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なぜ日本人はかくも幼稚になったのか [<九子の読書ドラマ映画音楽日記>]


20年後の世の中で九子がまだしっかりと自分の足で大地を踏みしめ歩いていられるように・・というのが、何を隠そう怠けもので運動嫌いの九子の最近の目標である。

そのために、直近の○ックオフまで、あるいはそこから、(つまり片道(^^;;)歩いてみるのは格好の運動になる。

それがある程度の頻度で繰り返されさえすればの話であるが・・・(^^;;



連休中に何ヶ月ぶりかで歩いて○ックオフへ行った。そして見つけたのがこの本だった。なぜ日本人はかくも幼稚になったのか (ハルキ文庫)の画像

福田和也という名前に聞き覚えはなかったが、老舗の角川文庫とは別枠で何かとお騒がせの角川春樹氏の名前を冠したハルキ文庫から出ていたのがいささか気にはなった。

その気掛かりは現実のものとなり、とびきり刺激的な第一章をいきなり読んで九子はのけぞった。



この本が出たのは1996年。関西大震災やらオウム真理教団による前代未聞の凶悪犯罪がまだまだ人々の記憶になまなましかった頃のことだ。



そして第一章にとりあげられたのが、先日時効が来て「オウム真理教の犯罪と思われる」という異例の警察発表で物議をかもした國松警察庁長官狙撃事件の國松孝次氏だった。



福田氏は國松氏に、出勤のために自宅を出た直後に狙撃されたのは「不覚」だと言う。不覚とは、油断して失敗することだ。


治安の最高責任者たる警察庁長官は、どんな事情があっても狙撃されてはならない。狙われて瀕死の重傷を追ってはならない。

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なぜ日本人はかくも幼稚になったのか

なぜ日本人はかくも幼稚になったのか

  • 作者: 福田 和也
  • 出版社/メーカー: 角川春樹事務所
  • 発売日: 1996/12
  • メディア: 単行本



福田氏の言葉は厳しい。サムライは恥辱を抱えながら生きられない。だから、國松長官は名誉のために死を選ぶべきであったという、はなはだ時代錯誤な結論を圧倒的な筆力で述べたてる。



う~ん、そこまで行くとちょっとねえ。



福田氏はそういう読者の反応をちゃんとわかって書いている。

その証拠に、この本の後書きで彼はこう述べている。


私の議論は万人に受け入れられるものではありません。
おそらく百人いらっしゃれば九十八人か九十九人の人々が拒否反応を示されると思います。
でも、残りの一人か二人の方には、賛同していただけるかどうかはともかくとして、強い印象を与え、色々なことを考えていただけるのではないかと思います。
私は今まで、そのような一人か二人の方に向かって書いてきましたし、これからもそうしていこうと考えています。
国の歴史は「多数決」によって変わるのではなく、責任と見識のある一にぎりの方々の情熱と献身によって変わるのだ、と信じていますから。


この人の言葉は、全体としてはとても受入れがたいものではあるが、一文一文を詳しく読むとなるほどと思わされる部分もある。



たとえば「歴史の「共有」なんてできるわけがない」と題された次の部分。


歴史というのは、その歴史に属する民族や国民が、自分たちが生きていく上での了解として必要な、大きな物語のようなものです。
その物語をよすがとして、世界各地の民族が、自分たちがどこから来て、何をし、何を信じてきたのか、今どこに居て、これからどこへ行こうとしているのかを考えてきたし、これからも考えるのです。
歴史というのは、けっして抽象的な「事実」の羅列ではありません。


そして話題は桃太郎の民話に移り、日本人がたわいもなく可憐な物語と感じる桃太郎の話を、韓国の人はそれこそが「侵略的」と感じるという件になる。



そして福田氏は更に言う。


日本人が「可憐」だと思い、韓国の人たちが「侵略」だと思う。そのような違いは当然のことであって、そのどちらが正しいとか、悪いとか、価値があるとかないとかというものではない。
 ただ、肝心なことは、日本人にとっては、可憐であるという感じ方が、自分たちのものであるということ、先祖から受け継いできたものであるということです。
 この感じ方は、簡単に分析することも、抽象することもできない、それこそ私たちの歴史の底にある、分厚く、確固としたものなのです。それは、少なくとも私たちにとっては、きわめて大事なかけがえのない、それをなくしてしまえば自分が自分であるような根の部分をなくしてしまうものなのです。
 このような感性をもとに、歴史というのは形作られています。ですから、利害、損得といったことをぬきにしても、異なった感性を持っている二つの国民や民族が、歴史を共有できるわけがないのです。


