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年賀状2011・・・危うし!信州の野沢菜漬け [<九子の万華鏡>]

謹賀新年

昨今の就職氷河期の厳しい状態を見るに付け、二年前に就職を決めた次男と三男の幸運にほっとしたのも束の間、この頃なんだか雲行きが怪しくなって参りました。
それを見て妹達は、「せめて私達くらいはまともに就職してしっかりしなくっちゃ!」
我が家の娘達はかくして女子力をアップさせ、頼り甲斐を増しているようです。

今年はかなり花粉がひどいそうです。
雲切目薬α」を是非一度お試し下さい。
良い年でありますように!

2011年 元旦

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例年はこの日記に子供達の近況など詳細を補足して書いておりますが、今年はまだ書ける段階に至りませんので(^^;;、趣向を変えて少々短くいつもの日記を綴ってみたいと思います。
お題は「危うし!信州の野沢菜漬け」とでもしてみましょうか。( ^-^)


信州といえば、漬物!漬物を肴に何倍もお茶を飲んでは議論を戦わすので、信州人は議論好きなどと良く言われるが、玉露だって何だって(^^;;とにかく火傷するほど熱く入れたお茶が三度の食卓には欠かせない。

たぶんこの文化はそんなに簡単に消える事は無いと思うのだが、気がかりなのが漬物の方だ。
中でも冬の風物詩ともなっている野沢菜漬け。

野沢温泉では畑から取ったばかりの青々とした野沢菜を温泉のお湯でざぶざぶと洗い、大きな樽に一冬分誇らしげに漬けている主婦達の風景が毎年地元テレビ局から流れてくるのだけれど、九子のまわりはどうだろう?

落第主婦の九子は、きたさんが漬けた野沢菜のお裾分けを毎年期待している。(^^;;

出来すぎ母は若い頃、野沢菜に限らず沢庵漬けも奈良漬けも、梅漬けも杏の甘漬けも、「ちょこっとばかり作ったって美味しくないからね。」と言いながら呆れるほどの量を作っては東京の親戚の何軒もに送っていた。もちろんそれが長男の嫁の努めでもあった訳だ。

東京の親戚達は、出来すぎ母が年老いて九子が仕方なく仕切り出した我が家のあれこれの中で、漬物を送ってもらうという楽しみを放棄した。中にはCさんのように「九子ちゃんの代になったらお漬物はもう絶対に来ないから、おばちゃんが作ってくれたの大事にしとくわ。」とずっと昔から予言していた人も居た。(^^;;

たしかに大鍋で作った方がおでんでも豚汁でも美味しいのとおんなじ理屈で、野沢菜だってなんだってたくさん漬けた方がおいしいのだろうという道理は良くわかる。

だけど実際問題として、母が春になって酸っぱくなってしまい捨てていた漬物の量だってはんぱじゃなかった。毎日山盛りに食卓に出されるので食べきれずに流し台に捨てられるのも含めたら大した量だ。

こういう事情は昭和一ケタ生まれの母親やお姑さんを持つ友人達に聞いてみてもたいてい似たようなものだった。

「なんであんなにいっぱい作るのかなあ?結局捨てるのにもったいないよね。」

効率というものを重んじる我らの世代は、食べるものは食べる量だけあれば良いという考え方だ。
特に昭和一ケタとの最大の違いは、骨惜しみせず働く事に対する報酬の違いだ。

母の世代はとにかく手足を動かしさえすればお金になるのであれば儲けもの・・みたいな感じで、たとえ報酬は低くとも厭わず働いた。
手足動かすのはタダ!そういう時代だった。

ところが九子を見るにつけ、いかに九子が手足を動かしたとしてもなされる仕事量の余りの少なさに自分ながら辟易としてしまう。(^^;;
そんなら自分で無理するよりも、金銭を払って他人が作ってくれたものを買ってしまった方がどれだけ賢いか!
世の中人件費ほど高いものはないのだから、骨惜しみはするよねえ。(^^;;


結局九子の世代が考える事は、漬物だってなんだって最小限にする。食べる量だけあればいいから食べる量だけ作る・・・であったはずのものが、最近ではいつのまにか食べる量だけ買う・・・になってしまっている。

