ビンボー神その3 [<正統、明るいダメ母編>]
あれは忘れもしないN子の中学生最初の家庭訪問の時のことだった。
穏やかそうな表情のN先生は、なんと!、初対面の九子に向かって深々と最敬礼をなさり、「いやあ、先生には大変お世話になりまして・・。」とおっしゃったのだ。
実は子供達の担任の先生に最敬礼されたことはこの時ばかりではなかった。末娘M子が小学校6年生の時にもこんな事があったのだが・・。(^^;;
あっけにとられている九子にN先生は更に言葉を続けた。
「私、いつも先生に歯を治して頂いてましてね。最初は前歯を入れて頂いたんですよ。他の歯科医院を当たったら、どこもみんな保険が効かないから一本十何万だと言うんですよ。ところが先生のところで伺ってみたら、なんと!2万円でやってくださるって言うじゃないですか!もうそれ以来、家族もみんな、先生んとこばっかりです。」
ああ、そういう事だったのかと九子は合点した。合点したのはもちろんN先生の最敬礼の意味もさることながら、あれだけM氏が朝から晩まで真面目に稼いでいて、M氏の人柄もあって他の診療所よりも患者さんの数だけは多いと聞いているのに、なぜいつも「お~い九子、悪いんだけどまた銀行から金借りるから保証人のハンコ押してくれ~。すぐ返すからさあ。」という依頼が引きも切らずにあるのか・・。
名探偵コナンじゃないけど、その瞬間、全ての謎が解けたのであった。( ^-^)
M氏の診療所は価格設定が低すぎるのだ。原材料費プラスアルファ技術料人件費その他もろもろが価格として現れて来るっていうのが常識だと思うが、彼のところは原材料費の数割アップくらいで価格を決めてるようなふしがある。
しかも入れ歯でも何でも、技工所さんへお金払って作ってもらっているのにだ。
例えば彼は漢方薬を歯科治療に使っている数少ない歯科医師の一人だと思うのだけれど、これなんかももちろん保険 適応ではないから患者さんから自費を頂いている。
彼はこの漢方の勉強のためにかなりの年月とお金を費やしているのだ。
もともとは九子が通い始めた勉強会だった。
九子の場合はもっと悲惨で、もしかしたら全部で何十万円では済まない金額の講義を受け続け、お客さんはちっとも 来ず(^^;;、そのうち九子自身にうつ病があることがわかり、薬選びにストレスがかかるので今ではぱったりやめて しまった。
それを見ていて興味を示したのがM氏だった。どうしても抗生物質や痛み止めが効き難い患者さんを何とかする手段はないかと案じていたM氏だったからすぐに飛びついた。
何度か講義を聞き、実際にその通り薬を使ったら、痛い痛いと言ってた患者さんの痛みが治り、歯槽膿漏なんかも綺麗に治ったんだそうだ。
そうなると、目の前に常に患者さんが居るM氏は強い。(何しろ九子の場合は、腕をふるいたくてもお客さんなど来なかった訳だから・・。えっ?その方が良かったって?(^^;;)
これは!とピンと来た患者さんで、患者さんが漢方をやってみたいという場合は、漢方薬を出す。これがなんとも不思議に効くんだそうだ。
九子や彼が習っていた漢方薬は煎じ薬を最良とする日本の古典的な学派だったが、彼が使うのはもっぱら○ムラの顆粒剤だ。
彼が凄いのは、その量の少なさだ。
少ないときは1日分、最大限で3日から5日分で、痛みや腫れが止まってしまうのだそうだ。
これは薬局の基準から言うと、ひどく短い。お客さんの方だって漢方薬というと月単位で飲むイメージをお持ちなのではあるまいか。こんなことを言うのは憚られるのだが、あんまり早く治ってしまうと薬局の実入りが薄いという事にもなる。M氏のところなんか、日数だけから考えても実入りが薄い事この上ない。
「すごいんだねえ、そんなにぴしゃりと治っちゃうなんて。ところで一日分、いったいいくらもらってんの?」と九子。
「一律150円。」と、こともなげにM氏。
「ええっ~?それじゃあ、原価にもなんないじゃん!」