その後はご想像のとおり、日韓の歴史共有会議の話になり、氏が嫌悪する「いい人」や「善意の学者」たちがいかに韓国の主張に屈服あるいは同調して日本に不利な結論を導き出すか・・・という彼の右翼的論法に読者を導くわけなのだが・・。



まあ九子の思想というのも(そんなのがあればの話だが・・(^^;;)、保守系無所属の長野市会議員を40年も勤めた父親の影響を少なからず受けて若干右よりかもしれないので、福田氏の危ない部分を巧妙に取り繕ってるのかもしれないとも思う。



ただ、人間は誰も皆、生まれ落ちた家庭、生きてきた背景、教育とか経験とか運命とか、ありとあらゆるものによって影響を受けながら自分の思想というものを形作っていくわけで、そういう意味で福田氏が言わんとする歴史の独自性というのは説得力があったし、新鮮でもあった。





ところで先程も出てきた福田氏が嫌悪する「いい人」であり「善良な人」が、この頃物議をかもしている。

「いい人、善良な人が日本をダメにする」と言う福田氏の長年の主張は、彼が未来を予見していた言葉なのかな?という気さえする。もちろん鳩山総理のことだ。



鳩山内閣が出来たとき、九子はとても期待した。自民党の世の中で何十年も連綿として変わらなかったものが変わってくれそうな気がした。みんなそうだったと思う。

理系総理というのもなんだか期待がもてた。



ところが普天間基地の問題を初め、総理の言葉は二転三転する。

長いことアメリカで暮らしていたはずなのに、"trust"という言葉の重みもわからない人だったとは・・・。



先日も「海兵隊が抑止力として沖縄に存在しなければならないとは思っていなかった。実際に見学して学べば学ぶほどわかってきた。」という趣旨の発言をされて、腰が抜けるほどびっくりされた方も多かろう。



彼は本当に正直ないい人なのだ。

そして考えてみたら彼は理系人間だった。



文系人間にとって知らないことは恥である。論陣を張るにしても情報をどれだけ持っているか、頭の中にどれだけの知識が詰め込まれているかで勝負が決まる。



「龍馬伝」を見ていても、あの時代に坂本龍馬が自分の足で日本国中を歩きまわって見た、得た知識だったから信用されたのだ。「わしがこの目でまっこと見てきたき。」 というのが一番強い。

(★九子は最初テレビドラマの龍馬がいかにも言いそうに思えて「わしがこん目でまっこと見てきたぜよお。」と書いたのですが、高知生まれの活禅寺のmugenさんに確かめた結果、上記が正しいそうです。ドラマの中の土佐弁は、高知生まれの広末涼子さんと島崎和歌子さん以外アクセントが正しくないそうですよ。特に広末さんのは綺麗な土佐弁でお薦めとか・・。( ^-^))



ところが理系の世界は様子が違う。自分の専門とする分野においてはある程度の知識は要求されるだろうが、決して知らないことが恥ではないのだ。知らないこと、わからないことを探求して、新しいなにものかを得ることが彼らのゴールである。



ノーベル賞を受賞した益川教授が’I can not speak English.’と高らかに宣言されて堂々と日本語で講演されたのを見てもそれがわかる。



つまり理系人間の鳩山さんにとって、「知らなかった。」という言葉を使うことは恥でもなんでもなかったのだろう。素直に気持ちを吐露されただけのことなのだ。

一国の総理大臣の立場としてそれはどうか・・・と言うのはまた別問題として・・。





なぜ日本人はかくも幼稚になったのか。

福田氏が言う幼稚とは、大人ならば、責任を持って見据えなければならない、避けて通ってはならないことを、見ないですましているという意味だそうだ。

だんだん福田氏の術中にはまりそうな予感がしてきたが、軍備の問題がもちろん想定されてるわけだ。



氏は日本人は小粒になったとも言う。こっちのほうは九子でもそう思う。

生きていく事自体が厳しかった時代を生きた親たちの人生を超えられる人間になれるはずもないし、そう考えてみると有史以来、人間は便利になるのと反比例してだんだん小粒になる一方なのかもしれない。



