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阿久悠と演歌 [<九子の読書ドラマ映画音楽日記>]

この日記を読んでいて下さる方々の中で、演歌好きと言う方はどのくらいいらっしゃるだろうか 。


先日YOUTUBEに宇多田ヒカルがアメリカデビューする時の英語のインタビューがあって 、上手にDictationしてあるのを眺めていたら、「母は日本の国民的歌手で、暗い歌を歌うことで有名でした。」とか言っていた。


たしかに藤圭子あたりまでの演歌は暗かった。 (*コメント欄参照)


それがフォークの吉田拓郎やらが作曲を手掛けるようになり、演歌とポップスの境目がわかり難くなる頃から、演歌はだんだん変遷を遂げて来たように思う。



何年か前、確か昼のトーク番組に先日亡くなった阿久悠さんが出ていて、石川さゆりの「津軽海峡冬景色」の歌詞について話していた。


「『上野発の夜行列車おりた時から、青森駅は雪の中』という冒頭の一行ですけど、このたった一行で東京から青森という時間も空間も飛び越えちゃってるのね。こういう歌詞ってなかなかないと思うんだけど・・・・。」と自らの詩に寄せる思いを語られた。


そんなに好きな歌だった訳じゃないけど、その瞬間、詞に隠されていたドラマが流れ出した気がした。


阿久悠さんが亡くなって次々追悼番組が放映されたが、都はるみの大ヒット曲「北の宿から」は、実は最初もっと男勝りの強い女の歌だったのだが、都はるみ側からのたっての要望でもっと女っぽい歌に代えて欲しいと言われた。「よし、そんならとことん女々しい歌を作ってやるぞ!」というんで出来た曲だったというエピソードが紹介された。


別れた男に、着てはもらえぬセーターを涙こらえて編みながら、「あなた死んでもいいですか?」などと馬鹿なことを問うている、実に女々しい女の歌が出来あがった。


確かに九子もこの歌の女々しさが嫌いだったのだが、女々しい歌を作りたかったという目論見はものの見事に成功した訳だ。


阿久氏の言葉は更に続く。


「ところが、この女、普通なら『女心の未練でしょうか?』と疑問形で言うところを、『女心の未練でしょう。』と言いきっている。実は性根(しょうね)の座ったところもある女なのだ。」


こういう細部の一字一句にまで工夫がこらされているのが阿久悠さんの歌詞の特徴であって、ところが凡人の私たちはそんな仕掛けがあるなんて、言われるまでつゆとも気付かない。



河島英五さんの歌に「時代おくれ」というのがあって、この歌も阿久悠さんの名曲中の名曲だそうだ。


一度も聞いた事が無いのだけれど、河島英五さんにじきじき会ったこともあるという拳一狼さんがお薦めの曲でもある。


阿久悠と言う人は、男の気持ち、女の気持ち、大人の気持ち、子供の気持ち、強者の気持ち、弱者の気持ち、ありとあらゆる人々の気持ちに成りきる事の出来る天才だったのかもしれない。



実は演歌があまり好きでない九子なのだが、その詩のうまさとメロディーの口ずさみ易さゆえに、九子の独断と偏見で秀逸と信じ込んでいる演歌が二曲ある。



ひとつが山口洋子作詩で中条きよしが歌った「うそ」であり、もうひとつが阿久悠さん作詞の八代亜紀「雨の慕情」だ。


二つとも別れた恋人を忘れられないでいる未練たっぷりの女々しい歌だが、メロディーの軽さゆえにか嫌らしさはあんまり感じない。
(しいて言えば、「うそ」を歌ってる中条きよし本人が、逆に、こういうセリフをあちこちの女性にぶつけてきたんじゃないの?と思わせるあたりが胡散臭いだけである。(^^;;)


「うそ」は、冒頭がすごい。


「折れた煙草の吸いがらで、あなたの嘘がわかるのよ。誰かいい女できたのね。できたのね。」


九子は男女の色恋沙汰にどちらかと言えばうとい方であるが(^^;;、別れ話を切り出す時、男がたばこを乱暴に灰皿でもみ消すしぐさがまざまざと目に浮かぶ。


それを見て、男の嘘を直感的に見抜く女。


男はかつて饒舌に、女にこんなセリフをつぶやいた。
「半年ばかりの恋なのに、おまえはエプロン姿が良く似合うね。爪も染めずにいておくれ。」


またある時は、
「あんまり飲んではいけないよ。 帰りの車に気をつけて。一人の身体じゃないんだからね。」


こういう口先男は、得てして信用ならないのだ。


そういう目で見てみると、演歌の歌詞に出てくる男女は寡黙な場合が多い。
「うそ」のような話言葉がそのままぶつけられている歌詞の方が、どちらかというと小数派ではないだろうか。



