優良家族 [<九子の万華鏡>]
機能不全家族の話をしたばかりだが、今度は日本が誇る優良家族の典型を話題にしようと思う。
そう。天皇ご一家の事である。
スキャンダラスな英国王室と比べるまでもなく、日本皇室の健全さ、純真さは世界に誇るべきものがあると思う。
妃殿下といえば今や雅子妃のことであろうが、九子の中で妃殿下というのは長い間美智子皇后のことであった。
(何しろご結婚されたのが九子3歳の頃であるから致し方ない。(^^;)
美智子皇后が大変な才女でいらっしゃることはつとに有名だ。
語学に堪能で、ピアノを弾かせればプロ級、テニスの名人で、絵画や詩歌にも通じていらっしゃると聞く。
ご公務がお忙しく留守がちになられる中、女官たちに手渡された「なるちゃん憲法」なる独特の子育て法は、すぐに週刊誌に取り上げられて若い母親達がこぞって読みあさったと言う。
(「なるちゃん」とは言うまでも無く現皇太子徳仁(なるひと)親王のことである。)
そうして美智子様人気が高まる中、民間出身の始めての皇太子妃ということで宮中のひどいいじめにもお遭いになったというのも事実みたいだ。
そうでなければあんなにお美しかったお顔にしわが刻まれ、ふくよかだった身体があれほどやつれられる訳が無い。
そう言う中で、影になり日向になり美智子様を支えられたのが現在の天皇陛下だったという。
九子たちや九子母の世代にとって、あまりにも立派すぎる美智子妃の影に隠れてしまって、今上天皇の存在はどうも薄れがちなのであるが、今回の元皇族「紀宮清子内親王」のご結婚報道で、九子は改めて天皇陛下を見なおした。
皇室ジャーナリストの一人が言っていたことであるが、今上天皇明仁(あきひと)殿下は、今までの慣習を踏襲することを潔しとせず、自分の結婚相手は自分で民間から求めたいと強く願い、その願いが叶わなかった間はずいぶん無気力になっておいでだったそうだ。
そこに現れたのがやがて皇后となられる正田美智子さんだった訳だ。
若い頃の美智子皇后は、本当に花のようにお美しかった。
民間出身と言っても、庶民ではない。
日清製粉という大きな会社の社長令嬢である。
自分の生涯の伴侶にはこの人をと見抜いた殿下の目利きの鋭さは大したものだと思う。
(もちろん小泉信三氏という立派な後見人の学者さんの存在もあっただろうが・・・。)
旧態依然とした皇室のさまざまな軋轢(あつれき)から妻を護ると言うと、現皇太子が雅子妃をめとられた時の「私が雅子さんを一生全力でお護りします。」とおっしゃった言葉が深く記憶に残るが、今上天皇が皇太子だった当時はそんな言葉を皇太子が口にすることなど考えられない時代だった訳だから、何の言葉もなくても仕方が無いと思う。
その代わり、折々に美智子皇后がお見せになる天皇陛下に対する深い信頼と愛情の表情が全てを物語っている。
子宮筋腫の手術を受けられた美智子妃殿下が、退院のとき迎えに来られた当時の皇太子殿下の肩に思わず顔を埋められたお姿は、お二人の絆の強さを印象付けた。
清子様と家族3人で楽器の演奏をされながら、陛下が弾き間違えでもされたのだろうか、思わず顔を見合わせて笑われるお姿に、幸せな御家族の原型を見た。
お互いに相手を何点と評価しますかという質問に、「お点ではなく感謝状を・・。」とおっしゃった皇后と「努力賞を・・。」とおっしゃった陛下。そして陛下のその言葉を、驚きと喜びの入り混じった輝かしい表情で聞いていらっしゃった美智子皇后。
この国が忘れかけていた夫婦の初々しさを、御夫妻は変わらずお持ちであるなあと、なんだかこちらまで嬉しい思いがしたものである。
そういう家庭で育たれた清子様は、友人達とのピクニックの折には必ず「さくらごはん」と「つくしごはん」、それに煮物など手作りの数品を友人の分まで持参されたと言う。
「さくらごはん」やら「つくしごはん」。
きっと皇居のお庭に咲いた桜の花や土筆を自ら摘まれたものを塩漬けなどにして炊きあげられたごはんだろうが、さすが皇室! 優雅な事をなさるものだ。
美智子皇后が、いづれは民間へ嫁がれる清子さまのために料理、洗濯、ことこまかに教えられた賜物だろうと思う。
それだからこそ、きちんと伸びた背筋のウエディング姿の清子さんの口から、「母を手本にして温かい家庭を作りたい・・・」というお言葉が出てくるんだろうなあ。
「さくらごはん」や「つくしごはん」、我が家で試みてみたらどうなるか?
