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英語漬け幼稚園とエリート養成校 [<学校の話、子供たちの話>]

「国家の品格」の中で藤原正彦先生は、小学校からの早期英語教育を真っ向から否定された。
それを読んでむしろ賛成派だった九子も、その通りだなあと思い始めた。


九子は小学校4年生の時、はじめて遊び半分の英会話クラスに通い、ゲームや歌で英語の世界に触れた。
子供なりにも紅毛碧眼の彼や彼女と一緒の空気を吸って笑い合い歌い合うのは楽しかったし、なぜだか晴れがましい気すらした。

中学では、たった一年だったが「カミソリ」というあだなの凄い先生に英語を教わった。
いつもオールバックの髪をポマードでびっしりと固め、紺とかグレイとかじゃなくて紫色みたいなきれいな色のスーツを着た、見るからに鋭い感じの先生だった。

眼鏡の奥から光る目がどんな間違いも許さないぞという厳しさで、当時としては珍しく、授業中の日本語は最小限で英語と宿題はたくさん。(^^;; 当てられて間違えるとみんなの三倍くらいの宿題が出るので、それこそみんな戦々恐々として予習をし、復習をした。

当時長野の中学校の就学旅行は毎年東京で、皇居の二重橋付近で集合写真を撮るのだけれど、九子たちの学年では、そこに外国人が数人一緒に写り込んでいた。かみそりT先生が流暢な英語で話しかけて入ってもらったものなのだが、当時本当に外国人と会話する能力のあった先生はT先生くらいなものだったと思う。

T先生から3年間英語を習った担任のE組からは、翻訳家になったMさんやAさん、長野オリンピックで長野市長の通訳になったTさんなど、英語の専門家が育っている。


それから九子は当時は女子高だった長野西高校に進むが、高校生になってからは必死に頑張っても最高点の10は一度も取れなかった。

当時の長野西高校にはお茶の水女子大や奈良女子大などへ行く生徒がごろごろ居て、毎回今度こそとは思うのだが鉄壁みたいにそびえ立っている一団を越えてそこまでたどり着くのは不可能だった。
そんな時、自分の限界みたいなものを感じ取った気がする。

そしてそんな心の隙間に、忍び込むようにサイモン&ガーファンクルが入り込んできた。

彼等の歌を何度も聞き、歌詞を見ながら何度もそれらしく歌った。
歌を聞いてもあたりまえだが意味はさっぱりわからないし、対訳を見ても英語がなぜそういう日本語になるのか意味不明だった。

それでもとにかく歌詞を覚えたかった。だから手間を惜しまず、ただひたすら歌詞を書き出した。
おかげで去年の彼らの日本最終コンサートでは、ほとんどの歌を口ずさむことが出来た。

大学時代は実習やら何やらが嫌で嫌で、それから逃れるために英会話教室に通った。

以来ジョン先生に来てもらったり、英字新聞と英語討論会で有名だった長野外国語センターに通ったり、オリンピック前にドイツ語にも3年ほど通ったり、語学にかけたお金は200万円、いやもしかしたら300万円をとうに超えているかもしれない。


それなのにこの程度?・・・・と思う気持ちが、娘たちをそのクラスに向かわせた。

次男Sの時にはまだ出来ていなかった。三男Yは乳児内斜視による発達の遅れ(当時は学習障害なんて言葉すら知らなかった。)で、英語の前にやることがいくらでもあった。(^^;;

長野幼稚園チューリップクラス。
外国人、当時はカナダ人の先生が朝9時頃から午後3時頃まで、英語のみで授業をしてくれる、いわゆる English Emersion(英語漬け) Class というやつだ。

確か当時月謝が2万8千円だった。普通クラスが1万4千円だったから安い!と思った。
確かに安い。同じ時間英会話教室に通いつめたらいったいいくらかかるのだろう。



年中と年長の二年間、チューリップクラスに娘たちを通わせてどうだったか?
いや~、結果的にはな~んもなかった。(^^;;

それでも二年間の成果がゼロだったという訳じゃない。
特にM子は年長の時、九子をたずねて活禅寺で知り合ったポルトガル人が来店して、出来過ぎ母がおろおろしてた時、”Mama is not home. (She will )come back soon!”と通訳してくれて、彼女の武勇伝の1ページを飾った。

九子も毎日連絡帳をマメに書き、先生も書くのが大好きな先生で、まるで交換日記みたいな事をして、何冊もたまった小さな連絡帳は今でも宝物だ。

あのまま順調に行ってたら、きっと娘たちは二人とも凄い英語の使い手になっていたと思う。
問題はその後にあった。少なくとも中学で英語が始まるまで、いかにしてその能力を保ちうるか・・。

その後も九子は出来るだけの事をしたつもりだった。

え~、例えば週に一、二度の英会話の教室に入れる。
英会話教室ではチューリップクラス出身者は「キャリア」と呼ばれた。
考えてみるとすごい!6歳にしてすでに官僚並みだ。(^^;;

例えば車の中では英語の歌を流す。

あとは、う~ん、あとは・・・、それっきり。(^^;;(^^;;


結局こういう結果になるだろう事は最初から目に見えていた。
何しろ母親が九子である。
自分の勉強のための英語なら時間を割くが、子供に教えるなんてそんなしちめんどくさい!(^^;;

もしも九子が少なくとも週に2度ほど、子供たちと一緒に英語でお話する会とかを定期的に開いていたならば、彼女たちは違っていたのだろうか?
いや、今となれば「たら、れば」の話である。(^^;;


