からもこれは良くわかる。
九子の場合は死ぬまで気分調整薬を飲む位うつ病になりやすい体質らしいのだが、その代わり・・・というか、うつ状態と言っても薬を飲んでいる限り短期間(一、二ヶ月ほど)で済むようになった。
しかし本来うつ病というのはそんなに短期間に治るものではない。
ふつうの場合薬を飲み始めてからも少なくても数ヶ月、長い時は数年に及ぶ症状である。
その代わり、生涯にたった一度あるいはせいぜい二度起こるくらいのものだそうだ。
「楽しめない。おもしろくない。」という症状はウツの独特の空気の一番の正体とも言えるものだから、うつ病の最初から最後までつきまとう。
何をやってもふだんほど楽しくないと言うのは、何かをしてみようという意欲を極端に失わせる。
たとえばうつ病の時はただでさえお昼寝好きの九子が(^^;、お昼寝のとりこになる。電話が鳴らない時、店に客が来ない時は、ただただひたすら寝て居たい。
そして実際何時間でも寝ていられる。
とにかくうつ病とは心と身体のエネルギーを猛烈に消耗する病気のようだ。
普通の時は「あんまり寝てると脳味噌が腐るよ。」なんぞと言われ、自分でもそんな気がし出してそうそう寝てもいられなくなるものだが、そんなことを考えるのも面倒なくらいとにかく身体が横になりたがるのだ。
そしてそれを助長するのが、おもしろいことが他に何もないという現実である。
少し前に春山茂雄著「脳内革命」という本がベストセラーになった。
中で著者は脳内麻薬βエンドルフィンについて述べている。
エンドルフィンは30年も前から脳内麻薬物質として有名だった。少なくても薬大の教科書には載っていたと思う。
そして、あきれた薬学生九子が覚えていた数少ない成分名のひとつだった。(^^;
同じ環境の中であっても、自分を幸せと感じる人と不幸せと感じる人があることは、「夜と霧」の例を見るまでもなく明らかな事のようだ。
誰が見ても不幸な環境でも幸せを感じる人を、私達は「素晴らしい」と誉めたたえ、人もうらやむ環境で不幸せをかこつ人を「なんてわがままな・・」とそしるけれど、もしかしたら脳内麻薬エンドルフィンの分泌量の多少・・という風に捉えてみると、また別の見方も出来そうだ。
それより何より、同じ環境のなかで昨日まで自分の不幸を嘆いていた否定的な人間
が、今日から希望に輝いて満ち足りた生活を送れるようになったということだってあるのだ。
そう。朝原九子と笠原十子の場合である。
長男次男が生まれても出来過ぎ母が大変なところはほとんどなんでも引きうけてくれて、夢のように安易な毎日を過ごしながら、劣等感と不安と焦燥にかられていた昔の九子は、世の中で一番不幸な人間のような顔で、一日をやっとの思いで過ごしていた。
そんなダメ人間を変えてくれたのが坐禅 だった訳である。
坐禅をすると、坐禅の深い呼吸にのせられて酸素をたくさん含んだ血液が脳内をめぐるようになる。
たぶんこれが脳細胞を活発にし、自然にα波を作り出し、脳内麻薬βエンドルフィンを分泌させるのではないか。
その証拠に、坐禅を終わると幸福感でいっぱいになる。
自信に満ち溢れ、少々の困難でもへこたれない強さが生まれてくる。
「私は幸せだ。私の人生はばら色だ。私の未来は輝いている。」と自然に思えてく
る。
圧倒的な幸福感のなかで、自分が陽気になっていく。
人に会えば自然に笑みがこぼれ、草木を見ればその美しさに見とれる。
そしてその満ち足りた気分が、たぶん丸一日続くのだ。
「脳内革命」をぱらぱらとめくってみると、春山氏が言っていることは九子の主張と同じ事のようだが実は少々違うのだ。
楽しいことを考えるとエンドルフィンが出て来るし、反対にストレスを貯めこむとエンドルフィンが出にくくなるから、なるべく楽しいことを考えて、エンドルフィンが出るような生活をしなさい、と春山氏は言う。
それって言うほど楽じゃないと思う。
笠原十子の証言にあるように、意志の力で「明るくなろう、楽しいことを考えよう。」と考えて明るくなったり楽しくなったり出来るのはもともと意志の強い人の話であって、落ちこみやすい弱い私達は、それが出来ないから悩んでいるわけなんだから、エンドルフィンが出るような生活をしなさい!と言われてもねえ・・・。
坐禅のすごさは、誰でも正しく坐れば、無理なくα波という脳波が出現し、自然に脳内麻薬を出す環境が整うということだと思う。
つまりわざわざ辛い時に頑張って楽しいことを考えなくても、正しく坐ることだけで自然にエンドルフィンが出てくるという事!
