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即位20周年の天皇家 [<九子の万華鏡>]


つい先頃今上天皇即位20周年の式典が執り行なわれ、Exileが歌と踊りを披露したと大きく報じられた。



Exileの面々は三つ揃えの仕立ての良い上質なスーツを着、それぞれに100%の踊りで天皇皇后両陛下の20年の苦労を労われ、特にボーカルのAtsushiはトレードマークのサングラスをはずし、そりを消してまでしてお二人に最大限の敬意を払ったし、最年少のTakahiroの目からも熱いものがこぼれていた。



ああ、若い彼らにも両陛下のお姿は尊いものとして映っているんだね。( ^-^)



Exileは本当に良かった。秋元康の詞の「太陽」は、この日本という国を照らされるお二人の姿をよく表していたし、岩代太郎さんの曲も穏やかながらも力を秘めたお二人のお姿を髣髴とさせるものだった。



例によって寝そべりながらテレビのワイドショーで見ていた九子は(^^;;、考えてみたらこの寒空の中、東京であっても皇居二重橋の上のさぞや風の冷たかろう中に、椅子にも腰掛けずに立ちっ放しで、何人もの人々のお祝いの言葉や、見慣れない踊りや歌に対してまで、笑顔で拍手喝さいされていらっしゃる70歳を越えられた天皇皇后両陛下に対して、言い知れぬ畏敬の念というのだろうか、ああ、このお二人の下にある私達日本人はなんと幸せな国民であろうという言い知れない思いに囚われていた。

(寝そべっててもそういう思いは抱くんである。(^^;;)





そしてその思いを概ね全ての日本人が共有していたとばかり思っていた。



ところが、次の日の新聞を見て九子はびっくりした。



あの時、3万人ほどの人が二重橋付近にいたのだそうだが、Exileの歌が終った途端に帰路に着く若い人々が目立ったというのである。彼らの多くは式典などどうでも良く、単純にExileのパフォーマンスだけを見に来ていた。



九子はがっかりした。若い日本人はもう日本国民が皇室を抱く事に幸せを感じる思いはおろか、目の前で寒い中長時間立ち尽くしていらっしゃる天皇皇后両陛下に対する礼儀のひとつもわきまえない不遜な輩に成り果ててしまったのだろうか?





文芸春秋11月号で櫻井よしこさんが紹介している皇后陛下美智子様の即位10周年のお言葉がある。


「一国が発信するメッセージは、必ずしも言葉や行動により表現されるものばかりとは限らず、例えば一国の姿や、たたずまい、勤勉というような、その国の人々が長い年月にわたって身に付けた資質や、習性というものも、その国が世界に向ける静かな発信になり得るのではないかと考えるようになりました。」


「皇室文化というものは、ある種の先天的な感性が無ければ自分のものとして身に付かない。」と櫻井氏は言う。

その感性というのは何と言っても日本に対する理解というか、愛そのものだと思う。この美智子皇后のお言葉こそがそういう感性を物語っている。



同じ本に雅子妃殿下のお妃教育は、美智子様の時よりもずいぶんコンパクトになったのだが、神道の儀式一般が日本語では理解できなかった雅子妃のためにわざわざ英語のテキストが用意されたというエピソードも載っていた。



やはり海外でお育ちになった雅子様が皇室に入られるというのは想像を絶するほど困難なことであったのだなあというのが、これを見るだけで解った気がした。





思えば大変偉大だと言われた昭和天皇の陰で、長い間地味な皇太子、皇太子妃殿下の務めを粛々と影武者のように勤め上げられた今上天皇皇后お二人である。



昭和天皇は自らが日本を「統治」していた時代も長かったから、最後まで国民に対して敬語を使う事は無かったと思うが、最初から「象徴としての天皇」の今上天皇は、国民に対して「皆さん」と語りかけられ、話の語尾は必ず「です。」「ます。」だった。



生真面目な今上天皇は昭和天皇の御名代で各地を回っていらした頃から、象徴としての天皇が国民のために出来ることは何かという答えを常に常に考え続けられ、美智子皇后様とお二人で模索し続けられてきた。



それはExileの歌ではないが、まさしく太陽のように弱い人、傷ついた人々に寄り添い、狭い避難所に手を突き、膝をついて避難している人々と同じ目線でただただその苦しい声を聞き、お辛いでしょうと声をかける、手を握る、そして彼らのために祈るという繰り返しでは無かったか。