野沢菜漬、奈良漬、沢庵漬け、梅漬け、どれもきれいにパックに入ってスーパーの店頭に並んでいる。しかも小人数の家庭に程良い量だ。

九子の家の裏の木に毎年梅がなる、杏がなる。
85歳の超人きたさんが木に上って取ってくれるから仕方なく(^^;;なんとか砂糖とホワイトリカーで梅漬け、杏漬けの真似事をする。
母が亡くなってからなぜか梅や杏が豊作と言う年が無く、むしろ不作で量が少ないのでとても助かっている。(^^;;

九子の数少ない友人達のうちで、都会に住んでまだ働いているなんていう人が漬物を漬けないのはさもありなんと思うが、地元に住んでいて仕事をしていない専業主婦という人でも、漬物を漬けるという人は少数派みたいだ。
(少なくとも九子のまわりでは・・)
九子のまわりがそうなんだから、九子より若いお母さん方、ましてや娘ドモなんかする訳が無い。
九子の十くらい上のハトコ達にはまだ漬け物名人がいるところを見ると、どうやらその間に境界線があるらしい。

そもそも子供たちの世代は漬物そのものに郷愁が無い。
豊かな時代に育ったせいか、おばあちゃんが作ってくれたきゅうりの即席漬けならサラダ感覚で喜んでほおばっていたが、沢庵漬けも野沢菜も、あればあったで一切れ二切れは手をつけるが、無くてもさっぱり気にならない。

「漬物無いと寂しいなあ。」と言うのはもっぱらM氏だけ。当の本人九子にしても漬物を出すという手順の煩わしさが、無いと寂しいという気持ちに蓋をする訳だ。(^^;;

たぶん九子の家ばかりでなく長野県のあちこちの家庭でこういう状況が生まれた結果、野沢菜を漬ける家が根絶してしまうのではないかと危惧する声が上がった。

信越放送の武田徹パーソナリティーなんかが数年前からこの問題をテレビやラジオで取り上げている。


考えてみると食文化というのはこういう危うさを内包している。
漬物は食生活の貧しかった時代主たる副菜であり、白いご飯と味噌汁と漬物という今の水準で言えば最低限の貧しい食事であるが当時としては夢の食卓であった時代も長いのだ。

そういう時代の豊かさの代表であったはずの漬物は今となっては食卓の脇役に押しやられ、子供達が知る漬物と言えばコンビニ弁当のアルミホイルにほんの真似事みたいに添えられた黄色やピンクの刻み漬けばかりになってしまいそうである。

そうしてしまった責任の一端は、確かに九子にあるのだけれど・・。(^^;;

九子が面倒がらずにしげしげと漬物を食卓に並べていたならば、今頃子供達はもっと漬物に手を伸ばしていたのかも。

こういう例もある。
九子より20も若い親戚のお嫁さんだけれど、彼女の3人の腕白盛りの子供達は店で買うお菓子なんかより、煮豆や高野豆腐の煮たのやきのこや竹の子の煮物なんかが大好物なんだそうである。
彼女は子供達が小さい頃からずっとそういうものを作り続けては子供達に食べさせ続けていた。


今日も正月の我が家の食卓には四角い器にたっぷりと盛られたきたさんの野沢菜漬けが鎮座しているのだけれど、手を伸ばす子供は誰も居ない。仕方ないよねえ。他に食べるものがたくさんあるんだから・・。

そして子供達が家庭を持った時、果たして食卓の上に野沢菜漬けが並ぶのかどうか?

一応母が遺した分厚い漬物の本がある。タイトルは「つけものの味、ふるさとの味」母が試した項目には母の書き込みがたくさんある。
その通りの分量で作ると山ほど出来て手間も材料ももったいないので、一応三分の一、四分の一量くらいで作ると九子の手にも負える。
この本が最後の砦だと九子は思っているが、自分がそんなに欲しいと思わないものを、スーパーで容易く手に入るものを、娘達がわざわざ手をかけて作ろうと思うかどうかという難関が控えている。

漬物もさることながらこの間の信濃毎日新聞で、「信濃の国」を全校で歌う小学校は八分の一しか無いと報道されていてびっくりした。
九子や子供達が卒業した信大附属長野小、松本小は「信濃の国」が校歌なのだから歌うに決まっているが、この調子では「信濃の国」を歌えない長野県民が生まれる可能性大だ。

「信濃の国」も歌えず、野沢菜漬けも食べない信州人が近い将来生まれる可能性があると思うと、なんだか心底寂しくなってくる。
新年早々心寂しいお話では恐縮なので、これを読んだ長野県民の皆様!どうか食卓に、なるべくなら手作りの野沢菜漬を欠かさずに!

