天才の母達 [<ダメ母のすすめ・・・・新米ママへ>]
ここへ来て立て続けにトラックバックしたい日記が出てきて、九子の頭は混乱しそうである。
本来ならアメリカのドラッグ事情の続きを書かなければならないところなのだが、慣れない英語サイトを見続けたせいか、目と頭が疲れて、英語サイトに拒否反応を示しつつあるので、今日は「モノモライにはゆで卵」柏倉葵さんのこの記事にトラックバックさせて頂く。
そんな訳でMariaさん、続きはしばしお待ち下さい。m(_ _)m
葵さんが五嶋節さんを日記で取り上げたと知って、実は戦々恐々とした九子であった。
葵さんなら九子が書きたかったことを鋭く取り上げて、九子にはもう書く余地が残っていないかもしれない。せっかく半分くらい書いてあるこの原稿が無駄になっちゃう・・・。
しかし幸いなことに彼女が取り上げたのはテレビの映像の方で、九子が読んだ文芸春秋10月号とは情報源が違った。
良かった。( ^-^)
なら、少しは書けるかも・・・。
最初に卓球の天才少女3歳の福原愛ちゃんを見た時、「ああ、なんて気の毒な!」と思った。
自分の夢を子供に託すのだけは止して欲しいわよね。彼女に才能があれば良いけど、あれじゃあ卓球以外の子供の行くべき道を、親が勝手に摘み取ってるのと同じよね。
長女N子と同じ年の愛ちゃんはしかし、母親の思いを実に忠実に受け継ぎ、その才能を開花させ、押しも押されもせぬ卓球界のスターに昇り詰めた。
その上、彼女の言動を見ていると、16歳の少女として堂々と自信にあふれ、のびやかで隙が無い。
これは一体どうしたことか?
と思ったことから、本日の日記が始まるのである。
のびのびしている・・・という表現にこれまたぴったりなのが、葵さんの日記にもあったバイオリンの神童 五嶋龍 である。
ジュリアード音楽院へでも入れば、主席になること間違いなしなのに、好きな物理の勉強のためにいわゆる普通の大学(と言ってもハーバードとかの難関大)に入るのだという。
龍と17才年の離れたお姉さんと言えば、言わずと知れた天才五嶋みどりである。
普通に考えれば、天才が二人、しかも父親の違う子供達が、同じお母さんから生まれる確立はかなり少ないと思われるので、これはやっぱり母親が造りだした天才達なのだろうなあと思う。
葵さんは二人のお母さん、五嶋節さんの本を何冊も読まれたと言う。
九子は一冊しか読んでないが、もし数冊が並べて置いてあったとしたら、きっと続けざまに読んでいたと思う。
そのくらい世の母親たちにとって、「天才を育てた母」というのは注目に値する人物なのである。
まあ、天才を育てるノウハウを知ったからと言って、うちの子が明日から天才になれるわけがないのであるが・・・。(^^;
五嶋節さんも、福原愛ちゃんのお母さんも、それぞれヴァイオリニストであり、卓球選手であったはずだ。
ただし、マスコミが注目するような天才と言われるようなプレーヤーであったかどうかは知らない。
たぶんどちらにも自分の果たせなかった夢を子供に託したいという思いはあったと思われる。
五嶋節さんの最初の子供みどりは、節さんが学生結婚して出来た子供である。
若かった節さんは、彼女の情熱のすべてを込めてみどりにヴァイオリンを教えたに違いない。
言ってみれば節さんの一途さがすべて乗り移ったようなみどりの性格を良く表す次のエピソードが、昔読んだ本の中に印象深く残っていた。
みどりは小学校の美術の時間、なんでも良いから粘土で好きなものを作れと言われ、時間いっぱいかかって完璧な一個の球体を作り上げたという。
彼女の完璧主義はしかし、人生の荒波を渡る際の弱さとなり、パニック障害になって長いことバイオリンを弾けなかった時期があったとみどり自身がテレビのインタビュー番組で話していた。
