女たちのジハード [<九子の読書ドラマ映画音楽日記>]
そんなに期待して手にした訳ではないのに、いつのまにか引き込まれた。
「女たちのジハード」 女たちのジハードの画像
10年ほど前の篠田節子の直木賞受賞作だ。
ジハードとはアラビア語で聖戦と言う意味だ。
てっきり中近東の物語と勘違いしてしまったのが、九子がこの本を長い間遠ざけていた理由だ。
(^^;;
九子はOL生活というものを幸か不孝かしたことがない。(幸に決まってるじゃん!(^^;;)
いやはや、この本に書かれている世界と寸分変わらない光景が普通に繰り広げられているのだとすれば、九子なぞではとてもじゃないが生きてはいけない世界である。
ある損保会社に勤める5人のOLの誰か彼かが主人公の短編が13こ。それが連なってタイトルの「女たちのジハード」となる。
ジハードなんて、おおげさじゃあないの?と思っていたのが、読み進めていくうちに「こりゃあ確かに戦いよね!」と思わせられる。
幸せな結婚を射とめるための女たちの命がけの聖戦。
彼女らを取り巻く狭い世界の中で、彼女らはそれなりに一生懸命に生きて、彼女たちなりの将来を勝ち取って行く。
「勝ち取ってないよね。」と九子はつぶやく。
そう、九子自身のことだ。
自慢じゃないが17代続く家伝薬の雲切目薬を作っていた薬局の一人娘として育った九子の将来は、最初から決まっていた。
出来すぎ母になんでもしてもらって育ったので、自分じゃあ何も出来ない事も痛いほどわかっていた。
高校受験も大学受験も、そこそこ入れる無難な学校を選び、楽な道ばかりを歩いてきた。
結婚相手を勝ち取るバトルなど、した事も無いし、ましてや出来るはずもなかった。
親の決めた結婚だったが、たまたま最初の見合い相手のM氏はそんじょそこらにいないような理想的なお婿さんだった。そして今、九子は人並み以上に幸せに暮らしている。
本の中で紀子という女性が出てくる。強いて言えば九子は彼女だなあと思う。
何をやっても不器用で、家事能力も自活能力も無い。
リサを始め、仕事の出来る女たちは彼女を見下していた。
それがなぜか、美人で万事てきぱきしているリサが結婚を夢見ていたイケメンやり手男の岡崎を見事射止めて結婚を決めてしまう。
岡崎の子供を身ごもったのだ。
まあ、九子がここまで彼女と同じ事をするかどうかはともかく(^^;;、同じように勝ち取る努力と無縁でいながら、なんとなく人生が転がっていってしまうタイプだなあと思っている。
こういうタイプの強みは、たぶん捨て身の強さだ。
計算づくではない、いや、巧みな計算など出来ない場当たり的行動が、時に新鮮に、時に可愛らしく男の目に映って、護ってやりたくなるものらしい。
その後の紀子が幸せかどうかは本を読んで頂くとして、九子の知らないOLの世界ではこんな事が日常茶飯事で起こっているのかと、何十年も生きてきたのに自分の世間知らずを恥入ってしまう。
策略と足の引っ張り会いとバトル渦巻く毎日を生き抜いて、めざす安楽な結婚生活を夢見る彼女たち。
3高と見えた男が必ずしもそうでなかったり、夢のような玉の腰婚のはずが、とんでもない未来が待っていたり・・・。
誰が一番幸せなのか判断がつかないところは実生活と同じだ。
それにしても彼女たち(紀子を除いて)は良く働く。
パワフルで目も手も口も良く動く。
こういうエネルギー、どこかで見たように思ったら、PTAのお母さんたちの姿だった。
数年か十数年先に、彼女達はきっと同じパワーを学校の作業や懇談会なんかの会場で発揮してみせるのだろう。
もともと目も手も口も達者ではない九子は、いつも彼女らのパワーに敬服していた。
こういうパワーって、命がけの聖戦で結婚相手を勝ち取った女性たちだけが持つ勲章なんだろうか。
我が家の末娘M子は昔から世の中を斜に見る子だった。小さい頃から変に世間ずれしているようなところがあって、「人生の大事な事はすべてテレビドラマで学ぶ。」と豪語していた。
「この子ならたくましく生きていくに違いない。」と思わせるような子供だった。
紀子や九子が、人生が転がるままに無抵抗に受け入れるタイプであるとしたら、M子はまさに手足を踏んばって自分の好きな方向に転がっていくタイプだと思っていた。
そのM子がつい最近になって、気弱な事を言い出した。
「私、恋愛結婚なんて出来そうもない。お兄ちゃんたちだって、誰もしそうにないじゃん。」
まあ言われてみれば、RとYは難しそうだね。イケメンSも、見かけばっかりで詰めが甘いから彼女もまだいなさそうだし・・。(^^;;
でもM子、あなたまでそんな気弱でどうするの?
