さらば、マイケル・ジャクソン [<ダメ母のすすめ・・・・新米ママへ>]
テレビという二十世紀が作り出したおもちゃの箱に映し出された人物をナマで見る機会を得るという事は、多くの人々にとって快感であるらしい。
この至って普通の庶民であるはずの九子でさえ、善光寺の御開帳中「善光寺七名物」の一つ「雲切目薬」が蘇ったと言うので二回ほど地元テレビに出して頂いたら、お客様から「あっ、テレビに出てた人だ!」と手も握らんばかりに感激されて面食らったことが何回もあった。
セレブ、正しくはセレブリティcereblity、つまりは有名人っていうのはマスコミが作るのだ。
テレビという箱の中で笑いのつぼを刺激するような一言が言える。気の利いた発言をして皆を唸らせる。奇抜な衣装や言動で人をびっくりさせる。要するに今風に言えばテレビでウケル事が出来れば、そうしてある一定期間テレビに出続けることが出来れば、誰だって有名人になれる。
マイケル・ジャクソンの突然の死のニュースは、あっと言う間に世界中を駆け抜けた。
一応同世代の九子にとって彼の存在は大きくはあったが、それはいつも音楽的な関心の的と言うよりはむしろ、見ていて面白い対象物とでも言うべきもので、CD買ってまで聴く気はあんまりないけれどYoutubeでなら見てみたいと言う程度のものだった。
もちろん彼の場合はセレブと言っても別格だ。才能があり、その才能と絶ゆまぬ努力で独自のダンスパフォーマンスを編み出し、信じられない数のCDを売り上げ、巨万の富を築いた。
テレビが作るそんじょそこらのお手盛り有名人とは格が違う。
彼の死と同じだけの衝撃を覚えた有名人の死と言えばダイアナ妃くらいなものだろうか。
ダイアナさんと同じほど、マイケル・ジャクソンもまた世界中の誰にも知られた存在だった。
どんな風に名前が知られているのかなんていうのは実はあんまり関係ない。良くも悪くもなるべく多くの人が名前と顔を知っていてくれているという事が肝心なのだ。
マイケルの全盛期を知るはずの無い10代の末娘M子ですら「マイケルジャクソン死んじゃった!ショック!」と叫んだように、地球上のあちらこちらでたくさんの老いも若きもが、彼という特異な存在がもうこの世にいないことを嘆き悲しむ。
それが本当の意味での有名人というものではないか。
ダイアナ妃が最後まで愛に飢えていたように、マイケルもまた家族の愛には縁の薄い生涯だったようだ。
”ben”を歌った愛くるしい少年時代、父親の虐待に怯え、ステージからステージへと渡り歩く忙しい生活の中で何一つ子供らしい楽しい思い出がなかったという。
その失われた子供時代を取り戻すために彼が巨費を投じて作ったのがネバーランドであったと聞くと、なんだか切なくなる。
虐げられて育った子供は何物にも怖れを抱く。虐待者の暴力がいつ襲ってくるか不安で不安でたまらないからだ。
あれだけ偉大な存在になったマイケルでさえもその例外ではなかったと思う。
最後まで離さなかったと伝えられる痛み止めdemerol(モルヒネに近い)にせよ、麻酔薬diprivanだかpropofolだか(手術時に使われる)にせよ、多幸感を伴う薬であっただろうことは想像に難くない。
世界がうらやむ富を得てking of popと呼ばれるまでに上り詰めたマイケルが、薬に頼らなければ幸せひとつ手に入れる事ができなかったのかと思うとひどく悲しい。
少年に対する性的虐待疑惑だってそうだ。
彼はもう自分を傷つけるだけの大人の世界にうんざりして、決して彼を傷つけることのない子供達しか信じられなくなっていたのかもしれない。
子供達を見つめる彼のまなざしが母親のそれのように温かい。
そのまなざし一つで、九子は彼の少年に対する性的虐待疑惑を全否定したいという気持ちになる。
マイケルの生涯には整形疑惑がつきまとう。
確かに鼻の形が明らかに違う。そして皮膚の色が・・。
少なくとも30代の彼は、光り輝くほど美しい若者だった。