それから17年して授かった龍に、節さんはみどりとは少し違うアプローチをする。
「母は厳しかったけれど、姉さんの時ほどではないと言っていました。丸くなったと・・・。」
豊かな時代にもう豊かになっていた家族の一員として生まれてきた龍には、それ相応の教え方をしたのだろう。
節さんの中にあったのは『小さい子に基礎を叩き込む段階では口だけではだめ』という確固たる信念だった。
そして節さん本人も「親が叱って基礎を叩き込めるのは10歳までが限界。
基礎って言うのは、人間の生きる姿勢の基礎であってヴァイオリンに限って言ってる訳ではないのですよ。
みどりの時にわかったんだけど、親の出番はそこまでで、それ以降は外の人たちから与えられる影響の方に重みが移る。」と述べている。
九子は出来すぎ母に長いこと「お勉強さえできればいいの。」と言う教育を受けた結果、自分に自信の無い未熟な人間になってしまったという思いがあるので、親が子供を一方的に指図して、ああしなさい、こうしなさいと言って育てることに否定的であった。
しかし、こういう天才の母親たちによって、それも、親によるのだと考え直した。
節さんのはいわゆるスパルタ主義で、ビデオカメラが回っている最中でも、「アホ!」「違う!」という罵声は当たり前、蹴飛ばしたり髪の毛を引っ張ったりのも珍しくなかったと言う。
それを龍はこう述懐する。
「お母さんのは虐待じゃないんだよ。虐待というのはただ目的も無く子供をいじめる事だけど、お母さんの場合は、叩かれて蹴られて、それでも練習しているとちゃんと成果が出た。ヴァイオリンが上達したからね。」
ここまでの信頼関係を植えつけるためには、レッスン以外の時に、本当にしっかりたっぷりと愛情を注ぎこむ必要があったに違いない。
その結果、葵さんによれば、五嶋龍は朝4時に起きて宿題を片付けるそうである。その上ヴァイオリンの稽古と空手の練習と・・・。
それらの事を毎日何の苦も無く続ける事の出来る強靭な体力と気力。
節さんが育てたのは、天才ではなくて、惜しまず努力する力量と才能であったかもしれない。
そうして育てあげた子供を一人の人間として一人立ちさせる時の引き際の良さも、葵さんの日記に書かれている。
最後にこの日記のネタ本となった文芸春秋10月号「天才姉弟をこの手で育てて」より、五嶋節さんの言葉を・・・。
「お母さんだって必死だったのよ。お母さんは、あなたたちに単なる情操教育や趣味としてヴァイオリンを始めさせたわけじゃないんです。音楽家にさせるためでもない。
私は龍ちゃんにもみどりにも、よるべのない人間にならない、戻る場所がカならずある、そういう自信をヴァイオリンを通して持って欲しかった。龍ちゃんの人生の基礎となるものをつくっておきたいと思っていた。
だから、厳しくなるのは当たり前です。そういうことをしてくれるのは、世の中で親だけなのよ。」
う~ん。何と言う愛情。何と言う自信。
そうか、母親だって必死なのだ。
節さんはありったけのエネルギーをその時々一人づつの子供に注ぎこんだ。
そのエネルギーは時として体罰という形で現れることもある。
暴力か愛情か、それを分けるものはやっぱり育てられた子供から出てくるものの差であろう。
単なる虐待を受けた子供は、ドミノ倒しのように自分でもその力を単純に別のものに伝え、人に暴力をふるうようになる。もしくは、屈折した感情を自分の中へ貯めこんでいく。
それが愛のムチであるならば、その子の中に才能が育っていく。
無限の可能性が生まれるのだ。
う~ん、恐るべきは母親の力!
ああ、こうして見ると、九子はいつもエネルギーが足りなかったよ。
子供を教育しようなんという気はさらさら無かったし、そもそも子供に受け継いで欲しい夢もなかった。
あっ、ただひとつあったとしたら、それは英語かな?
