再び、うつ病について [<番外 うつ病編>]
長い日記を書いていながら今更なんだと思われる方もたくさんおいでだろうけれど、実は九子の今回のウツが治ったという自覚は、つい最近出て来たばかりだ。
うつ病って、全くわけのわからない病気だ。
すぐにでも治りそうなほど調子が良かったのに、何がきっかけだったのかちょっと良くない日々 が続き、その後まだずっとぐずぐずしていた。
いつも親切にしてくれる隣の八百屋さんに行き難い。
前を通るのも苦痛だ。
とにかく家の外には出たくない。
だけどせめて一週間に一度位は買い物に行かないと変に思われるかも・・。
そんな計算をして、重い気持ちを奮い立たせて、荷物を出しに行ったついでに店に入る。
「ああ、九子ちゃんいらっしゃい。」
いつもと同じ笑顔の主が忙しく手を動かしているのを見ていると、自分でも信じられない程明るい声が出る。「このバナナ美味しそう。もらおうかな。」
ああ、身体はいくらでも嘘をつく。
思えばこういう日、よく代わりに母に買い物を頼んだ。
身体が悪いのをおして母は行ってくれて、「なんで隣に行くのが嫌なのかねえ。」と呆れ顔でそう言ったものだ。
そうだろうなあ。
なった人しかわからないどうにも説明の付かない抵抗感なのだ。
親しい人ほど会いたくない。
自分がいつもと違うことを見透かされたくないからだろうか。
サンバイザーやらつば広帽子が手放せないのもそう。
これがあるとやっと安心して外を歩ける。
ひさし全体がサングラスになってるサンバイザーが特に有難い。
自分がカプセルの中に居られる感じがするわけだ。
そうかと思えば、言うに言えないひどい疲れで死んだように寝てしまった日。
次の日になると忘れたようにシャンとしたが、あの疲れは嘘だったのか。
ウツの症状ではなかったのか。
いやあれは、身体の方が正直だった証拠だ。
今日は調子がいいなんて思っていても、心がいつも本音を語っているとは限らない。
うつ病というと気分が沈む病気と認識されているが、不眠のほかにもこのどうしようもない疲労感や訳の分からないイラツキ感などの症状もご理解願えたらと思う。
今回九子はウツであるにも関わらず、こうして日記を更新している。
こういうことは今までには考えられない事だった。
本くらいは読めても、日記を書く事は困難だったのに、今回は本も読める。日記も書ける。もちろんテレビを見て笑えるし、英語を読むのもいつもの時ほど面倒には思わない。
共同購入の注文書だってちゃんと出せるのだ。
今回のウツは総じて軽く来ているのだろうとは思う。
だけれども、人には会いたくない。身体が疲れる。気が重い。
他の症状はどんなに軽くても、根っこの根っこが治らない。
身体が疲れる原因は心にもある。
電話は容赦なく向こうからかかってくる。
こちらからどうしてもかけなければならないこともある。
判断力が落ちているので、さまざまな事で判断ミスをする。(ような気がする。)
その度ごとに自己嫌悪に陥って、ひどく疲れる。
でも後から考えてみると、そのどれもがのっぴきならない判断ミスという訳ではない。
優柔不断になっているから、どう判断しようともどっちみち後悔しているに過ぎないのだろう。
でもその後悔の思いがぬんめりと全身を覆い尽くして、水から上がった直後のように疲労困憊させるのだ。
あれほど頑張っていた草取りも、しばらくする気がない。
やる気がない時無理してやるのは禁物だ。
やはりウツの過ごし方の基本は、無理せずに出来る事だけをして過ごすということに尽きるようだ。
ウツの症状は本当に千差万別だ。
本に書いてある典型的な症状にはむしろこだわらない方がいいかもしれない。
ひとつひとつの症状にこだわって、「自分はこの症状は無いからウツではないのかもしれない。怠け病かな?」と無理して自分を追い込むと大変なことになる。
いつも引用するDR.林の心と脳の相談室でも、本当のうつ病の人からは「私は怠け心から『擬態うつ病』になっているのでしょうか?」という相談が多く、擬態うつ病と思われる人は「自分はうつ病だ!」と周囲に吹聴して仕事を休み、周りを困らせている場合が多い。 擬態うつ病 (宝島社新書)の画像
なるたけ身体は動かしたくないから、昼間はごろごろ横になって本を読む。
本なら読める。だから、出来る事だけをする。
お陰で「つんどいた本」の半分以上が「読んだ本」棚に移動出来た。
夜になると比較的楽になるので、片づけものなんかをする。