美しい物をこよなく愛したマイケルは、自分自身も美しく、一分の隙もないほどに完璧に美しくありたかったのだろうか。
ただ、その完璧の目指し方が尋常ではなかった。病的と言ってもよいかもしれない。
専門家の中には彼の醜形恐怖を指摘する人もいる。
皮膚の色の方はVitiligo(白斑)という遺伝的な病気であると彼自身は言うが、典型的な病態のようにまだらに白いのではなくて全身がくまなく白くなったのだから不思議だ。
いずれにせよ、黒人の彼がまるで白人かと見まごうような外見になった。
彼はさまざまな慈善事業を行っている。
そのほとんどが貧困と病と差別にあえぐ黒人たちに救いの手をさしのべるものであった。
だが彼自身の本音を言えば、自らのblackというアイデンティティーを捨て去って、whiteになりたかったのではないかと思わせる。
彼が本気でそう考えたとしても無理は無い。
小さい時にマイケルを虐待した父親。父もまたもしかしたらそのまた父親から同じような虐待を受けながら育ったのかもしれない。それは黒人家庭の貧しさゆえだ。
そして父もまた子供達をスターに育てることで貧困から抜け出したかったのだ。
それが虐待というべき厳しい稽古につながった。
「あの生活には戻りたくない。」マイケルはそう思ったに違いない。
"Black or white"の中に意味深な歌詞がある。
Im not going to spend my life being a color.
a color だと意味を成さないが a coloredとすると「これからの人生を黒人として送るつもりはない。」になる。
そもそものタイトルが"black or white" であり、" black and white "でないのもなぜか気になる。
そんなにも努力して白人の外見を手に入れたマイケルだったが、アメリカ社会の中では「一滴でも黒人の血が混ざっている人間は黒人」と見なされるのだそうだ。
白人の外見と黒人の血を持ったマイケルは、結局どちらの側からも反目される存在になってしまったのかもしれない。
幸いな事に人種差別とは余り縁の無い国に住む大多数の(majority)日本人である私達だが、虐待の方は当事者になってしまう機会は少なく無いと思う。
この九子がかつてそうだった。いや虐待ではなく、単なる体罰であったと逃げたい自分がまだここにいる。
当時九子は愛情を独り占めして父母に大事に育ててもらったにも関わらず、自分の性格全てを嫌悪していた。
その未熟さのまま親になり、思い通りにいかない子育てのうっぷんを長男にぶつけた。
九子が坐禅と出会って人生を生き直す事が出来た時、長男はもう3歳になっていた。
彼の「三つ子の魂」はもう形成されてしまっていた訳だ。
顔や頭はさすがに叩かなかったけれど、その代わりお尻は手の跡がつくほど叩いた。それが躾だと信じていた。
坐禅で精神的に落ち着いた毎日を過ごせるようになると子供達がそのままで仏様みたいに可愛く見えるようになって、叩いたり叱ったりする必要性など全く感じられなくなった。
そんな訳で下四人の子供達はほとんど叱られずに育った訳だ。
長男は他の子供達と比べてみると線が細い。感情の起伏が激しい。落ち込みやすい。不安が強い。
たぶん自分でも生き難いと感じているに違いない彼の性格を形作ってしまったのが母親が彼に与えた体罰であったのなら、どんな事をしてでもその埋め合わせをしなければならない。
そう思って彼に勧めたのが、自分を幸せに生まれ変わらせてくれた坐禅だった。
彼は案の定すぐに坐禅に飛びついた。何かあると必ず活禅寺(←ここ)に行くようになった。あれからもう8年。
でも彼はまだ坐禅の本当の力に気づいていない。正しい呼吸のあり方がわかっていない。
そしてもちろん、坐禅を正しくする事によって到達できる自分という人間の底知れぬ力を信じきっていない。
わかっていたら、まだ元のままの彼で居るはずがない。