自分は、小学校4年生で当時出来始めた簡単な英会話クラスに通い始めてから大台に乗った今日まで(^^;、英語に注ぎこんだ時間とお金は膨大なものであった。
それなのに、これっぽっちの英語力!!?
そして女の子二人を、幼稚園の英語クラスに入れることに成功した。
入れることには成功したが、その後の後押しがまったくなかったために彼女達二人の英語の成績は・・・・・。(^^;(^^;
まあこれについてはいずれまた書かせて頂くつもりだが、一番は母親なんである。
でもさあ、節さんだって子育ての天才だったと思うよ。努力する才能と力量を併せ持っていたもの。
そうか、努力する才能と力量ね・・・・・。
当分の間、我が家の家系には天才は育たないと思います。(^^;
本来ならアメリカのドラッグ事情の続きを書かなければならないところなのだが、慣れない英語サイトを見続けたせいか、目と頭が疲れて、英語サイトに拒否反応を示しつつあるので、今日は「モノモライにはゆで卵」柏倉葵さんのこの記事にトラックバックさせて頂く。
そんな訳でMariaさん、続きはしばしお待ち下さい。m(_ _)m
葵さんが五嶋節さんを日記で取り上げたと知って、実は戦々恐々とした九子であった。
葵さんなら九子が書きたかったことを鋭く取り上げて、九子にはもう書く余地が残っていないかもしれない。せっかく半分くらい書いてあるこの原稿が無駄になっちゃう・・・。
しかし幸いなことに彼女が取り上げたのはテレビの映像の方で、九子が読んだ文芸春秋10月号とは情報源が違った。
良かった。( ^-^)
なら、少しは書けるかも・・・。
最初に卓球の天才少女3歳の福原愛ちゃんを見た時、「ああ、なんて気の毒な!」と思った。
自分の夢を子供に託すのだけは止して欲しいわよね。彼女に才能があれば良いけど、あれじゃあ卓球以外の子供の行くべき道を、親が勝手に摘み取ってるのと同じよね。
長女N子と同じ年の愛ちゃんはしかし、母親の思いを実に忠実に受け継ぎ、その才能を開花させ、押しも押されもせぬ卓球界のスターに昇り詰めた。
その上、彼女の言動を見ていると、16歳の少女として堂々と自信にあふれ、のびやかで隙が無い。
これは一体どうしたことか?
と思ったことから、本日の日記が始まるのである。
のびのびしている・・・という表現にこれまたぴったりなのが、葵さんの日記にもあったバイオリンの神童 五嶋龍 である。
ジュリアード音楽院へでも入れば、主席になること間違いなしなのに、好きな物理の勉強のためにいわゆる普通の大学(と言ってもハーバードとかの難関大)に入るのだという。
龍と17才年の離れたお姉さんと言えば、言わずと知れた天才五嶋みどりである。
普通に考えれば、天才が二人、しかも父親の違う子供達が、同じお母さんから生まれる確立はかなり少ないと思われるので、これはやっぱり母親が造りだした天才達なのだろうなあと思う。
葵さんは二人のお母さん、五嶋節さんの本を何冊も読まれたと言う。
九子は一冊しか読んでないが、もし数冊が並べて置いてあったとしたら、きっと続けざまに読んでいたと思う。
そのくらい世の母親たちにとって、「天才を育てた母」というのは注目に値する人物なのである。
まあ、天才を育てるノウハウを知ったからと言って、うちの子が明日から天才になれるわけがないのであるが・・・。(^^;
五嶋節さんも、福原愛ちゃんのお母さんも、それぞれヴァイオリニストであり、卓球選手であったはずだ。
ただし、マスコミが注目するような天才と言われるようなプレーヤーであったかどうかは知らない。
たぶんどちらにも自分の果たせなかった夢を子供に託したいという思いはあったと思われる。
五嶋節さんの最初の子供みどりは、節さんが学生結婚して出来た子供である。
若かった節さんは、彼女の情熱のすべてを込めてみどりにヴァイオリンを教えたに違いない。
言ってみれば節さんの一途さがすべて乗り移ったようなみどりの性格を良く表す次のエピソードが、昔読んだ本の中に印象深く残っていた。