さしずめ口の悪いM子やN子あたりがこう叫ぶに違いない。
「げーっ!うちって、ここまでビンボーになったの?」
世の中には雅(みやび)という言葉にはまったく縁もゆかりもない家もあるのである。(^^;
そして、いつかM子N子の結婚式にまで思いを馳せる九子。
「どんな家庭を築きたいですか・・・?」
「はい。母を手本に・・・・・・。」
・・・っんな訳ないか!(^^;(^^;(^^;
そう。天皇ご一家の事である。
スキャンダラスな英国王室と比べるまでもなく、日本皇室の健全さ、純真さは世界に誇るべきものがあると思う。
妃殿下といえば今や雅子妃のことであろうが、九子の中で妃殿下というのは長い間美智子皇后のことであった。
(何しろご結婚されたのが九子3歳の頃であるから致し方ない。(^^;)
美智子皇后が大変な才女でいらっしゃることはつとに有名だ。
語学に堪能で、ピアノを弾かせればプロ級、テニスの名人で、絵画や詩歌にも通じていらっしゃると聞く。
ご公務がお忙しく留守がちになられる中、女官たちに手渡された「なるちゃん憲法」なる独特の子育て法は、すぐに週刊誌に取り上げられて若い母親達がこぞって読みあさったと言う。
(「なるちゃん」とは言うまでも無く現皇太子徳仁(なるひと)親王のことである。)
そうして美智子様人気が高まる中、民間出身の始めての皇太子妃ということで宮中のひどいいじめにもお遭いになったというのも事実みたいだ。
そうでなければあんなにお美しかったお顔にしわが刻まれ、ふくよかだった身体があれほどやつれられる訳が無い。
そう言う中で、影になり日向になり美智子様を支えられたのが現在の天皇陛下だったという。
九子たちや九子母の世代にとって、あまりにも立派すぎる美智子妃の影に隠れてしまって、今上天皇の存在はどうも薄れがちなのであるが、今回の元皇族「紀宮清子内親王」のご結婚報道で、九子は改めて天皇陛下を見なおした。
皇室ジャーナリストの一人が言っていたことであるが、今上天皇明仁(あきひと)殿下は、今までの慣習を踏襲することを潔しとせず、自分の結婚相手は自分で民間から求めたいと強く願い、その願いが叶わなかった間はずいぶん無気力になっておいでだったそうだ。
そこに現れたのがやがて皇后となられる正田美智子さんだった訳だ。
若い頃の美智子皇后は、本当に花のようにお美しかった。
民間出身と言っても、庶民ではない。
日清製粉という大きな会社の社長令嬢である。
自分の生涯の伴侶にはこの人をと見抜いた殿下の目利きの鋭さは大したものだと思う。
(もちろん小泉信三氏という立派な後見人の学者さんの存在もあっただろうが・・・。)
旧態依然とした皇室のさまざまな軋轢(あつれき)から妻を護ると言うと、現皇太子が雅子妃をめとられた時の「私が雅子さんを一生全力でお護りします。」とおっしゃった言葉が深く記憶に残るが、今上天皇が皇太子だった当時はそんな言葉を皇太子が口にすることなど考えられない時代だった訳だから、何の言葉もなくても仕方が無いと思う。
その代わり、折々に美智子皇后がお見せになる天皇陛下に対する深い信頼と愛情の表情が全てを物語っている。
子宮筋腫の手術を受けられた美智子妃殿下が、退院のとき迎えに来られた当時の皇太子殿下の肩に思わず顔を埋められたお姿は、お二人の絆の強さを印象付けた。
清子様と家族3人で楽器の演奏をされながら、陛下が弾き間違えでもされたのだろうか、思わず顔を見合わせて笑われるお姿に、幸せな御家族の原型を見た。
お互いに相手を何点と評価しますかという質問に、「お点ではなく感謝状を・・。」とおっしゃった皇后と「努力賞を・・。」とおっしゃった陛下。そして陛下のその言葉を、驚きと喜びの入り混じった輝かしい表情で聞いていらっしゃった美智子皇后。