さらば、マイケル・ジャクソン。
完璧主義者のあなたの巨額を投じて作り上げた美しい顔が年齢と共に崩れていくのを見る辛さはいかばかりだったろう。
自分のDNAは一本たりとも入っていない3人の白人の子供達を愛して止まなかったあなたが、子供達を幼いまま遺して死んでいくのはどんなにか無念であったろう。
最初の一報を聞いた時、ロンドン公演のプレッシャーに負けて自ら死を選んだのかと思ってしまった事を赦して欲しい。命を削って100%完璧な舞台に臨んだあなたらしい最後の純粋さと努力を心から讃えよう。
死してなお頑なに父を拒み続けるマイケルの激情に恐れおののきながら、息子にするべきことはまず頭を下げて心底詫びる事かもしれないと、愚かな母は今やっと思い至った。
マイケルジャクソン 虐待
[世界的大スターの孤独な死]
こんにちわ、九子さん。
今はTVの情報番組はマイケルジャクソンの話題が多いようですね。
世界的大スターの孤独な死で、すぐに思い出すのがエルヴィス・プレスリーとマリリン・モンロー。華やかな舞台の裏で孤独と薬物に溺れていたのは同じです。
彼、彼女の心の中には何物も癒せず、埋める事の出来ないブラックホールのような真の闇があったのでしょうか。
マイケルの情報をTVで耳にすればするほど、幼い頃からの父親による肉体的・精神的な虐待が彼の死を早めたと感じ、世界的大スターでいながら本当に不幸で孤独な人生だったのだろうなと涙します。
父親の言葉による暴力が無ければ、マイケルが整形手術をするほど悩まず苦しまず、その後の彼の肉体を病魔が蝕む事は無かったでしょう。
ある情報に寄れば、年を経るごとに父の容貌に似てくる自分の顔に我慢がならなかったとか・・・血の清算でしょうか。
いろんな情報が氾濫している中、これ以上マイケルの死因に直接関係の無い検死の情報流出が無い様に願うばかりです。
by おみつ (2009-07-07 18:07)
[おみつさん!( ^-^)]
早々とコメント頂戴し有り難うございました。m(_ _)m
>ある情報に寄れば、年を経るごとに父の容貌に似てくる自分の顔に我慢がならなかったとか・・・血の清算でしょうか。
血の清算!さすがおみつさん!おどろおどろしい言葉を。(^^;;
同じ貧しい育ちでも紋次郎みたいに強く逞しく育つ人間もいれば、マイケルみたいにいろんなものに溺れていく者も居る。
やっぱり命がけで愛し助けてくれた人がいたかどうかで違ってくるのでしょうか。
4月5月頑張ったつけが回ってきたみたいで調子が悪くなってからもう1ヶ月以上たつのにいまだにすっきりと治りません。
それをひきずってどうしてもトーンが暗くなってしまい、さぞやコメントつけ難かったでしょう。ごめんなさい。そして有り難う。
7月10日は青春のサイモンとガーファンクルの公演ですから、頑張って楽しんで来ようと思っています。( ^-^)
by 九子 (2009-07-07 22:11)
[マイケル、静かに眠れ。]
私の子供は一人、知的障害児で36歳になりますが、障害児であるという受容には時間が必要でした。あたかも、さきざき困るならいように、自力をつけることを口実に努力したのが、そういう反発していた故の指導は、厳しさを優先にし、あとから思ったのは彼をゆったりと受け入れるのが先だった。
九子さんはそれを認められたというのは凄いことだと思います。それがわかった時、辛さや自己嫌悪の時もあったかと思います。これを取り戻したい想いは、私の場合では、彼の心に「嫌な印象」をすりこまれた心にどのようにしたら届くのかとも思うと一生でも足りないのかなとも思います。
マイケルについてのこの一文を読んで、人生の迷いも辛さや哀しさ、当然に皆に与えたパフォーマンスはこういう上になりたっていたのかと思うと、冥福を祈らざるをえません。
by イエローポスト (2009-07-08 07:42)
[イエローポストさん!m(_ _)m]
