母の病室から [<介護生活、そして父母の事>]
暗い夜の病室で、この日記を書いている。
横たわっているのは、ほんの米袋2個分ほどの体重までやせ細ってしまった母。
入院初日、はじめての場所で夜を過すことがよほど不安であったためか、母は一晩中起きていて、定まらない足で立ちあがってテレビを付けたり、ベッド脇に据え置かれたポータブルトイレに用も無いのに腰かけてみたり、はたまた私の名前を不安げに何度も呼んだりしていたそうである。
このところ極端に食欲が落ちていた母は、週二回の家庭医の先生の点滴ではいよいよ効果がなく、勧めれて入院することになった。
入院が決まる前日の夜あたりから、また例の症状が出始めた。
夜間せん妄。老人が特に夜だけ示す興奮、不眠、不穏状態。
そうそう、多弁になるのも症状のひとつ。意味のあることも無いことも、ひたすら何かしゃべっていたこともあった。
これは一種の精神病であるから、睡眠薬はまったくと言っていいほど効果が無い。
抗精神薬のみが症状を和らげる事ができる。
ただし認知症と違って、一過性で元に戻る可能性が高い。
母の場合は、身のおきどころがない状態が主症状である。
体力が無いのですぐにうとうとする。
健康な時の母であるなら、「お前はいいなあ。くわあ~っと眠れて。」と父にうらやましがられたほど寝つきがよかったものが、まあ、寝つきがいいのは今でも同じだが、眠ったかと思えばものの数分で目覚めてしまう。
目覚めると今度は「起きたい。」と言う。
起こしてベッドに腰かけさせてやるがすぐに疲れて、「ああ、疲れた。寝るしかないかねえ。」と言って横になる。
たまにその動作の間に「立ってみる。」というのが入る。
もちろん数秒も続かなくてすぐまた横になることになる。
そしてまた数分か、上手く行って十数分で目が覚める。
これが延々とくりかえされるのだ。
たまったもんじゃない!いいかげんにしなさいよ!
根性無しの私は、すぐにキレル。
最初は笑顔で応じていたのがだんだんおざなりになり、「またあ~?」という感投詞が入り、そのうち呼ばれても返事をしなくなる。
返事をしないと母は大声で私の名前を呼び続ける。
入院初日は二人部屋だった。
隣のベッドの方はどんなにか御迷惑だった事だろう。
お昼にひょっこり顔をだした私に、彼女は一言「昨夜、おかあさん、あなたの名前を何度も何度も呼んでられましたよ。よっぽど不安だったんでしょうね。」とおっしゃっただけだった。
しかしすぐに看護師長さんに呼ばれて昨日の顛末を聞かされた上で、母は即日個室に移され、私が夜の付き添いを任されることになったという訳だ。
最初の夜はまだマシだった。
この感じなら、どうにか出来そうな気がした。
ひどかったのは二日目の夜だ。
軽い催眠剤で最初の2時間(と言っても病院の夜は早いので9時から11時頃まで)の他に1時間か1時間半ぐっすり寝てくれる事があった以外は、前述の症状が朝の5時頃まで間断無く続く。
だが、本人だって辛かろう。
もともと食べられなくなって極度の脱水と食欲不振を治すために入院したのに、こんなことで要らぬ体力を使ったんでは意味が無い。
そうは思うものの、眠さと疲れで不機嫌になっている私は、母の呼びかけを再三無視した。
「九子、九子、九子ったら、居ないの?」
こう言われて、いたずら心がふと湧いた。
「いませんよ。」と答えてみた。
母はどうするだろうか?
母はすると「あっ、すいません。」と言い、再び「九子」と呼ぶことはなかった。
あまりにもうまく行きすぎてしまった悪戯をとがめられた小さな子供のように、私の心に漣(さざなみ)が立った。母がとても気の毒な気がした。
それから十分もたってからだったろうか。母が再び口を開いた。
今度の母の言葉は少し変わっていた。
「九子、起きて!おしっこだから。」
こう呼ばれて私は飛び起きた。そして「うんっ?」と思った。
以前母が夜中に言ったことがあった。
「九子は「おしっこ」と言わないと起きてくれないんだから・・・。」
少々ぼけた頭であっても、所詮出来すぎ母にはかなわない九子である。(^^;;
その後睡眠剤が強いものに代わり、母はぐっすり眠るようになった。
代わった最初の日などはぐっすりの度が過ぎて、次の日も朝からずっと寝ていた。(^^;
睡眠剤で良くなったのだから、症状は夜間せん妄ではなかったのか・・。
どちらにしても眠れなかった何日か分を補うように、母の安らかな寝息が聞こえる病室で、今はもう誰も使っていないであろうモバイルギアのキーボードの音が響くのを気にしながら、今日も私は息をひそめて日記を書いている。
母についてのブログを表示する.
