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N子の行く先 [<学校の話、子供たちの話>]


最初に「わたし、K薬科に行く。」とN子が言った時、それは彼女の本心ではなかった。



K薬科大に不満が有る訳ではまったくなかった。むしろ関東の薬科大よりも格段に学費の安いK薬科大に行ってくれたらと親は最初大歓迎だった。ただ、土地勘の無い関西に住む事が、住まわせる事が、親子してだんだん心細くなってきただけだ。



N子も、親の方だって、合格発表と同時に発表された補欠合格に名前があったM薬科大学へは当然行けるものだと思っていた。



うん十年前、補欠の補の字も知らされていなかったT薬科大学からうら若き九子に突然合格通知が来たのは3月も押し迫ってのことだった。第一希望だったし行きたかったが、もうM薬科大へ行くつもりで下宿も何もすべて決まっていたのであきらめた。



「ママの時は発表なんてされなかったのに三月末に正式補欠だって電話が来たんだよ。合格発表の日に一緒に番号発表されてるんだから、ママなんかよりずっと入れる確率高いってことなんじゃないの?」

余裕でそう思っていた。



そんな訳でM薬科大は九子の母校である。

当時はT薬科大や今年から慶応義塾大に統合したKY薬科大に大きく水をあけられていた。



ところが今では国家試験の合格率の高さを売りに特にここ数年特に人気が高く、ついに昨年の入試偏差値はT薬科大より上になった。



そんな事も良く調べず、頭の古い親は、自分が入学する時のままのつもりでいて「M薬科なんかどう?一浪してがんばったんだからNちゃんなら簡単に入れるよ。」と娘に薦めた。



真に受けた娘は3度も受験に行ったが、センター試験の失敗がたたってか一回補欠にひっかかったのがせいぜいだった。



東京郊外の町に移転して建った比較的新しいM薬科大の校舎は、田舎の高校しか知らないN子の目には魅力的にに映った。そして彼女はM薬科大に行きたい気持ちを募らせたようだ。



「大きい学校だよ。長野N大高より、ずっと大きいよ。」とN子。

田舎の高校よりも小さい大学があったら見せて欲しいもんだ。(^^;;

(長野N大高もこの春初陣で三回戦まで戦い、7-0を挽回してすっかり甲子園で名を馳せた。( ^-^))



その後受かる可能性皆無の国立大薬学部受験の帰りに初めてK薬科大を実際に訪れたN子は、「あっ、K薬科大も大きかった。こっちでもいいよ。」と言った。

彼女が舌切すずめのおばあさんでなくて本当に良かった。(^^;;



ちなみにセンター試験で失敗したN子は、本入試で100点満点のところ120点くらい取らないと受からないとわかっているのに最後まで高い旅費と宿泊費をかけて国公立大学を何回も受け続けた。それがN子というヤツである。(^^;;



冒頭の会話は、N子がまだK薬科大を見てない時の事だ。

K市ではなく名古屋で受験して合格通知をもらった直後で、補欠で受かっているM薬科大にも当然入学出来るものという前提だった。



「私やっぱりK薬科大に行くよ。」

「えっ?きのうM薬科大に行きたいって言ったばかりじゃない!」



「(妹の)Mちゃんが多分M薬科に行けると思うんだよ。クラブもしないで今からあれだけ頑張ってるんだから。私は絶対にMちゃんと違うとこ行きたい。って言うか、Mちゃんには一人立ちして欲しいんだよね。高校まで全部私と同じ学校だったから、大学くらい私を頼らずやって欲しいんだよね。とにかく絶対にMちゃんと別の大学へ行きたいの。だから、私がM薬科行っちゃうと、私のわがままでMちゃんの将来を妨害する事になるから、私はK薬科へ行くんだ。関西は嫌だってMちゃん言ってたから、K薬科は選ばないはずだからね。」



一方通行なへんてこな理屈だが、言い終わったN子の目には涙が浮かんでいた。自分の進路を曲げてでも妹のM子に譲ろうという訳だ。



その時九子は「犠牲になるな。」という無形大師の言葉をN子に伝えた。

この言葉には違和感を覚える方も多かろうと思う。

右の頬を打たれたら左の頬を出せというキリスト教の言葉の方が人間として優れてる感じがどうしてもしてしまう。



しかし老師の言葉は涼やかだった。

「自分のやりたい事を曲げて人のために役に立とうとする行為には必ず無理が伴う。必ずどこかで不満や後悔が残る。 自分を殺して相手を助けるのではなく、自分も生きて相手も生かす道を探すのがよい。」

