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母を亡くす・・・・癌を生き延びた母・・・・・ [<父を亡くす、母を亡くす>]


母が癌宣告を受けた更に2年程前、はじめての異変に気付いた母も私も、決してそれを深刻に受け止めなかった。



軽井沢の夏を惜しむような人々の雑踏を見下ろすとあるレストランの中、母が珍しく食事がのどに痞えたと言ってトイレに立った。



子供達を父とM氏に任せて、母と二人のショッピングなど何年ぶりかの事だったので良く覚えていた。





それからも母は何度かそんなことを繰り返して居たようだ。

特におにぎりやのり巻きなどが食べ難かったらしい。





私達が気が付いた頻度としては半年に一度位だったのでさして気にも留めずにいてしまったのだが、本当のところはどうだったのだろう。





持ち前の「大丈夫!大丈夫!なあんて事ないんだから・・。」という母の勝ち気な性格と、70歳になっても気力体力は我が家一番で、母が居ないと夜も日も明けない我が家の中で、肝腎要の母がまさか癌・・しかも比較的性質(たち)の悪いと言われる食道癌だったなどとは一体誰が想像出来たろう。





いつも思うことだが、あの母が一緒でなかったら、私は決して子供を五人も生まなかった。いや、生めなかった。





甘やかされて育った娘は、産院から帰るなり、夜の授乳の二回に一回は、母にして貰っていた。

むろん掃除やおむつその他の洗濯は、いつもどおり母の役目だった。





夜の授乳がなくなって、子供達が活発に動き回って大変な時期になると、やんちゃな子供達の定席はおじいちゃんおばあちゃんの隣に移る。





夜寝る時だって、私は2年おきに生まれた小さい子ただ一人の面倒を見るだけ。

残りの大変な一団は、みんな二人のお世話になった。





そもそも娘が嫌がるきつい汚い仕事を好んで引きうけてくれる母だった。





そう言えば母の癌がわかった半年ほど前、母の全身に得体の知れない皮膚病が広がった。





庭の側溝にたまったドロドロの堆積物を掃除していた翌日に発症したので、アレルギー性のものかと思っていたがなかなか治らず、医者からはライ病の薬(最近になって難治性の皮膚病への適用が認められたらしい)まで出る始末・・・。



その後癌がわかったら、医者に「やっぱりねえ。」と言われたそうだ。



癌になると全身に治り難い皮膚病ができるのは良くあることなのだと言う。

免疫力が落ちている証拠なのだろうか。





道理で母の皮膚病は、手術の後ぴったり出なくなった。





とにかく母の喉の不調が、さすがの母にすらただ事ではないと思わせる程度に進行するまで、そう言う訳で2年近くも経過してしまったことになる。





母は自分の目で、耳で、癌宣告を受けた。





母から「やっぱり癌だって。」という電話を受けた時、誰より動揺したのはこの私だった。





何もかも母に頼りきって生活していた私。今、母が居なくなったら一体どうすればよいのだろう。





母の方はいつも通り「どうってことないよ。」と言いながら、淡々として入院のために新しい下着やパジャマを買いに出かけていた。



よくこういう時に落ち着いていられるなあと、わが母ながら感心したものだ。





「良くこの段階で助かったねえ。」M氏のいとこにあたる胃腸外科のN医師は、今でも当時の母のX線写真を見ながら感慨深げに言う。

母の食道癌はステージⅣ位、つまり末期に近かったからだ。 (☆注:厳密には、転移の無い場合はいくら大きさが大きくてもステージⅢにとどまるようです。)



N医師の紹介で、母は長野市民病院のM医師に手術して頂くことになった。





M医師は、母にとって幸運なことに内視鏡手術の第一人者だった。



もともとギスギスにやせていた母である。

身体に大きな傷跡を残すような従来の食道癌の手術法では母の体力が持たなかったかもしれない。





母は食道のほとんどと胃の四分の三を摘出した。





ほんの数センチの穴が4箇所ほどと体側面に内視鏡を入れるためか15センチほどの傷口があっただけの母の体内から取り出された癌は、直径5センチ程もあったろうか。



しかし見事に上に盛り上がっていて転移も見られず、放射線も抗癌剤も使わないまま母は無事に退院の日を迎えた。





そのたった一度の手術で、母は命拾いした。



手術から5年が経過して、「あなたはもう癌で死ぬことは無いでしょう。」とM先生に言って頂いたと聞いた。





食道癌の5年生存率は、現在でも多分2割ほどと言われている。





あの時見せてもらった癌の切除部位をまざまざと思い出す。

黒ずんだいかにも異常な肉の塊が、夏の雷雲のように上に上に盛り上がっていた。





あれを一目見た時一応仏教徒の私は、2年もの間母の体内で、正常細胞を突き破って全身に広がろうとするガン細胞の力を鎮めて、上に盛り上げて母の命を守って下さったのは、絶対に仏様の力に違いないと思った。





運の良いことを自認して来た私であるが、実は祖父の16代十兵衛が長年長野市議会議長をしていた関係で、活禅寺(←ここ)が宗教法人になる時に何かお世話をさせて頂いたというご縁があるらしく、もしかしたら我が家の運が良いのは、16代のお陰で、仏様に手厚く守られているからではないかと事ある毎に思うようになった。





こうしてまた、母の命も奇跡的に助けて頂いた。





そして更なる幸運に出会う度に、その思いはだんだん確信に近いものへと変わって行くのだった。




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