そう言う事が臆せず出来るのは、そして全ての国民がそれを有り難いと受け入れるのは考えてみれば「皇室」の方々、もっと言うならば天皇皇后両陛下しか居ない。



なぜなら天皇家にとって日本国民はまさしく「民」であったからだ。



身内という言葉があるが、日本国民はすべて天皇家の御身内なのだ。

日本国という一家の頭が天皇家であるという意識を、若い人々は忘れてしまっても、私達の多くは、そして天皇皇后両陛下は常にお持ちである。そしてお二人は国民の痛みを我が痛みのように受け取って一緒に嘆いて下さる。



同じ本に出てくる保阪正康氏はアメリカのメディアに「あなたたちは知らないだろうけど、あなたの国の天皇と皇后のために、日本はどれだけ得をしているか考えたことはあるか。」と問われたと言う。

両陛下が外国で振舞う一つ一つの言動、そして慎み深いスピーチ、そういった細やかな礼節が昭和天皇時代の日本のイメージを大きく変えているのだそうだ。





若い日本人が皇室に対してどう感じているのかを我が家の子供達に聞いてみた結果もまた、九子にしてみたら忸怩(じくじ)たる思いだった。



とりあえず彼らは小中学校を国立大学附属校で過ごし、高校も県立や日大の附属校だったので、卒業式その他で日の丸君が代は当たり前の環境に育った。



まず長男に聞いた結果は「別に~。なんとも思わないなあ。居ても居なくてもおんなじかなあ。」



彼の行った高校は県立高校だったが、九子にしてみると何でも自由で物判りが良すぎて、卒業式で「これから国歌斉唱を行いますが、主義主張により歌いたくない方は着席していらして結構です。」などというアナウンスが入るけしからぬ学校だった。



長男はそんな学校に居たから影響されたのかもしれないと、別の答えを期待して次々子供達に聞いていったが、残念ながら答えは概ねそんなところだった。



曰く、「偉い人ってのはわかるよ。まあ総理大臣くらいには偉いんだろう? だからExileが終ってすぐ帰るのはやっぱ失礼だと思う。」



「ママたちの世代はさあ、おじいちゃんおばあちゃんが若い頃戦争があって天皇のために戦ったんだから、そのおじいちゃんおばあちゃんの子供なんだから、自然に偉い人っていうのが伝わってるのはわかる。でも今は、皇室ったってあんまりテレビにも出ないし、何やってる人なのかわかんないんだよね。ましてや偉いって言われてもさあ。」



「あの人たちどうして居るのかよくわかんない。学校でも教えてもらってないし。だから天皇に対して敬語を使う理由ってのがいまいちわかんないんだよね。日の丸君が代はわかるけど、天皇とどういう関係があるのかがわかんない。」



「Exileが終ってすぐに帰っちゃうのは礼儀として、人として失礼だと思う。だってあの人たち、おじいちゃんおばあちゃんなのに70歳過ぎても頑張ってるから可哀そうじゃん。」(^^;;



なんだか情けなくなってきた。





今でさえこうなのだ。皇太子殿下と雅子妃殿下の時には、きっともっともっと公務も減って露出度も少なくなっていそうな気がするから、いったいどうなってしまうのだろう。



皇太子殿下がご結婚の時に「雅子さんを全力でお守りします。」とおっしゃったのを私達はなんと力強い言葉だろうと目をうるうるさせながら聞いていたのだが、雅子様を守るのに全力になってしまわれると他のことがおろそかになると言う事にまでは思い至らなかった。



子供達に天皇皇后両陛下のご立派なお姿はあんまり届いていないのに、皇室内のゴタゴタの情報だけは届いているらしいのも気がかりだ。





昔ラフカディオ・ハーン小泉八雲が日本で生活を始めた頃、朝な夕なに人々が拍手を打って、昇る朝陽や沈む夕陽に首(こうべ)を垂れる姿に感動したという話があった。



日本人はだんだんと何に対しても首を垂れる習慣を無くして来ている気がする。

日本人が何かとてつもなく大切な物を無くしているのでなければ良いのだけれど・・・。


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三ねんせい

[歴史観]
歴史観の問題なのではありませんか?
九子さんにとって明治維新後の近代国家としての日本が日本の規範であるのに,お子さんはそうではないのでしょうね.
お子さんはもっと古い時代までの日本を見ているか,逆に歴史をほとんど感じていないか,どちらなのかはわかりません.
とにかく,どのくらいまで遡ってみるかによって日本が違って見えて来るものです.
by 三ねんせい (2009-11-21 00:02) 