横たわっているのは、ほんの米袋2個分ほどの体重までやせ細ってしまった母。
入院初日、はじめての場所で夜を過すことがよほど不安であったためか、母は一晩中起きていて、定まらない足で立ちあがってテレビを付けたり、ベッド脇に据え置かれたポータブルトイレに用も無いのに腰かけてみたり、はたまた私の名前を不安げに何度も呼んだりしていたそうである。
このところ極端に食欲が落ちていた母は、週二回の家庭医の先生の点滴ではいよいよ効果がなく、勧めれて入院することになった。
入院が決まる前日の夜あたりから、また例の症状が出始めた。
夜間せん妄。老人が特に夜だけ示す興奮、不眠、不穏状態。
そうそう、多弁になるのも症状のひとつ。意味のあることも無いことも、ひたすら何かしゃべっていたこともあった。
これは一種の精神病であるから、睡眠薬はまったくと言っていいほど効果が無い。
抗精神薬のみが症状を和らげる事ができる。
ただし認知症と違って、一過性で元に戻る可能性が高い。
母の場合は、身のおきどころがない状態が主症状である。
体力が無いのですぐにうとうとする。
健康な時の母であるなら、「お前はいいなあ。くわあ~っと眠れて。」と父にうらやましがられたほど寝つきがよかったものが、まあ、寝つきがいいのは今でも同じだが、眠ったかと思えばものの数分で目覚めてしまう。
目覚めると今度は「起きたい。」と言う。
起こしてベッドに腰かけさせてやるがすぐに疲れて、「ああ、疲れた。寝るしかないかねえ。」と言って横になる。
たまにその動作の間に「立ってみる。」というのが入る。
もちろん数秒も続かなくてすぐまた横になることになる。
そしてまた数分か、上手く行って十数分で目が覚める。
これが延々とくりかえされるのだ。
たまったもんじゃない!いいかげんにしなさいよ!
根性無しの私は、すぐにキレル。
最初は笑顔で応じていたのがだんだんおざなりになり、「またあ~?」という感投詞が入り、そのうち呼ばれても返事をしなくなる。
返事をしないと母は大声で私の名前を呼び続ける。
入院初日は二人部屋だった。
隣のベッドの方はどんなにか御迷惑だった事だろう。
お昼にひょっこり顔をだした私に、彼女は一言「昨夜、おかあさん、あなたの名前を何度も何度も呼んでられましたよ。よっぽど不安だったんでしょうね。」とおっしゃっただけだった。
しかしすぐに看護師長さんに呼ばれて昨日の顛末を聞かされた上で、母は即日個室に移され、私が夜の付き添いを任されることになったという訳だ。
最初の夜はまだマシだった。
この感じなら、どうにか出来そうな気がした。
ひどかったのは二日目の夜だ。
軽い催眠剤で最初の2時間(と言っても病院の夜は早いので9時から11時頃まで)の他に1時間か1時間半ぐっすり寝てくれる事があった以外は、前述の症状が朝の5時頃まで間断無く続く。
だが、本人だって辛かろう。
もともと食べられなくなって極度の脱水と食欲不振を治すために入院したのに、こんなことで要らぬ体力を使ったんでは意味が無い。
そうは思うものの、眠さと疲れで不機嫌になっている私は、母の呼びかけを再三無視した。
「九子、九子、九子ったら、居ないの?」
こう言われて、いたずら心がふと湧いた。
「いませんよ。」と答えてみた。
母はどうするだろうか?