もう一つの名曲、阿久悠さん作詞の八代亜紀 「雨の慕情」では、


「心が忘れたあのひとも、膝が重さを覚えてる 長い月日の膝まくら、煙草プカリとふかしてた」となる。思わずうなりたくなる詞のうまさだ。


実は「心は忘れた・・・」と思い込んでいて、良く歌詞を見たら「心が忘れた・・」だった。
言うまでも無いが「心が・・」の方がずっと意志の力を感じる。

さっきの、うそつき男が忘れられない女の場合は、たばこの吸い殻で男の嘘を見抜いたが、今度の女は、心が忘れようとしているのに、膝が男の身体の重さを覚えて居て忘れさせないのだという。


この二人の男女の間に、たぶん言葉はあまり要らなかったと思われる。
言葉が要らないくらい愛情があったはずの二人なのに、どういう事情かで別れなければならなくなった。


そして女は、「憎い、恋しい、憎い、恋しい、巡りめぐって今は恋しい」その男が、自分のところに再び帰ってくる事を雨に祈っているのである。


せつない歌だなと思う。


女々しいけれど、嫌らしくはない。
女々しさを超越した凛としたものを持った女だからだ。
そしてそういう女として、阿久悠が描いたからだ。



御自身も決しておしゃべりの方ではなかったと言う阿久悠さんだが、言葉を大事にする作詞家として、言葉は決して軽々しく使うものではないという意識が常にあったのかもしれない。


今年の五月に出来たと言う阿久悠さんの公式ホームページ もしかしたら彼の命がそう長くない事を予想して作られたものかもしれないが、5000曲にものぼるという阿久さんの詩のうちあまり売れなかった方の曲から、彼自らの手によって解説されていて興味深い。


それにしても5000曲とはすごい数だ。
時には2時間ほどで当時のLPレコード1枚分、すなわち12曲分の詞を書かれた事もあったという。
信じられない才能だ。


たぶんしばらくのうちに、全ての楽曲の解説が更新されて見られるようになるのだと思う。


手品の種明かしをどきどきしながら見るみたいに、彼の仕掛けた何千何百という言葉の魔法が全て解き明かされる日が来るのが待ち遠しい。



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三ねんせい

[演歌]
着てはもらえぬセーターを編みながら未練だと自覚しちゃうって,ある意味で強いなあと私も感じてました.
藤圭子は暗ーい歌ばかり歌ってたようだけれどあの頃は暗い演歌がはやった時期かなあ.60年代の演歌はそんなに暗いのが多かったとは思いません.
by 三ねんせい (2007-08-12 14:23) 

九子

[三ねんせいさん!( ^-^)]
>着てはもらえぬセーターを編みながら未練だと自覚しちゃうって,ある意味で強いなあと私も感じてました.

おお、凄い!確かに言われてみるとそうですよね。
でもセーターを編むっていう行為のほうに目が行っちゃうので、なかなかそういうこと見抜けませんでした。

>60年代の演歌はそんなに暗いのが多かったとは思いません.

そ、そうでしたか。(^^;;
すみません。演歌あんまり強くないので、思い込みで書いてしまいました。m(_ _)m
by 九子 (2007-08-12 21:22) 

如月今日子

[はじめまして。]
私も思い込みだと思うのですが(笑)、
やはり60年代演歌は暗いイメージです。
耳慣れた曲について詳しく書かれていて読み応えがありました。


※めったに見ない管理画面のあちこちですが、
アンテナしていただいていたことに気づきまして、
ご挨拶に代えさせていただきます。
by 如月今日子 (2007-08-13 01:02) 

