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タブー [<ちょっ暗、ダメ母編>]


この日記を、あなたが決して読むことはないとわかっているから書いています。

万が一あなたに読まれてもそれはそれで構いません。

私はこれをあなたのためにではなく、自分自身のために書く事にしました。

書かなければ私は、あの電話にこだわってばかりで一歩も前に進めないからです。



私という人間は心にわだかまりが出来ると、考えまいとしてもその事ばかりを考えてしまい、気持ちをよそに向けることが苦手です。

こういうのをうつ病親和性気質というのでしょうね。



あなたから頻繁に電話がかかるようになってから、もう一年以上になるでしょうか。

同じ病気を抱える戦友として、私は合計でたぶん100回にも及ぶと思われるあなたからの電話のひとつひとつに出来るだけ誠実に答え、またあなたの気持ちを受け止める努力をしてきたつもりです。



あなたがその間、私以外のいろいろな人にも頻繁に電話し、意見を乞うていた事も知っています。





あの夜のあなたの電話に、私は激怒しました。

あなたは、私があなたのタブーを口にして他の人の知るところとなったのではないかと疑っていました。

私は断じてそんなことはしていません。少なくとも意図的にそんなことをするはずが無いのです。





それまで穏やかな顔しか見せていなかった私の突然の急変は、あなたを驚かせたかもしれません。

私の中には間違った事を言われると憤慨して怒り出す、まあ言ってみれば潔癖な政治家の血筋が流れています。

私を疑うあなたの口調に突然それがたぎり出て、私は強い言葉とともに電話をがしゃりと切ったのです。



でも私は、その怒りこそが、自分が潔癖である証であるとあなたが理解して下さるとばかり思っていました。

だから、次の日のあなたからの電話には呆然としました。

それは私が期待していたあなたからの謝罪の言葉ではなく、絶交を告げる電話でした。



後から考えたらそれもわかるような気がします。

あなたには私の行動は「逆ギレ」と映ったのでしょう。

あなたの周りでかつていろいろな人たちがキレてあなたに迷惑が降りかかったという話をあなたから幾度と無く聞きました。



私は確かに「キレタ」には違いないかもしれませんが、私にはキレルだけの正当な理由がありました。

でもあなたには、突然の逆ギレは真実を捻じ曲げるための小道具であったと映ったのかもしれませんね。

あなたのタブーを言いふらしたと言う「事実」を、キレることによって隠そうとしたという風に・・・。

かつてあなたを苦しめたという人々がそうしたように。



私がそういう人々と違うと言う証拠に、私の態度が引き金になってあなたに最悪の事がおこってしまったらどうしようかと、正直気がかりだったんですよ。



私の中のあなたへの怒りの大部分は、もちろん自分に何の落ち度も無い事を責められた事でしたが、もうひとつはたぶんこれは怒りではなく悲しい、悔しい、情け無いといった気持ちになると思いますが、この一年間、最初は突然かかってきた一本の電話を皮切りに、昼夜を分かたず頻繁にかかってくる長時間の電話に出来るだけ誠実にお答えし、あなたの不安を鎮め、なるべく前向きな解決策を考えて差し上げたつもりでしたが、それがこういう形で、結果的にはあなたの怒りを買うだけの形で終ってしまった事です。



あなたは「もしも迷惑だと思ったら電話を切ってください。迷惑だと思われながら電話されるのは心外です。」といつもおっしゃいましたが、それは言われるほど簡単な事ではありませんでした。

特にあなたが私と同様の心の病気をお持ちで私を頼って電話してきて下さった以上、私の拒絶があなたの心に与える影響を考えない訳にはいきませんでした。

今思うと、やはり電話をして欲しくない時にはきっぱりと断るべきだったのかもしれません。





活禅寺の無形大師は今更ながら偉い方でした。「誰かの犠牲になってはいけない。」と説かれました。

最初は宗教家にあるまじき言葉のように思いましたが、

『「自分を殺して他人に尽くす」、つまり誰かの犠牲になることは、いつかほころびが生じた時に「私はこんなにもあの人のために尽くしたのに、あの人はこんな事もしてくれない。」という恨みの気持ちが起きる。

だから、自分を生かし、相手も生かすような道を考えよ。』という実に的確なお教えでした。



私の心の中には案の定、「あんなに親身になって相談に乗ってあげた結果がこれ?」という虚しい気持ちが渦巻いています。



もしも聞きたくない時には電話を上手にお断りしていたら、つまり犠牲がもっと少なければ、こんな気持ちにならなくてすんでいたのかも知れません。





あなたのタブーは、実は実体の無いものですよね。



タブーという言葉を「オウム信者」と置き換えてみましょう。

あなたがもしもオウム信者で、それを隠していて、私が「あの人はオウム信者です。」と言ったとしたら、これは私が悪いと責められても仕方ないでしょう。



でもあなたはもちろん「オウム信者」ではありませんよね。だから私が「あの人はオウム信者ではありません。」という事は、そんなに責められねばならないことでしょうか?



