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善光寺と御開帳 [<坐禅、仏教、お寺の話>]


本日九子は第十八代笠原十兵衛薬局店主と致しまして、いつもの坐禅と活禅寺のお話ではなく(^^;;、善光寺と御開帳のお話をさせて頂きたく存じます。m(_ _)m



七年に一度の善光寺御開帳が4月5日より5月31日まで開催されます。



御開帳というのは、秘仏とされる善光寺御本尊様の身代わりと言われる前立御本尊(まえだちごほんぞん)様のお姿を特別に拝見できる機会で、七年に一度とは申しますが、数え年で七年ですから実際は六年に一度、丑(うし)年と未(ひつじ)年の春に行われます。



前回のご開帳の直前に雲切目薬が日刊ゲンダイの「妙薬探訪」というコラムに載って、まったく売れなかった(^^;;雲切目薬が突然脚光を浴びました。



わざわざ東京からお見えになったお客様が「ご開帳はどうでもいいから雲切目薬だけを買いに来た。」とおっしゃってそのまま帰られた事もありましたが(^^;;、どうか是非ご開帳の機会に善光寺の前立御本尊様をご覧になって極楽浄土へのご縁を結んで頂きたいと存じます。



善光寺御開帳公式ガイドブックの画像今手元に「善光寺御開帳公式ガイドブック」があるのですが、今回九子は清水の舞台から飛び降りる覚悟で、雲切目薬の全面広告を出してもらいました。160ページほどの本のちょうど真ん中より少し前辺り。見開きの向かいはあの栗菓子の老舗、小布施の桜井甘精堂さんです。

長野県はもとより大都市の書店でも一部1000円(税込み)で手に入ります。



灯台元暗しと良く言われますが、善光寺のお膝元に住みながらこの本を読むまで知らなかったことのなんと多かった事でしょう!



たとえば善光寺御本尊=一光三尊像は長い間秘仏とされ誰の目にも触れていないというのは有名な話なのですが、それではいつ頃秘仏になったのかというのを実は我が家で誰も知りませんでした。



一応(^^;;善光寺信徒総代だった亡くなった父なども「江戸時代頃じゃあないか?そんなこと知るもんか。だってだあれも見たことないんだからな。」などと言っておりましたが、この本によると642年に善光寺が本田善光(ほんだよしみつ)によって長野県飯田市辺りから現在の長野市に遷座されて間もない654年と言いますから、現在の地に建立されてわずか12年で秘仏となられたことになります。



そう考えると、誰も見たことの無い御本尊様が後についておいでになるとは言え、1400年近くもお身代わりとして頑張ってこられた前立御本尊さまのご利益はなかなかのものがあるのではないでしょうか。



ところで善光寺の建立者本田善光は、娘(如是姫(にょぜひめ))の大病を治すため大金をお釈迦様に寄付して、以降熱心な仏教徒となったインドの月蓋長者(がっかいちょうじゃ)の生まれ変わりだそうです。



「善光寺縁起」によると娘の全快を喜んだ月蓋長者は阿弥陀仏の建立を願い出て、お釈迦様の仰るとおりに黄金を集めると、お釈迦様のお祈りと共に西方から阿弥陀様が現れて、黄金は湯のように沸き立ち、観世音菩薩と勢至菩薩を伴った一光三尊像の姿になりました。この仏様が後に天竺、百済を経て、善光寺如来となるのです。



本田善光は長野県飯田市辺りに住んでいましたが、ある時都に上り、帰る途中難波のお堀の辺りを歩いていて「よしみつ、よしみつ」という声に呼び止められました。なんとそれはお堀に投げ捨てられていた金ピカの仏様でした。



仏様は蘇我氏と物部氏の争いに巻き込まれてお堀に捨てられたのでした。



その仏様の思し召しどおり、善光はまず故郷の飯田に、そして「水内郡芋井あたりへ」というお言葉に従い長野の現在の場所へと仏様をお連れし、お堂を建ててお祀りしたのです。



善光寺は何度も大火に遭って焼失していますが、当時から善光寺の火事は不吉の兆しと言われていて、文治3年(1187年)の火事の折は源頼朝が再建しています。



その後善光寺の御本尊様は戦国時代にさまざまなところに移り住んでおられます。ここでも御本尊様とは、絶対秘仏の御本尊様であるとは考えにくく、前立御本尊であったと思われます。



まず最初の引越しは、川中島の戦いでたびたび戦場になった信濃の国に善光寺如来を置いておくと戦火に焼かれる心配があると考えた武田信玄公が、善光寺の大本願お上人(代々皇室に縁のある高貴な尼僧)はじめ多くの僧侶達や仏具までをも大々的に甲斐の国に移しました。



そう。甲斐と言えば山本勘助がNHK大河ドラマで取り上げられましたが、勘助が武田軍に仕官したのと同じ年、1543年に元祖雲切目薬が出来ています。お陰様で「目の悪かった勘助が使った可能性があり」との事で、ディアゴスティーニ社の山本勘助の本に雲切目薬の写真を載せて貰う事が出来ました。( ^-^)



すみません。話が脱線致しました。(^^;;