轟 拳一狼

[引用有難うございます]
九子さん、おはようございます。

引用有難うございました。
阿久悠さんの歌詞を見ると、もう天才としか言えないようなすごい歌詞ばかりですね。

「時代おくれ」は、私が河島英五にはまるきっかけとなった曲ですけど、日本経済が絶好調で日本全体が浮ついていたときに、「ほんとにそれでいいのかい?」と問いかけたような歌でした。

演歌というのは、いわば日本の「ブルース」で、何かこう、抑圧されたものの怨念というものが込められていたと思うんですが。今ちょうど中上健次さんのエッセーで、日本の演歌と韓国のパンソリを比較した文章を読んでいます。パンソリは明らかに、被差別民による芸能、「恨(ハン)の文化」ですね。
中上健次さんの文章でなるほどなと思ったのは、三波春雄さんの決め台詞についてです。「お客様は、神様です。あなたあっての、私です。」この言葉は、三波春雄が芸能とは被差別民のものであることを強烈に自覚していた証だとおっしゃっておられます。

もともと「芸能」って、確かに一般人から差別されていたものなんですね。能にしろ、歌舞伎にしろ、今でこそ高尚なものとして捉えられ、人間国宝なんてものも誕生していますが、もとは被差別部落の人たちの文化でした。その系譜を最も色濃く継いでいるのが、「演歌」かもしれません。
by 轟 拳一狼 (2007-08-13 06:13) 

あずーる

[タクロウの曲も??]
タクロウの曲は明るいので、意外でした。

私も暗い演歌は嫌いだけど・・・
阿久悠さん、なくなってからいろんな番組でしていますが、
詩の言葉が心の機微にるれるのですね。
by あずーる (2007-08-13 10:29) 

あづみ

[阿久悠さん]
阿久悠さんが亡くなられてから、ダンナや友達と、阿久悠さんの話を何度かしました。
話をしていると、「本当に惜しい人を亡くした」という思いが込み上げてきます。

阿久悠さんは、歌詞世界を大切に大切にきっちり構築する人ですよね。
「女心の未練でしょう」の末尾が「未練でしょうか」だとしたら、その女性の性根の座った部分を表現することはできなかったという部分、阿久さんの言葉選びの繊細さが胸に響きます。
女々しい歌詞からぶっ飛んだ歌詞まで、幅のある歌詞を書いておられて、その遊び心と仕事のプロぶりに、今更ながら心打たれています。
by あづみ (2007-08-13 11:27) 

三ねんせい

[舟唄]
「はやりの歌などなくていい」という歌詞ではやらせちゃう阿久悠さんの作詞はすごいですね.八代亜紀の「舟唄」.
by 三ねんせい (2007-08-13 19:35) 

九子

[如月今日子さん、はじめまして。( ^-^)]
すみません。こちらこそ勝手にアンテナしてご報告にも上がらずに・・。

お名前は柏倉葵さんのところで、大分前から存じ上げていたのですが、今回、大病を患われて、でもとてもあっけらかんと書いていらっしゃったのに感心して、以来読ませて頂いています。

ごめんなさい。ちょっと邪道な読み始め方でしたね。

でもうちの母が食道癌が分かった時、やはり腹が据わった様子でいたのを思い出してしまったものですから・・。

こちらこそアンテナに加えて頂き、本当に有り難うございました。m(_ _)m

そうそう、近々私書箱にメール差し上げますので読んでくださいね。( ^-^)
by 九子 (2007-08-13 20:46) 

九子

[拳一狼さん!( ^-^)]
私、「時代おくれ」についてはあまり知識が無かったのですが、阿久悠さんの歌の中で3番目くらいに人気のあった歌だったそうですね。

河島英五さんと言う人の雰囲気にぴったりの歌ですよね。


>もともと「芸能」って、確かに一般人から差別されていたものなんですね。能にしろ、歌舞伎にしろ、今でこそ高尚なものとして捉えられ、人間国宝なんてものも誕生していますが、もとは被差別部落の人たちの文化でした。

ええ?そこまで下に見られていたわけですか?