万が一私があなたのタブーを不用意に口にしてしまっていたとしたら、そういう言い方をした時の記憶しか思い当たりません。



しかもあなたは私以外のいろいろな人々にも同じ様に相談されていましたよね。それならばあなたが相談した相手の人は、当然あなたについてそのことも含めて知識があると思ってしまうのは仕方がないのではないですか?



私はもちろんあなたのタブーを、というか、あなたの実体の無いタブーを、その人が知っているものとしてお話しました。あなたから口止めをされた記憶は一切ありません。



もしかしたらあなたはどこかで口止めに相当する言葉を私に言っていたのかもしれません。

あなたからの電話は時々とても聞きづらくて、あなたが何を話しているのかさっぱり判らない事がたびたびありました。



そうだったとしたらその事自体は申し訳ないけれど、それはもう誰のせいでもないどうしようもない事でしょう。





言葉と言う物は、口を出た瞬間にいろいろなところに飛んで行きます。そしてなおかつ、あなたが思ってもいなかったようないろいろな形に化けてしまうのです。

相手の受け取り方次第で、良い言葉が悪い意味に使われ、いろいろな色がついて、さらにまた別の人に伝わります。



一旦口に出してしまった以上、その言葉を最初に口にした人がすべての責任を負うべきだと思います。

それを聞いた人がその言葉をどう解釈し、どう脚色し、どう別の人に伝えたかという事は、意味をなさないのです。

言葉が独り歩きしてしまったからといって、誰かを責めるのは論外です。言葉と言う物はもともとそういうものなのですから。それが嫌なら、タブーは不用意に口に出すべきでは無いと思います。





電話から三日がたちました。

あなたからの電話を勝手に切ってしまったのは私ですから、今更あなたの怒りが何であったのか、本当のところを聞きたいなどと思っても、それはもう無理な事です。





でもこれを書き終えて私はやっと胸の痞えがとれたような気がします。



情け無い話ですが坐禅で気持ちは充分楽にはなっても、あの電話の事が頭から離れる事はありませんでした。

もっと修行をつんでいたら、どんな事が起こっても泰然自若としていられたでしょうに・・・。

つくづく自分はお寺の修行も、人生の修行も足りない未熟者だと反省させられました。





今度の事で、私はまた怠けていた坐禅をもう少し熱心にやり直そうと思っています。

そしてあなたも、今度は移ろいやすい他人の言葉などを拠り所としないで生きていって欲しいと思います。



あなたとはしばらくお会いしてもお話する機会は無いと思いますが、近い将来あなたが私の気持ちをわかって下さる日が来る事を願っています。


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コメント 4

轟 拳一狼

[相談ってのは・・・]
大変でしたね。よくある話ですけど。

私ももしかしたら結構潔癖症なのかもしれませんけど、子供のころに受けた屈辱がいまだによみがえることがあります。ちょっと病気なのかもしれませんね。
私は無理に鎮めようとはしていません。それもまた私だと観念しています。

この記事だけではなかなか詳細がつかめないですし、私もそんなにえらそうなことを言うこともできないし、またそうするつもりもありませんが、相手のお方も、九子さんのこのブログのように、どこか吐き出せる場があれば、また違うのかもしれないなあと、素人目に考えてしまいました。
夏目漱石も、元は精神病の治療の一環として、小説を書き始めたそうですね。相手の方も苦しんでおられる中で、自分の気持ちのやり場に困っておられて、九子さんに甘えたいという気持ちから、そのような挙に出られたのでしょうか。