坐禅の効用って、つまりこれだよね。
えっ?坐禅の効用?
まずい!これじゃあ活禅寺(ここ)からクレームが来る。(^^;
「なんのため、かんのためと、目的を持って坐ってはならない。」
無形大師ならずとも、禅の先達たちは皆同様に戒める。
もちろん原則はそうなのである。
病気を治すため、性格を変えるため、幸せになるためなどなど、「・・・のため」に坐る坐禅は邪道なのである。
でも、無類の根暗ダメ人間が、坐禅で明るいダメ母に生まれ変わる事が出来た張本人の九子としては、「坐禅をすると性格変わるよ。明るくのんきに暮らせるよ。」というメッセージは、いつでもみんなに伝えていたい。
九子が坐禅を始めてから、もう20年になる。
(ひょえ~。(^^;)
軽いウツ状態が来るたびに一ヶ月、二ヶ月平気で参禅を休むし、ふだんだって一週間に一度参禅すれば良い方だ。(^^;
熱心な仏教徒と言える状態からは程遠い。
しかしそんな九子であっても、誰も叱らないし、お寺に来るように強制されることもない。
久しぶりにお寺に行くと「お帰りなさい。」と温かな笑顔で迎えてもらえる。
当然布教のノルマなんてものもない。
「来るものは拒まず、去るものは追わず。」が昔からの禅寺のやりかただ。
本当に淡々としている。
大本山活禅寺のホームページだってそうだ。
管理人のmugenさんは、極力宗教色を薄めたページを作りたい人だから、九子が「私は坐禅でこんな体験をしました。こんなに性格が明るくなりました。坐禅は素晴らしいですよ。」などと掲示板に書き込みしようものなら、即座に削除されてしまう。(^^;
でもそのお陰で、全国からホームページを見てやって来る参禅者が後を絶たないらしいから、それはそれでいい。
だけど九子はそれじゃあ物足りない。
やっぱりみんなに坐禅の良さを知ってもらいたい。
自分が坐禅のお陰でどんなに楽に生きられるようになったかを多くの人々に伝えたい。
だからこうしてこの場所で、坐禅の宣伝にこれ努めていると言う訳なのだ。
( ^-^)
ただし口をすっぱくして言っておかなくてはならないことは、そんな素晴らしい坐禅だけれど、うつ病の時にはうまくいかない。
そもそもうつ病の時は頭の中のホルモンの出方が異常になってしまう訳だから、エンドルフィンも出にくくなってしまうのだろう。
うつ病に効くのは薬と休息だけである。
とりあえずそういう限界はあるものの、やはり坐禅は素晴らしいものである。
あなたの人生をより充実したものにするために、
あなたもお近くの禅寺で、坐禅を始めてみませんか?( ^-^)
夜と霧 新版の画像
例によって読みもしないのに知ったかぶって書くが(^^;、精神科医フランクルの「夜と霧」ではアウシュビッツ収容所という極限下の世界でも希望を失わずに毎日に楽しみを持ち、生き抜いた人の話が語られる。
こういう「楽しみ」は、努力によって獲得されるものであり、普通の人が感じることはなかなか出来ないのではないかと思う。精神医学者の彼ならではの、凡人には到達しにくい境地であったかもしれない。
そこまで高尚な「楽しみ」の話では無くても、確かに「楽しむ」という事は、怒ったり悲しんだりよりも数段に上等な高等動物特有の感情であろう。
うつ病の薬はここ数年で飛躍的に向上し、うつ状態にあっても九子のように前よりもずっと楽に過ごせるようになっている。本当に有り難いことである。
しかしながら薬が効いてきて、最初の頃の辛さが治まり、いろいろ出来る事が増えて来ても、最後まで残る症状が「楽しめない。おもしろくない。」という症状だそうである。
自分の経験からもこれは良くわかる。
九子の場合は死ぬまで気分調整薬を飲む位うつ病になりやすい体質らしいのだが、その代わり・・・というか、うつ状態と言っても薬を飲んでいる限り短期間(一、二ヶ月ほど)で済むようになった。
しかし本来うつ病というのはそんなに短期間に治るものではない。
ふつうの場合薬を飲み始めてからも少なくても数ヶ月、長い時は数年に及ぶ症状である。
