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年賀状2010続き [<坐禅、仏教、お寺の話>]


年賀状2010よりつづく



大本山活禅寺のホームページはそのずっと前からMugenさんが作っていた。Mugenさんの話をすると長くなるので一和尚さまと言う事にしておこう。( ^-^)



大本山活禅寺のホームページをご覧になればわかるが、Mugenさんは宗教を表に強く出さないホームページを作っていらっしゃる。美しいクラシックギターの音色が流れて(たぶんMugenさんご自身の演奏だと思うが)、仏教のことはさらっと書いてあるだけ。掲示板も同様だった。



そこへある日、九子は書きこみを入れた。甘やかされて育った頭でっかちの社会の劣等生が、他人がこわくてびくびくおどおど暮らしていたダメ人間が、いかに坐禅で幸せになったか、その見本が九子だからあなたも是非坐禅を試して見て!

まあ、そう言う体験談がそれまでまったく書かれていなかったお寺の掲示板への反発もあって、長い長い書きこみをした訳だ。



どんなに嬉しい反応が返って来るだろうかと思ってわくわくしながら次の日見てみたら、九子の書き込みはものの見事に消されていた。



今になればよくわかる。九子の書き込みがMugenさんが意図した「宗教色を表に出さない」という方針に合っていなかったからだ。



当時まだネチケットのことなんかも良くわからずにいた九子は、Mugenさんに嫌われたと思ったり、こんなに重要な情報を掲示板に載せてくれようとしないMugenさんを恨んだりしていた。



今から思えば九子が薬局のホームページを作ろうと思い立った理由は、まさにそこにあったのだ。



「雲切目薬」も、「善光寺(雲切)百草丸」も、全くと言っていいほど売れていなかった当時(^^;;、薬局のホームページを作る意味は実はあまり無かったと思う。もちろん雲切のくの字も認識されていない頃に「雲切目薬(くもきりめぐすり)」というキーワードを入れて見に来てくれる人など皆無に等しかったはずだから・・。



それでも九子はどうしてもホームページが作りたかった。九子が書きたかったのは「雲切目薬」のことでも「百草丸」のことでもなくて、坐禅のことだったのだ。



Mugenさんにあっさり消されてしまった自分の体験談を、自分のHPの上なら大威張りで書ける。

自分と同じように甘やかされて育って生きる力の弱い人間でも、坐禅をすることによって自分のことが大好きになり、胸を張って幸せに生きられるようになるんだよというメッセージをどうしても大勢の人々に伝えたかった。



この日記を書き始めてみて、あの時Mugenさんが九子の書きこみを消さなかったら今頃どうしていただろうかと九子は初めて考えた。



たぶん九子は活禅寺の掲示板に坐禅の良さをだらだらと書き続け、薬局のHPを作ろうなどとは考えなかったかもしれない。Mugenさんがすっぱりと消し去ってくれた事が今につながったのだ。



本当にそうだなあ。その時には悲しんだりがっかりしたりした事が、後になってみると生きて来る。

あの時失敗してよかった、うまくいかなくて正解だったとあとになってから感謝した事が活禅寺に入門してから数限りなくあった。



当時書いた大量の坐禅体験談は、今でも薬局のHPの一番下に「心のページ」としてリンクされている。

少し前まではもっと目立つようなリンクになっていたが、さすがに雲切目薬をお求めのお客様には胡散臭いかなあと思ってリンクを目立たなくした。(^^;;



九子の体験談は以来、ほとんど人の目に触れることなく、たまに九子がブログからリンクするだけで、今でも薬局のホームページの片隅に残されているという訳だ。

(ちなみに笠原十子ちゃんの体験というのも九子自身のことである。( ^-^))





その次の転機と思われるのがブログ、つまり今書いている「九子のダメ母の証(あかし)日記」だった。

九子は2003年の10月に始めている。今お借りしている「マイぷれす」さんというブログサイトが立ち上がって半年後位のことだ。



当時はなんと!3日に一度も更新していた!

