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おかげさまにて [<ちょっ暗、ダメ母編>]

★御休みさせて頂いたおかげで、すっかり元気になりました。( ^-^)

実は今回の症状はかなり軽く済みまして、本来鬱病患者がしてはいけない「温泉旅行」が控えていたにも関わらず、というか今回はどうしてもはずせない親戚旅行でしたので、とりあえず行けるように万全の用意を整え(薬を増やしたり、ブログもお休みしたり)、おかげ様で無事に楽しんで来ることが出来ました。
誤解されるといけないので申し上げますが、本来ウツ状態の時には温泉などに行ってもなんのなぐさめにもなりません。そもそも楽しめるものが何もない状況では、温泉旅行は体を疲れさせるだけで害にこそなれ、何の益もないのです。

もしも温泉に行って良くなる鬱病患者が居たら、その人は本当の鬱病ではありません。
九子が楽しめたのは、ほとんど症状が取れていたからなのです。

温泉から戻って、九子は久しぶりで精神科のT先生を受診しました。待っていたのは嬉しい言葉。
「あなたは自分で薬も調達出来る立場だし、自分で薬のコントロールも出来る訳だから私のところに来る必ようはもうありませんね。カルテは何年経ってもずっと保管していますから何かあったら連絡して下されば結構です。」というTメンタルクリニック卒業宣言!

嬉しい!・・・には違いないけど、T先生は九子にとって憧れの人だから先生に会えなくなるのはちょっとばかり淋しいかも。(^^;;

それはともかく、九子は長野県内にこんなに良い温泉があったなんて全然知りませんでした。
本来であれば実名入りでご紹介しようと思っていたのですが、九子たちが帰ってきて2週間目くらいになかなかそうも出来ないびっくりの事情が生じてしまいました。
もし興味をお持ちの方がいらっしゃれば個別に温泉の名前をお教えいたしますので九子にメールを下さいませ。
 
コメントもいつもどおり受け付けておりますのでどうぞ。( ^-^)


去年の6月も九子は持病のウツが来て、数ヶ月前に申し込んだ安曇野の旅館をキャンセルした。

親戚というのは母方の高村の親族だ。笠原の方の親戚の集まりはたびたびやっているが、母の親族の集まりに九子が顔を出すというのは今まで皆無と言ってもよかった。

元祖雲切目薬の終盤を一人で支え続けた出き過ぎ母。当時ほとんどと言っていいくらい手作りだった何十もの工程は、すべて母のきゃしゃな二本の手によってなされたものだった。

一回機械を回すと約1500個分の雲切目薬が出来る。
原料をまぜて機械にかけるまでは全部が一度に出来る訳だが、出来あがった軟膏を蒸留水で薄めて1500個の瓶に分けてからは、中栓をする、ゴムキャップ(ふた)をする、ラベルを貼る、箱を折る、またラベルを貼る、セロファンを貼る・・というそれぞれの動作を1500回分ずつ繰り返すのだ。
しかも楽しそうに鼻歌など歌いながら・・・。

売れていた時は年間2万個も3万個も作っていたという雲切目薬。
手早で我慢強い出来すぎ母でなければとてもとても出来ない芸当だった。


九子には雲切目薬のことをいつか本に買いてみたいという夢があるのだが、母の事は絶対に外せないポイントなので九子の知らない母の姿をいろいろな人に聞いておきたいと常々思っていた。

それでまずは母の実家の稲荷山の高村薬局の跡取りで話上手のY叔父さんと、たくさんいるはずの母方のいとこのうちで唯一九子がいとことして認識していたK子おねえちゃんご夫妻をお呼びして、温泉にでも浸かりながら母の昔話などをうかがおうと思ったわけだ。

去年キャンセルした旅館は日帰りで昼食と入浴が出来るところだったのだが、今年九子が目を付けたのはこの頃何かと話題の半額クーポンが使える旅館で、一泊三食も付いて一人8000円ほどだった。
ここで言う一泊三食とはチェックアウト後の昼食分でが付くサービスで、温泉の関連会社のおソバ屋さんでふるまわれた。