その代わり、生涯にたった一度あるいはせいぜい二度起こるくらいのものだそうだ。
「楽しめない。おもしろくない。」という症状はウツの独特の空気の一番の正体とも言えるものだから、うつ病の最初から最後までつきまとう。
何をやってもふだんほど楽しくないと言うのは、何かをしてみようという意欲を極端に失わせる。
たとえばうつ病の時はただでさえお昼寝好きの九子が(^^;、お昼寝のとりこになる。電話が鳴らない時、店に客が来ない時は、ただただひたすら寝て居たい。
そして実際何時間でも寝ていられる。
とにかくうつ病とは心と身体のエネルギーを猛烈に消耗する病気のようだ。
普通の時は「あんまり寝てると脳味噌が腐るよ。」なんぞと言われ、自分でもそんな気がし出してそうそう寝てもいられなくなるものだが、そんなことを考えるのも面倒なくらいとにかく身体が横になりたがるのだ。
そしてそれを助長するのが、おもしろいことが他に何もないという現実である。
少し前に春山茂雄著「脳内革命」という本がベストセラーになった。
中で著者は脳内麻薬βエンドルフィンについて述べている。
エンドルフィンは30年も前から脳内麻薬物質として有名だった。少なくても薬大の教科書には載っていたと思う。
そして、あきれた薬学生九子が覚えていた数少ない成分名のひとつだった。(^^;
同じ環境の中であっても、自分を幸せと感じる人と不幸せと感じる人があることは、「夜と霧」の例を見るまでもなく明らかな事のようだ。
誰が見ても不幸な環境でも幸せを感じる人を、私達は「素晴らしい」と誉めたたえ、人もうらやむ環境で不幸せをかこつ人を「なんてわがままな・・」とそしるけれど、もしかしたら脳内麻薬エンドルフィンの分泌量の多少・・という風に捉えてみると、また別の見方も出来そうだ。
それより何より、同じ環境のなかで昨日まで自分の不幸を嘆いていた否定的な人間
が、今日から希望に輝いて満ち足りた生活を送れるようになったということだってあるのだ。
そう。朝原九子と笠原十子の場合である。
長男次男が生まれても出来過ぎ母が大変なところはほとんどなんでも引きうけてくれて、夢のように安易な毎日を過ごしながら、劣等感と不安と焦燥にかられていた昔の九子は、世の中で一番不幸な人間のような顔で、一日をやっとの思いで過ごしていた。
そんなダメ人間を変えてくれたのが坐禅 だった訳である。
坐禅をすると、坐禅の深い呼吸にのせられて酸素をたくさん含んだ血液が脳内をめぐるようになる。
たぶんこれが脳細胞を活発にし、自然にα波を作り出し、脳内麻薬βエンドルフィンを分泌させるのではないか。
その証拠に、坐禅を終わると幸福感でいっぱいになる。
自信に満ち溢れ、少々の困難でもへこたれない強さが生まれてくる。
「私は幸せだ。私の人生はばら色だ。私の未来は輝いている。」と自然に思えてく
る。
圧倒的な幸福感のなかで、自分が陽気になっていく。
人に会えば自然に笑みがこぼれ、草木を見ればその美しさに見とれる。
そしてその満ち足りた気分が、たぶん丸一日続くのだ。
「脳内革命」をぱらぱらとめくってみると、春山氏が言っていることは九子の主張と同じ事のようだが実は少々違うのだ。
楽しいことを考えるとエンドルフィンが出て来るし、反対にストレスを貯めこむとエンドルフィンが出にくくなるから、なるべく楽しいことを考えて、エンドルフィンが出るような生活をしなさい、と春山氏は言う。
それって言うほど楽じゃないと思う。
笠原十子の証言にあるように、意志の力で「明るくなろう、楽しいことを考えよう。」と考えて明るくなったり楽しくなったり出来るのはもともと意志の強い人の話であって、落ちこみやすい弱い私達は、それが出来ないから悩んでいるわけなんだから、エンドルフィンが出るような生活をしなさい!と言われてもねえ・・・。
坐禅のすごさは、誰でも正しく坐れば、無理なくα波という脳波が出現し、自然に脳内麻薬を出す環境が整うということだと思う。
つまりわざわざ辛い時に頑張って楽しいことを考えなくても、正しく坐ることだけで自然にエンドルフィンが出てくるという事!