(九子さん、あなたもね。(^^;;(^^;;)


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Muran

食、つまり味覚こそが

すべての感性の基本だと思っていますが。。。

野沢菜なくなるのは困りましたね。

でも信州でできなくとも

野沢菜は生き残るのではないでしょうか???
by Muran (2011-01-03 08:22) 

seiji

明けましておめでとうございます。
信州人としてはタイトルを見た瞬間、すごく危機感を持ちました。
私自身、信州を離れて20年になってしまっているので、白いご飯に野沢菜漬けが普段の食卓の風景ではなく、とっても貴重な風景になってしまっています。
もちろん食べたいんですけど、野沢菜なんて手に入らないですからね。。。
もう一つ私が懸念している野沢菜漬けが絶滅危惧種(味)になる原因があります。それは地球温暖化です。昔は、どこの家の漬物桶も朝には薄氷が張って、その寒さが野沢菜漬けを美味しくしていたと思うんですけど、最近は氷なんて滅多にはらないようですね。寒さが厳しくなくなれば、過ごしやすくなるかもしれませんが、野沢菜の味は変わってしまうと思っています。
信濃の国を歌えない信州人。それは困りましたね。。。

by seiji (2011-01-03 09:13) 

九子

mu-ranさん、お返事遅れてすみません。m(_ _)m

>食、つまり味覚こそが
すべての感性の基本だと思っていますが。。。

なるほど!言われてみるとそうかもしれません。
ピアニストの中村紘子さんの著作にもお料理のことがたくさん出てきましたよね。

考えてみると感性が豊かでなければ、美しい盛り付けも出来ないし、微妙な味のバランスもわからない訳ですから・・。

野沢菜が信州からなくなることは無いと思います。ご安心下さい。
これだけ名前が売れてるお漬物ですから、企業が黙ってはいないでしょう。
スーパー店頭では常に売れ続けられると思いますよ。

ただ、家庭の味としての手作りの野沢菜漬がいつまで続くか・・。
娘たちにはなんとか伝えたいと思っています。
by 九子 (2011-01-04 12:15) 

九子

seijiさん、コメント大変嬉しかったです。( ^-^)
それなのにお返事遅れてすみません。m(_ _)m

そうですね。海外に住んでいらっしゃると、まず日本の食べ物を手に入れるのが難儀なんですね。

白いご飯に野沢菜!seijiさんの食の原点であると同時に、信州人の原点
でもありますよね、言われてみれば・・。

seijiさんのご指摘はさすが!信州人ならではのご指摘でした。
確かに地球温暖化は寒い気候を好む野沢菜や漬物にとって忌々しき問題ですね。

東京へ野沢菜漬けを持って行っていざ食べようとしたら味が変わっていたというのは昔からよく言われていたことでした。
今ならクール宅急便ででも送れば問題ないのでしょうが・・・。

seijiさんんがおっしゃった野沢菜漬の桶の薄氷も確かに最近は見ませんね。と言うか、我が家は朝ごはんがずっとパン食になってしまったので、朝漬物の出番も無いのです。 こういう食文化の変遷も漬物文化の衰退につながっているわけですね。

そんな中で「信濃の国」くらいはなんとか守りたいですよね。
学校の先生方!頑張ってくださいな!

seijiさん、お幸せな一年でありますように。( ^-^)
by 九子 (2011-01-04 12:32) 

カンポおじさん

はじめまして。
「信濃の国」をこよなく信奉する私にとってショッキングなニュースでした。
野沢菜と信濃の国。。。残したいものです。
by カンポおじさん (2011-01-04 21:53) 

九子

カンポおじさんさん、こんばんわ。
コメント有難うございました。m(_ _)m
いつもはほとんど次の日にならないとお返事のコメントしない九子ですが、明日ちょっと用事があるため珍しく早めにお返事しますね。(^^;;

家庭での野沢菜漬が子供達の世代に伝わるかどうかは私達の世代に関わっていると思いますし、その次の代に伝えるかどうかはまた子供達次第ですよね。

食文化というのは便利な時代になればなるほどすぐに消えてしまうはかないもののようです。もちろん企業が作り出した一律の味は残るとは思いますが・・。

だからせめて信濃の国だけは残したいですよねえ。小学校の校長先生方、どうか頑張ってください!

ガンボおじさんさん、嬉しいコメント有難うございました。( ^-^)
by 九子 (2011-01-04 22:18) 

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