「夜になるとごそごそ始めて、まったくゴキブリ生活だな。」と言ってM氏が笑うが、まさしくその通りかもしれない。
今回のウツが始まる頃、一人になるのが無性に怖かった。
何十年間父母といつも一緒だったこの家に、昼間いるのは自分一人と思うと、不安で不安でしかたなかった。
それが今になると、自由を謳歌し、お昼寝付きの優雅な生活!(^^;;
あれはなんだったのと言うくらい不安は無い。
してみると、あれはウツの前兆症状だったのかもしれない。
うつ病の時の九子は、家族にどんな風に映っているのだろうか。
と言っても、自分の病気を意識することなく、医者にもかからず、薬も飲まずの本当にひどかった10年前位の事は、まだ小さかったN子もM子も覚えていないだろう。
薬ですっかり楽になった今の症状を、彼女たちはきっと、「ああ、ママのうつ病?なんとなく元気なくてうちでぐうたら寝ていて・・。ああ、ぐうたらはいつものことか・・。(^^;; なんか食 べに行こうって言っても、買い物に行こうって言っても外へ出たがらなくて・・・。それとなんとなく毎日同じ黒っぽいものばかり着てるよね。そういえばいつも春の学校の参観日の頃だよね 。いつも体調悪いって欠席通知出すもんね。」くらいに思ってるだけだろう。
買い物に行っても献立が決まらずに何も買えずに帰ってきたり、電気を消した暗い部屋の中で将来を悲観して泣いていたり・・という、もう一段階悪い状態の頃を彼女たちが覚えていないのは幸運なことだ。
ウツ、ウツと言いながら、診断名は軽症躁鬱病であることは以前どこかで書いたと思うが、自分の症状が病的なものだとは夢にも思わず、医者にかかる事など考えもしなかった頃、すなわち抗うつ薬を飲む前のウツの治り方は、診断名を裏づけるものだった。
ある日突然ピタリと治るのだ。まるで躁転するかのように・・・。
生まれてはじめて当時発売したての抗うつ剤(SSRI)を飲んだ時、10分するかしないかで突然CDを借りに出かけたくなった。(ついさっきまで外に出る事すら嫌で嫌でたまらなかったのに ・・。)
軽症で病気の勢いが弱いから躁病になるまでは至らずに、うまいこと普通の状態に持ちあがった辺りで治ってくれるのだろう。
事実、一度も躁病にはなっていない。
躁的だと感じることは何度もあったが、いつもそれを意識していたし、過剰に何かを買い求めた り、ひどく活動的になったりした経験もない。
考えてみると、ウツになる直前は軽躁状態を経験することが多かった。
ふだんはエネルギーなど普通の人の二分の一、三分の一しかない人間であるのに、ウツの前は妙にはしゃいでいたり、どことなくふつう以上に頑張って居たような気がする。
(まあ九子の「頑張る」なんて、普通の人の「お気楽」程度のものだろうが・・。(^^;;)
中にはうらやましい人が居て、この調子絶好調の軽躁状態が長く続き、しかもウツもあるにはあるが、辛いというレベルまで落ちないらしい。
仕事のアイデアがどんどん湧いて、睡眠時間が少なくても疲れる事もないが、かといって、躁病のように周りが迷惑をこうむることもない。
こんな病気なら、一億みんながかかってもいい。( ^-^)
これもあんまり知られていない事だと思うが、実はウツになる引きがねというのは、精神的な事 柄よりもむしろ、肉体的な疲労の方が直接的なのだ。
精神的な原因は思い当たらないのに、ひどく体を疲れさせた事が原因でウツになったと言う経験 のある人が内因性のうつ病の人には意外に多いと思う。
九子の場合の躁のエネルギーは、、毎年似たような時期に本人に自覚がある程度の軽躁状態を引き起こし、柄にもなくいつもより頑張って何かをすることにより、肉体を疲弊させてうつ病を引き起こすが、九子と似て飽きっぽい性格なのか(^^;;、せいぜい二ヶ月後くらいにはウツに飽きて 、また躁転して普通にもどる・・みたいな事を毎年一度繰り返しているんだろう。
(病気のやつも自分とおんなじいいかげんなやつだったのは、九子にとって誠にめでたいことであった。(^^;;)
単純なうつ病だった場合、たぶんこう簡単な治り方はしないのだろう。
薄紙を剥ぐように良くなる、とか、三寒四温とか言われるように、ゆり動きながら少しずつ少しずつ何ヶ月も、時には何年もかかって良くなるもののようだ。
抗うつ薬を飲みはじめてから、以前のような階段をかけのぼるような治り方は少なくなった。