今の日本の草食男子が戦争に行ったらどうなるかは考えるだけでおぞましいが、草食ならば草原で、のんきにゆったり生きられるような道を探ってもらうしかない。



小さなやつらが角つきあわせて議論しながら結果を出していく、つまりが日本人得意の「和」をもってすれば、草だけ食べて育っても、みんなが集まりゃあ群れの威力で立派な角持った荒くれ牛に化ける・・・・かもよ。(^^;;



◎「コメントも含めてblog」 awayさんからお借りした言葉ですが、今回特にコメントもお読み下さい。

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三ねんせい

[歴史の共有]
日本人が幼稚になったのは私も感じています.かつて東京に出て来て「東京人は幼稚だ」と感じたのは信州vs東京の問題でなく田舎vs都会の問題だったかも知れないと,いま考えてます.都会人の方が先に幼稚になり,それが田舎へ波及していったのでしょう.

福田さんの考えに同意できないのは,あまりにも「国家」という概念にこだわっているところです.本を読んだわけではありません.九子さんの記事で知る限りの感想です.
民族と国家とは同じではありません.クルド人の歴史は?ホピ族の歴史は?
民族ごとに固有の歴史があることは認めるとしても,それを超えた人類の歴史というものがあり得るんではないでしょうか?
私たちにも,日本国などというものが存在しなかった大昔から縄文文化という素晴らしい文化を築いてきた先祖がいます.
by 三ねんせい (2010-05-13 17:33) 

九子

[三ねんせいさん!( ^-^)]
お忙しいのにコメントを頂戴し有り難うございます。m(_ _)m

>都会人の方が先に幼稚になり,それが田舎へ波及していったのでしょう.
ああ、そういう事だったんですね。

>民族と国家とは同じではありません.クルド人の歴史は?ホピ族の歴史は?
ホピ族というのは始めて知りました。wikipediaで読んでなんとなくわかったような気になっています。

>民族ごとに固有の歴史があることは認めるとしても,それを超えた人類の歴史というものがあり得るんではないでしょうか?

三ねんせいさんに仰っていただいて、目が覚めたような気がします。
そうですね。もっと広い視野に立った見方が必要なんですね。

福田氏の言う「国家」というのは、きっと人の手の加わったというか、誰かが無理やりまとめようとしてまとめた集合体なんでしょうね。そこが、自然に、血のつながりを同じくする者が集まって出来た民族との違いなのでしょうか。

三ねんせいさんにはいつも教えていただく事ばかりです。これからもよろしくお願い申し上げます。m(_ _)m
by 九子 (2010-05-13 22:13) 

eiko

[面白い!!桃太郎]
桃太郎の話で”可憐”や“侵略”とあるのが面白いですね~
鬼退治にお供をしたのは、犬と猿とキジ

これは、亥 から始まる12の干支から生まれた童話で鬼の角が 丑 で鬼のパンツ模様が 寅と聞いてます。そして、退治する戌と申と酉は、相反する干支とか。 童話の中に方位が組み込まれているのに感心した話なので覚えています。

読む人によって受け止め方は千差万別なんですね。

それから「いい人! 」 それは戦後、米国に負けた日本人と思います。 なぜなら、韓国では、豊臣秀吉に侵略された過去の歴史が、今も子々孫々にまで残され反日感情が消えていません。それに引き換え、日本は米国に対して、韓国ほどの反米感情を持っていないのが不思議ですね~ 

戦争に負けて沖縄を取られ、やっと返還してもらったのに未だに米国の言いなりのような気がして、これに草食系の小粒が増えると、ますます困った問題よね~九子さん
by eiko (2010-05-14 16:27) 

九子

[eikoさん!( ^-^)]
お忙しいのにいつもコメント有り難う!( ^-^)

>これは、亥 から始まる12の干支から生まれた童話で鬼の角が 丑 で鬼のパンツ模様が 寅と聞いてます。そして、退治する戌と申と酉は、相反する干支とか。 童話の中に方位が組み込まれているのに感心した話なので覚えています。

えっ?そんな意味があるんですか?知りませんでした。いつも思うけどeikoさんは物知りですね!

