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二階から目薬 [<薬のこと、ダメ薬剤師のこと、家のこと>]

その一本の電話によって、九子はお昼寝の太平の夢から現実に引き戻された。



「ふふぁ~い(^^;笠原十兵衛薬局でございます。」

「こちらTBSと申しますが・・・。」

「はい~い??TBSって、テレビ局の??」

「はい。実はそちらの目薬について取材に伺いたいのですが・・・。」



天下のTBSが、いよいよおいでなさったか!!



「あの、取材と申しましても、クイズ番組の中でわずかな時間流れるだけなのですが・・・。」

「クイズ番組・・・・ですか??」



「はい。『二階から目薬』という表現ご存知ですよねえ。あれは、学者の先生によると、昔目薬をつける時には、糸に目薬をたらして、その糸の下で目をあけていた・・というんですね。だから、その糸を二階に届くような長い糸にして目薬をたらすという、つまりはそのくらい難しいとか、無理があるとかいうそういう表現だと思うのですが・・・・。



そして調べておりましたら、お宅様の雲切目薬が、今も現存していて昔練り薬だったというので取材に伺おうと思った次第です。何しろ日程がつまっておりますので、本日夕方にでもお伺いする予定でおります。」



彼女は練り薬という事に特にこだわっていた。昔の目薬というのは軟膏状で、だからたぶん昔の人は糸に軟膏をつけて、そこへまた水をたらすかなんかして、ひと手間かけて目薬をさしていたと思われる。



確かに雲切目薬も、たぶん大正時代に九子の祖父16代笠原十兵衛が蒸留水に溶かした「水目薬」を考案するまで、練り目薬だけであったと聞く。



しかし、雲切目薬と「 二階から目薬」の関係って言うのは、あんまり聞いたことなかったなあ。





九子が聞いていたのはこういう話だ。



元祖雲切目薬はすごく刺激が強かった。つまりすごくしみた。



実は九子も数回つけたことがある。九子がつけたのは、もっぱら「水目薬」という、元の練り目薬を蒸留水で薄めたほうだ。



一度は九子が受験生の頃。

眠気を覚ますつもりで両目に一滴づつつけたのはいいが、あまりのしみさ加減に目を開けていられない。



そのまま目を閉じているうちに、九子はいつしか深い眠りに・・・。

気がついたら朝であった。(^^;;



水目薬ですらそうなのである。

練り目薬など、その刺激を想像したら、誰がつけようなんて思うものか!!



まあとにかくそれだけしみた雲切目薬だから、「雲切目薬をつける時は、刺激が少ない様になるべくゆっくりつけなさい。」と言われ続けたであろう事は想像に難くない。



そうして出来たのが「急いでさすなよ、十兵衛目薬」ということわざであった。



「十兵衛目薬」というのは、雲切目薬の異名である。



場所は夏の夕涼みの縁台将棋。



「将棋はゆっくりさせよ。」と言う代わりに、「急いでさすなよ、十兵衛目薬」と言われたのだと言う。



「十兵衛目薬」の方には、まだ他にもいろいろあって、たとえば・・・。



「『十兵衛』ひとつおくれ!」と言って目薬を買いに来たお客に対し、「十兵衛はおれだが、おれは売り物じゃない!」と追い返した話。(^^;



同じ十兵衛さんかどうかは定かではないが、何代目かの十兵衛さんは、学者で大の本好きだったそうな。

店番しながらついつい本に夢中になって、客が来ても面倒くさがって、目薬を投げてよこしたと言う。

それが、「十兵衛の投げ目薬」と言って、有名になったと言う話。



九子もそこまでではないが、たぶんこの先祖の血が自分に混じっているなあと感じる事は多々ある。

(^^;;



とにかく、そんな風に人様に愛され続けた元祖雲切目薬であったが、二十数年前に「刺激が強すぎる」と言うことで製造中止を言い渡される。



その時点では家族の誰もが、もう復活はありえないだろうと悲観的になっていた。



しかしそれから十数年後、新しい雲切目薬が新しい処方で復活する!