九子は最初自分のドジ話を集めて3日に一度更新し、たぶん1年くらいで種が尽きるだろうからそれでおしまいにするつもりだったのだ。



何度も言うが九子は根っからの文系人間で、薬剤師は性に合わないことこの上ない。薬局が暇だったのをいいことに(^^;;、手紙やらメールやらは書くのが好きなので毎日のように書いてはいたけれど、さりとてまとまった文章となると子供達の文集を頼まれた時くらいしか書いた事が無かった。



それがなぜブログを?というのがこれもよくわからないのだけれど、一つは締め切りが一週間違いで二人の子供達のクラスから文集の依頼が来て、絶対に書けそうにないと思ったのが割合簡単に書けてしまったこと、「あれっ?書けば書けるんだ。」という自信がついたと言うのかな?



もう一つは、ブログを書き初めてからしばらくたった時、あるネット友達(なのかどうかもわからない人)に威張って見せたら散々どうでもいいことを酷評され、すっかり闘争心をたぎらせたせいか。(^^;;



そして最後に、今までに二冊買った「10年日記」が最初の頃こそ書かれていたが、そのうちものの見事に夢破れて雪のように白いページだらけになっていくのを眺めながら(^^;;、これに代わる「書きたい日に書きたい事を好きなだけ書く日記」が欲しくなったというのが一番の理由かもしれない。



何しろダメ母ダメ薬剤師の日記である。さすがの九子も薬局のHPからリンクさせる勇気は無かった。何しろ薬局の信用問題になってしまう。(^^;;



そこでこっそりとブログの方からのみ薬局のHPへリンクを張った。薬局からはおおっぴらにリンクはせず、ある特定のページからだけリンクしているという形を取った。今思えばそれが良かったのだ。



そのうちブログは市民権を得てますますブログを書く人々の数は増え、長いことやってる九子日記のアクセス数もわずかながらも着実に増えてきた。


その頃である。最初のうちは100件どころか100回クリックしても検索候補に上がってこなかった 「家伝薬雲切目薬/雲切百草丸の笠原十兵衛薬局」のホームページが、割合簡単な、例えば「白内障」とか言うキーワードで100件以内にぽつぽつ出てくるようになったのは!!


これを発見した時は本当にびっくりしたし、嬉しかった。しかしそれが、「九子のダメ母の証(あかし)日記」のアクセス数と関係があるなんということに当時は全く気づかなかった。



それは薬局のHPがたまに30件目位に出てくるようになった頃だった。

「アクセス数アップの方法」みたいなサイトに、常套手段としてブログを書くというのが大変有効であると書いてあるのを見つけたのだ。

検索エンジンはそのHPにリンクされている数の多いサイトを上に表示するので、ブログを書いてホームページにリンクすること、毎日確実にアクセスしてくれる読者が増えるようにブログの更新をマメにする事などが検索エンジンに見つかりやすくなり、アクセスアップにつながる秘訣と書いてあった。



九子は、単に自分の書きたい気持ちに任せて好き勝手に文章を書いて来ただけだ。

最初は自分の坐禅体験を是非とも多くの人に読んでもらいたかった。次は、自分が自分の記録代わりに楽しんで書いている物を読んで下さる方がいるというのであれば、書ける範囲でずっと書いていきたいと思っただけ。

それがアクセスアップにつながるとか、商売につながるとか一度だって考えた事はなかった。

(まあこういうカラクリがわかってからは、検索エンジンにひっかかりやすい様に小細工もしたが・・。(^^;;)





もちろん九子の力だけでここまで来た訳ではない。

一番は医療関係の著書で名高い山崎光夫先生が偶然薬局においでになり、雲切目薬の事を雑誌に紹介してくださった事。そしてそれが契機になって平成十五年の善光寺御開帳の直前に日刊ゲンダイに記事が出たこと。そういうもろもろの幸運が重なってこそである。



それでも書くと言う事でお金を稼げる時代になったのだとしたら、それはまさに九子にとって幸運という以外の何物でもない。



薬剤師の自覚など全く無い九子は(^^;;、数学の得意な九子のハトコをずっと羨んでいた。彼女は公文の先生をしていて、噂では会社重役のご主人を上回るお金を稼ぎ出していた。



たまに文章がうまいなんて誉められても文学者や小説家になれるわけじゃなし、鐚(びた)一文稼げないんだから何にもならないよね。九子はずっとそう思って指をくわえて数学科出身のハトコを眺めていた。



世の中はだんだん変わっていくものだ。そして幸運な事に九子が生きてる間に世の中は書く事で稼げる時代になったしい。



誤解の無いように言っておきますが、だからと言って雲切目薬が飛ぶように売れているという訳では決してありません。(^^;;