とてもお書きになり難かった事を正直に書いて頂いたことに感謝申し上げます。有り難うございました。
でも、イエローポストさんがなさった事は私のとは全然違います。
障害を持たれた息子さんをなんとか一人立ちさせたいという一心でいらしたと思います。根底に愛情がありましたもの。
私はただただストレスをぶつけていたに過ぎませんでした。
だから、彼はきっとわかります。一生なんてかかりません。
もちろん障害がおありになる分普通の人よりはもしかしたら時間がかかるのかもしれませんが・・・。
今息子は家に帰ってきたので朝夕はいつも一緒にいるのですが、なかなかきっかけを探しているうちにのびのびになってしまっています。でもいつか心を決めて頭を下げようと思っています。
マイケルのお嬢さんのスピーチが人々の心を打ったそうですね。
「これ以上無いくらい最高のパパだった。」って言って泣き崩れたそうです。
子供に一番愛されて、マイケルは最後に家族の愛を手に入れていたんですね。( ^-^)
そうそう、ご無沙汰していましたがイエローポストさんのはずっと読ませて頂いてました。「かかりつけ薬局」のところでコメント書いたんですが、最後になぜか消えてしまって、根性なしなのでそのままにしてしまいました。すみませんでした。m(_ _)m
この場を借りてお詫び申し上げます。
by 九子 (2009-07-08 20:33)
[マイケルってのは・・・]
九子さん、おはようございます。
ご無沙汰しております。轟です。
私もマイケル・ジャクソンの死に関して記事を書きましたので、トラックバックさせてもらいました。
九子さんと息子さんの間にあったことは、私が口出しすべきものでもないので、見守るしかありませんが、現在進行形で3歳児と0歳児を育てている身として、私の子育ての思いを少し書かせてもらいますね。
やはり子育てって、忍耐だなあと、つくづく思います。忍耐に忍耐を重ねて、それでも時にはやはり、爆発してしまって、手は出さないものの、かなり手荒に扱ってしまって、泣かれて、後悔して、抱きしめて、許しを乞うて・・・そんな繰り返しです。
今朝もそんな感じで3歳児を保育園に送ってきました。
よく虐待の話とか、また子殺しの話をニュースで聞きますが、もちろん命を奪ったり、子供の存在自体を貶めるような行為は許せませんが、罪を憎んで人を憎まずと申しましょうか、その親たちについては、私はどこか憎みきれない思いがいつもあります。
自分もひとつ間違えば、同じことをしてしまうのではないだろうか。そんな恐怖は、常に付きまとっております。
土台、親が子供に与えうる影響は、親が思っているほど大きいものではないのですけどね。「親があっても子は育つ。なければなおさらしっかり育つ」と言ったのは坂口安吾でしたけど、まさにそのとおりで、親は子供に反対に育てられているのだなあと、つくづく感じます。
だから親は、自分の生をしっかり生ききることしかできなくて、子育てもそんな自らの生き様の一環としてある、と私は思っています。その親の背中を見て、子供が何を感じ、何を学び、どういう生き方をするか、それはひとえに子供たちの選択であるし、親はその手助けをすることはできても、最後は子供の力にかかっています。
とにかく、命と向き合えるってことは、すばらしい体験だなあと、日々子供たちに感謝しながら、私は自分の生を走り続けております。
ついでながら、あまり細かいところに突っ込みを入れるのは好きでないのですが、大事なことなのでひとつだけ指摘しておきます。
日本は人種差別とは無縁ではありません。これを書き出すとまた長たらしくなるので、その後のmajorityの問題とあわせて、いずれ自分のブログのねたにしたいと思います。
私は人はみんな孤独であると思っているので、すべての人間がたった一人のminorityだと思っています。
by 轟 拳一狼 (2009-07-15 10:31)
[轟 拳一狼さん!]