復活した雲切目薬は、笠原十兵衛薬局の店頭で細々と売られ続けていた。



「商いはあきない=飽きない」とよく言われるが、売っていたのはすぐ飽きるこの九子。(^^;;

ご多聞にもれず、わずかばかりの雲切目薬はほとんどが親戚縁者にタダ同然で振舞われ、会計事務所からは「薬局いっそのこと閉めちゃったほうがいいですよ。」と言われ続けた幾数年。(^^;;



ところがどっこい、ある年の秋、百草丸の取材で信州を訪れた作家の

山崎光夫先生が突然薬局に顔を出される。店頭にあった百草丸の看板に引かれておいでになったらしい。日本の名薬の画像



そこで雲切目薬の話を、当時まだ元気だった父17代十兵衛と二人でお話したところ、次の年の春に「週刊東洋経済」のコラムに「花粉症にいい雲切目薬」の記事を書いて下さった。

これが、雲切目薬のマスコミデビューであった。( ^-^)



そしてたぶんその記事を読まれたものと思うが、3年前の善光寺御開帳の直前、日刊ゲンダイの「妙薬探訪」に大きく取り上げられる。



そんなこんなで、ただただ幸運に恵まれて、雲切目薬は復活を果たした。



日刊ゲンダイのS記者ではないが、「戦後何百何千という薬が消えてしまったのに、こうやって名前だけでも同じ目薬が復活するというのは、本当に珍しいことなんですよ。」と言われた。



今回だって、復活できたからこそ舞い込んで来た話である。

それから常々思うことだが、もしも「雲切目薬」という名前でなかったら、レトロと言われるパッケージでなかったら、ここまで皆様に買って頂けたかどうかはわからない。

つくづくご先祖さまに感謝している次第である。



そうそう、肝心の取材の話だが、その若い女性記者は、一人で重いカメラを担いでやって来た。

店内を、中から外から、そして九子が出した古い目薬や新しい目薬を、時間をかけて丁寧に丁寧にカメラに収めていた。



「練り目薬の実物はないんですよねえ。」と彼女。



そうなのだ。必ずどこかにあるはずと思って探しているのだが、考えて見ると練り目薬が消えた時期は水目薬が消えた二十数年前よりもずっとずっと昔だったのだ。



とにかくそんなに刺激の強い目薬であったから、目につけるのはすべて水目薬で代用出来た。

そして、痔の薬として評判の高かった練り目薬は「雲切痔退膏」にとって代わられた。



そんな訳で練り目薬は、一番最初にこの世からなくなってしまっていたのであった。



だから、水目薬と痔退膏はたくさん出て来るのだが、肝心の練り目薬の実物がいつまでたっても出て来ないのであった。



最後に彼女は「それでは練り目薬、もう少し探してみてくださいね。なるべくあさって位までにご連絡下さると有難いのですが・・・」と念押しした。



直後に彼女、気になる言葉を・・・・。



「あのう~、申し上げ難いのですが、もしかしたらこの映像没になる可能性もあります。その時はどうぞお許しくださいね。」



えっ、え~?でもまあ、こんなに長いことカメラ回して撮り続けたものを、いっくらなんでも没にはしないでしょうに・・・。



そして九子は次の日も必死に練り目薬を探した。

ご存知のとおり、九子の必死は、普通の人の「とりあえず」である。(^^;;



結局見つからなかった旨を、件の女性記者さんに電話する。

すると・・・。



「ああ、探して頂いて有難うございました。本当に申し訳ないのですが、この映像は使われないことになりそうですので・・・。」



「・・・・・・・・・・・・。」







「二階から目薬」という表現を、日本語大辞典で引いてみる。



思うようにいかず、じれったいことのたとえ。

また、あまり効き目がないことのたとえ。

むり、また、むだであること。

Fan the sun with a peakock's feather.(孔雀の羽で太陽を扇ぐ)



あ~あ、本当に女性記者の努力も、九子が揉み手しながらした説明も(^^;、み~んな「二階から目薬」に終わったなあ。



7月13日、TBSテレビ系「クイズ日本語王」

ひょっとしたら雲切目薬と九子がテレビに出ていたかもしれないと想像しながら、見てくださいね。

とほほ・・・。
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コメント 2

あずーる

[由緒ある雲切目薬]
へぇ~、九子さんところの目薬、歴史あるんですね。
映像うつったら九子さんに会えるのに!

目薬が練りものだったなんて、はじめて知りました。
「2階から目薬」もはじめてききました。ほんと、効果なさそう・・
by あずーる (2006-07-12 13:46) 

九子

[あずーるさん!( ^-^)]
雲切目薬、本当残念でした。天下のTBSに映してもらったら、ずいぶん宣伝にもなったでしょうに・・。
でもまあ、そうなると、店が忙しくなって九子のお昼寝の時間が減ってしまうわけで、それもまた困る。(^^;;

万が一没にならなかったとしても、記者兼カメラマンのお姉さんに「顔は映さないで!」と頼んでありましたので顔は出なかったと思いますよ。( ^-^)

気が変わられたらいつでもご連絡くださいねえ。( ^-^)
by 九子 (2006-07-13 00:45) 

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