良くなってきたという自覚が出てから数週間を経て、やっと正常になったのを確認するという感じだ。
と、言ってもたかだか数週間だ。何ヶ月もぐずぐずというのに比べたら、本当に有り難い。
毎年一度の恒例行事のせいか、なるのも治るのもそんなに時間をかけてはいられないのだろう。
突然何を言い出すかと叱られそうだが、自分はやはり、人との接点をさほど持ちたくない人間のようだと、ふと、そう思う。
人嫌いと思われても困るが、いつも一人で全然困らないのは、一人っ子で一人の世界で遊ぶことに慣れているせいだろうか。
いっそのこと家族以外の誰の目にもとまらない透明人間になれたらどんなに良いだろう・・・と 、病気の時にはいつもそう思った。
いつもと変わらずに接していてくれる近所の人々にとってみたら、全然ふだんと変わるところのない九子に映っているはずなのに・・・。
うつ病というのは、本当におかしな病気である。
そして九子は、来年の今頃も、さ来年の今頃も、また性懲りもなく、うつ病とつきあっていることだろう。
うつ病についてのブログを表示する.
うつ病って、全くわけのわからない病気だ。
すぐにでも治りそうなほど調子が良かったのに、何がきっかけだったのかちょっと良くない日々 が続き、その後まだずっとぐずぐずしていた。
いつも親切にしてくれる隣の八百屋さんに行き難い。
前を通るのも苦痛だ。
とにかく家の外には出たくない。
だけどせめて一週間に一度位は買い物に行かないと変に思われるかも・・。
そんな計算をして、重い気持ちを奮い立たせて、荷物を出しに行ったついでに店に入る。
「ああ、九子ちゃんいらっしゃい。」
いつもと同じ笑顔の主が忙しく手を動かしているのを見ていると、自分でも信じられない程明るい声が出る。「このバナナ美味しそう。もらおうかな。」
ああ、身体はいくらでも嘘をつく。
思えばこういう日、よく代わりに母に買い物を頼んだ。
身体が悪いのをおして母は行ってくれて、「なんで隣に行くのが嫌なのかねえ。」と呆れ顔でそう言ったものだ。
そうだろうなあ。
なった人しかわからないどうにも説明の付かない抵抗感なのだ。
親しい人ほど会いたくない。
自分がいつもと違うことを見透かされたくないからだろうか。
サンバイザーやらつば広帽子が手放せないのもそう。
これがあるとやっと安心して外を歩ける。
ひさし全体がサングラスになってるサンバイザーが特に有難い。
自分がカプセルの中に居られる感じがするわけだ。
そうかと思えば、言うに言えないひどい疲れで死んだように寝てしまった日。
次の日になると忘れたようにシャンとしたが、あの疲れは嘘だったのか。
ウツの症状ではなかったのか。
いやあれは、身体の方が正直だった証拠だ。
今日は調子がいいなんて思っていても、心がいつも本音を語っているとは限らない。
うつ病というと気分が沈む病気と認識されているが、不眠のほかにもこのどうしようもない疲労感や訳の分からないイラツキ感などの症状もご理解願えたらと思う。
今回九子はウツであるにも関わらず、こうして日記を更新している。
こういうことは今までには考えられない事だった。
本くらいは読めても、日記を書く事は困難だったのに、今回は本も読める。日記も書ける。もちろんテレビを見て笑えるし、英語を読むのもいつもの時ほど面倒には思わない。
共同購入の注文書だってちゃんと出せるのだ。
今回のウツは総じて軽く来ているのだろうとは思う。
だけれども、人には会いたくない。身体が疲れる。気が重い。
他の症状はどんなに軽くても、根っこの根っこが治らない。
身体が疲れる原因は心にもある。
電話は容赦なく向こうからかかってくる。
こちらからどうしてもかけなければならないこともある。
判断力が落ちているので、さまざまな事で判断ミスをする。(ような気がする。)
その度ごとに自己嫌悪に陥って、ひどく疲れる。
でも後から考えてみると、そのどれもがのっぴきならない判断ミスという訳ではない。
優柔不断になっているから、どう判断しようともどっちみち後悔しているに過ぎないのだろう。
でもその後悔の思いがぬんめりと全身を覆い尽くして、水から上がった直後のように疲労困憊させるのだ。
あれほど頑張っていた草取りも、しばらくする気がない。
やる気がない時無理してやるのは禁物だ。
やはりウツの過ごし方の基本は、無理せずに出来る事だけをして過ごすということに尽きるようだ。
ウツの症状は本当に千差万別だ。