パパとは違うビンボーじゃない男を勝ちとって来るんじゃなかったの?(^^;;
「あたしさあ、だんだん人生に疲れてきた。(えっ?まだ高二なのに!?)
楽に生きるワ。ママみたいに・・・・。」(^^;;
楽と言われりゃあ、その通り。
三食昼寝付きのぐうたら人生。
これも人生に逆らわず、親の言うなりに生きてきた賜物だ。
おうとも!良くぞ、言った! そうそう、結婚はお見合いに限る!
ママは友達居ない人だから(^^;;、親戚のおばちゃんたちに3高のお婿さん見つけといてもらってあげるからね。( ^-^)
まあ明日になれば、また考え変わってると思うけど・・。(^^;;
そして突然、話はやっぱりうつ病のことになる。
一ヶ月でウツを封じ込めようなんて無理だったようだ。
抗うつ薬を少しくらい余計に飲もうと、来るものは来るのだ。
医者に言われた通り、病気に逆らわず楯突かず、流れのままに漂って、波が通り過ぎるのを待つのが一番正しい対処方の様だ。
うつ病も人生も、下手に逆らおうとしないで目をつぶって通り過ぎるのを待つ。
気づいた時に周りに有ったものに手をのばしてみるだけで、自分から勝ち取る努力はしない。
九子の人生は、ずっとその連続だった。
それでそこそこ幸せだった。
では本当にそれが最良の幸せへの道なのかと問われれば、答えに詰まる。
たまたま生まれ付いての幸運に導かれた結果だったとしか言えない。
ただ、ひとつだけ、とりあえず仏教徒の九子が信じている事はといえば、人間がする選択など、所詮当てにならないという事だけだ。
活禅寺(←ここ)の無形大師は、人間のする努力など小手先の、お手盛りの努力に過ぎないと言われた。
そんなせせこましい努力をするよりも、仏様に祈って正しい道に導いて頂くのが本当の幸せになる方法だと教えられた。
所詮人間の浅知恵で大きなものを掴んだように思っても、そんなものは取るに足りないつまらんものに過ぎないのだと禅の老師はおっしゃった。
修行の努力は最小限で、ひたすらお先祖様の善行のご縁で幸せになっている九子がしたり顔して言えた事ではないけれど、やっぱりそれは正しいと思う。
そもそもこの教えにしたって、坐禅三昧で何十時間、何百時間も坐り込んで極めたもんじゃない。
坐禅をしてみたら意外にも明るい人生が開けて生きるのが楽になったから、怠けながらもちんたら何十年も坐禅を続けた結果、なんとなく自分の人生を眺めてみたらそうなっていたという結果に過ぎない。
「女たちのジハード」も、どんでん返しの連続だった。
実生活でもそれはきっと同じ。
幸せの種をつかむはずの努力が、つかんだ結果は不幸だったなんて話は掃いて捨てるほどある。
だったら人生は無理せず、勝ち取らず、転がる方へ転がるのが一番楽じゃないのかな。
転がる方・・というのこそが、運命に定められた道なんだから・・・。
よしんば転がる方が悪かったとしても、じっと我慢をしていれば、また風向きも変わってくる。
軽いうつ病があるくらいは、どうって事無いのうち。
薬でこんなに楽になり、やらなきゃいけない事だけはなんとか出来る。
いつもより少々気合を入れて取りかかり、時間をかけてやればいい。
もともとが効率なんて、最初から並み外れて平均以下の九子なんだから・・・。
(^^;;
毎日そこそこ幸せって思える人生が一番・・・・・だよね。( ^-^)
そりゃあ、家族にははた迷惑かもしれないけれど・・・。(^^;;
お見合い 恋愛結婚
「女たちのジハード」 女たちのジハードの画像
10年ほど前の篠田節子の直木賞受賞作だ。
ジハードとはアラビア語で聖戦と言う意味だ。
てっきり中近東の物語と勘違いしてしまったのが、九子がこの本を長い間遠ざけていた理由だ。
(^^;;
九子はOL生活というものを幸か不孝かしたことがない。(幸に決まってるじゃん!(^^;;)
いやはや、この本に書かれている世界と寸分変わらない光景が普通に繰り広げられているのだとすれば、九子なぞではとてもじゃないが生きてはいけない世界である。