私は幸いなことに、よっぽど頼りがいがない人間だと思われているようで、誰一人としてそのような相談を持ちかけてくれる人はいません。持ちかけられても事実、ろくに乗ってやれないのですが。
いや、もしかしたら自分で気づかないうちに、それとなく持ちかけられていたこともあるかもしれません。それとなくではなく、結構露骨に訴えられていたこともあるかもしれません。でもそのたびに連れない態度を私はとっていたかもしれません。それが私をして「頼りがいのないやつ」と他人に思わしめている可能性はあります。
基本的に、「あっしには関わりのないこと」「他人は他人、あっしはあっしと思っておりますので」という紋次郎主義に近いものを、私は持っておりますので。

確かに私のようなもんだと、九子さんのような悩みは一切経験することなく暮らせます。それは楽ですけど、それはそれでさびしいものですけどね。
九子さんと違い、私は他人に自分の心を「わかってもらいたい」とも思いませんし、他人の心を「わかりたい」とも思わないですし、その両方とも可能とは思わないのですけど、そう生き方は孤独です。孤独を愛しながら、人を愛することは、結構難しいものです。
結局は人はみんな孤独でありながら、それを認めたくなくて、誰かに、もしくは何かに甘えようとするのだと、私は思います。
「オウム真理教」の信者も、結局はそういうところに帰結していくものだと思いますよ。彼らもわれわれと何も変わらぬ、ただの迷える者たちだったに過ぎません。でもその「甘え」が、暴走を生みます。時には自分で暴走し、時には甘えの対象を、みんなの甘えに答えようとさせて、暴走させます。
「人はみな孤独である」ということを認識することから、すべては始まるのではないかと、私は考えています。

とにかく、九子さんのお心が早く平穏を取り戻せるよう、祈っております。
by 轟 拳一狼 (2010-03-01 07:18) 

九子

[拳一狼さん!( ^-^)]
こんな日記にコメントお寄せ下さって本当に有り難うございました。感謝です。m(_ _)m

>相手のお方も、九子さんのこのブログのように、どこか吐き出せる場があれば、また違うのかもしれないなあと、素人目に考えてしまいました。

言われてみるとそうですねえ。そういう場が無い人かもしれません。

>九子さんと違い、私は他人に自分の心を「わかってもらいたい」とも思いませんし・・。
拳一狼さんらしい男らしい生き方ですね。
私は女々しいので、というか、もしかしたら育ってきた環境とか、生まれながらの性格の影響で、人一倍いい子になりたがる人間のようです。
群れるのを好む人間では無いのですが、いざと言う時に後ろ指さされるような真似だけはしたくないと望む気持ちはいつもあります。

>「人はみな孤独である」ということを認識することから、すべては始まるのではないかと、私は考えています。

本当におっしゃるとおりです。
大勢の人の中で住んでいるといつのまにか一体感が生じて、それがまた一人になる時、最初から一人の時とは違うさびしさを味わうものなのかもしれません。
でも「人間孤独が基本」と納得できればいいという事ですよね。

お気遣い頂きまして本当に有り難うございました。
お会いした事も無い拳一狼さんに温かい言葉をかけて頂き、ネット社会もいいものだなと優しい気持ちになることが出来ました。
m(_ _)m
by 九子 (2010-03-01 21:52) 

bsl

[逆に]
世界中のすべての人と仲良くなるなんて、ムリ!!って
割り切ってしまえば楽かも?です。

天使なんかじゃない
Let it be.

なんか色々書いたけど、もしもその人が読んだら傷つくな。
と、思ったので消しました。

ちょっとした行き違い。誰も悪くない。
別々の道を歩むことになった。
ただ、それだけ。
by bsl (2010-04-08 03:47) 

九子

[bslさん!( ^-^)]
コメント有り難うございます。

>世界中のすべての人と仲良くなるなんて、ムリ!!って
割り切ってしまえば楽かも?です。

そうなの。わかってるんだけど、昔からいい子ちゃんだったのでついつい嫌われたくない病がでるんだよね。

一応ウツ病持ちなんで、医者から「不義理をして生きなさい。」と言われて、以来あんまり無理しないようにはしてるんだけど・・。
難しいですね。性格はそんなに変わりません。(^^;;

>ちょっとした行き違い。誰も悪くない。
別々の道を歩むことになった。
ただ、それだけ。

本当にその通り!こんなことってよくある話なんですよね。
またご縁があれば復活する。きっとそう言う事だろうと思っています。

有り難う。コメントはいつも嬉しいけれど、特にこの日記を選んでコメントして下さったこと、感謝です。
これからもよろしくね。( ^-^)
by 九子 (2010-04-08 16:17) 

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