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学ぶ楽しみ [<学校の話、子供たちの話>]

少し前にやっていた「たけしの新教育白書」というテレビ番組をご覧になった方おいでだと思う。
たけしとミヤネ屋の宮根さんが司会役で、ノーベル賞の鈴木章博士と池上彰氏他が出演した。

衝撃だったのは番組内で紹介された「宮本式算数教室」の凄さだった。なんと!塾生の中から開成高校や麻布高校へ8割が合格しているのだという。
と言うからには当然中学生向けの塾と思いきや、「算数」と言う言葉通り小学校3年生から6年生を対象にした塾だった。

驚いたのは塾生の募集方法で、あらまっ、先着順!
40名ほどのクラスは、募集時間開始直後の二十秒程の電話で満杯になる。
つまり、決して最初から出来る子供を集めている訳ではなく、普通の子が入ってその子達が伸びていくというのがまず驚き!

40代とおぼしき、ぼさぼさ頭の宮本哲也先生が隣にある仕事部屋からのこのこ教室に現れる。
(リンク先の先生の言葉、興味深いので是非お読み下さい。)
彼が授業中どんな事を言うのか、そして今まで隣部屋で何をごぞごぞやっていたのか?
実はそれがこの教室のすべてなのだ。

生徒達が教室に入ってくる。小学生だから元気いっぱいだ。
さて、どんな授業が・・?と思うそばから、宮本先生は一人一人にプリントを配る。
宮本先生が1時間半の授業中にやった事はこれだけ。黒板は滅多に使わない。

1時間半!小学生にはかなり長い時間だし、集中力は保てるのだろうか?

そんな心配をよそに、生徒達が解いていたのは宮本先生が作った算数パズルだった。
3マス×3マス、4マス×4マス、5マス×5マスと難易度は次々上がっていくらしいが、生徒達は息もつかずにマスを数字で埋めていく 。
パズルには規則があって、例えば縦、横、斜めの和が10になるとか、そういったきまりを守りながらひたすら思う数字を鉛筆で書いては消し、書いては消ししていく生徒達。見る見る出来る消しゴム屑の山。
もちろん話をする者は誰も居ない。

出来たら先生に見てもらう。
正解なら次のパズルに移る。間違ってたら出来るまで何回でもやり直す。もちろん隣の子が次々進んで自分は一枚も解けず、クラスから一人だけ取り残される事も当たり前のように起こる。それでも彼らは意に介さない。この次こそはと闘争心を顕わにする。

「授業時間中、ボクは3つの単語しか使わないんですよ。『正解』『間違い』『終わり』だけ・・。」
なんともユニークな教室だが、次の宮本先生の言葉を聞いて先生は全てをお見通しなんだなあと思う。

「今の子供達はね、教えられすぎてるんです。塾でも学校でも、教える事が好きな人が先生になるでしょ? 子供達が言うんですよ。『この教室に来ると静かで、誰も何も言わないからいい。』って。静かな環境を与えてやって、子供達が興味を持つ教材を与えてやれば、黙っていても子供達は自分で学び始めるんです。」

そのために宮本先生がすることは、ひたすら子供達が喜ぶ算数パズルを作り続けること!
一つのパズルを作るのに、3日も4日も部屋に缶詰になることもあるそうだ。


「学ぶ」と言う言葉は「真似る」と同じ語源だそうだ。現に広辞苑で「学ぶ」を引いてみると真っ先に「真似をする事」と言うのがでてくるらしい。

ただ「真似る」と言っても人間の物まねは「猿真似」とは明らかに違い、解答に早くたどり着いた友人の真似をしたり教え合ったりして友人とのコミュニケーションのなかで学ぶという姿勢が3歳児でも見られるのだという。

更にびっくりしたのが江戸庶民が身分の違いを越えて和算に親しんでいたという事実。
どういう事かというと江戸時代、神社には「算額」という言わば算数の問題を書いた立て札みたいなものが披露され、人々はその問題を何とかして解こうと競い合った。

「算額」の中には問とヒントが書かれていて、テレビに出ていたのは円の一点から円の中へ二本の直線が伸びていて、その直線に接するように3個の小円が書かれている。さて、その円の直径は?みたいな、高校生でも頭をひねるような難問だった。