お夕

[半世紀かかりました]
九子さま、初めてコメントをいたします。

天皇制についてのコメントは難しいのですが、日本国の象徴でおられることに、大きな意義を感じます。
お言葉、眼差し、立ち居振る舞い……慎ましく、それでいて凛としたお姿、様式美の頂点におられる方々だと思いますね。

それに比べ、私を筆頭に日本人の今の姿はどうなんでしょうか。
日本国を象徴されるお姿とは、あまりにかけ離れていて、本当に申し訳なく思います。

私も若い頃は、「天皇って必要なの?」とか「皇室って何のためにあるの?」などと、多分九子さんのお子さんと同じ意見だったと思います。
しかし日本に半世紀生きてきて、この国のいろんな事が見えてきたとき、やっとわかってきたように思います。
誰かに感化されたり、誘導や強制されたりではなく、自分の頭で考え、感性で感じ取りながら、自分にとっての「天皇制の意義」にたどり着くのかもしれませんね。
それにはかなり、年月が必要なようです。
by お夕 (2009-11-21 08:21) 

九子

[三ねんせいさん!( ^-^)]
さすがに大学教授でいらっしゃる三ねんせいさんは視野が広くていらっしゃる!なるほど!そういう風に見ないといけないのですね。

もしかしたら三ねんせいさんも長い間大学生を見て来られて、その考え方の変遷をそういう風に捉えてこられたのでしょうか?

確かに歴史を遡ってみることによって日本の歴史が違って見えるものなのですね。

この問題はそれぞれの立場によって微妙な部分もあり、ちょっと旗色を出しすぎたかと反省もしていますが、普通にしていたら何も言わずとも伝わると思っていた部分が伝わっていない事にショックを受けて書いてしまいました。
by 九子 (2009-11-21 18:19) 

九子

[わあ、木枯らし紋次郎のお夕さん!( ^-^)]
お夕さん!わざわざお越し頂きまして有り難うございます。
m(_ _)m

>天皇制についてのコメントは難しいのですが、日本国の象徴でおられることに、大きな意義を感じます。

そうなんですよね。コメントの難しい問題なのにコメントしちゃうところが九子のおっちょこちょいのところです。(^^;;

>しかし日本に半世紀生きてきて、この国のいろんな事が見えてきたとき、やっとわかってきたように思います。

なるほど。アラフィフ世代でも(この言い回し絶妙でお夕さんのところからお借りしちゃいました。( ^-^))若い頃はまったく興味の無かったという方々もいらっしゃるんですね。
でも、変わっていくものなのですね。

そうですね。子供達にはそれを期待しましょうか。どちらにしても誰かに強制されて感じるようなものではありませんからね。

あとでそちらにもお邪魔させて頂きますね。( ^-^)
by 九子 (2009-11-21 18:32) 

轟 拳一狼

[天皇ってのは・・・]
こんばんは、九子さん。

私は天皇即位20周年いついてはまったく興味がなかったので、知らなかったのですが、このために作られた曲名が「太陽」ですか。まったくの偶然なのか、そうでないのかわかりませんが、かつてこんな映画がありました。

<a href="http://homepage3.nifty.com/ken1ro/texts/movie7.html">http://homepage3.nifty.com/ken1ro/texts/movie7.html</a>

天皇大好きな九子さんですから、もうご覧になられたかもしれませんね。

天皇について書き始めると、ちょっと長くなりすぎてしまうので、いずれ自分のホームページなりブログなりでゆっくり書かせてもらいます。
なかなか書きがいのあるテーマですからね。

ところで「木枯し紋次郎」には天皇はまったく登場しませんね。それもそのはずで、江戸時代の庶民は「天皇」なんて存在知りもしなかったでしょう。ついでに言うと、自分たちが「日本人」だなんて意識も皆無だったでしょう。そもそも「日本ってなんや?」てな感じだったでしょう。
日本という国家も、さらにその支柱とされた天皇制のあり方も、明治政府がヨーロッパから輸入した「国民国家」という考え方を庶民に植え付けようと作り出したもので、九子さんの天皇観はそれにまったく忠実に従っています。
三ねんせいさんがおっしゃっていたのは、そういうことだと思います。決して九子さんの考え方が日本古来の常識的な考えではないんですよ。