>韓国では、豊臣秀吉に侵略された過去の歴史が、今も子々孫々にまで残され反日感情が消えていません。それに引き換え、日本は米国に対して、韓国ほどの反米感情を持っていないのが不思議ですね~ 

やっぱり日本人はお人よしなんじゃないのかなあ。熱してもすぐ冷めるもんねえ。(^^;;

>戦争に負けて沖縄を取られ、やっと返還してもらったのに未だに米国の言いなりのような気がして
確かにアメリカの言いなりだけど、今回の場合はアメリカより何より、鳩山さんの方針がふらふらしてるもんねえ。
鳩山さんも絶対におじいちゃんより超超小粒よね。(^^;;
by 九子 (2010-05-14 23:45) 

轟 拳一狼

[歴史ってのは・・・]
私の歴史学の師匠は、もともと理系のひとでした。突然何を思ったか歴史学をやりたいと思い、大学を入りなおして、世界的な学者にまでなった人です。
その師匠がこんなことを言ってました。
「歴史学には、理系的考えが必要なんだよ。」
その意味を納得するまで、私は少し時間がかかってしまいました。

「文系人間にとって知らないことは恥である。論陣を張るにしても情報をどれだけ持っているか、頭の中にどれだけの知識が詰め込まれているかで勝負が決まる。」

 私の知り合いの学者さんは、「知らないことは恥じゃない。知らないことは知らないと認めればいい。」と堂々とおっしゃっていましたよ。

「知らないこと、わからないことを探求して、新しいなにものかを得ることが彼らのゴールである。 」

それもまったく文系も同じです。私だってそうやって歴史を探求していましたし、それは学問を離れた今もそうですから。
結局「文系」「理系」と分けること自体がナンセンスなんでしょうね。星占いくらいの意味はあるかもしれませんが。「学問」に違いはありません。

さて、歴史学を探求していると、結局はひとつの事実に突き当たります。
「国家」というのは人間が恣意的に作ったくくりだというのはすごく簡単に理解できると思うのですが、「民族」は血縁地縁により自然と存在していると、思いがちですよね。でも結局は「民族」もまた、政治的・恣意的に作られた産物なんです。結局歴史学の目的は、それを立証するようなものかもしれません。
これもまた、例の理系出身の師匠が言っていたことなんですけど。

私の前回のコメントに対する九子さんのお返事が、図らずも典型的な例になっています。私がいろいろな事例を出して、「日本人に含まれるか」という問うたのに対し、結局は九子さんは明確な答えを導き出せませんでした。その一方で、「日本人は隠したがる」という私の指摘に対しては、それが日本人特有なものかどうかはわからないとおっしゃりました。
結局、自分が理想とするものに対しては「日本人」のレッテルを貼り、そうでないものに対しては「わからない」と逃げ、恣意的に「日本人」という民族を作り上げています。
日本人というのも、大陸から移動してきたさまざまな人々が無数の混血を繰り返しながら今に至っているのが現実です。大陸の人たちとはほとんど変わらぬDNAを持っているとは、科学の証明するところだそうです。
結局「日本人とは何者か」なんてもの、だれにも証明できないんですよ。だって恣意的に作られたものなんですもの。これは理系の人間にも無理です。民族の違いなんて、結局星占いほどの意味しかないんですよ。

ユダヤ人なんか、政治的な産物の典型ですね。あれは「ユダヤ教徒」ならみんな「ユダヤ人」になってしまうんですね。

長くなるので、いったん切ります。
by 轟 拳一狼 (2010-05-17 00:50) 