このあいだアクセスアップの相談窓口で「なに!アクセス数の上位に表示されてるのに関わらず、お客様が来て下さらないですと?!そういうのは、手の打ち様がありませんなあ。」と素気無く言われた。(^^;;





まあ例によってくだらない話をぐたぐたと並べてきたが、最後に活禅寺の無形大師の言葉をひとつ紹介させて頂こう。



それは「好き放題に生きよ。」という言葉である。

好き放題、つまりやりたい放題ということになるんだろうか。



もちろん禅の老師の言葉であるから、世の中で言うやりたい放題とはちと違う。



でも九子が無形大師の御提唱を直に伺った時の印象では、「法律に反する事や人の迷惑になることで無い限り、好きなことだけを好きなだけやって生きて行きなさい。」というおっしゃり方だった。

仏の教えを遵守した上でのやりたい放題という訳か。



九子の場合も確かに好き放題に書いてきたのが積もり積もって、今になってよい結果を生んでいる。



坐禅をすると、人が何を言おうがあんまり気にならなくなる。

自分の指針は他人の言動ではなくて仏様の道だから、仏の道に反する事でなければ、自分の信じる道を自分の思う通り突き進んで行く勇気が出る。



「自分がこれをやりたいと思ったら、世間の思惑だの人の噂などお構い無しに、思う通りに最後まで貫き通しなさい。お前さんのやりたいことが仏の道に外れていない限り、守ってあげるから。」

仏様としたら、きっとこういうスタンスなんだろうな。( ^-^)





九子はこの頃お寺にも行かない、坐禅もさぼっているどうしようもない仏弟子であるが(^^;;、一応活禅寺の事をブログに書いたりしてることなんかが認められてか、仏様には守って頂いている幸せ者である。





「仏さまあ~、雲切目薬のことですが~、あと5年間、二人の娘の私立薬学部の学費を捻出するためにもなんとかもう少し売れるようにならないものでしょうか~。5年だけなら九子もそれなりに頑張ってやってみま~す。でもその後は、そんなに忙しすぎて大事なお昼寝の時間がなくなるのは困るので~、またぼちぼちに戻してくださ~い!」



(^^;;(^^;;





★「好き放題に生きる」 本当の意味はもっと深いところにあるのだと思います。

  九子にはこの程度の理解しか出来ませんが、真剣に生きてるあなたならどう理解されますか?


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ちゃら

[あけましておめでとうございます]
うちはやっと本当の意味で喪が明けました。

昨年は自分の父を含めて、沢山の知り合いが亡くなりました。
その方々を思う時、あちらで楽しくやってくださいと思ってしまいます。

私は座禅もやった事がありませんし、父が自分の気持ちで寺ではなく神様に決めてしまったので、葬式も神式でした。何も分からないまま今に至っています。
きっとこれからもずっとでしょうね。

私の今のHPは放置したまま更新はしていません。
今はmixiで済ましています。
色々できるから良いかなと思っています。

私がHPを作ろうとした時は発信するものがなくて考え込んだのを覚えています。私には必要を感じませんでしたが、後で何かの役に立つだろうと考えたくらい。
人様を楽しませる事も出来ず、せめて日記だけを更新したものでした。文章を書くのって難しいなと分かったくらいかな。

ブログにしろHPにしろ、その人となりが分かるので面白いですよね。普通に生活したら絶対に会えない人と巡り合うから。
そして沢山の人脈に足を入れる感じです。
無理なく、出入りできて、束縛を感じなく、いやな思いもしないでネット生活が出来たのは、やはり運が良いからなのでしょうか。
九子さんとも巡り合いましたしね。
今年も宜しくお願いします。書き込みはあまりできませんが、楽しく読ませていただいています。
by ちゃら (2010-01-15 17:32) 

お夕

[細々とですが……]
九子さま、こんばんは。
文章を書くのが好きな人って、羨ましいです。
私自身は好きなのか嫌いなのか分からないのですが、自分の想いや考えを言葉ではっきりさせ、表現することは人間しかできないことだと思っています。
私のブログはどちらかというと、マニアックな部分が多いので、書くのにはかなり時間がかかってしまいます。自分の日常をもっと書ければいいのですが、なにせタイトルが「紋次郎気質」ですから日常からは……というか、私の生き様からは随分かけ離れております。
あんなストイックな生き方は絶対ムリです。(それだけに、魅力を感じるのですが)
それに、私の日常にはどなたも興味を持たれないだろうと思いますしね。
でも紋次郎を通して、いろんな方と交流できるのはホントに楽しいですので、細々ですが続けようとは思っています。
九子さんの貴ブログには足もとにも及びませんが、自分なりにやっていきますね。
これからもどうぞよろしくお願いします。
……因みに、私もお昼寝が大好きです。
by お夕 (2010-01-15 19:36) 