みどりは小学校の美術の時間、なんでも良いから粘土で好きなものを作れと言われ、時間いっぱいかかって完璧な一個の球体を作り上げたという。
彼女の完璧主義はしかし、人生の荒波を渡る際の弱さとなり、パニック障害になって長いことバイオリンを弾けなかった時期があったとみどり自身がテレビのインタビュー番組で話していた。
それから17年して授かった龍に、節さんはみどりとは少し違うアプローチをする。
「母は厳しかったけれど、姉さんの時ほどではないと言っていました。丸くなったと・・・。」
豊かな時代にもう豊かになっていた家族の一員として生まれてきた龍には、それ相応の教え方をしたのだろう。
節さんの中にあったのは『小さい子に基礎を叩き込む段階では口だけではだめ』という確固たる信念だった。
そして節さん本人も「親が叱って基礎を叩き込めるのは10歳までが限界。
基礎って言うのは、人間の生きる姿勢の基礎であってヴァイオリンに限って言ってる訳ではないのですよ。
みどりの時にわかったんだけど、親の出番はそこまでで、それ以降は外の人たちから与えられる影響の方に重みが移る。」と述べている。
九子は出来すぎ母に長いこと「お勉強さえできればいいの。」と言う教育を受けた結果、自分に自信の無い未熟な人間になってしまったという思いがあるので、親が子供を一方的に指図して、ああしなさい、こうしなさいと言って育てることに否定的であった。
しかし、こういう天才の母親たちによって、それも、親によるのだと考え直した。
節さんのはいわゆるスパルタ主義で、ビデオカメラが回っている最中でも、「アホ!」「違う!」という罵声は当たり前、蹴飛ばしたり髪の毛を引っ張ったりのも珍しくなかったと言う。
それを龍はこう述懐する。
「お母さんのは虐待じゃないんだよ。虐待というのはただ目的も無く子供をいじめる事だけど、お母さんの場合は、叩かれて蹴られて、それでも練習しているとちゃんと成果が出た。ヴァイオリンが上達したからね。」
ここまでの信頼関係を植えつけるためには、レッスン以外の時に、本当にしっかりたっぷりと愛情を注ぎこむ必要があったに違いない。
その結果、葵さんによれば、五嶋龍は朝4時に起きて宿題を片付けるそうである。その上ヴァイオリンの稽古と空手の練習と・・・。
それらの事を毎日何の苦も無く続ける事の出来る強靭な体力と気力。
節さんが育てたのは、天才ではなくて、惜しまず努力する力量と才能であったかもしれない。
そうして育てあげた子供を一人の人間として一人立ちさせる時の引き際の良さも、葵さんの日記に書かれている。
最後にこの日記のネタ本となった文芸春秋10月号「天才姉弟をこの手で育てて」より、五嶋節さんの言葉を・・・。
「お母さんだって必死だったのよ。お母さんは、あなたたちに単なる情操教育や趣味としてヴァイオリンを始めさせたわけじゃないんです。音楽家にさせるためでもない。
私は龍ちゃんにもみどりにも、よるべのない人間にならない、戻る場所がカならずある、そういう自信をヴァイオリンを通して持って欲しかった。龍ちゃんの人生の基礎となるものをつくっておきたいと思っていた。
だから、厳しくなるのは当たり前です。そういうことをしてくれるのは、世の中で親だけなのよ。」
う~ん。何と言う愛情。何と言う自信。
そうか、母親だって必死なのだ。
節さんはありったけのエネルギーをその時々一人づつの子供に注ぎこんだ。
そのエネルギーは時として体罰という形で現れることもある。
暴力か愛情か、それを分けるものはやっぱり育てられた子供から出てくるものの差であろう。
単なる虐待を受けた子供は、ドミノ倒しのように自分でもその力を単純に別のものに伝え、人に暴力をふるうようになる。もしくは、屈折した感情を自分の中へ貯めこんでいく。
それが愛のムチであるならば、その子の中に才能が育っていく。
無限の可能性が生まれるのだ。
う~ん、恐るべきは母親の力!