轟 拳一狼

[歴史ってのは・・・2]
坂本竜馬がすごいのは、幕末の時代に「日本」を口にしたことです。幕藩体制の下では、「日本」というものはないに等しい状態でした。少なくとも庶民レベルでは、だれも自分を「日本人」だとは思っていませんでした。「○○村のだれそれ」と名乗っていました。
そんなときに「日本」の団結を口にしたのだから、当時としてはかなり革新的な考えだったのでしょう。長州と薩摩を手打ちさせて、江戸幕府に対抗させようとしたのなんか、今にたとえれば、日中韓を同盟させて、アメリカの一極支配を打ち砕こうとしたのと同じくらいのインパクトがあったと思われます。
もし今の世に坂本竜馬がいたのなら、鳩山政権のブレーンとして、「東アジア共同体」構想の実現に奔走していたかもしれません。

また逆の発想も予想できます。彼は極端なへそ曲がりだったのでしょうから、「これからは地方の時代ぜよ!」などと言い出していたかもしれません。それも村おこしに携わるだけではなく、国家を跳び越して、日本の市町村と海外の市町村の連携なんてものを画策していたかもしれません。
いずれにせよ、「日本」という国家や「日本人」という民族の枠にとらわれるような、ちゃちな考えは起こさなかったでしょう。最近の新党ブームではとかく「日本」ばやりですけど、坂本竜馬はそんな「幼稚」な男ではなかったでしょう。

私は少し前に、こんな文章を書きました。

「洋の東西を問う」
<a href="http://blogs.yahoo.co.jp/zolotvolkov/57593052.html">http://blogs.yahoo.co.jp/zolotvolkov/57593052.html</a>
「血塗られた記念日に愛を叫ぶ」
<a href="http://homepage3.nifty.com/ken1ro/texts/others17-1.html">http://homepage3.nifty.com/ken1ro/texts/others17-1.html</a>

一応歴史学の持つ役割を知ってもらうために、ご一読いただければと思います。
by 轟 拳一狼 (2010-05-17 00:51) 

三ねんせい

[民族は血縁とは違う]
国家と民族とは同じでないとコメントしたことにつぎのとおりお返事いただきました.
>自然に、血のつながりを同じくする者が集まって出来た民族

人種と民族ともまた違うので,これがちょっと気になってコメント返ししようか迷っていたら轟 拳一狼さんが書いて下さいました.
>結局は「民族」もまた、政治的・恣意的に作られた産物

私も轟さんと同意見です.私たちは「日本民族」と思ってますけど,血統的には縄文人と弥生人が同じかどうか未解決ですよね.しかもそれよりあとの時代に「渡来人」 (これも妙な概念で,渡来じゃない日本人がいるのか?) と混血したり,ごちゃごちゃです.

私自身のことを言うと,父方の祖先は武家,母の父方の祖先は武家だけれど関ヶ原で負けた落ち武者,母の母はアメリカ国籍から日本国籍になった人です.アメリカ人という民族とか人種とかあるわけもなく,母の母方を遡ればヨーロッパのどこかというわけです.
私の国籍は戸籍でも見てもらったら日本だと確認できるけれど,さて,私の人種は?私の民族は?
国家,民族,言語,人種,これらを混同するのは恐ろしいことです.私だってユダヤ教に改宗したら明日からでもユダヤ民族になれます(笑)
by 三ねんせい (2010-05-17 11:38) 

九子

[拳一狼さん!( ^-^)]
いつもいつも九子の知らないいろいろを教えて頂き、誠に有難うございます。m(_ _)m 教えて頂いたブログもしっかり読ませて頂きました。

文系理系というのは、そもそも九子が抱いているイメージですから、本当のところは違うかもしれません。
>「文系」「理系」と分けること自体がナンセンスなんでしょうね。
もちろんそうなのかもしれません。

>「民族」は血縁地縁により自然と存在していると、思いがちですよね。でも結局は「民族」もまた、政治的・恣意的に作られた産物なんです。結局歴史学の目的は、それを立証するようなものかもしれません。

これは盲点でした。なるほど。歴史学を専攻された拳一狼さんならではのご指摘ですね。でも、そう言われてみると納得します。


>日本人というのも、大陸から移動してきたさまざまな人々が無数の混血を繰り返しながら今に至っているのが現実です。大陸の人たちとはほとんど変わらぬDNAを持っているとは、科学の証明するところだそうです。