九子

[ちゃらさん!]
お父さまのことお悔やみ申し上げます。
まだまだ気持ちが落ち着かれるまでは時間がかかりますね。
ご無理の無いようくれぐれもご自愛下さい。

>ブログにしろHPにしろ、その人となりが分かるので面白いですよね。普通に生活したら絶対に会えない人と巡り合うから。
そして沢山の人脈に足を入れる感じです。

これ、まったくそのとおりですね。ネットの無い時代なら、顔も知らない人と友達になるなんてまずありえませんでしたよね。

>無理なく、出入りできて、束縛を感じなく、いやな思いもしないでネット生活が出来たのは、やはり運が良いからなのでしょうか。

私もそう思っています。ちゃらさんもきっと運がいいのよ。
ほら、いろいろあるじゃない。ネットで騙されたり嫌な思いをしたとか言う話。
ちゃらさんや私がつながってるお仲間がいい人たちばかりだから今まで良いお付き合いが出来ているのだと思います。

年末にお父様のことがあってちゃらさんも大変ですが、みんなと話してると癒されることもあると思うし、韓流ドラマもあるし。
( ^-^)

これからもぼちぼちと末永くお付き合い下さいませ。m(_ _)m
by 九子 (2010-01-16 15:29) 

九子

[お夕さん!( ^-^)]
お夕さんは、物凄く理知的な文章を書かれる方ですよ。分析的というのかしら。
それに「紋次郎の生き様」という一つのテーマに絞ってあれだけの量を書く事が出来るって本当に素晴らしいことだと思います。
緻密ではない私の頭ではとても無理です。

>私自身は好きなのか嫌いなのか分からないのですが、自分の想いや考えを言葉ではっきりさせ、表現することは人間しかできないことだと思っています。

そのとおりですね。それもある程度文明の進んだ国に住む人間にしか難しいでしょうね。それが出来ることは有り難いことなのでしょうね。

お夕さんは書く事がお好きなのだと思いますよ。そうじゃないと続けていけないと思う。( ^-^)

あっ、お夕さんもお昼寝好き?
なんだか嬉しいけど(^^;;、お夕さんの場合はフルタイムで厳しいお勤めを果たしてらっしゃるのだから疲れて当たり前。
無理せずに・・と言っても無理せざるを得ない職場でしょうけど、
たまには息抜きもしながら元気で一年お過ごし下さい。

こちらこそ今年もよろしく。( ^-^)
by 九子 (2010-01-16 15:45) 

eiko

[無形法師の言葉]
無形大師の「好き放題に生きよ。」いい言葉ですが......

好き放題に生きるって、大変です。

好きなように生きるには、前もって色んな地固めが環境整備が必要で、好きな事ができる環境を作る努力がなければ
好きな道も歩けませんからね。奥が深いですね~~~(^^)

毎度ながら九子さんのブログには感心しています。
私にはとても書けないですヨ
by eiko (2010-01-21 21:42) 

九子

[eikoさん!( ^-^)]
>好き放題に生きるって、大変です。

たしかにそのとおりですよね。私みたいになんとなく環境に恵まれて好きなことやってられる人間は本当に幸せだと思っています。

無形大師のことばは本当にはもっとずっと深いのでしょうが、何せ修行が修行ですから(^^;;、私には浅い理解しかできません。

eikoさんみたいに何事にも情熱を持って「極める」性格の人だったら、きっと今頃もっと深い理解ができていただろうと思います。

や~だ、eikoさん!
私だってeikoさんみたいなブログは書けませんよ。
言いたい事が短くまとまってて、よくわかる。
それに更新頻度だって凄いもの。

ブログはみんなそれぞれの良さがあるのだと思います。
それこそ「みんな違って、みんないい。」じゃないの?( ^-^)
by 九子 (2010-01-22 17:06) 

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