人それぞれが、皇室というものについて考えていかなければなりませんが、私としては、皇族の方々がかなり苦労しているように見受けられて、辛くてなりません。
「日本という虚像を無理やりかぶせられるほうがへこむ」と、私は書きましたが、皇族はその究極の被害者でしょうね。彼らは常に理想のファミリー・モデルであることを求められ、そのモデルどおりに演じなければなりません。生まれてから死ぬまで。ゆりかごから墓場まで。
それは死刑囚以上に辛い終身刑でしょうね。
少子化・晩婚化・高齢化までモデルになることは想定外だったでしょうが。

何とかそのプレッシャーから開放してあげたいのですが、世界一の甘えん坊の日本人がそれを許すはずもなく、結局どういう形に落ち着くのか、見守っていきたいと思います。

こう書くと、この映画も頭に思い浮かんできました。

<a href="http://homepage3.nifty.com/ken1ro/texts/movie6.html">http://homepage3.nifty.com/ken1ro/texts/movie6.html</a>

いつの日か、日本人が親離れできる日が来るといいのですが。
by 轟 拳一狼 (2009-11-27 01:03) 

ねこまにあ

[天皇家、というイエ]
九子さん、こんにちは。

天皇制についてはコドモの頃からいろいろと思うことがあるんですけど、今、いちばん感じること。

殺人とか窃盗とか収賄とか詐欺とか。
どんなに哀しく切ないこと・情けないことや馬鹿馬鹿しいことがたくさん起きて世間が動揺していても、
いつでも毅然として、にこやかに幸せそうに。
そして、普通に生活される姿が、ものものしい警備とか右翼の街宣車とか余計なオプションなしで国民の目に普通に映るようになったらどんなにいいかと。

生まれた家庭でみんな仲良く楽しく生活し、友達を作り。
いずれ結婚して、新しい家庭を作って。

だから。
まずは、ぜひ、京都にお戻りになって、まず、皇居の中でお米作りを始めていただきたいんですよね。
そして、じぶんたちでじぶんたちが食べるものを作ることがどんなに楽しいか。
また、どんなに大変かをわたしたち日本国民が思い出せるように、お手伝いしていただけたらいいなぁと。

元々、お米が無事に育って民が飢えることがないように、
豊作を天にお祈りするのが天皇家というイエのお仕事だったはず。
昔から近隣でドンパチドンパチ、戦争と領土争いを繰り返しながら、
国の政策としてお互いに親戚づきあいをしてきたヨーロッパの国々の王室なんかと由来が違うんですから。
ロイヤルファミリーとか皇室外交とか、ヨソから輸入された新概念に惑わされることなく、
古来から天皇家が果たしてきたお仕事をメインに、
あとは普通にのんびり暮らしていただけたらいいんじゃないかなぁと思うんですよね。

そしたら、国民もそれ見て、普通にのんびり暮らせる生活に回帰していけるんじゃないかなって^^
by ねこまにあ (2009-11-28 15:05) 

九子

[拳一狼さん!( ^-^)]
拳一狼さんへのコメントはいつも書くのが時間がかかってすみません。m(_ _)m

>日本という国家も、さらにその支柱とされた天皇制のあり方も、明治政府がヨーロッパから輸入した「国民国家」という考え方を庶民に植え付けようと作り出したもので、九子さんの天皇観はそれにまったく忠実に従っています。

なるほどね。明治維新のとき宮さん宮さんと言って京都から連れてこられたんですもんね。


「拝啓天皇陛下様」もロシア人監督が作った天皇を描いた「太陽」
も両方見ていないので見たかったと思います。

現在も過去においても天皇家の姿はいつもモデルにされたり神と言われたり窮屈極まりないものでお気の毒だとは思いますが、私の中では不要だとは思えないのです。

日本という国の信用というか価値というか、そういうものに深く寄与していらっしゃると思うのです。
西洋かぶれと言われるかもしれませんが、やはり千年二千年という伝統のある国の方を伝統の無い国よりも重んじるのは何もヨーロッパの国だけでは無いと思います。

もちろん考え方はいろいろあるとは思いますが、私はやっぱりここまで存続してきた皇室だからこれからも存続して欲しいと思っています。
by 九子 (2009-11-28 18:07) 

九子

[ねこまにあさん!( ^-^)]
>どんなに哀しく切ないこと・情けないことや馬鹿馬鹿しいことがたくさん起きて世間が動揺していても、
いつでも毅然として、にこやかに幸せそうに。
そして、普通に生活される姿が、ものものしい警備とか右翼の街宣車とか余計なオプションなしで国民の目に普通に映るようになったらどんなにいいかと