坐禅の効用って、つまりこれだよね。
えっ?坐禅の効用?
まずい!これじゃあ活禅寺(ここ)からクレームが来る。(^^;
「なんのため、かんのためと、目的を持って坐ってはならない。」
無形大師ならずとも、禅の先達たちは皆同様に戒める。
もちろん原則はそうなのである。
病気を治すため、性格を変えるため、幸せになるためなどなど、「・・・のため」に坐る坐禅は邪道なのである。
でも、無類の根暗ダメ人間が、坐禅で明るいダメ母に生まれ変わる事が出来た張本人の九子としては、「坐禅をすると性格変わるよ。明るくのんきに暮らせるよ。」というメッセージは、いつでもみんなに伝えていたい。
九子が坐禅を始めてから、もう20年になる。
(ひょえ~。(^^;)
軽いウツ状態が来るたびに一ヶ月、二ヶ月平気で参禅を休むし、ふだんだって一週間に一度参禅すれば良い方だ。(^^;
熱心な仏教徒と言える状態からは程遠い。
しかしそんな九子であっても、誰も叱らないし、お寺に来るように強制されることもない。
久しぶりにお寺に行くと「お帰りなさい。」と温かな笑顔で迎えてもらえる。
当然布教のノルマなんてものもない。
「来るものは拒まず、去るものは追わず。」が昔からの禅寺のやりかただ。
本当に淡々としている。
大本山活禅寺のホームページだってそうだ。
管理人のmugenさんは、極力宗教色を薄めたページを作りたい人だから、九子が「私は坐禅でこんな体験をしました。こんなに性格が明るくなりました。坐禅は素晴らしいですよ。」などと掲示板に書き込みしようものなら、即座に削除されてしまう。(^^;
でもそのお陰で、全国からホームページを見てやって来る参禅者が後を絶たないらしいから、それはそれでいい。
だけど九子はそれじゃあ物足りない。
やっぱりみんなに坐禅の良さを知ってもらいたい。
自分が坐禅のお陰でどんなに楽に生きられるようになったかを多くの人々に伝えたい。
だからこうしてこの場所で、坐禅の宣伝にこれ努めていると言う訳なのだ。
( ^-^)
ただし口をすっぱくして言っておかなくてはならないことは、そんな素晴らしい坐禅だけれど、うつ病の時にはうまくいかない。
そもそもうつ病の時は頭の中のホルモンの出方が異常になってしまう訳だから、エンドルフィンも出にくくなってしまうのだろう。
うつ病に効くのは薬と休息だけである。
とりあえずそういう限界はあるものの、やはり坐禅は素晴らしいものである。
あなたの人生をより充実したものにするために、
あなたもお近くの禅寺で、坐禅を始めてみませんか?( ^-^)
[はじめまして]
はじめまして、城太郎です。
アンテナ登録、ありがとうございます。
掟により(笑)、こちらからもアンテナ登録させていただいたので、報告させていただきます。
☆
>一番高尚な感情はたぶん「楽しむ」だろうと思う
大賛成です。
人生を楽しんだとき、世界が広がりますもんね。
私は長い間、「楽しくない」「面白くない」と思って生きてきたクチです。
(実を言うと、そういう思いさえも、長い間否定していました)
そういう自分を鑑みて、「楽しくない」「面白くない」状態というのは、
自分で、「楽しいこと」「面白いこと」に背を向けいている状態であるように思います。
(あくまで、私の場合ですが)
そういう意味で、「楽しくない」「面白くない」の裏には、
きっと「楽しいこと」「面白いこと」があるのだと思います。
満足してると、そういう裏にある素敵なことに気づかないのだと思います。
(気づくまでが、そりゃもう、しんどいですが)
☆
実は、私、
時間を設けて、「徹底的に何もしない」ことを始めようと思った矢先でして、
(これがたいへん難しいと思うのですが)
そんな時に、九子さんの日記に出会えたことに意味ある偶然を感じます。
(九子さんは、「禅」や「坐禅」に造詣が深いようですし)
これから、ぼちぼち記事を拝見させていただきます。
よろしくお願いします。
by 城太郎 (2005-07-08 18:42)
[いらっしゃいませ( ^-^)]
城太郎さん、こんばんわ。
さすがユング心理学の実践者、なかなか面白い人生を歩まれていらっしゃる方とお見受け致します。
「徹底的に何もしない」ことですか?