ある損保会社に勤める5人のOLの誰か彼かが主人公の短編が13こ。それが連なってタイトルの「女たちのジハード」となる。
ジハードなんて、おおげさじゃあないの?と思っていたのが、読み進めていくうちに「こりゃあ確かに戦いよね!」と思わせられる。
幸せな結婚を射とめるための女たちの命がけの聖戦。
彼女らを取り巻く狭い世界の中で、彼女らはそれなりに一生懸命に生きて、彼女たちなりの将来を勝ち取って行く。
「勝ち取ってないよね。」と九子はつぶやく。
そう、九子自身のことだ。
自慢じゃないが17代続く家伝薬の雲切目薬を作っていた薬局の一人娘として育った九子の将来は、最初から決まっていた。
出来すぎ母になんでもしてもらって育ったので、自分じゃあ何も出来ない事も痛いほどわかっていた。
高校受験も大学受験も、そこそこ入れる無難な学校を選び、楽な道ばかりを歩いてきた。
結婚相手を勝ち取るバトルなど、した事も無いし、ましてや出来るはずもなかった。
親の決めた結婚だったが、たまたま最初の見合い相手のM氏はそんじょそこらにいないような理想的なお婿さんだった。そして今、九子は人並み以上に幸せに暮らしている。
本の中で紀子という女性が出てくる。強いて言えば九子は彼女だなあと思う。
何をやっても不器用で、家事能力も自活能力も無い。
リサを始め、仕事の出来る女たちは彼女を見下していた。
それがなぜか、美人で万事てきぱきしているリサが結婚を夢見ていたイケメンやり手男の岡崎を見事射止めて結婚を決めてしまう。
岡崎の子供を身ごもったのだ。
まあ、九子がここまで彼女と同じ事をするかどうかはともかく(^^;;、同じように勝ち取る努力と無縁でいながら、なんとなく人生が転がっていってしまうタイプだなあと思っている。
こういうタイプの強みは、たぶん捨て身の強さだ。
計算づくではない、いや、巧みな計算など出来ない場当たり的行動が、時に新鮮に、時に可愛らしく男の目に映って、護ってやりたくなるものらしい。
その後の紀子が幸せかどうかは本を読んで頂くとして、九子の知らないOLの世界ではこんな事が日常茶飯事で起こっているのかと、何十年も生きてきたのに自分の世間知らずを恥入ってしまう。
策略と足の引っ張り会いとバトル渦巻く毎日を生き抜いて、めざす安楽な結婚生活を夢見る彼女たち。
3高と見えた男が必ずしもそうでなかったり、夢のような玉の腰婚のはずが、とんでもない未来が待っていたり・・・。
誰が一番幸せなのか判断がつかないところは実生活と同じだ。
それにしても彼女たち(紀子を除いて)は良く働く。
パワフルで目も手も口も良く動く。
こういうエネルギー、どこかで見たように思ったら、PTAのお母さんたちの姿だった。
数年か十数年先に、彼女達はきっと同じパワーを学校の作業や懇談会なんかの会場で発揮してみせるのだろう。
もともと目も手も口も達者ではない九子は、いつも彼女らのパワーに敬服していた。
こういうパワーって、命がけの聖戦で結婚相手を勝ち取った女性たちだけが持つ勲章なんだろうか。
我が家の末娘M子は昔から世の中を斜に見る子だった。小さい頃から変に世間ずれしているようなところがあって、「人生の大事な事はすべてテレビドラマで学ぶ。」と豪語していた。
「この子ならたくましく生きていくに違いない。」と思わせるような子供だった。
紀子や九子が、人生が転がるままに無抵抗に受け入れるタイプであるとしたら、M子はまさに手足を踏んばって自分の好きな方向に転がっていくタイプだと思っていた。
そのM子がつい最近になって、気弱な事を言い出した。
「私、恋愛結婚なんて出来そうもない。お兄ちゃんたちだって、誰もしそうにないじゃん。」
まあ言われてみれば、RとYは難しそうだね。イケメンSも、見かけばっかりで詰めが甘いから彼女もまだいなさそうだし・・。(^^;;
でもM子、あなたまでそんな気弱でどうするの?
