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柚子の話 [<九子の万華鏡>]

九子は今まで柚子というものにとんと縁が薄かった。

覚えている限り我が家で柚子を使ったのは、20年も前毎年父の歳暮に活きの良い冷凍イカ(信州は山国ですから( ^-^))をくれる人が居て、出来すぎ母がそれに柚子と麹を入れて塩辛に仕上げてくれていた。
イカの臭みが見事に消えて柚子の香りが広がり、柚子よ、なかなかいい仕事してますねえと思ったけれど(^^;;、自分が台所を預かるようになってから、柚子と言うものを使った記憶が無い。

外皮をそれもごく薄くしか使わないのに、(後から汁でドレッシングなどを作れるらしいと言うのは知ったが、)とにかく中身が食べられない果物をわざわざ買うなんて九子の経済学が許さなかった。

それが昨年の暮れ、九子は何を血迷ったか大ぶりのミカンほどもある柚子を5個も買ってしまった。
理由は安かったから!(^^;;

隣の例のおじさんのいる八百屋さんは、今ではおじさんの娘さんたちが店を取り仕切っていて、九子が「安いよ!」に弱い事をすでに学習済みだ。(^^;;

たまたまその日は冬至だった。
「九子さん、ちょっと見栄えは悪いけどこれ安いよ!5つでたったの200円だよ!柚子湯にしたら身体あったまるよ。」

我が家では冬至に柚子を浮かべるという習慣にも疎かった。
でも九子の経済学は、わずか200円で柚子湯というものがたぶん2回は味わえるというのに反応した。


そしてその日の我が家の湯船には、ところどころが茶色くなった大ぶりの柚子が2個浮かぶ事になった。

今考えてみると2個と言うのはなかなかの九子の英断だった。けちな九子の事だから1個で十分と思っても不思議ではないのだけれど、なぜか2個入れたかった。そしてそれが良かった。


バスクリンなど入れずとも、柚子はたいそう良く香った。
そして香りなどより更に嬉しかったのが、2つの柚子がぷかぷかとお湯のまにまに漂って、なんとも言えぬいい距離で、九子が身体を動かすたびに高くなったり低くなったり、くっ付きあったり、また離れたりする様子だった。


すっかり忘れていたが、一応九子は世間で言うところの理系人間だ。(^^;;
柚子が浮いているところは、なぜかアルキメデスが発見した浮力の原理の正しさを実感させた。

柚子本来の重さが浮力と等しい場所で留まっている。
柚子を転がしてくるっと回転させた時、押しのけた水の重さと等しい浮力を受けるというのを感覚的に納得する。
(九子の場合いつも理論的に納得するのではなく、感覚的に納得するのだ。(^^;;)


昔 梶井基次郎の「檸檬」という小説の事を書いたことがあった。
正直、黄色い檸檬を本屋の本の上に置いただけで幸せになった主人公の気持ちはまったくと言っていいほどわからなかった。
病弱な文学青年の繊細すぎる神経でないとわからない事だと思っていた。

ところがこうして2個の柚子がぷかぷか浮いてる様子は、九子に不思議な安らぎを与えた。

黄色くて丸いものが動くさまは、いつでも人間を楽しませる。同じ黄色くて丸いものでも、ピンポン玉などではだめだ。
たまに腕に当たったりもすると伝わるこそばゆいような感触。その重さが柚子はまた絶妙だった。

たしかいつか流行ったおもちゃを思い出した。
九子はそれを近所の医院の受付で見たのだけれど、黄色い球体をした顔がゆっくりと右に左に動く人形だった。
見ていると心が和んだ。お医者さんもそのために置いているらしかった。

一個の動かない檸檬に幸福を感じるほどの感性は九子には無いけれど、黄色い柚子が二つ動くさまには心躍った。

二日目も柚子はきっちり2個浮かべられた。一番きれいな一個はとりあえず料理用に取り分けられたので(いつ使うあても無いが・・。(^^;;)、これで柚子は全て終わりのはずだ。

明るい色のせいだろうか、丸い形のせいだろうか、気ままに動くせいだろうか、どのくらい眺めていても飽きる事が無い。

揺らぎという言葉が一瞬頭をよぎった。
確か何年か前「f分の一の揺らぎ」という訳のわからない言葉が流行った。f分の一の揺らぎを持つものが癒しの効果があると言われた。

当時は良くわからなかったのだが、その後「f分の一」とは単純に波長の事らしいと学習した。fがfrequency..つまり周波数だから、1を周波数で割ったものは波長に違いない。

要するに「揺らぎの波長をもつものは人を癒す」というだけの話を、もったいぶってf分の一なんていうから訳がわからなくなるのだ。
☆「f分の一ゆらぎ」というのが本当にあるのだという事がわかりました。詳しくはこちらへ。 m(_ _)m


実は三日目も九子は湯船に柚子を浮かべた。一度で捨てるのは九子の経済学に合わなかったからだ。(^^;;
最初から傷があって茶色いところが目立った柚子は、時間とともに尚更茶色味を増し、もはや芳香も感じなかった。
だけど九子は湯船に浮かぶ柚子が見たかった。

だから今日は柚子だけじゃなく、バスクリンも入れた。
バスクリン「柚子の香り」。 意味ないじゃん!(^^;;

ぷかぷか浮かぶ茶色がかった柚子は、長年連れ添った夫婦を思わせた。黄色い新鮮な柚子は、さしずめ恋人達かな?

九子の頭に一つの計画が浮かんだ。檸檬の主人公の計画ほど粋ではない。
二つの柚子を湯船の端と端に浮かべておいたら、時間が経つとどうなっているか確かめてみたくなったのだ。

さて翌朝、二つの柚子は、言ってみればスープの冷めない距離というのか、10cm程の距離を置いて留まっていた。
「ほほ~っ、よいね。」

その次にやってみたら場所は変わっていたがほとんど端と端だった。
そしてその次、二回目ほどは離れていないが、真ん中と端みたいな感じだった。

ああ、柚子はこの上なく自由なんだ!とその時思った。
自分の留まるべき場所を知っていて、ちゃんとそこに落ち着く。相手の、つまりもう一つの柚子の事などお構い無しだ。
土台、九子が二つの柚子をM氏と九子になぞらえて見ている事など柚子は知るはずも無い。

その後も九子は性懲りも無く、二つの柚子を一番離れた位置に置いては、数時間後にどんな位置に止まるのかを確かめ続けた。
そして一番先の時みたいに二つがスープの冷めない位置に留まったのを確かめて、ようやく満足げに風呂場を離れた。


あの~、九子さん。M氏とずっと仲良く暮らしたいならそんな事してるより、もっと美味しい食事を作ってあげるとか、お昼寝時間を減らして家事を貯めないとか、やるべきことは他にいくらでもあるんじゃないでしょうか??(^^;;(^^;;


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