九子は毎日実践しておりますが・・・。(^^;
>私は長い間、「楽しくない」「面白くない」と思って生きてきたクチです。
城太郎さんもそうなんですか?
ちょっとびっくりです。
でもそういう人がある日気がついた事というのが深遠なんですよね。
( ^-^)
>九子さんは、「禅」や「坐禅」に造詣が深いようですし・・・
ぞう、ぞう、ぞうけいってもんではなく・・・。
(ゾオ~ッ。(^^;)
ただ、こんな怠け者でもおおらかに受け入れてくれてる禅寺の鷹揚さにはただただ感謝しております。( ^-^)
これからもどうぞよろしくお願い申し上げます。
by 九子 (2005-07-08 21:11)
[うっすら思い出しました]
フランクルの事です。確かアウシュビッツで毎日辛い労働に耐えながら、フランクルは色々な人を観察していた。命がいつ消されるか分からない状況下で、彼は死んでいく人と生きる人の違いがわかったらしく、その予想は外れなかったらしい。
フランクル自身がその観察を元に論文を書くのに、労働に耐えていた沢山の収容者がフランクルに紙を見つけて渡してくれたそうだ。みんな命がけでフランクルに協力していたんだ。フランクルが見た生きる人というのは、自分も含めて絶対に死なないと思ってこの状況が変わったら自分がやりたい事がはっきりある人は生き抜くということが分かったようだ。そして、フランクルは見事生き残って、その時に書き溜めた資料で論文を書いたのだった。
アウシュビッツほど過酷な状態はないだろうけれども、どんな平和な世の中でも、目的や生きたい思いがなければ生きていくのは大変なんだと思う。あれがやりたい、これがやりたいと思える人は幸せな人だと思う。
確か、フランクルの事が書いてある本を読んだときにそんなこと考えたな~~<img src='/image/hammy/m017.gif'>
by ちゃら (2005-07-10 00:19)
[ちゃらさん!( ^-^)]
管理人の知らない部分の補足をして頂きまして、まことに有難うございました。( ^-^)
なるほど!彼の論文の影には、そうやって協力してくれる人々の姿があったのですね。
そして、自分の未来というか、夢をしっかりと持ち続けることが生き延びる上で大切なことなんですね!
勉強になりました。有難う。( ^-^)
あらすじがわかると読んでしまったような錯覚をおこしてしまういつもの悪い習性を今度ばかりは叩き直して(^^;、機会があったら原作に触れることに致します。
フランクルの姿勢にはいつも余裕がありますよね。
ああいう条件下で人を観察できる余裕は大したものだと思います。
これが大事なのですよね、きっと。
まあ相変わらずの結論で恐縮ですが、坐禅も心に余裕が生まれるんですよ。
ごめん、耳たこでしたね。(^^;
by 九子 (2005-07-10 11:33)
[おかえりなさい]
遅ればせながらお帰りなさい、九子さん(*^_^*)
ここ一週間ばかり私もマイぷれすにご無沙汰していたので
ご挨拶が遅くなりました。
自分自身もここしばらく悩むことが多く
坐禅に行ってみようかな、などと思っています。
by せり (2005-07-10 21:50)
[せりさん!( ^-^)]
何やらせりさんもリセットの旅においでだったようですね。
でもさすが行動派!伊勢神宮まで遠出だったんですね。
旅は気持ちを切り替えるのがうまい人には有効なのでしょうが、私は昔から場所が代わってもあんまり弾けないひとで・・・。(^^;
怠け者の私には、だから安近短の坐禅が向いてるようです。
子供が多いとお互いに大変ですよね。いつまでたっても心配は尽きない。
我が家もここんとこいろいろでした。
またそのうち日記に出て来る予定です。( ^-^)
by 九子 (2005-07-11 22:47)
[おかえりなさい ( ^-^)]
この文章量なら、大丈夫だろうと思っていたりして (笑
精神的なさまざま症状に関しては、「熱があるようだ」という判定しかできなかった段階から、fMRIなどで生きている脳の様子を見られるようになり、「のどに炎症が有るようだ」の段階へと進歩した程度だそうです。 なにしろ「意識」という、脳の中の「電気パルス」というつかみ所のないものが相手ですから、それだけでも大進歩ですけれど。