○ムラの漢方薬は一回分が大抵2.5グラムの分包で、一日3回分の7.5グラム。薬の種類によって値段はまちまちだが、例えば葛根湯の1グラム15円ほどから、サイコケイシトウの1グラム30円ほど、一番高いのは1グラム60円弱くらいまであるから、一日150円もらったってほとんどが採算割れなのだ。
「あのさあ、もう少し高くしないと、他の薬局にも迷惑だよ。大体の漢方薬局はどんなに安くても一日分300円はもらってるはずだから、そんなに安くあげちゃったら薬局の商売上がったりだよ。東京の有名な先生のとこなんか一 日千円なんてとこもあるんだから!」
と、一応九子は言ってはみる。だけどM氏は変なところで猛烈に頑固な人なのだ。彼が九子の意見を聞き入れるはずがないのである。
もともとM氏は九子と結婚しなかったら僻地診療に生涯を捧げるつもりだった人だ。身体を悪くしてその夢も破れたが、赤ひげ歯医者の気骨と精神はそのままなのである。
まあ、だからビンボー神なのか?と言われればそれまでだが、ここで口を酸っぱくして言っておきたいのは、ビンボー神などという有り難くも無いあだなをM氏に付けたのは決して九子ではないってことだ。もちろん出来すぎ母でも父でもない。M氏自らが率先して言い出したことなのである。
思えば彼の人生はビンボーの連続だった。ビンボーじゃなかったためしが無いそうだ。
(そりゃあそうだろう。何しろビンボー神なんだから。(^^;;)
確かにM氏の実家のN家は、M氏が生まれた頃は先代の作った銀行の倒産騒ぎで大変苦しい時代だったそうな。それがM氏をお婿に出した頃からは以前と同じ、いや以前以上の資産家に戻り、羽振りがいい。
そしてそこそこのお金はあったはずの我が家は、今ではひゅうひゅう懐に木枯らしが吹き込んでいる。
酒も飲まずタバコも吸わず、競馬も女も縁の無いM氏のただ一つの趣味がパチンコである。
つい最近までどこから名簿を仕入れてくるか知らないが、梁山○とやら言う会社から立て続けにメールが届き、彼の方も立て続けにナケナシのお金をつぎ込んでいた時期があった。なんでもパチンコの攻略法というのがもらえるというのだ。
何通めかの攻略法が届いた後、さっそくそれを試して来た彼は有頂天になってご帰還遊ばされた。
「おい九子、大変だ!この方法は凄い!怖いくらいに当たる!これでもう負け無しだ。」
「そんなに凄いなら、Sにも教えてあげれば?」
次男Sも父親に似てパチンカーだ。いや、遊びならなんでもござれの遊び人か。(^^;;
「いや、まてまて。もう少し試してみて、確実だとわかったら教えるよ。」
これってちょっと毎年良いキノコが出る場所を誰にも教えないで死んでいくという田舎のジイサマと同じじゃないの?とも思ったのだが、結局彼が攻略法をSに教えることは無かった。次に行った時M氏は、ものの見事に負けて帰って来たのである。
結局「攻略法なんてデタラメダ!」という至極簡単な結論に到達するまでに、彼が費やしたお金と時間がいかばかりだったか九子は知らない。
でもまあ世の中には知らない方がいい事だってたくさんある。( ^-^)
最近になって攻略法を売る会社が集団訴訟を起こされたというのがヤフーニュースに載った。彼が信用していた会社では無いことを祈るばかりだ。
と言う訳で唯一の趣味のパチンコも、追い詰められて(いや、九子に精神的に、ではなくて、経済的に。(^^;;)行き難くなってしまったM氏は、手持ち無沙汰に雲切目薬のパンフレット折りやら、ハンコ押しやらをやってくれる。
たとえばパンフレットを折る時は、九子などは5枚10枚一度に折ってきつく折り目をつけ、一枚一枚中から抜いてはずして行くという方法を取る。その方がずっと効率がいい。
ところがM氏は違う。一枚一枚きちんきちんと折ってくれるのだ。やたら時間がかかる!
だけど九子は何も言わない。自分がやらずに人に頼んだ事に文句をつける筋合いは無いからだ。
それにしてもいかにもやり方がビンボー臭い!