そうですね。右翼の街宣車は困りものですね。(^^;;

>まずは、ぜひ、京都にお戻りになって、まず、皇居の中でお米作りを始めていただきたいんですよね。

ねこまにあさんに言われるまで京都に帰って頂くという発想はありませんでした。なるほど!そういう発想もありですね。

お米作りに関しては、確か皇居で米作りをされているというニュースを見たことがあったと思うのですが・・。

>元々、お米が無事に育って民が飢えることがないように、
豊作を天にお祈りするのが天皇家というイエのお仕事だったはず。

たしかにその通りでしたね。
ただ、ロイヤルファミリー外交を止めてしまうのはもったいないのではないかと思うのですが・・。(^^;;

今の皇室の在り方を見ているとお気の毒に思う気持ちのほうが強いですよね。いつも人からじろじろ見られて生活するというのはそれだけでもうストレスですものね。

たしかにねこまにあさんがおっしゃるように、もっとのんびりと暮らされる事が出来たらどんなに良いでしょうね。でもそれも、実現するのはなかなか難しいと思いますが・・。
by 九子 (2009-11-28 18:19) 

ねこまにあ

[日本人というヒト]
九子さん、こんばんは☆

そうそう、現在の皇居でもお米は作ってらっしゃるんですよね。
テレビのニュースで見たことあります。

>たしかにねこまにあさんがおっしゃるように、もっとのんびりと暮らされる事が出来たらどんなに良いでしょうね。でもそれも、実現するのはなかなか難しいと思いますが・・。

確かに、外交なんて、民間でも公務員でも政治家でもそれを仕事としてやっている人々はたくさんいるのだから、
天皇家のみなさんはそんなことに煩わされることなく、国民の幸せを天にお祈りしていただければ結構です、
のんびり生活なさってください、とか言っても、
そうですか、それじゃそうしましょうか、なんて、そう簡単には運びませんよね。

のんびりできない、それが日本人というヒトのDNAなのかもしれないなぁ・・・
と、中国で生活するようになってからなんとなくそんなふうに感じるようになりました<img src='/image/hammy/m172.gif'>
by ねこまにあ (2009-11-29 23:35) 

九子

[ねこまにあさん!( ^-^)]
>のんびりできない、それが日本人というヒトのDNAなのかもしれないなぁ・・・
と、中国で生活するようになってからなんとなくそんなふうに感じるようになりました


なるほど!中国暮らしが長いねこまにあさんのお言葉だと思うと
深いですねえ。( ^-^)

大昔に日本人は「テンション民族」といわれた事がありましたっけ。
テンション高い!のテンションですが、もう少し英語に近い方の「緊張しやすい」って方の意味だったような。

高度成長の時代も終わり、これからは成長も難しいし、今度はゆったりと生活したいと思っても、経済が下落して来てそれもままならない。

外国で住んでらっしゃる方々に良い知恵を貸して頂きたい時代となっているようです。

ねこまにあさん!中国はこれからの国ですから前途洋洋ですね。
( ^-^)
by 九子 (2009-11-30 22:02) 

轟 拳一狼

[天皇ってのは・・・2]
私も皇室が続かないより続いたほうがいいとは思いますよ。不要だとは思っていません。特に日本人のように、極端に権威主義で甘えん坊の人間には。でも今のようにすべての経費を税金でまかない、その一方選挙権がないなど著しく基本的人権を制限された政治的な存在として残していくのは、問題が多いと思います。
現在の皇室は、明らかに日本一裕福な生活保護&禁治産者家庭です。
私なりに皇室をどうしたらいいか考えはありますが、あまり細かな技術論に陥ってしまうのは面白くないので、伏せておきます。

ところで千年二千年の伝統ある国という話が出ていましたが、そんな国ありません。大体「国」という概念自体が非常に新しいものです。
もちろんここでいう「国」は、ヨーロッパ源流の近代国家のことを意味します。おそらく九子さんはその意味でこの単語を使われていると思いますので。
日本という国家も、明治時代に創造されたもので、それ以前は「日本国」というものは存在していなかったと考えるべきでしょう。天皇家は千数百年続いていますが、天皇家と日本が重なるのは、明治以降の話です。