パパとは違うビンボーじゃない男を勝ちとって来るんじゃなかったの?(^^;;
「あたしさあ、だんだん人生に疲れてきた。(えっ?まだ高二なのに!?)
楽に生きるワ。ママみたいに・・・・。」(^^;;
楽と言われりゃあ、その通り。
三食昼寝付きのぐうたら人生。
これも人生に逆らわず、親の言うなりに生きてきた賜物だ。
おうとも!良くぞ、言った! そうそう、結婚はお見合いに限る!
ママは友達居ない人だから(^^;;、親戚のおばちゃんたちに3高のお婿さん見つけといてもらってあげるからね。( ^-^)
まあ明日になれば、また考え変わってると思うけど・・。(^^;;
そして突然、話はやっぱりうつ病のことになる。
一ヶ月でウツを封じ込めようなんて無理だったようだ。
抗うつ薬を少しくらい余計に飲もうと、来るものは来るのだ。
医者に言われた通り、病気に逆らわず楯突かず、流れのままに漂って、波が通り過ぎるのを待つのが一番正しい対処方の様だ。
うつ病も人生も、下手に逆らおうとしないで目をつぶって通り過ぎるのを待つ。
気づいた時に周りに有ったものに手をのばしてみるだけで、自分から勝ち取る努力はしない。
九子の人生は、ずっとその連続だった。
それでそこそこ幸せだった。
では本当にそれが最良の幸せへの道なのかと問われれば、答えに詰まる。
たまたま生まれ付いての幸運に導かれた結果だったとしか言えない。
ただ、ひとつだけ、とりあえず仏教徒の九子が信じている事はといえば、人間がする選択など、所詮当てにならないという事だけだ。
活禅寺(←ここ)の無形大師は、人間のする努力など小手先の、お手盛りの努力に過ぎないと言われた。
そんなせせこましい努力をするよりも、仏様に祈って正しい道に導いて頂くのが本当の幸せになる方法だと教えられた。
所詮人間の浅知恵で大きなものを掴んだように思っても、そんなものは取るに足りないつまらんものに過ぎないのだと禅の老師はおっしゃった。
修行の努力は最小限で、ひたすらお先祖様の善行のご縁で幸せになっている九子がしたり顔して言えた事ではないけれど、やっぱりそれは正しいと思う。
そもそもこの教えにしたって、坐禅三昧で何十時間、何百時間も坐り込んで極めたもんじゃない。
坐禅をしてみたら意外にも明るい人生が開けて生きるのが楽になったから、怠けながらもちんたら何十年も坐禅を続けた結果、なんとなく自分の人生を眺めてみたらそうなっていたという結果に過ぎない。
「女たちのジハード」も、どんでん返しの連続だった。
実生活でもそれはきっと同じ。
幸せの種をつかむはずの努力が、つかんだ結果は不幸だったなんて話は掃いて捨てるほどある。
だったら人生は無理せず、勝ち取らず、転がる方へ転がるのが一番楽じゃないのかな。
転がる方・・というのこそが、運命に定められた道なんだから・・・。
よしんば転がる方が悪かったとしても、じっと我慢をしていれば、また風向きも変わってくる。
軽いうつ病があるくらいは、どうって事無いのうち。
薬でこんなに楽になり、やらなきゃいけない事だけはなんとか出来る。
いつもより少々気合を入れて取りかかり、時間をかけてやればいい。
もともとが効率なんて、最初から並み外れて平均以下の九子なんだから・・・。
(^^;;
毎日そこそこ幸せって思える人生が一番・・・・・だよね。( ^-^)