大変ご無沙汰致しましてすみません。m(_ _)m
トラックバックとコメント大変有り難うございました。
私も先ほどトラックバックさせて頂きました。
>やはり子育てって、忍耐だなあと、つくづく思います。
そうなんですよね。私なんか不満も言わずによく見てくれる両親がそばに居てくれて、他のお母さんの何倍も条件はよかったのに本当に情けなく思います。お二人でこぐまちゃんを見ていらっしゃる拳一狼さんのところなんて本当に尊敬します。凄いですよ。
>自分もひとつ間違えば、同じことをしてしまうのではないだろうか。そんな恐怖は、常に付きまとっております。
もちろん私も同じ思いでした。
>だから親は、自分の生をしっかり生ききることしかできなくて、子育てもそんな自らの生き様の一環としてある
これも本来そうなんですね。ただ、子育て中はそれをよく忘れます。
日本の人種差別、拳一狼さんに書いて頂くのを楽しみにしています。
by 九子 (2009-07-15 21:48)
[ご無沙汰しています!]
マイケルでもりあがっていますね~
マイケルの話から子育て論に展開してすごいですね。
家庭のこともあるけど、
芸能界という浮き沈みがはげしい社会を子供時代からすごすっていうのは尋常じゃないですよね。
私は個人的にはどうでもいいんですが、
彼の晩年の曲もよかったようですね。
ワイドショーによると、
10年ぐらい前かな、コンサート途中かなんかで花火の火が頭にとんでヤケドをしザビエル状態になってから、鎮痛剤を常用するようになったとのことでした。
それから、オランダだったと思いますが年金ファンドがマイケルの曲の数々の著作権をもつ会社に投資していて、マイケルの曲が売れれば売れるほど、オランダのお年寄りはHAPPYなんていうのもやっていました。ワイドショーからの報告でした^^
by あずーる (2009-07-20 22:53)
[あずーるさん!!( ^-^)]
なんのなんの。あずーるさんにお越し頂けるだけでも光栄です。
m(_ _)m
マイケルの人生もまさに波乱万丈でしたね。いろいろなご報告も興味深く拝聴いたしました。ワイドショー大好き人間なので、すごく面白かったです。( ^-^)
日本の芸能界というところも大変なところだと伝え聴きますが、ましてや生き馬の目を抜くアメリカの芸能界ともなれば、そこで生き抜くというのは並大抵のことではないのでしょうね。
私のワイドショーの知識では(^^;;、子供達3人は学校も通った事がなかったとか・・。
まっとうな大人になってくれることを心から祈ります。
by 九子 (2009-07-21 15:52)
[スリラー]
九子さん、きのうの夜中にBSでマイケル特集していたので、みてしまいました。
最近は、ほんと白くってきもいですが、
差別問題などをまっこうから歌っていたようですね。
スリラーのころ、何にも考えずよくMTVをみてたので、なつかしかったです。今は特殊メークも進化しているけど、あのミュージックビデオは衝撃的でした。
九子さん、サイモンとガーファンクルのファンでいらっしゃるのですね。私も!東京コンサート、行かれたらまた教えてください。
by あずーる (2009-07-21 21:35)
[あずーるさん!( ^-^)]
BSでマイケル特集やってたの?
わあ、私も見たかったわあ~!!残念!
スリラーはyoutubeで見ただけですが、小さな画面でも面白いですよね。何よりあの頃のマイケルは美しい黒人少年でしたよね。
サイモンとガーファンクル、良かったですよお。あともう少しでアップしますのでまた読んでくださいね。( ^-^)
by 九子 (2009-07-22 15:24)