「歴史は中国から与えられた」と、以前書きましたが、天皇というものも、中国の皇帝を真似て作り出されたもので、日本オリジナルではありません。日本文化というのはいつでもそうです。外来の文化を自分なりに消化して、混交して、折重ならせて、ゆっくりと熟成させていきます。
天皇家自体が朝鮮半島からの渡来人だという説も、まだ根強く残っています。
そういえば九子さんが帰依する仏教も、元はインド生まれの外来文化でしたね。

九子さんが「西洋かぶれ」だとは思っていません。その前提として、西洋という概念も検証する必要があります。長くなるので省きますが、結局「西洋・東洋」という分け方もヨーロッパ中心史観の産物でして、あまりこれによっかからないほうが、世界の真実に近づけます。
「オリンピックなどで日の丸が上がると感動するのは自然な感情」との考えも、九子さんは披露されていましたが、さてそれが本当に「自然」なのかどうか。私はそれもまた、社会や国家のいろいろな状況(教育とか)の中で刷り込まれた、言葉を変えると洗脳された結果の感情だと思います。言うなれば、一昔前の地方の人たちが野球といえばみんな巨人ファンだったようなものです。だって巨人の情報しかテレビから流れてこないんですもの。

千年二千年昔から、たとえヨーロッパ流「国家」を持たなくとも、人間は日々の暮らしを営んできました。日本も例外ではありません。「国家」を持つものを「文明」として、それ以外を「野蛮」として、文明より格下のものと位置づけるヨーロッパのやり方に、私は疑問を感じています。そしてそれこそが、歴史を学び、歴史に学ぶ本当の意義なんです。

歴史は常に文明の視点で描かれます。そこを崩して、いわゆる「歴史」を持たなかった地域の視点で、いかに「歴史」を構築できるかが、本当の歴史学の意義なんです。私はその辺を大学時代、叩き込まれました。

九子さんは文学にも非常に造詣の深い方ですが、文学の意義もまた、そこにあるべきだと思います。「常識」と考えられているものをひっくり返してみる。そこから人間の本当の姿を、言い換えれば本当の「自然」を考える、そういうものだと思います。

「国家」および「天皇家」に思いを寄せるのはかまいません。しかし、その際、私が上に述べたような「歴史」というものに対する考え方は、抑えておく必要はあると思います。

歴史は人間のためにあるものであって、歴史のために人間があってはならないと思います。そう思った私は、歴史学を離れ、学者をあきらめました。もっと人間の真実に近づきたいと思ったからです。

生まれたばかりの娘をみて思います。これこそが「自然」なんだと。国家などというものを知りもせず、ひたすら生を求め、もがき、あがき、笑い、泣く。
その「自然」としての人間を、私は愛します。
by 轟 拳一狼 (2009-12-14 01:15) 

九子

[拳一狼さん!( ^-^)]
一番お返事が難しそうなのが最後に残りました。(^^;;

>現在の皇室は、明らかに日本一裕福な生活保護&禁治産者家庭です。
なるほどね。確かにそういう見方も出来るでしょうが、私はもっと彼らの役割を前向きに評価してますけど・・。

ただ、英国のエリザベス女王が多額の税金を払っていることを考えれば、固定資産税くらいは支払うべきかなあとは思いますが。

でも日本の皇室は豊かでは無いですから、税金払っちゃうとおもてなしも出来ないかも・・。

「オリンピックなどで日の丸が上がると感動するのは自然な感情」との考えも、九子さんは披露されていましたが、さてそれが本当に「自然」なのかどうか。私はそれもまた、社会や国家のいろいろな状況(教育とか)の中で刷り込まれた、言葉を変えると洗脳された結果の感情だと思います。

う~ん。このあたりは意見が分かれるところですね。
ただ刷り込みだとしても、どこの民族も同じように刷り込まれて自分達の民族を応援しているということで、自分の国を応援すると言う点では一緒だと思うのですけど・・。

>。「国家」を持つものを「文明」として、それ以外を「野蛮」として、文明より格下のものと位置づけるヨーロッパのやり方に、私は疑問を感じています。そしてそれこそが、歴史を学び、歴史に学ぶ本当の意義なんです。

この部分、なるほどなあと思います。確かに「国家」を持たない国々を未開の国々として低く見る風潮があることは確かですね。

私は怠け者なので、未開の国に生まれるよりも文明の進んだ日本に生まれてよかったと考えてしまいます。人間、楽になってしまうと果てしなく楽な方に流れてしまうようです。(^^;;
by 九子 (2009-12-16 23:25) 

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