DNAに変わりがないのですか!!それはびっくりです。

ただ私は、なんとなく万民がイメージしている日本人らしさってありますよね。中国人や韓国人、アメリカ人、ドイツ人、フランス人、イギリス人、みんなそれぞれの特性があって、それをなんとなくみんながそれぞれの国の気質と言う風に受け取っていますよね。

私が「日本人」という時、真っ先に想定するのはそういう日本人らしい気質を持った人々という意味で、だから民族とかどうとかの事を聞かれても「よくわからない」と言うのが本当に正直なところなのです。

でもこうして拳一狼さんがコメントを寄せて下さるおかげで、いろいろなことを学んだり、考えさせられたり出来るのは本当に有り難いと思います。

>坂本竜馬がすごいのは、幕末の時代に「日本」を口にしたことです。幕藩体制の下では、「日本」というものはないに等しい状態でした。少なくとも庶民レベルでは、だれも自分を「日本人」だとは思っていませんでした

これもびっくりしました。でも言われてみると「ああ、そういうものかもしれないなあ。」と思います。

 >歴史学とは、いまや常識となってしまった歴史の見方に対し、「違う見方もあるんじゃないの?また違った解釈も可能なんじゃないの?」と突っ込みを入れ、新たな視点から歴史を作り直すのが、最大の目的なのである。それにより、人間生活に新たな地平を開くことができるのである。

上の言葉は拳一狼さんのHPの「血塗られた記念日に愛を叫ぶ」からの引用です。

こういう見方をすれば、歴史ってとても面白いのかもしれませんね。

拳一狼さん、有難うございました。m(_ _)m
by 九子 (2010-05-18 11:44) 

九子

[三ねんせいさん!( ^-^)]
>民族は血縁とは違う
拳一狼さんと三ねんせいさんに同じ答えを頂きました。民族というのは、誰かが勝手に作ったものなんですね。びっくりです。

>私たちは「日本民族」と思ってますけど,血統的には縄文人と弥生人が同じかどうか未解決ですよね.しかもそれよりあとの時代に「渡来人」 (これも妙な概念で,渡来じゃない日本人がいるのか?) と混血したり,ごちゃごちゃです.

私知識が乏しいので、縄文人と弥生人がおなじかどうか議論になっていることすら知りませんでした。m(_ _)m

誰だって何百年、何千年前の先祖の事などわかりませんから、ずうっと先祖代々少なくとも日本の土地には住んでいると思っていますが、そうであるかそうでないかなんて誰にもわからないのでしょうね。

もしかしたら、だからこそ、領土を主張したり、国益を守るために
歴史が必要だったのかもしれませんね。

三ねんせいさん、お忙しいところ有難うございました。勉強になりました。m(_ _)m
by 九子 (2010-05-18 12:23) 

三ねんせい

[民族と人種,そして国家など]
私は歴史学を学んでないのですけれど,いろいろ悩んで素人なりに考えています.国家,民族,人種はそれぞれ違う概念です.私の考えでは,人種というのは生物学的な概念で,例えばDNAを分析すればわかるような,血統とか血縁とかに結びつくものです.
それに対して,民族というのは文化的な概念で,血統ではなく,言語や信仰や風俗習慣などを共有する集団だろうと思います.DNAではわからず,結局は当人の申告で決まることかなあと思ってます.文化を共有してるという意識だけが「民族」の支えじゃないでしょうか.
人づてに聞いた話で真偽は確かめていませんが,現在の漢民族は,人種的には漢や唐の時代の漢民族と違うものになってしまっているとか.
ところで,民族を純粋な血縁と見るのは近代のことと思っていたら,なんとローマ帝国の時代にゲルマン民族の人種的な純粋性がいわれている礼があるそうで,私もびっくりしました:
<a href="http://ameblo.jp/asulos/entry-10539683449.html">http://ameblo.jp/asulos/entry-10539683449.html</a>
by 三ねんせい (2010-05-22 18:06) 