そりゃあ、家族にははた迷惑かもしれないけれど・・・。(^^;;
お見合い 恋愛結婚
[本は読んだことないけど・・]
当時、ドラマにもなっていて、結構パワーをもらったお話です。
少しはましになったものの まだまだ女性は腰掛みたいに思っていない人(男女問わず)も多くて、OL長年やっていくのは厳しいですよ。
九子さんには悪いけど、世間体で選ぶお見合いより、
時間がかかってもやっぱり結婚相手も仕事もなんでも
自分で選ぶ方がいいかなぁと思います。
世間体は、永遠につづくとは限らないし。
私は若いときお見合いも何度かしたけど、主張が強く
ダメでした;;
でも、お見合い結婚でも幸せに暮らしている人も
沢山いるのは事実です。
この間、同窓会で何十年ぶりに再会した同級生は
親のすすめでお見合いで23才で結婚して、もう
子供も大きくて 幸せそうでした。
by あずーる (2007-10-30 16:37)
[あずーるさん!( ^-^)]
あずーるさんもOL生活を経験されたのですね。
確かに結婚をめぐるバトル以外にも厳しい社会なのでしょうね。
>九子さんには悪いけど、世間体で選ぶお見合いより、
時間がかかってもやっぱり結婚相手も仕事もなんでも
自分で選ぶ方がいいかなぁと思います。
あずーるさんらしいご意見です。( ^-^)
あずーるさんなら恋愛に見事勝利されて素敵な彼を射止めるでしょう。(予言!)( ^-^)
確かにお見合いがいいのか恋愛がいいのかは、正直誰も結論を出せる問題ではありませんよね。
でも今、人気急降下中のお見合い結婚にもそれなりの良さがあるのではないかという思いを込めて書いてみました。
悪しからず。m(_ _)m
by 九子 (2007-10-31 13:15)
[いい学校だよーん]
本題と関係ないんだけど、そこそこ入れる無難な学校って言わないで欲しいなあ。
by どーそーせー (2007-11-02 01:53)
[どーそーせーさん!( ^-^)]
>そこそこ入れる無難な学校って言わないで欲しいなあ。
あっ、どうも失礼致しました。
たぶん高校ではなく、M薬科大の方のどーそーせーさんですね。
(高校の方は共学になり、更に沈んでしまいましたので。(^^;;)
はい。今、うちの娘は二回目の受験でも親の母校に入れるかどうかの瀬戸際やっております。
同級生のお子様たちも、まだ誰も母校に入ったという話を聞いておりません。
だからもちろんハードルの低い学校ではないのですが・・。
これから言う事、嫌味に聞こえちゃったらすみません。
私はこんなブログ書いてることからもお判りの通り、一番成績良かったのは国語だったの。
だから先生には国立を勧められてました。国語がもったいないって。
だけど当時から勉強嫌いで、特に社会科とか、暗記科目を暗記するのが嫌で嫌で・・。
当時から国立はかなり厳しかったし・・。
結局三科目で済む私立にはじめから絞っちゃったのね。
それが自分の中で「無難な」という表現につながってしまいました。
どうか、お気を悪くされないで下さい。
どなたか存じませんが、M薬科大での生活は私にとっても実り多いものでした。
娘が受かりさえすれば(^^;;、入れてやりたいと思います。
もしよければ、トップページ上にある赤い記者名の九子をクリックしてメール下さいませんか?