禅の老師らしい歯に衣着せぬ仏教の言葉には本音が語られていると思った。



「まあ、まだM子がどこに行くか決まらないうちにそんなに自分の進路変える事ないよ。もし二人ともM薬科に入れるような事になったら、別々のアパートを借りればいいでしょう?」という事でN子も納得してM薬科の結果を待つ事になった。



あ~あ、そんな事になったらまた散財だ!でもまあ、めったに自己主張しないN子のたっての頼みとあらば仕方ない。



2月はじめの受験から一ヶ月半以上、首を長くして待っていたのにいつまでたってもM薬科大学から吉報は届かない。



もう待てないぎりぎりのところで思い余って恩師に事情を聞いてみたところ、今年は入学辞退者が少なくて、補欠合格者は一人も入学出来ない事が判明!



M薬科大に二人入ったら・・・なんて悩む必要はまったくなかった訳なのだ。(^^;;





慌ただしくアパートを探しに行ったK市は、穏やかで優しい人々が住む美しい町だった。六年間も住むのだから良いところに越した事はないと親子して一度で気に入り、M薬科大の事などすぐに忘れた。



「こっちに決まって本当に良かったね。」が口癖のようになったK薬科大とK市にM子が追いかけて来ない様に、「K市はあんまり良くないよ。K薬科はやめたほうがいいよ。」とこれからずっと嘘を言い続けるはめになるのかな? (^^;;



一浪しても、合格の知らせよりはるかに多い不合格の知らせをもらったN子だった。

まただめだった、まただめだったという報告を聞くたびに、もしかしたらこの子は心根が優しすぎて薄幸な生まれつきなのではないかと本気で心配したりもした。

(美人薄命というのとは違う幸の薄さだとは思ったが・・。(^^;;)



そうでは無かった事が証明されて、親はやっとほっとしている。



タグ:薬科大 補欠
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コメント 4

moko

[ご入学おめでとう!]
行き先が決まったのですね
おめでとうございます

学校の行き先については
うちも3人3様でしたが
レベルが高ければよいと言う物でもなく
合格したところはやはりこの子が行くことに
なっていたところだったなあ~っという感じです

長女、無事内定が決まり
横浜へ就職になりそうです
お互いやれやれ。。。ですね
by moko (2008-04-07 17:58) 

九子

[mokoさん!( ^-^)]
はい、お陰様で有り難うございます。
これで娘もお嬢さんと同じ道を歩む事に・・。( ^-^)

名古屋を越えて更に西ですが、名古屋はいつも通ります。
名古屋がとりあえず関東アクセントの西の端くらいなのかな・・?と今回始めて気付きました。

>レベルが高ければよいと言う物でもなく
合格したところはやはりこの子が行くことに
なっていたところだったなあ~っという感じです

その通りですね。確かに私も彼女が行くべくして行くところだったのだと納得します。
気は回るけれどぼーっとしたところもあるN子の気質に関西は良く合うみたいです。( ^-^)

そちらもお嬢さんの就職、おめでとうざいます。( ^-^)
横浜も素敵な町でよかったね。
by 九子 (2008-04-08 00:31) 

轟 拳一狼

[おめでとうございます]
とんでもなく遅くなってしまいましたが、ご入学おめでとうございます。

私も本当に入りたいところには入れませんでしたが、結果的に進学した大学で、色々な人、もの、考え方にも出会えましたし、何よりも妻と出会えました。
煩悩まみれの私は今でも「あの大学に入りたかったなあ・・・」と思うことがありますけど、やはり入るべくして入ったし、今の境遇に落ち着くべくして落ち着いたのだろうなあと思えます。

今頃は5月病になっていませんでしょうか。娘さんのこれからのキャンパスライフが実りある楽しいものになりますよう、お祈り申し上げます。
by 轟 拳一狼 (2008-05-23 21:27) 

九子

[拳一狼さん!( ^-^)]
有難うございます。m(_ _)m

>私も本当に入りたいところには入れませんでしたが、結果的に進学した大学で、色々な人、もの、考え方にも出会えましたし、何よりも妻と出会えました。

一番素晴らしいことですよね。( ^-^)
うちの娘もいろんな意味で良い出会いがあると良いのですが・・・。

娘はB型人間で全くのマイペースの独立独歩型ですので、お陰様で五月病にはならずに済みそうです。

親の方が頼りにしてた娘が遠くに居るので五月病になるのでは・・と心配でしたが、お陰様でその心配も杞憂に終りそうです。

今はケータイが家族間タダとか、良いサービスのお陰です。
( ^-^)
by 九子 (2008-05-24 00:11) 

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