九子

[三ねんせいさん!!m(_ _)m]
何度もコメント有難うございます。
アジルさんのブログ見せていただきました。
三ねんせいさんのご友人だけあって、格調高いブログを書かれる方ですね。九子は自分の周りの半径数キロで毎日生きているだけの人間ですが、世の中には広い視野で生きている方々がたくさんおいでになるという事を知ることが出来るだけでも、ブログを書いていて良かったと思います。( ^-^)

>それに対して,民族というのは文化的な概念で,血統ではなく,言語や信仰や風俗習慣などを共有する集団だろうと思います.DNAではわからず,結局は当人の申告で決まることかなあと思ってます.文化を共有してるという意識だけが「民族」の支えじゃないでしょうか

確かに人種とは違うだろうと言う感じはします。「文化を共有しているという意識だけが民族の支え」とおっしゃるのも信憑性があります。例えば琉球民族が日本人という民族に含まれるか否かというのは、当事者の沖縄の人々の気持ち一つにかかっているというあやふやさというか、危うさがありますよね。でもその危うさがあるところが尊いのかなあと思ったりしてしまいます。

でもアジルさんのお話ではないですが、大昔から人間は純粋な物を
崇めていたのかもしれませんね。生き抜くためにはそういう事が必要だったのでしょうか?

貴重なお話、有難うございました。m(_ _)m
by 九子 (2010-05-23 12:38) 

三ねんせい

[訂正など]
誤:いわれている礼があるそうで,
正:言われている例もあるそうで,

すみません.つまらぬ誤変換を見落としました.

「純粋な」民族というような考えに頼らずに生きていけるようになりたいものです.文化を継承するのに血統は必要ないです.
小布施で日本酒の醸造してるアメリカ人がいますよね.日本人以上に日本の伝統文化を大切に守ろうとしている,それは人種とか血統とかに関わりないことです.
by 三ねんせい (2010-05-23 19:06) 

九子

[三ねんせいさん!( ^-^)]
何度も有難うございます。私など間違うのが習慣みたいになっていますので、どうぞお気遣い無く。m(_ _)m

>「純粋な」民族というような考えに頼らずに生きていけるようになりたいものです.文化を継承するのに血統は必要ないです.

仰るとおりです。日本もアメリカみたいに雑多な人種のるつぼだったら、もう少し囚われない考え方が出来たかもしれません。

>小布施で日本酒の醸造してるアメリカ人

同じ人かわかりませんが、須坂の酒造場の確か社長になった美人のアメリカ人が居ます。そこの日本人の跡継ぎさんと結婚すると思いきや、私の英語の先生だった人の友人のアメリカ人と結婚してしまったという話を聞いています。

まあそれはともかく(^^;;、人種などという狭い考えに囚われずに、自分の興味あるものに打ち込める人々は素晴らしいですね。
( ^-^)
by 九子 (2010-05-23 22:53) 

三ねんせい

[小布施のカミングスさん]
セーラ・カミングスさんです.杉の酒樽による熟成を復活させるなど,日本の伝統を守ることに実行力を発揮しているほか,Obuse と obsession とを懸けた "Obusession" というサロンを開いたりしていて小布施に間違いないですけど,念のためググってみました.
<a href="http://www.masuichi.com/sarah/index.htm">http://www.masuichi.com/sarah/index.htm</a>
確かに小布施の桝一市村酒造場です.須坂でも仕事なさってるのか,須坂の人は別人なのか,わかりません.
by 三ねんせい (2010-05-24 18:40) 

九子

[三ねんせいさん!m(_ _)m]
いやあ、さすが!三ねんせいさんがきちんと調べられた結果の方が正しいです。私、すっかり須坂と思い込んでいましたが、小布施の酒造所だったんですね。
セーラさん、はい、同じ人です。いろいろ新しい事を積極的に始めていらっしゃるそうですから、間違いありません。