武田信玄が亡くなった後武田は織田信長に破れ、善光寺如来様は信長と共に岐阜に引っ越されます。その後徳川家康公が一時浜松に移しますが、すぐ甲府に戻されました。



その後豊臣秀吉が天下統一を果たした後、1596年に京都で大きな地震が起き京都の大仏殿が崩壊したので、秀吉は京都方広寺の本尊として善光寺如来を甲府から京都に迎えました。しかしこの頃から秀吉の体調が悪くなり、「善光寺如来のたたり」と噂されたので、秀吉は慌てて善光寺如来を長野に戻しました。秀吉の死の前日の事だそうです。



これが四十年にも及ぶ善光寺如来のお引越しの旅の顛末です。



善光寺如来を祭った各寺院は、今でも善光寺の名を冠し、今年は特に六善光寺同時御開帳が開かれます。



特に善光寺を建立した本田善光の郷里である長野県飯田市の元善光寺と、武田信玄が立てた甲斐善光寺は有名で、長野の善光寺にしかお参りしないのは片参りと言われ、元善光寺と両方お参りして始めて善光寺参りが完成すると考えられているそうです。



かく言う九子も生まれて以来○十年、片参りしかしていない訳です。(^^;;



御開帳中、善光寺本堂の真ん前に立てられる回向柱(えこうばしら)からは前立本尊の御手に繋がる「善の綱」が結ばれ、回向柱を触っただけで極楽浄土が約束されるとは申しますが、せっかくおいでになったのですから是非、内陣で御開帳中しかお目にかかれない前立本尊様を拝み、戒壇巡り(かいだんめぐり)をされて漆黒の闇の中で極楽浄土の錠前に触れて頂きたいと存じます。





元祖雲切目薬は川中島の合戦の頃に作られて「善光寺雲切目薬」という名前で昭和57年まで売られていました。

その名の通り善光寺のおみやげとして善男善女が珍しがって買っていきました。最盛期は「善光寺霊薬雲切目薬参拝講」という講まで出来て善光寺へ何百人もの人々が押し寄せたと言う事です。



非力な十八代店主にはそんなお話は夢の又夢でありますが、特別なご開帳の時期に善光寺においでになったお客様には是非、雲切目薬の笠原十兵衛薬局にも足をお伸ばし頂きたいと存じます。



店の東側には古い店も残っていて、わずかですが当時の面影を窺い知る事が出来ますよ。( ^-^)


善光寺と御開帳その2はこちら




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デュランティ

[はじめまして]
いつも楽しく拝見しています。
私も長野市民ですが、今 街に出るとご開帳の準備と春の訪れがあいまって何とも明るい気持ちになりますよね。
もっとも九子さんにとっては末娘ちゃまの快挙があって何を見ても輝いて感じるのではないですか?
私も2年前の娘の大学進学の準備で上京したことを思い出します。あの頃は娘も私だけが頼り、といった感じだったのに・・・今は母は口うるさいだけの存在みたいです。
とにかく、末娘さまのご入学おめでとうございます!
善光寺に行きました折にはお店にお邪魔させていただこうかしら。
by デュランティ (2009-04-01 15:46) 

九子

[デュランティさん!( ^-^)]
ようこそ!長野市民のデュランティさん( ^-^)
このブログが見ず知らずの同郷の方の目に止まって「いつも」と言って下さるほど読んで頂いているとしたら本当に嬉しいです。有り難う!( ^-^)

そうなんです。M子はまったく要領のいい子でして、一番下ってみんなそうなのかしらね。

>あの頃は娘も私だけが頼り、といった感じだったのに・・・今は母は口うるさいだけの存在みたいです。

お嬢さんも随分大人になられたんですね。一人暮らしさせるのは良いことかもしれませんね。( ^-^)

二日の午後から三日にかけて薬局休んで入学式に出てきます。
(こういう事は薬局のHPに書かなくちゃ意味ないのですが・・。(^^;;)

善光寺にお出かけの際は、是非是非薬局にお寄り下さい!!
その時は必ずデュランティさんだと名乗ってくださいね。

お会いできるのを楽しみにしています。( ^-^)
by 九子 (2009-04-01 23:15) 

mu-ran

私の個人的趣味によって
メッセージをたくさん載せてしまいましたが
お返事結構ですから、お仕事してくださいね。

さて驚いたのですが
善光寺の再興に源頼朝も関わっていたとは
驚きました。

そういうご縁だったんですね。
これで善光寺参りの大きな理由ができました。
感謝をこめて。

by mu-ran (2010-08-19 04:05) 

九子

mu-ranさん、こんばんわ。

>私の個人的趣味によって
メッセージをたくさん載せてしまいましたが
お返事結構ですから、お仕事してくださいね。

いえ、なんのなんの。御返事書くのが私の個人的趣味ですし( ^-^)、お仕事概して暇ですから(^^;;、どうぞご心配なく。
ただ若干遅れがちになるのはお許しくださいね。m(_ _)m

はい。灯台元暗しで、善光寺のお庭みたいなとこに住んでるとついついありがたみを忘れてしまうのですが、6年に一度の御開帳のたびに2ヶ月間に600万人の人が来てくださるのを目の当たりにすると、大事にしなきゃいけないなあと思います。

またご縁がありましたら、是非一度mu-ranさんもお参りにおいでください。
その時には薬局の方へも是非お尋ね下さいね。( ^-^)
by 九子 (2010-08-19 22:11) 

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