お茶屋さんやお風呂屋さんは自分ながらの答えを披露しようとする人々や、それを聞きたいという人々でごった返し、しかもその時は身分など全く関係なく、武士の言う答えに商人が反論し・・とテレビではそう言う風になっていたが、実際はどうだったのかな?(^^;;

とにかくこうして江戸庶民は、遊び感覚で和算の知識を高めていった。
和算恐るべし!
そして誰が考えたやり方か知らないが、「算額」を編み出した人もまた素晴らしい教育者だと思う。
ウイキペディア によると、算額はあくまで和算という「芸」を高めるためのもので教育と言う視点では無かったらしい。)

こういうのを見ていると、確かに今は豊かな世の中にあって子供達は「教えられすぎている」という宮本先生の言葉に合点がいく。

ノーベル化学賞を受賞された鈴木章博士も、宮本先生のその言葉に頷きながらご自分の経験を語られた。
6人兄弟の長男に生まれた博士は16歳で終戦を迎え、そして父の死が困窮に追い討ちをかけた。

父がやっていた理髪店は畳まれ、母が兄弟を養うために行商に出た。自身も働きながら苦学して大学を出たと言う鈴木博士。
博士が北大で出会った一冊の英語で書かれた有機化学の教科書が、まさに博士の運命を変えた。

700ページにも及ぶ分厚い教科書を、博士は余白が無くなるほど日本語で書き込みを入れて最初から最後まで、読み終わる毎に「正」の字を書きながら38回も読まれたそうだ。

700ページの本を38回!気の遠くなるほどの時間だ!

この話を聞いて何を血迷ったか(^^;;、九子もあの教科書が読みたくなった。
薬科大1年生の時貰った全て英語で書かれた物理の黒い教科書で、たぶん400ページの上あったと思う。
全文英語の教科書というのに生まれて初めて出会って、なんだか九子は自分が偉くなったような気がしたものである。(^^;;

残念ながらたぶん10数ページほどしか使わなかった気がするのだが(^^;;、無性に読んでみたい。
確かエンタルピーとかエントロピーの話が出ていて、今でも言葉だけは覚えているけどその意味となると??なのだが、読み直してみたら今ならわかるだろうか?


だけど必要な時に限って、その本が見つからない!
思えば九子の一生の大半は、無駄な事考えてる時間と寝てる時間、探し物を探してる時間、それに続くのがウツ病がやってきて、やっぱりまた寝てる時間。(^^;;
九子の人生、なんと無駄が多いのだろう!

結局見つからなかった物理の教科書に変えて、エントロピーをそれらしいスペルでネット検索してみた挙句、ちんぷんかんぷんで結局日本語に頼ったのが、ここ!


エンタルピーの方はどうやら化学反応中の熱の総量らしかったが、いまいち良くわからずにやっぱり最後は 日本語!

本文から抜粋する。

定義
エンタルピーHは以下の式により定義される。

H = U + PV
(U:内部エネルギー、P:圧力、V:体積)
名前がよく似ているエントロピーとは全く別の物理量である。ちなみにその定義からエンタルピーHとエントロピーSの間には、次のような関係式があることが容易に示される。

dH = TdS + Vdp

という事らしいです。
容易に示されるですと?なんのこっちゃ!(^^;;


結局九子の努力はすべて徒労に終わるわけだが、entropyでネット検索して一番簡単そうなサイトを見てみた時、実に興味深い記述に出会った。
「エントルピーの概念によれば、自然と言うものは孤立したシステムの中では秩序から無秩序に向かう傾向がある。」

「ははん!九子の家が無秩序なのは、ごくごく自然な成り行きなんだわ。」と、はたと膝を打つ九子!(^^;;

はてさて、子育て真っ最中の日本の若いお母さま方やお父さま方、これからの日本はあなたたちの肩にかかっております。
九子みたいに子供達が育ちあがってしまった後ではもう遅いのです。
あんまりこういう事を言って負担に思われたら申し訳ないのですが、とりあえず九子が言いたかった事は何か、どうすれば子供が学ぼうとする力がつくのかをこの日記から賢くつかんで頂けましたなら幸いでございます。

えっ?「自然は秩序から無秩序に向かう傾向がある。」という理論と、九子んちのとっ散らかった部屋の風景が頭に残ったとおっしゃるあなた!