昔話などしたいので・・。
by 九子 (2007-11-02 15:43)
[おもしろそうな本ですね]
お久しぶりです(^^)
恋愛結婚ですけれど、誰かと戦ったということはないです。
なんか気がついたら結婚の話が出ていました。
私は紀子タイプかもと思いました。
仕事でつながっていない関係だったので、誰かと戦うということがなかったのかもと思います。
恋愛結婚の相手って、同じ学校の人だったり、同じ会社の人だったりというのが多いのでしょうか。
そうすると、ライバル多し。。。
九子さんは良い方とご縁があったのですね。
私は毎日心穏やかに過ごせることが一番の幸せだと思っています。
私は結婚してからとても幸せです。
悩み事はあるけどね(^^;)
「この人と結婚しよう」と決めたのは、九子さんですよね。
「結婚しない」という選択もできたことと思いますが。
最初のお見合いで決められない時は、ご両親は次のお見合い話を用意したことでしょう。
九子さんは「人間がする選択など、所詮当てにならないという事だけだ」と書いてらっしゃいますが、誰かと戦ってないから・いつも躍起になってないから、冷静な目で幸せになれる道を選択できているのではないかと思いました。
私の考えは九子さんのここ↓と重なります。
>だったら人生は無理せず、勝ち取らず、
PTAのお母さま方のこと、妙に納得してしまいました。
確かにみなさん、驚くほどパワフルです。
by きよみがはら (2007-11-06 10:55)
[きよみがはらさん!( ^-^)]
ご無沙汰申し訳ありません。
たまにこうして寄って頂けるのが何より嬉しいです。m(_ _)m
>恋愛結婚ですけれど、誰かと戦ったということはないです。
なんか気がついたら結婚の話が出ていました。
こういうのが一番いいですよね。誰も傷つけないし・・。
>九子さんは「人間がする選択など、所詮当てにならないという事だけだ」と書いてらっしゃいますが、誰かと戦ってないから・いつも躍起になってないから、冷静な目で幸せになれる道を選択できているのではないかと思いました。
いえいえ、そんな冷静さなど微塵もありませんでしたよ。(^^;;
でも確かに、自分が見つけなくても親が何とかしてくれるだろうと言う気持ちはあったので、勝ち取るために目の色変えるという事はありませんでした。(^^;;
>だったら人生は無理せず、勝ち取らず、
そうそう。みんながみんなそういうわけじゃないと思いますが、割りに自己主張が少ない(かな?)自分にはそれで良かったような気がします。
PTAのお母さんたち、きよみがはらさんもそう思った?
勝ち取った人たちだよねえ。( ^-^)
by 九子 (2007-11-06 23:08)
[思い通りの結婚なんて]
結婚は思い通りにならないものだと思う。
外国映画を観ていると心が離れたら離婚するけれど、それってかなり自分に正直で強いと思う。
日本人は駄目だと思っても我慢して、距離を置いて離れないという手を使う人も多い。
離婚はエネルギーを使うし、偏見も多いからね。
外から見て幸せな結婚生活をしていると思えるけど実際はそんな幸せな結婚や思い通りの結婚なんてないに等しい。
仲の良い夫婦を見ていると、それなりに相手を自由にしている気がする。離れるのも必要なのかもね。
駆引きはOL時代をすぎて結婚生活でも続いているんだと思うわ。
ただ、共働きタイプの人間と、専業タイプの人間があるように思う。それは仕事が出来るとか出来ないじゃなく、家で楽しく暮らせる人とそれでは物足りなくて別に目が行ってしまう人。
働いて物欲を満足させたい人。生活に困って働かなければならない人。
タイプはあっても理想の生活にならない人が多いのかな。
九子さんはその幸せを大切にすればいいのでは??
何が幸せかは、その人がどのくらい欲張りかで変わってしまう。
小さい事に幸せを感じられる人は大きな幸せさえ幸せと思えない人と違い生きる喜びがあるでしょう。
by ちゃら (2007-11-22 18:45)
[ちゃらさん!( ^-^)]
この頃mixiずっとご無沙汰してました。すみません。
そろそろウツの方も楽になってきたのでお邪魔しようと思います。m(_ _)m
>駆引きはOL時代をすぎて結婚生活でも続いているんだと思うわ。
な、なるほど!あんまり気楽過ぎなのもやばいんですね。(^^;;
確かに自分は家が大好きで、外にあんまり出ようと思わない人間なので、欲が無いと言えば無いし、面白みに欠けると言えば欠けるのですが、まあ家族がそれで良しとしてくれているので(我慢しててくれるかも)まあ成り立って居ります。
確かにアメリカ人とか、すぐに離婚しちゃうのは、自分で働ける強さがあるってことも前提だよね。
どちらがいいのかよくわからないけれど、負担の少ない方を選ぶんでしょうね。( ^-^)
by 九子 (2007-11-23 22:36)