この国が忘れかけていた夫婦の初々しさを、御夫妻は変わらずお持ちであるなあと、なんだかこちらまで嬉しい思いがしたものである。
そういう家庭で育たれた清子様は、友人達とのピクニックの折には必ず「さくらごはん」と「つくしごはん」、それに煮物など手作りの数品を友人の分まで持参されたと言う。
「さくらごはん」やら「つくしごはん」。
きっと皇居のお庭に咲いた桜の花や土筆を自ら摘まれたものを塩漬けなどにして炊きあげられたごはんだろうが、さすが皇室! 優雅な事をなさるものだ。
美智子皇后が、いづれは民間へ嫁がれる清子さまのために料理、洗濯、ことこまかに教えられた賜物だろうと思う。
それだからこそ、きちんと伸びた背筋のウエディング姿の清子さんの口から、「母を手本にして温かい家庭を作りたい・・・」というお言葉が出てくるんだろうなあ。
「さくらごはん」や「つくしごはん」、我が家で試みてみたらどうなるか?
さしずめ口の悪いM子やN子あたりがこう叫ぶに違いない。
「げーっ!うちって、ここまでビンボーになったの?」
世の中には雅(みやび)という言葉にはまったく縁もゆかりもない家もあるのである。(^^;
そして、いつかM子N子の結婚式にまで思いを馳せる九子。
「どんな家庭を築きたいですか・・・?」
「はい。母を手本に・・・・・・。」
・・・っんな訳ないか!(^^;(^^;(^^;
2005-12-10 22:42
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コメント(6)
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[老婆心ですが]
私もうろ覚えなので、もし間違っていたらごめんなさい。
天皇陛下にその時の元号をつけてお呼びするのは、確か亡くなられた後のことではないかと思うのですが…
たぶん「今上天皇」と、お呼びするほうがいいのではないかと思います。違ってたらごめんなさい!m(__)m
by せり (2005-12-13 00:44)
[せりさん!( ^-^)]
ご指摘有難うございました。
早速直させていただきました。
実はボケかかってた父の前で「平成天皇」って言ってもいいの?という話をしてみたところ「死んだ後だろう・・。」という答えが返ってきたのです。
お陰さまで父のぼけがまだ救える状態にあることもわかり、二重の喜びでした。( ^-^)
本当にありがとう。感謝です。
by 九子 (2005-12-13 23:11)
[PC占拠される・・・]
九子様おひさしぶりです。本年お世話になりました。
表題と違った投稿でごめんなさい。
機会を見つけたので、投稿できました。
家族といっても彼女にPCを占領されてしまって投稿出来ません。
九子さんにとって来年が最良の年でありますように・・・
ではいつか機会をみつけて・・・ひとまず挨拶まで。
by 近くの住人 (2005-12-30 21:26)
[近くの住人さん。]
PCを占拠されちゃいましたか・・・。お気の毒に・・。
我が家もそうですが、今やパソコンは家の必需品ですよね。
はいはい。いつでもお待ちしておりますので、書きこみありましたらまた気長に気楽にお書き下さいな。( ^-^)
私もお寺になかなか行けず、越年祭は子供達だけ行って来ました。
父の状態がもう少し安定したら必ず行こうと思っています。
by 九子 (2006-01-05 22:19)
[さくらごはん]
さくらごはんとは醤油味のごはんのコトと習ったのですが…違う?
by … (2007-01-07 17:36)
[・・・さん]
そうなのですか。年ばかりくってますが物を知らない九子ですので良い勉強になりました。
有り難うございました。
by 九子 (2007-01-12 00:12)