あなたの想像力は偉大ですが、お子さんは多くを学べないでしょう。(^^;;(^^;;


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mu-ran

お久しぶりです。
感動的な話しでした。
この宮本先生と無秩序のお話。
孤立と個をどう捉えるのでしょうね。
そこは考えさせられました。

ところでエントなんとかですが
結局秩序と無秩序って
ひとは選択をするんだとおもうんです。
九子さんは無秩序を選択されたんですよね???
つまり無秩序がオスキなんですよね??
失礼があったらお許しを。
でもそうじゃないですか?
by mu-ran (2010-12-06 09:20) 

九子

Mu-ranさん、コメント有難うございます。m(_ _)m
Mu-ranさんからコメント頂戴するとなんだかとても嬉しいです。( ^-^)
どーかお暇が出来ましたらコメントお願いいたします。
私もコメントが頂けるような日記を書きたいと願っております。(^^;;

>この宮本先生と無秩序のお話。
孤立と個をどう捉えるのでしょうね。
さすが!Mu-ranさん!

深読みです、深読み。
そんな事は考えずに書いております。
でもそんな視点から考えて頂くと、もっといいかも・・。
書いた文章は一人歩きをすると申しますが、mu-ranさんのような読み手に巡り合って九子も文章も幸せでした。( ^-^)

>九子さんは無秩序を選択されたんですよね???
つまり無秩序がオスキなんですよね??

これはまたストレートなご質問で・・。(^^;;
私はご承知のとおりエネルギーが枯渇した人間なので、放って置くと自然のままになる訳です。つまり水が高い方から低い方へ流れるが如く、まあ家の中なんかは特に秩序から無秩序へ・・。

好きとか嫌いではなく、そうなってしまう、それが性に合う?というところでしょうか?

いつかどこかで書きましたが、頑張ってお掃除するよりも、「すみません、汚していて。」って開き直っちゃうんでも一向に構わないというか・・。(^^;;

結局は怠け者なんですよね。まあこれ言っちゃうと凄く弁解がましいですが、ウツがあるから頑張れない→頑張らない生き方でいい、まあ幸運にもM氏はうるさくない→自然のままの飾らない自分をさらけ出して楽に生きよう。
みたいな感じですか。
そんな人間です。私は・・。(^^;;
by 九子 (2010-12-06 17:15) 

mu-ran

さて、ここでロンドン行きの飛行機で
友人からもらった本を読んでいたら
まさにこの「無秩序と個」の話の核心について
かなり物理的な観点からの説明が書いてありました
ヴァジム・ゼラント「トランサーフィン鏡の超法則」というもの。
お勧めです!
by mu-ran (2010-12-10 03:45) 

九子

「トランサーフィン鏡の超法則」ですか。
天才mu-ranさんのご友人もまた、聡明な方なんでしょうね。( ^-^)

書評を見ていたらこの本はシリーズでもう何冊か出ていて隠れたファンが数多くいらっしゃるんですね。こんな難しげな本を読みたがるなんて日本人もまだ捨てたもんじゃない!(^^;;

書評だけ見て一番「わかるかな?」というのが
http://yokodo999.blog104.fc2.com/blog-entry-60.html
でした。「振り子」のお話が中心です。

「エネルギー」という点からして、九子がなるほど!と思ったのはmu-ranさんお薦めの本の前作についてのこの書評でした。「隆一郎さん」の続きを読むをクリックして見てください。
http://booklog.jp/asin/4198627061

それにしても書評だけからわかることはたかが知れておりますし、mu-ranさんの深い洞察力には及びもしないと思われます。

「無秩序と個」なんて言って頂いちゃうとさもさも九子の生き方が深遠であるがごとき誤解を招いてしまいますが(^^;;、結局のところ「自然体が一番エネルギーを使わない楽な生き方である」という事に尽きましょうか。
( ^-^)

掃除しないで寝てるのが自然体かと言われれば、まあ価値観の相違とでもお答えいたしましょう。(^^;;


mu-ranさん、年末年始はヨーロッパでお過ごしでしょうか?
いいですねえ。
もちろんお仕事がらみでしょうが、久しぶりのヨーロッパの雲たちに癒されて
新たなエネルギーを吸収されますように・・。
( ^-^)
by 九子 (2010-12-11 12:48) 