ネットの写真、白黒でよくわかりませんが、物凄い美人と言う評判ですよ。( ^-^)
by 九子 (2010-05-24 22:21) 

mu-ran

歴史とは今の自分を考えるのに
役立てればいい。

互いを思いやることは必要です。

そのために歴史が参考になるかもしれない。

日本に仮に侵略の歴史があったとするなら
そういう歴史を繰り返さず
そういう感情を持つ他国の人間を
理解するように努力するのが
ひとの道かと思います。

今の日本人が小粒かどうかは
後世が判断すればいいことで
自分たちは一生懸命楽しく
自分らしく生きるだけ。

今の日本人が草食なら
それでやっていけるように
環境を整える。

益川さんが英語しゃべらなくても平気でいられるのは
益川さんだから。彼らしいわけでしょう。

でもあのパーテイに出席した日本人なら
少し感じ方、見方は違うでしょう。

僕ならあそこで村上春樹みたいに
英語で何かメッセージを発する役割を感じます。
ノーベル賞の品位、国際性などから考えて
たどたどしい英語でいいから何か欲しい。

村上春樹がイスラエルでメッセージを発したのは
一個人ハルキ・ムラカミであって
日本人のひとりとして発したのではないかもしれない。

でもあの行動によって日本人の値打ちが上がったこと
それだけは確かです。

要は個人の信念みたいなものがあれば
それは世界に発せられると
その国のアイデンテイテイのように見られる。
日本人とはなんと素敵かと思うわけ。

そういう個人の存在意義が
ときには必要かなと。

これも文系と理系の差???


by mu-ran (2010-08-17 22:46) 

九子

mu-ranさん、御返事遅れてすみません。m(_ _)m

>日本に仮に侵略の歴史があったとするなら
そういう歴史を繰り返さず
そういう感情を持つ他国の人間を
理解するように努力するのが
ひとの道かと思います。

大人の考え方だなあと思いました。
私はいつも理解不能なことを言われていると憤って、彼らを理解すべく努力する事さえ忘れていたような気がします。

>僕ならあそこで村上春樹みたいに
英語で何かメッセージを発する役割を感じます。
ノーベル賞の品位、国際性などから考えて
たどたどしい英語でいいから何か欲しい。

なるほど!そう言われてみると、ノーベル賞のスピーチというのは世界に日本を発信する絶好のチャンスだったわけですよね。

村上春樹氏の卵と壁のスピーチ、本当にあの場所で勇気を持ってよく言えたと感動しました。本当にあの時の村上春樹は、日本の代表というよりも世界の良心の代表みたいでしたね。

>要は個人の信念みたいなものがあれば
それは世界に発せられると
その国のアイデンテイテイのように見られる。
日本人とはなんと素敵かと思うわけ。

本当にその通りですね。そしてその信念を声高に発信するコミュニケーション能力もある程度は必要という事ですね。

>これも文系と理系の差???
いえいえ、そんなことは無いと思います。( ^-^)

ところで音楽って、文系と理系に分けると、なんとなく文系のようではありますが、実のところ理系の要素も少なからずある気がします。
美しい音色を探求したり、ピアノなんて10本の指を別々に動かす訳でしょ?工学部系の匂いもするような・・。(^^;;
by 九子 (2010-08-18 11:15) 

mu-ran

音楽は数学でしたね。
だから本来理系ですね。
作曲やるひと
みんな鳩山さんです。
演奏するひと
みんな九子さんです。
by Mu-ran
by mu-ran (2010-08-18 18:08) 

mu-ran

追伸
座禅と仏教の項
毎日少しずつ味わってます。
素敵な文章感謝です!
By Mu-ran
by mu-ran (2010-08-18 18:10) 

九子

mu-ranさん、こんばんわ。

>音楽は数学でしたね。
だから本来理系ですね。

ああ、そうなんですか。知りませんでした。
でも才能ある音楽家はみんな凄く頭が良いと聞いたことがあるので、(もちろんmu-ranさんはその筆頭( ^-^))、やっぱりその通りなのでしょう。

>演奏するひと
みんな九子さんです。

もしそんな事になったら、演奏はハチャメチャになりますよ。(^^;;

坐禅と仏教の話を読んで頂いて本当に嬉しいです。
自分の人生を変えてくれた坐禅をより多くの人に知って頂きたいというのはあります。有難うございます。m(_ _)m
by 九子 (2010-08-18 23:26) 

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