本に書いてある典型的な症状にはむしろこだわらない方がいいかもしれない。
ひとつひとつの症状にこだわって、「自分はこの症状は無いからウツではないのかもしれない。怠け病かな?」と無理して自分を追い込むと大変なことになる。
いつも引用するDR.林の心と脳の相談室でも、本当のうつ病の人からは「私は怠け心から『擬態うつ病』になっているのでしょうか?」という相談が多く、擬態うつ病と思われる人は「自分はうつ病だ!」と周囲に吹聴して仕事を休み、周りを困らせている場合が多い。 擬態うつ病 (宝島社新書)の画像
なるたけ身体は動かしたくないから、昼間はごろごろ横になって本を読む。
本なら読める。だから、出来る事だけをする。
お陰で「つんどいた本」の半分以上が「読んだ本」棚に移動出来た。
夜になると比較的楽になるので、片づけものなんかをする。
「夜になるとごそごそ始めて、まったくゴキブリ生活だな。」と言ってM氏が笑うが、まさしくその通りかもしれない。
今回のウツが始まる頃、一人になるのが無性に怖かった。
何十年間父母といつも一緒だったこの家に、昼間いるのは自分一人と思うと、不安で不安でしかたなかった。
それが今になると、自由を謳歌し、お昼寝付きの優雅な生活!(^^;;
あれはなんだったのと言うくらい不安は無い。
してみると、あれはウツの前兆症状だったのかもしれない。
うつ病の時の九子は、家族にどんな風に映っているのだろうか。
と言っても、自分の病気を意識することなく、医者にもかからず、薬も飲まずの本当にひどかった10年前位の事は、まだ小さかったN子もM子も覚えていないだろう。
薬ですっかり楽になった今の症状を、彼女たちはきっと、「ああ、ママのうつ病?なんとなく元気なくてうちでぐうたら寝ていて・・。ああ、ぐうたらはいつものことか・・。(^^;; なんか食 べに行こうって言っても、買い物に行こうって言っても外へ出たがらなくて・・・。それとなんとなく毎日同じ黒っぽいものばかり着てるよね。そういえばいつも春の学校の参観日の頃だよね 。いつも体調悪いって欠席通知出すもんね。」くらいに思ってるだけだろう。
買い物に行っても献立が決まらずに何も買えずに帰ってきたり、電気を消した暗い部屋の中で将来を悲観して泣いていたり・・という、もう一段階悪い状態の頃を彼女たちが覚えていないのは幸運なことだ。
ウツ、ウツと言いながら、診断名は軽症躁鬱病であることは以前どこかで書いたと思うが、自分の症状が病的なものだとは夢にも思わず、医者にかかる事など考えもしなかった頃、すなわち抗うつ薬を飲む前のウツの治り方は、診断名を裏づけるものだった。
ある日突然ピタリと治るのだ。まるで躁転するかのように・・・。
生まれてはじめて当時発売したての抗うつ剤(SSRI)を飲んだ時、10分するかしないかで突然CDを借りに出かけたくなった。(ついさっきまで外に出る事すら嫌で嫌でたまらなかったのに ・・。)
軽症で病気の勢いが弱いから躁病になるまでは至らずに、うまいこと普通の状態に持ちあがった辺りで治ってくれるのだろう。
事実、一度も躁病にはなっていない。
躁的だと感じることは何度もあったが、いつもそれを意識していたし、過剰に何かを買い求めた り、ひどく活動的になったりした経験もない。
考えてみると、ウツになる直前は軽躁状態を経験することが多かった。
ふだんはエネルギーなど普通の人の二分の一、三分の一しかない人間であるのに、ウツの前は妙にはしゃいでいたり、どことなくふつう以上に頑張って居たような気がする。
(まあ九子の「頑張る」なんて、普通の人の「お気楽」程度のものだろうが・・。(^^;;)
中にはうらやましい人が居て、この調子絶好調の軽躁状態が長く続き、しかもウツもあるにはあるが、辛いというレベルまで落ちないらしい。
仕事のアイデアがどんどん湧いて、睡眠時間が少なくても疲れる事もないが、かといって、躁病のように周りが迷惑をこうむることもない。
こんな病気なら、一億みんながかかってもいい。( ^-^)
これもあんまり知られていない事だと思うが、実はウツになる引きがねというのは、精神的な事 柄よりもむしろ、肉体的な疲労の方が直接的なのだ。
精神的な原因は思い当たらないのに、ひどく体を疲れさせた事が原因でウツになったと言う経験 のある人が内因性のうつ病の人には意外に多いと思う。