最近の薬が効くようになったのには、実際に脳の活動状態が改善される事が視認できるようになった部分も貢献してるのだそうです。
先月、チベットの修行僧達が意識的に思考の速度と内容を制御出来る(<a href="http://www.mypress.jp/v2_writers/miyu_desu/story/?story_id=1078976">http://www.mypress.jp/v2_writers/miyu_desu/story/?story_id=1078976</a>)と報告されていました。鍛錬を積んだ僧侶達の心とはやはり深い物なのだな、と妙に感心しましたが、それを「相手に判る形に噛み砕いて、無理なく続けられるように」するのが、いわば腕の見せ所なのかもしれませんね。
そういう意味で、
> 安近短の坐禅
非常に興味深く拝聴しました。
なんにせよ「自分が自分として受け入れてもらえる場」が有る事は、けっこう大事ですよね。
ではもういちど
「おかえりなさい」
ご自分のペースでのんびり続けてくださいね
by MIYU (2005-07-12 00:01)
[今日はお邪魔しました]
こんばんは はじめまして、近くの住人と申します。今日は突然お邪魔致しましてすみませんでした。
活禅寺さまのお話がお聞きできてとても心が落ち着きました。「縁」が活禅寺さまと繋がれていることを祈っています。
日記を早速拝見致しました。坐禅の脳内変化を詳しく説明してあり、私の神経症にも影響してくれるといいなと思います。
マイペースでゆっくり過ごしたいものです。心の健康のために・・・
いろいろアドバイスありがとうございました。
by 近くの住人 (2005-07-12 19:56)
[MIYUさん!( ^-^)]
MIYUさん、こんばんわ。
MIYUさんみたいなアクセス数ランキング上位の常連さんが、九子の日記を気にして覗いてくださるなんて、本当に嬉しいです。有難う。( ^-^)
>この文章量なら、大丈夫だろうと思っていたりして (笑
さすが観察力が鋭い!(^^;
お察しのとおり9割方大丈夫なんですよ。( ^-^)
MIYUさんのチベットの修行僧の記事、例によって英文をコピーしてspeak!に読み上げさせてはいたのですが・・・。
内容の理解度がイマイチでした。
やっぱりしっかり日本語で読まないと・・。(^^;
>最近の薬が効くようになったのには、実際に脳の活動状態が改善される事が視認できるようになった部分も貢献してるのだそうです。
考えてみるとすごいことですよね。
たとえばうつ病は精神科医の問診による診断が長いこと主流でしたが、これからは他の病気みたいに脳の写真を取ればそれで診断されちゃう時代が来るかもしれませんね。
>なんにせよ「自分が自分として受け入れてもらえる場」が有る事は、けっこう大事ですよね。
はい。そのとおりでございます。
ただし九子の場合、お寺も寛容、我が家も寛容・・・(というか、怖いものなし(^^;)、周りが寛容すぎて本人が一向に進歩しないのが悩みの種でありますが・・。(^^;
MIYUさんもお忙しいでしょうが、無理なさらないで下さいね。( ^-^)
by 九子 (2005-07-12 21:35)
[近くの住人さん!( ^-^)]
早速日記を読んでくださったばかりか、コメントまで寄せて頂き本当に有難うございました。
今日お話出来たのもとても嬉しかったです。
とても辛いお立場の近所の住人さんが、神経症になってしまうほど悩んでいらっしゃるお悩みが、坐禅で少しでも軽く小さくなってくれるといいですね。
お寺の方は上にも書いてありますが大変寛容この上ないお寺ですから、いろいろご相談になったらいいと思います。
お寺との縁は最初からつながっていると思いますよ。
20年も前に参禅された時から・・・。
真面目にやったとか不真面目だったとか、そんなこと一切関係ありません。20年たってお寺の事を思い出す。その事ひとつが、ご縁がつながっている証拠ではないでしょうか。
私もぼちぼち参禅しないとまずいかなあ・・・と思い始めています。(^^;
いつかお寺でお会いできるといいですね。( ^-^)
そうそう、近所の住人さん。
一度メールを頂けませんか?
お願いします。
by 九子 (2005-07-12 21:53)