Muran

ありがとうございます。
深遠なるお言葉。。。

自然体で寝る、破格の、究極の美であります。
冗談ではありませんよ。。。

自然体が一番エネを使わない。
それができるひとは「大人(タイジン)」です。

さて、書評をクリックしましたが
隆一郎さんという方の書評と
わたしの感じとでは
とらえ方に随分違いがあるようで。

この第2作目などは、実は今注文したので
まだ読んでいませんが
このヴァジム・ゼラントというひとの本(第3作)は
むしろ詩的、ポエテイックですね。
訳語ですからかなりガクガクした読み心地ではあるのですが

本当に素晴らしい訳でもあり、内容の詩的な語り口には
脱帽しました。といってもまだ読んでいる最中ですが。。。


そしてこの本を読んで思ったのは
座禅がもしかすると「世の中を救う」ツールになるんじゃないか
ということでして。
お手すきのときに読んでみてください。(第3巻です。)
by Muran (2010-12-11 18:12) 

Muran

もうひとつの書評見事でした!
by Muran (2010-12-12 17:34) 

九子

mu-ranさん、こんばんわ。
遊びほうけているうちに(^^;;コメントをたくさん頂戴して誠に有難うございました。お返事遅れてすみません。

ああ、この難解そうな哲学書?を連作で読んでいらっしゃるんですね。
mu-ranさんが読まれると詩的と感じられるわけですね。

隆一郎さんと違うmu-ranさんの解釈をまたそのうちお聞かせ下さい。
( ^-^)

九子は自分が大人であるなどと夢々思いませんが、とにかくエネルギーを使うのが苦手なので結果的にそうなっているというだけです。(^^;;

>座禅がもしかすると「世の中を救う」ツールになるんじゃないか
ということでして。

mu-ranさんにそんなお言葉を頂戴すると鬼に金棒です。( ^-^)
私も実はそんな風に思っていますし、ほら、例の話にもそんな事を書けたらと思っております。

mu-ranさんのような力強い味方を得て感激です!( ^-^)
有難うございます。



by 九子 (2010-12-12 22:29) 

九子

Muranさん、とんでもない時期にこんばんわ。(^^;;
さっき
http://yokodo999.blog104.fc2.com/blog-entry-60.html
のリンクをたどって読み直してみたんですが、ここに書かれていることは、「空気」の無い外国でも、システムによって日本の「空気」に相当する力が加わってくるということじゃないでしょうか?
そう考えると、日本一人が「空気」と戦ってるわけじゃないんだから、決してハンディーがある訳じゃないって考えられませんか?

それから、トランサーフィンって、人生の取扱説明書って訳すんですってね。
無茶苦茶かも・・。(^^;;
by 九子 (2012-04-20 23:31) 

Muran

日本の「空気」には実体を感じませんね。

形だけがあるように感じます。

空気の中身より、外側のかたちを大事にします。

それに気が付くと、僕の場合はですが、

実際に日本の特殊さが理解できました。

我が国で起きるほとんどすべてに、このことが付きまといますね。

実際に問いただせば、だれも実体を見ようとしていません。

その態度に集団が加わり、暴走します。

それが諸外国との基本的な相違点ではないでしょうか。

実体を見ないでおくことは、少なくとも西洋哲学の領域外のようです。

かたちの概念は、実体を見るプロセスに必ず水を差します。

日本のそのやり方は、外国では有り得ないのではないでしょうか?

それが特異性、特殊性であり、良さであり、悪さでもありますね。

桜のはかなさを美しくおもう気持ちも

そのことと必ず連関しているはずです。

少なくとも僕はそう思います。
by Muran (2012-04-21 01:32) 

九子

Muranさん、こんにちわ。
あれ?古い記事に書き込みしたのに、よく気づいて頂いて、お返事有難うございます。m(_)m

>空気の中身より、外側のかたちを大事にします。
それに気が付くと、僕の場合はですが、
実際に日本の特殊さが理解できました。

ああ、なるほど!
確かに実体が無い。それなのに空気は怖い。

そうか。納得です。

>実際に問いただせば、だれも実体を見ようとしていません。
その態度に集団が加わり、暴走します。

う~ん、怖い!危険ですね。

>実体を見ないでおくことは、少なくとも西洋哲学の領域外のようです。
かたちの概念は、実体を見るプロセスに必ず水を差します。

日本と外国の両方を御存知のMuranさんから、直々お話が伺えると言うのはなんという幸運でしょう!

桜のはかなさを尊びながら、実体を見ることが出来るような私達になって行けないものかしら?
by 九子 (2012-04-21 12:26) 

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