あっ、仕方ないか!ビンボー神だもんね。(^^;;
そんな訳であなたが買って下さった雲切目薬の資料や袋には、M氏の汗や努力がしみこんでいるかも・・。( ^-^)
両親が相次いで亡くなって、相続したわずかばかりの株券を分けてくれたのはM氏だった。一応九子と等分になるように分けてくれたものらしい。
ところが配当をもらうようになってから、その額がだいぶ違っている事に気が付いた。彼の方は何百円という配当がほとんどで、九子のは万に手が届くのもあるのだ。( ^-^)
M氏のしょっぱい顔を眺めながら、九子は高笑いをする。
「まあこのお金でお正月に美味しい物でも食べようよ。だって九子が株を分けたんじゃないんだよ。(^^;;」
考えてみるとビンボー神のM氏が我が家に来てくれた時から、というかそのずっと前から、九子は自分がひどく運が良い生まれつきである事に気が付いていた。
「運がいいとか悪いとか人は時々口にするけど そう言う事って確かにあるとあなたを見ててそう思う。」という歌がさだまさしにあった。(無縁坂)
とても悲しげなメロディーで歌われているその歌の意味とは正反対の意味で、九子はそれを確信する。
「大変だあ!」という事件や事故は数々あった。だけど本当に困る事態に陥る事なしに、全ては過ぎて行った。
あまりにもそう言う事が多すぎたので、いまや九子は自分の幸運が死ぬまで続くであろう事を信じ込み始めている。
そう口に出して言うのは憚られるので「仏様に守って頂いている。」などという言葉まで持ち出してきて・・。
そんなら九子は福の神か?という訳だが、残念ながらそれは違うと思う。福の神と言うのは他人を幸せにする神様のことだが、九子は自分が幸せになるだけである。人を幸せにする力なんてどこにもない。
M氏はビンボー神であるが、家族や他人の誰をも幸せにさせる福の神でもある。とにかく人に尽くすのが何より好きで、その上ビンボー神にあるまじく、「超」がつくほどのお気楽なのだ。
M氏からは一日何回も電話がかかる。大抵は「今日、何か買って帰るものあるか?」っていうのがほとんどだが、年齢と共に忘れやすくなった頭では頼んだ物が一度に覚えきれずに、最低でも二、三度はかかる。(^^;;
診療時間中にかかってきた意味不明な電話もあった。
「あれっ?どうしたの、こんな時間に・・。」
「この間ニュースでやってた閉店したハンバーガー屋なんて名前だっけ?」
「ウエンディーズ?」
「あっ、そうか!」
(あっ、そうか!ここんとこずっと患者さん少ないからこんな時間にもう患者さん居ないんだ!(^^;;)
一番良かったのは、夕方かかってきたこんな電話だった。
「おい、九子、空見てみろよ。きれいな夕焼け空だぞ~。」( ^-^)
一度M氏に聞いたことがある。M氏は九子と結婚して幸せだったのだろうかと。
すると彼は神妙な顔をしてこう言った。
「う~ん、そうだなあ。別の人と結婚した事無いからわかんないよなあ。」
まあそりゃあね、その通り、真実ですよ。
やっぱりお腹の中ではビンボーくじ引いたと思ってるんでしょ。
そりゃあまあ仕方ないよ、なにしろビンボー神ですから。(^^;;(^^;;
ビンボー神(その1)はこちら
[「凡貧」なら、なれるかも]
九子さま、おはようございます。
愛すべきビンボー神さまですね。そのビンボー神さまを選ばれた九子さんも、とてもステキだと思っています。
所詮、あの世までお金を持って行けないわけですから、お金の事をグチグチ言うのは、ホントめんどくさいものです。
M氏はそのあたりを達観されている!すごいです。
いくらお金があっても、一日は24時間だし、豪華なものを食べても時間が経てばお腹が空くし、そして体外に排出される最終形態(笑)はほとんど同じだし、近寄ってくる人に「この人お金目当て?」と疑心暗鬼になるし、「オレは金持ってんだぞー」と謙虚さはなくなるし……。
お金持ちってホントにいいの?って思っています。(これって負け惜しみ?)と言うより、お金持ちになったことがないので、想像でしか書けないんですが……。
最近「清貧」というワードをよく目にするんですが、良い言葉ですよね。「貧しい」は誰でもなれますが、「清い」は相当難しいかと思われます。
お金持ちにもなれないし、「清貧」にもなれない。「凡貧」ぐらいならなれるかもしれませんが……。
by お夕 (2009-12-23 09:17)
[お夕さん!( ^-^)]
いつも真っ先にコメント頂き、感謝感謝です。m(_ _)m
その上綺麗な文章で、さすがですね。( ^-^)
>愛すべきビンボー神さまですね。そのビンボー神さまを選ばれた九子さんも、とてもステキだと思っています。
いやいや、そんな。親戚にスーパー仲人さんが居てくれたお陰です。(^^;;
お金持ちになってもそんなに幸せじゃあない。一々もっともでなるほどと思いますが、一度くらいはお金持ちとやらになってみたいのも事実。(^^;;
でもまあ九子の場合、掃除が下手なので広いうちに住むのは嫌、かといって人が入ってくるのも嫌なのでお手伝いさんも嫌、そうなると広い新しい家に住んだところで一月もしないうちに惨憺たるありさまになりそう。(^^;;
やっぱ、今のままがいいかあ。( ^-^)
「清貧」確かに昔はよく使いましたよね、この言葉。
ペギー葉山の「青春時代」でしたっけ?「つたの絡まるチャペルで・・」って歌。あっ、お夕さんは知らないかも。めっちゃ昔の歌です。(^^;;
でも衣食足ることは大切な事で、もしかしたら「清貧」になれるのはぎりぎりまで貧しくは無い人なのでしょうか。今の時代ではみんな我慢強く無いのでそんな気がしてしまいます。
by 九子 (2009-12-23 23:21)