ああ、こうして見ると、九子はいつもエネルギーが足りなかったよ。
子供を教育しようなんという気はさらさら無かったし、そもそも子供に受け継いで欲しい夢もなかった。
あっ、ただひとつあったとしたら、それは英語かな?
自分は、小学校4年生で当時出来始めた簡単な英会話クラスに通い始めてから大台に乗った今日まで(^^;、英語に注ぎこんだ時間とお金は膨大なものであった。
それなのに、これっぽっちの英語力!!?
そして女の子二人を、幼稚園の英語クラスに入れることに成功した。
入れることには成功したが、その後の後押しがまったくなかったために彼女達二人の英語の成績は・・・・・。(^^;(^^;
まあこれについてはいずれまた書かせて頂くつもりだが、一番は母親なんである。
でもさあ、節さんだって子育ての天才だったと思うよ。努力する才能と力量を併せ持っていたもの。
そうか、努力する才能と力量ね・・・・・。
当分の間、我が家の家系には天才は育たないと思います。(^^;
[思わず涙・・・・]
<font color="#778899">
お母さんは、あなたたちに単なる情操教育や趣味としてヴァイオリンを始めさせたわけじゃないんです。音楽家にさせるためでもない。私は龍ちゃんにもみどりにも、よるべのない人間にならない、戻る場所がカならずある、そういう自信をヴァイオリンを通して持って欲しかった。龍ちゃんの人生の基礎となるものをつくっておきたいと思っていた。</font>
上記の節さんのコメントを読んだら
思わず涙が出ました。(^^ゞ
愛情に裏打ちされた真剣さというものは
無条件に人の心を打つものですね。
そして、節さんのそういう気持ちに嘘がないことは
映像や活字を通じて、我々はもうわかっていますから。
<font color="#778899">
豊かな時代にもう豊かになっていた家族の一員として生まれてきた龍には、それ相応の教え方をしたのだろう。</font>
番組の中で節さんの夫、つまり龍くんの父親である摩琴さんもインタビューを受ける形で登場していましたが、龍くんの心に気持ちを添わせ、尚且つしっかりと論理的にお話される姿がとても印象的でした。番組では、現在龍くんが通っている米国名門ハイスクールは、摩琴さんの強い勧めで、というのが紹介されていましたが、節さんだけでなく、摩琴さんも、また違った角度から龍くんの子育てに取り組まれた様子がしのばれました。そんなことも多分、龍くんが幼少の頃からすべてにおいて管理された生活をし続けても、人格的に歪みのようなものが感じられない原因のひとつかな~なんて思いました。
文芸春秋10月号ですね。私も早速チェックしてみます♪
ご紹介ありがとうございました。
by 柏倉 葵 (2005-09-28 10:07)
[おお、葵さん。( ^-^)]
こちらこそ。私テレビを見逃してしまったので、とても参考になりました。でも、見れなくて残念。龍君のお父さん、是非見たかったわ。イケメンでした?(^^;
それにしても葵さんは感受性の強い女性なんですね。確かに素晴らしい言葉でしたが、泣けるとこまでは行きませんでした。
確かにお父様の努力も絶対にありますよね。同じ文春に「そんなに厳しく焦ってやらせなくてもいいだろう。」とご主人に言われて節さんが反論する場面も出てきたと思います。
それにしても節さんって常人じゃあありませんよね。
凄い!の一言に尽きる。
中途半端な人間は絶対に真似してはいけないと思いました。
こちらこそ、またトラックバック返して頂いて有難うございました。
これからもよろしくね。( ^-^)
by 九子 (2005-09-28 23:49)