母はすると「あっ、すいません。」と言い、再び「九子」と呼ぶことはなかった。
あまりにもうまく行きすぎてしまった悪戯をとがめられた小さな子供のように、私の心に漣(さざなみ)が立った。母がとても気の毒な気がした。
それから十分もたってからだったろうか。母が再び口を開いた。
今度の母の言葉は少し変わっていた。
「九子、起きて!おしっこだから。」
こう呼ばれて私は飛び起きた。そして「うんっ?」と思った。
以前母が夜中に言ったことがあった。
「九子は「おしっこ」と言わないと起きてくれないんだから・・・。」
少々ぼけた頭であっても、所詮出来すぎ母にはかなわない九子である。(^^;;
その後睡眠剤が強いものに代わり、母はぐっすり眠るようになった。
代わった最初の日などはぐっすりの度が過ぎて、次の日も朝からずっと寝ていた。(^^;
睡眠剤で良くなったのだから、症状は夜間せん妄ではなかったのか・・。
どちらにしても眠れなかった何日か分を補うように、母の安らかな寝息が聞こえる病室で、今はもう誰も使っていないであろうモバイルギアのキーボードの音が響くのを気にしながら、今日も私は息をひそめて日記を書いている。
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[早く、もとに戻るといいですね]
九子さん、大変ですね~
家族が入院なんて 本当に大変。
でも、認知症とちがい一過性のもので、よかったですね。
うちも先週の水曜に、義母の付き添いで大学病院にいったところ歯茎の悪性腫瘍といわれました。
たくさん検査があるのですね。高齢なので、様子をみながらの放射性治療にはいるのですが、幸い失業中なので、しばらく病院通いにつきそうことになります。本人はいたって元気なんですけど、病院にいくって誰でもいい気はしませんよね。
九子さん、今までいろいろ経験されているようなのでストレスの抜き方上手だろうと思いますが、ひとりでかかえこまないようにね。
by あずーる (2006-10-28 18:34)
[お疲れが出ませんように。]
九子さん、こんばんは。
大変な日々でずいぶんお疲れのことと思います。
僕の父母はまだまだ元気なので病院看護やつきそいの経験が
ないのですが、いつかそういう日がくることも覚悟しないと
いけないのでしょう。
お母上が一刻も早く回復されますように。
by away (2006-10-28 19:38)
[入院の付き添いって]
気が張ってる時は大変さは二の次になってしまうものですが
実際はすご~~く疲れますよね。
私も去年の今頃娘に付き添っていたのですが
娘の経過が良くなって来ると
昼間娘のベッドで(娘がテレビを見ている横で)
私自身が横になってよく「お昼寝」してました。^^;
病院の規則では駄目ってことになってたんですが
看護婦さんも見てみぬフリをして下さいました。
九子さんもお疲れが出る頃かと思います。
どうぞご無理をしすぎないように
適度な息抜き&骨休めを心がけて乗り切って下さいね。
by 柏倉 葵 (2006-10-29 12:04)
[あずーるさん!( ^-^)]
ご心配頂き、有難うございます。
お陰様でそれ以降は、そんなに大変な事もなく、却って雑用が無い分気楽です。
残されたM氏と娘たちのほうが大変かも・・。(^^;;
お義母様、御高齢なのに悪性腫瘍、それも歯茎ですか?
これから、検査やら手術(は、なさらないのかな?)大変だと思います。ご本人もですが、付き添いを急に任されたあずーるさんも身体を壊さないように注意されてね。
私は実の母ですが、義理の母の時は義姉がみんなしてくれたので一日も看病に行かなくて済んでしまいました。
たぶんお義母さんなら、お義母さんなりの遠慮みたいなのがおありだろうと思うので、なかなか大変な部分もあると思うのですが、とにかく長丁場だと思うので、絶対に無理はなさらないようにして下さいね。
お互いに、気張らず行きましょうねえ。( ^-^)
by 九子 (2006-10-29 16:06)
[awayさん!( ^-^)]
温かいお言葉有難うございます。
awayさんのご両親はまだまだお元気でらっしゃるんですね。
うちも数年前までは揃ってまあまあ元気だったものが、ここへ来て急に・・ですから、ある程度の年になると覚悟しといた方がいいかもしれませんね。
特に私の場合は一人っ子でしたから、二人の面倒を一遍に見る事になりましたが、ご兄弟がいらっしゃるとまた事情は違うかもしれません。
友人のところからも早々と年賀欠礼が届き、彼女も一人っ子でしたから「ダブル介護から父一人の介護になりました」とありました。「年回り」という言葉が身にしみます。
by 九子 (2006-10-29 16:23)
[葵さん!( ^-^)]
ご心配有難うございます。
そういえば葵さんも、お嬢さん本当にご心配されましたね。
今では部活もされていらっしゃるとの事、良くなられて本当に良かった!
変な話ですが、親なら年の順で諦めつきますが、子供の入院の場合はまた格別な思いがありますよね。
私も三男の小1の入院の時は、検査の結果が出るまで不安で不安でたまりませんでした。
それに葵さんの場合は昼も夜もでは気も身体も休まりませんよね。
でも、葵さんが頑張られたお陰で、(もちろんお嬢さんもだけど・・)良い結果になって本当に良かったですね。( ^-^)
私は夜だけなので、それにこの頃はそんなに起きなくても良いので、思ったほど疲れていませんのでどうぞご心配なく。
葵さんは本当に頭の良い人だし、修羅場くぐられた強さもおありだから(^^;;、絶対に神様(か仏様が)悪いようにはなさらないと思いますよ。
(って、余計なことか。すみません。)
by 九子 (2006-10-29 16:37)
[お大事に]
きっとお父様が亡くなられて
お母様もショックなのでしょう。
私は中二の時に父を亡くしていますが
そのあと母も2,3年は体調がすぐれず、
入院したこともありました。
お年も召されていらっしゃることですので
お大事に…。
by よぽぽ (2006-10-29 22:32)
[よぽぽさん!( ^-^)]
いつも変わらず温かいお言葉有難うございます。
よぽぽさんは、そんなに小さい頃にお父様を亡くされたのですか!