N子のクラスから長野日大始まって以来の東大生になった子が出たが、その子はたまたまN子とチューリップの同級生だった。彼はチューリップクラスを出たから東大に入れたのかと言うと、それは違うと思う。

彼のおかあさん曰く、彼は何も言わずとも自分でよく勉強する子供で、おかあさんは一度も彼に勉強しなさいと言ったことはないと言うことだ。
チューリップクラスも彼本人が行きたがり、カナダ人の先生も彼は大変よく出来る子だと評価していた。

もちろん長野日大でもトップの成績だったが現役では東大に受からずにそのまま阪大に進み、阪大で二年生になる単位をすべて取得した上でその年東大合格を果たしている。

聡明な彼はきっとあの幼さでチューリップクラスから英語以外の貴重な何かをつかみ取ったに違いない。
チューリップクラスの良さは、英語を学ぶというよりはむしろ、Halloweenの習慣で水に浮かべたリンゴをかじって取り合うゲームをするとか、Show&tellという自分の好きなものをみんなに紹介する、いわばコミュニケーションの基礎を養う授業とか、そういう日本には無い外国の文化を学ぶ絶好の機会だったのだと思う。

そう言えば長野日大では特進クラス1年生を対象にブリティッシュヒルズでの滞在をプログラムに加えている。
こちらは日本で学べる英国文化で、今では英語圏で余生をすごすことを計画している熟年カップルらの個人での宿泊も増えているそうだ。

日本に居ながらにして他国の文化を味わい、少しでも理解した気になる。
残念な事に、それが英語漬けクラスの限界だったと思う。

先日なんとなく見ていた「エチカの鏡」というテレビで、トヨタやJRなどの一流企業各社が資金を出し合って作った「海陽学園」という中高一貫校が取りあげられた。

凄い学校だ!やっとこれで失われたエリート養成学校が日本に復活したと思った。
国が作るのでなければ、企業が作るのであれば、アメリカも何も言えまい。

モデルは英国イートン校。全寮制の男子校である。

学校はもとより、寮生活も彼らの重要な活動の一部だ。
寮は生徒が運営する自治組織で、料理実習やら、中学から来た物理の天才留学生の英語による講義やら、ありとあらゆる活動が学生達自身の手によって企画運営される。

夜は元東大名誉教授だった校長先生が、毎日敷地内にある自宅から寮を訪ねて英語のディスカッションタイムが始まる。

九子が長野外国語センターで「The JapanTimes」の1記事を取り上げ、その要点をまとめ、自分なりに設問を作って皆に発表するという授業を始めて受けた時、言い知れぬ感動を覚えた。
生まれて初めて、英語を受動的に習うのではなく、能動的に英語で考え、英語で意見を述べた。
この場合英語はあくまでも道具だった訳で、そういう体験が初めてだったのだ。

海陽学園の子供達は、高校生にして当たり前のように英語を道具として使っていた。本当に凄い事だ。


ハウスと呼ばれるそれぞれの寮にはハウスマスターと呼ばれる教師が生徒と共に居住して、あらゆるサポートを行うそうだ。

そして、イートン校にも無いという独自の取り組みが、各企業から毎年一年間派遣される二十代のフロアマスターと呼ばれる若者達で、彼らは寮に一緒に泊り込んで生徒達の兄貴分として相談に乗ったり、社会と彼らをつなぐ役目をする。

剣道部で竹刀をふるっていた生徒の一人は、超難関の試験に通り、留学先へと旅だった。
彼は医師志望で、医師になったら若いうちは国境なき医師団に参加し、その後は日本に帰って確か心臓外科医になりたいというような事を言っていた。

ほかの子達も、決して東大に行って官僚になるというような夢を語る者は誰一人いないと思う。
彼らの視線の先にあるのは、日本の狭い社会ではなく、世界という広い海なのだ。
これは本当に喜ぶべき事である。

しかし学費は年間280万円。もちろん親の収入に応じて奨学金が出るそうだが、三分の二の親は奨学金を貰うこと無く学費をきちんと収めるそうだ。

イートン校と違って本当の意味でのエリート(=特権階級)が居ない日本では、海陽学園の門戸は広い。
自分の子供を入れたいと思えば、誰でも入れられる。入学時の偏差値も特別高くは無いらしい。

来年になると初の高三生が卒業し、週刊誌などに高らかに海陽高校の名前が掲げられる事だろう。
東大とか京大とかの他にハーバード大学の名前でも出ようものなら、子供を入れたがる親は急増し、ますます高値の花になっていくのだろうか。

ただ課題は残る。
12才の段階で息子の潜在能力を決めるのは親にとっても子供にとっても難しいと思う。
何より寮生活に耐えうるだけの社会性が求められるし、スポーツ嫌いはどうかなと思う。

これだけの才能が全国から集まったら、きっと落ちこぼれていく子供もいるんだろう。そういう子供が普通の世界に戻った時、きちんとした自己を確立することが出来るような周りの支援も必要になると思う。

入学時の偏差値は50そこそこで入学出来ると言うのなら、寮に入ってこの6年間のプログラムをやり終えさえすればごく普通の子供がエリート、いや、リーダーになれるという理屈になり、それはそれで大変な事だ。
全国の教育ママたちが黙っちゃいないだろう。(^^;;


この学校の話をしたら、N子に言われた。
「良かったあ。私たちの頃にはこんな学校出来て無くて・・・。それにそこって男子だけだよねえ?女子も入れるなんて事になってたら、またママに無理矢理入れられるとこだった!」(^^;;(^^;;


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