確かに私の祖父などは、芝居をする人のことを「河原乞食」などと呼んでいましたが・・・。

そこにルーツがあるとしたら、積年の恨みが歌にこもったものというのも説得力ありますね。
by 九子 (2007-08-13 20:58) 

九子

[あずーるさん!( ^-^)]
森進一の曲に「襟裳岬」というのがあって、これが吉田拓郎さんの作曲です。
http://music.yahoo.co.jp/shop/p/53/30849/Y026883

演歌の基準から言えば、明るい曲だと思いますが、拓郎さんのいつもの曲を基準にするとどうでしょうか。

でもさっきこの歌詞を見ながら考えたのですが、もうこの辺りになると、森進一という演歌歌手が歌ったから「演歌」というくくりになるだけであって、吉田拓郎が歌えばポップスだったんじゃないかと思ってしまいます。

>詩の言葉が心の機微にふれるのですね

本当にその通りですね。( ^-^)
by 九子 (2007-08-13 21:11) 

九子

[あづみさん!( ^-^)]
本当に惜しい才能を亡くしました。

>阿久悠さんは、歌詞世界を大切に大切にきっちり構築する人ですよね。

その通りです。そして、その上、2時間のうちに12曲も作詞するなどという離れ業もやってしまう。

普通の作詞家ならどちらかですよね。きっちり書けるが時間がかかるか、早いけれども中身が無いか・・。(^^;;

>女々しい歌詞からぶっ飛んだ歌詞まで、幅のある歌詞を書いておられて、その遊び心と仕事のプロぶりに、今更ながら心打たれています。

本当に歌詞のジャンルの多さではピカ一だったのではないでしょうか。

そして、芸能界という派手な世界に身をおきながら、きっちりと家族を護るよき家庭人だったってところが、またまた偉大ですよね。
by 九子 (2007-08-13 21:21) 

九子

[三ねんせいさん!( ^-^)]
舟唄が好きという人もダントツに多いと思います。
歌詞をリンクしておきますね。
http://music.yahoo.co.jp/shop/p/53/245266/Y000158

肴はあぶったイカでいい とかは、女には書けない歌詞じゃないかなあと思います。

男心も女心も、たちどころに分かる人だったんですよね。

この歌を、八代亜紀に歌わせるっていうのもまた、憎いですよね。( ^-^)
by 九子 (2007-08-13 22:10) 

九子

[トラックバック]
あづみさん、トラックバック返していただき、有り難うございました。m(_ _)m
by 九子 (2007-08-13 22:15) 

ちゃら

[演歌は歌えないのですが・・]
演歌は苦手で歌えないのですが、友達とカラオケに行くと演歌を歌ってくれます。歌唱力がないと唄えないのも事実。
それで色々な歌を覚えました。自分では唄わないけれど、言葉に納得するものが多いですね。
日本人の心は表現してる気がします。
若者の歌もそれなりにその気持ちを表しているし~~人間には音楽は必要だなって思います。
by ちゃら (2007-08-14 09:52) 

九子

[ちゃらさん!( ^-^)]
>友達とカラオケに行くと演歌を歌ってくれます。歌唱力がないと唄えないのも事実。

たしかに歌おうと思うと演歌って難しいかもしれませんよね。独特の節回しとかあるしね。

演歌は息が長いっていうの?ヒットするまでに時間がかかるけど一つの歌がすごく長続きしますよね。
それも覚えやすい理由でしょうか。

若者の歌は、サイクル短いから、覚えようと思ってもなかなか覚えられないわよね。何言ってるかわかんないし・・。(^^;;

そういう意味で、詩をじっくり味わえるのかもしれませんね。

>若者の歌もそれなりにその気持ちを表しているし~~人間には音楽は必要だなって思います。

本当に音楽が無かったら、人生どれだけつまらないか!

そういう意味でも、惜しい人を亡くしました。
by 九子 (2007-08-14 22:49) 

あずーる

[襟裳の春はぁ~何もない春ですぅ~♪]
九子さん、森さんのこの曲すきです。
森さんも、この曲で演歌のイメージをかえたと言われていますね。

もちろんタクロウの曲だと知ってたけど、このほかにも
タクロウの曲あるのかしら?
by あずーる (2007-08-15 00:28) 

九子

[森進一の歌では・・]
少なくとも吉田拓郎作曲はこの一曲だけみたいですよね。
yahooミュージックによると、森進一さん御自身の作曲も何曲かあるみたいですが、残念ながらあんまりヒットはしなかったのかな。

そこいくと、今の時代のポップスの人は、作詞作曲、その上歌えるんだから凄いですよね。( ^-^)
by 九子 (2007-08-15 22:26) 

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