それはそれは、お母様もよぽぽさんも大変な思いをされたのでしょう。
母の場合は、もうこの年になってからですから、お母様のようなショックは無いと思いますが、確かにその影響も見過ごすわけにはいかないかもしれません。
それにしても、いつもよぽぽさんってなんてしっかりした方なんだろうと思っていましたが、中学の頃からお母様を支えていらっしゃったからでしょうか・・。
親はなんとしても子供が一人前になるまでは元気でいてやりたいと思うものですが、それが出来ない場合も往々にしてあるわけで、本当にお父様もお母様もお辛かったと思います。
でも、よぽぽさんみたいなしっかりしたお子さんなら、安心されていらっしゃったかもしれませんが・・。
お陰様で母の方も落ち着いてきましたのでご安心ください。
( ^-^)
by 九子 (2006-10-30 15:24)
[お疲れ様です]
「いませんよ。」と、「おしっこだから。」のエピソード、なんか かわいらしくて不謹慎ながら笑ってしまいました。
いたずらな九子さんも、こう言えば起きてもらえると分かっているお母さんも、かわいらしいですね。
でも、かわいらしいとばかりは言っていられませんよね。
どんなに好きな相手でも、繰り返し用事をさせられたり睡眠時間を削られたりするのは、しんどいことだもの。
九子さんが、参ってしまいませんように。
そして、早く、お母さんが元気になりますように。
暗い病室で日記を書いている九子さんの姿が、目に浮ぶようです。
by ケロ (2006-11-01 21:04)
[ケロさん!( ^-^)]
温かい励ましのお言葉、有難うございました。
まあ日記は所詮奇麗事ですが、長くなるといろいろあります。(^^;;
でもお陰様で、だんだん食べられるようになってますので、長くともあと2週間位ではないかと期待しているのですが・・・。
モバイルギアは便利ですがバックライトが付いてないので、母を起こさないように気を遣ってます。
モバイルギア確か3万円台で買った覚えがあるので、今時もうそんな値段では買えないから大事に使おうと思ってます。
何しろ白黒画面ですので・・。(^^;;
by 九子 (2006-11-02 18:54)
[病院通い、結構つかれますね・・]
九子さんのお母様、だんだん食べられるようになって、よくなっておられるようでよかったですね~ もうそろそろ退院かしら?
今日は、管をいれる手術で夫と義姉(実の娘)が付き添っているので、私はオフです。放射線治療と管からお薬を入れて腫瘍を小さくしていくためです。このほうが効果があるんですって。
歯茎の悪性腫瘍は、あわない入れ歯を入れていて、ほっておいたためできたようです。本当は歯医者さんがわかるはずなんですが(私のいきつけの歯医者の歯科衛生士さんが言っていました)、歯医者がヤブ医者だったのでしょう。
入れ歯でなんて思っても見なかったけど、気をつけないといけないですね。
口内炎と間違えられる事が多いそうですが、すでに歯科医大の口腔外科に行った時には、3CMぐらいの大きな塊になっていました。で、CT,PET,胃カメラ、MRIと検査ばかり。よく高齢なのに体力がもっていると思います。
私は放射線治療に毎日つれていくだけなので、他の重病の方にくらべるとたいしたことないですが、やっぱり家族に病人がいるのは気が重いですね。
九子さん、寒くなってきたので、疲れがでませんように*^^*
PS.モバイルギア、3万円代よりもっと安くなっているんじゃないでしょうか。PCも5万ぐらいからあるし、携帯で通信ができるのもたくさんでてきていますよ。
by あずーる (2006-11-20 14:49)
[あずーるさん!( ^-^)]
いつも思う事ですが、あずーるさんは予知能力があるのかしら?
そろそろ日記を更新しなくちゃなあと思う頃、あずーるさんからコメント頂戴します。
お陰様で母の付き添い、少し前から行かなくても良くなりました。
母には悪いけど、楽になりました。( ^-^)
またそれも含めて次の日記に書こうと思ってますけれど・・。
お義母さま、とんだ事でしたね。
やっぱり歯医者の怠慢だろうと思います。
でもご高齢という事なのにしっかりしておいでですね。
放射線って、かなりしんどい療法だと思いますが、きっと気持ちが強い方なのでしょうね。
うちの母は、元気な時は根性の塊みたいな人で、人の三倍も働いていたのに、今では嘘みたいに気弱になってしまいました。
病は気からという言葉も、まんざら嘘ではないなあと思っています。
ご心配おかけしましたが、私の方は疲れてしまって書く元気も出なかったというのが本当の所なのです。
やっとそろそろエネルギーが溜まって来ましたので、数日中には更新出来ると思います。
いつも気にしてくださってアリガトネ。嬉しいです。( ^-^)
by 九子 (2006-11-21 18:40)