九子の場合の躁のエネルギーは、、毎年似たような時期に本人に自覚がある程度の軽躁状態を引き起こし、柄にもなくいつもより頑張って何かをすることにより、肉体を疲弊させてうつ病を引き起こすが、九子と似て飽きっぽい性格なのか(^^;;、せいぜい二ヶ月後くらいにはウツに飽きて 、また躁転して普通にもどる・・みたいな事を毎年一度繰り返しているんだろう。
(病気のやつも自分とおんなじいいかげんなやつだったのは、九子にとって誠にめでたいことであった。(^^;;)
単純なうつ病だった場合、たぶんこう簡単な治り方はしないのだろう。
薄紙を剥ぐように良くなる、とか、三寒四温とか言われるように、ゆり動きながら少しずつ少しずつ何ヶ月も、時には何年もかかって良くなるもののようだ。
抗うつ薬を飲みはじめてから、以前のような階段をかけのぼるような治り方は少なくなった。
良くなってきたという自覚が出てから数週間を経て、やっと正常になったのを確認するという感じだ。
と、言ってもたかだか数週間だ。何ヶ月もぐずぐずというのに比べたら、本当に有り難い。
毎年一度の恒例行事のせいか、なるのも治るのもそんなに時間をかけてはいられないのだろう。
突然何を言い出すかと叱られそうだが、自分はやはり、人との接点をさほど持ちたくない人間のようだと、ふと、そう思う。
人嫌いと思われても困るが、いつも一人で全然困らないのは、一人っ子で一人の世界で遊ぶことに慣れているせいだろうか。
いっそのこと家族以外の誰の目にもとまらない透明人間になれたらどんなに良いだろう・・・と 、病気の時にはいつもそう思った。
いつもと変わらずに接していてくれる近所の人々にとってみたら、全然ふだんと変わるところのない九子に映っているはずなのに・・・。
うつ病というのは、本当におかしな病気である。
そして九子は、来年の今頃も、さ来年の今頃も、また性懲りもなく、うつ病とつきあっていることだろう。
うつ病についてのブログを表示する.
[うつ病はつらいでしょうね]
お察しします.似た症状の人が身近にいて,何となくわかる気がします.
ずくなしと誤解されるのを恐れず,無理せず,快復を目指して下さい.
by 三ねんせい (2007-07-07 23:01)
[三ねんせいさん、ご心配有り難うございます。m(_ _)m]
三ねんせいさんの身近にもいらっしゃるんですね。
今「うつ病」と検索すると、おっそろしい数のサイトがひっかかりますから、ごくありふれた病気になってきたんでしょうね。
どちらにせよ、九子は今もうすっかり元気です。ご安心ください。
( ^-^)
はい。無理はしません。
と言うか、病気を理由にぐうたらしています。(^^;;
by 九子 (2007-07-07 23:56)
[ひさしぶりです]
ここに久しぶりに来ました。
懐かしい九子さんがいて、考えて書かれた文章がある。
気持ちが良いほど分かりやすく、整理された文。
鬱病でないのに、鬱病の薬を飲んでいる私って??持病とは言え、不思議な薬との出会いです。
もしも自分が持病を持たなくて、今の薬を飲んでなかったら・・・考えると鬱病になっていたかも知れない。
そんな事を時々思うんです。
今は、トリプタノール50mg、デパス、セルシンなどを飲んでますけど、喉が渇いて、口の中が渇く。
それ以外は朝が駄目。でも家族が理解してくれるからやっていけます。無理に起きるとバタンと倒れるしね。
私も持病と仲良く付き合っています。
誰かしら何かしらの病気を持っているような気もします。
そろそろ壊れてくる年齢でもあるし。。。
九子さんは私より若いけど、私は人生半分過ぎました。
それでも、前を見て生きる事しか知らない。
それが心地いいから。疲れるけど、それで好いって思っています。
by ちゃら (2007-07-08 00:54)
[ちゃらさん、いつもお心にかけて頂いて本当に有り難う。( ^-^)]
ちゃらさんの言葉は、いつも何気ないけどとっても温かくて、後からじ~んと来ます。こうやって、私の書いたものを誰かが読んで居て下さると思うと、本当に励みになります。有り難う。
ちゃらさんも薬をずっと飲んでいらっしゃるんですね。しかも、こう言っては何だけれども、いかにも口が渇きそうなのを・・。
あの口の渇き方は尋常じゃあないですよね。私もトリプタノールはまだ飲んでないのですが、少々ひどかった時アモキサンを処方された事があって、ずいぶん難儀しました。(結局最後まで飲めなかった!)
昔ながらの抗うつ薬には口が渇いたりする欠点も多いけれど、それなりに効き目は確かで、例えば原因不明の身体の痛みに使われたり、いろいろな使われ方をされて、今でも現役でたくさん処方されているようです。
私が飲んでいるルボックスとかのSSRIは、それに比べるととても飲みやすい薬なのですが、先生があえて古典的な抗ウツ薬を選んで使っていらっしゃるところをみると、やはりそれなりの違いがあるのでしょうね。
>でも家族が理解してくれるからやっていけます。
本当にその通りです。お互い、家族に恵まれてよかったね。
( ^-^)
>九子さんは私より若いけど、私は人生半分過ぎました。
それでも、前を見て生きる事しか知らない。
え~っと、その~う、私もとっくに大台超えてます。もしかしたら、私の方が年上かも・・・(^^;;
それでも、前を見て生きる事しか知らない。
うん。そうですよね。
そして、そういう行き方をしてらっしゃるって胸張って言えるちゃらさん、素晴らしいと思います。( ^-^)
私はあんまり前向いて生きてる実感がない人なのですけど・・。(^^;;
ちゃらさん、これからもどうぞよろしくお願いします。
いざとなればお手紙も出せるのだけれど、よかったらまたメールくださいませんか?
積もるお話も致しましょう。( ^-^)
by 九子 (2007-07-08 11:40)
[私もナマケモノ族*^^*]
ちょいウツと共存できるようになってよかったですね~
*^^*
私はナマケモノで、若いときは誰かといないといつも不安で、楽しくないのに取り残されるのが嫌でいろんな事に参加したりしていました。今は、自分は自分というのが強くなったのか、それはなくなりましたが、仕事していないとナマケモノ病がとめどもなくて、人にも会わなくて、ぷちウツになる時もあります。
そうそう、まえに、NHKでやってた「うちのツレがうつになりまして」の漫画をよんで、うつで登校拒否していた高校生の子がお母さんにその漫画で自分の気持ちをアンダーラインでひいて読んでもらいお母さんも彼女の気持ちがやっと理解でき、お互いにコミュニケーションがよくなり彼女もアルバイトもできるようになりましたとの番組やっていました。
by あずーる (2007-07-13 13:40)
[あずーるさん!( ^-^)]
あっ、ウツはもう99%大丈夫なの。ご心配かけてすみません。
残り1%は、朝たまに夢見が悪い時があって、ぶり返したかな?と心配になる程度ですから・・。( ^-^)
>若いときは誰かといないといつも不安で、楽しくないのに取り残されるのが嫌でいろんな事に参加したりしていました。
こういう不安感ってありますよね。いつも友達とわいわい楽しそうな人は、一人になるのが逆に不安なのかなと思っちゃったりします。
まあでもこういう事は育った環境による影響が大きいから、どっちがいいとか言う問題でもないし、本人が楽にしているのが一番よね。
あずーるさんって、やっぱり真面目な日本人の代表みたいな人なのよ。( ^-^)ナマケモノ病になるなんて。
私などナマケモノが染み付いて、どっからが九子でどっからがナマケモノかわかんなくなっちゃってます。(^^;;
「うちのツレがうつになりまして」NHKでやってたのは知ってたのだけれど、変なもんで自分の調子が悪いときはそういう番組なんとなく見たくなくて見ませんでした。
でも、きっと良い番組だったのよね。そういうマンガを見せる事によって、お母さんに自分の症状を告げることが出来て、彼女は幸せだったと思います。
あずーるさんも、ぷちウツくらいならいいけれど、仕事頑張りすぎて本物のウツにならないように気をつけてね。( ^-^)
by 九子 (2007-07-13 20:47)