去年こちらの事情でキャンセルしてしまったので、なんとしても今年は集合したかった。
叔父ももう何年先まで元気で居てくれるという保証はない。

クーポンを使うのは初めてだった。ここが良いと思ったのは、土曜日や休日前日でもクーポンが利用できることと、一泊二食ではなく一泊三食、露天風呂がよさそうだったこと、何よりそれぞれの場所から車で2時間前後で行きつけるところだったからだ。

ここでクーポンで温泉宿泊予約する場合の注意点をひとつ!
まずたとえ土曜日や祝日前の利用が可能なクーポンだったとしても、実際に予約が取れるかどうかというのはまた別の話。

九子の場合「クーポンが有効になりました。」というメール通知が来た次の日にのんびりと旅館に電話した。そうしたら「昨日のうちに土曜日はほとんど満員になっています。」という答えで焦りまくった。
それでも予定していたのが梅雨の最中の土曜日だったので念のために確認してもらったら、5人なんとか宿泊可能だと言われほっとする。

一人二人ならともかく、人数が多くなればなるほどダメだった場合の変更が効きにくくなるのでくれぐれも注意して頂きたい。日程変更が出来ずにキャンセルした場合はお金は戻ってこない。
それもシャクだから結局平日に行くことにすると、営業日に店を閉めて行かなければならないことになり、半額クーポン使ってもあんまり意味ないじゃん!って事にもなりかねない。
笠原十兵衛薬局みたいに売れない薬局ならどうってことないけど・・。(^^;;)

折りも折り、クーポンを買った側ではなくてクーポンを発行する側からクーポン会社が訴えられるという騒ぎが起こった。
なんでも訴えたのは美容室で、客がわんさと押しかけたおかげで別途美容師さんを雇わなければならなくなり、「必ず2割の客はキャンセルするはずだからその分は丸儲け」と言われていたにもかかわらず、キャンセルも発生しなかったので大損だ!」と言う主張をしているらしい。

買う側から見れば2割のキャンセルが最初から見込まれてるってのはどうも頂けない。でもまあ今回の温泉旅行だってその日がたまたま取れたからめでたしめでたしだった訳だけれど、取れていなかったら最悪の結果だ。天国と地獄がここまで隣りあわせというのはそうそう無いと思う。

クーポンは安くて有り難いけれど、そういう危険もあることを肝に銘じておかなくちゃと思う。そして予約はとくに混みそうな日の予約は、販売成立のメールが来たら直ちに旅館に電話して済ませておきたい。


その旅館はマイナスイオンたっぷりの川のほとりに建っていた。
多い時は年間10万人もの人が訪れた名だたるパワースポットなのだという。
なるほどパワースポットらしく、温泉の売りは黄金色のお湯で満たされた露天風呂だった。

毎日男湯と女湯の場所が変わるので、その日の夜と次の日の朝に二度入浴すると、つごう三ヶ所の露天風呂をすべて味わうことが出来る。

クーポンは驚くほど売れていた。九子が買ったクーポン会社で2000枚、もう一つのクーポン会社でも同じくらい売っていたんじゃないかな?一応9月末まで有効のクーポンだったけど。

だから九子はきっと露天風呂など芋を洗うような混み方なんじゃないかと心配していた。
ところが何故か、誰が入った時でもそんなに混んでいなかった。本当に不思議だった。

クーポンに加えて会社の慰安旅行みたいな団体が3組も来ていたのだけれど、その人たちはいったいいつ入浴するのだろうと思うほど、お風呂にはゆったりと入れた。これは幸運だった。

それから、従業員さんの多さにもびっくりした。昨今の人員削減などどこ吹く風と言うように、食事をするところも、部屋付きの人もふんだんに居た。

特に、まだ枯れてもいないし十分に美しい床の間の花をわざわざ替えに来てくれる係りの人が居たのには驚いた。

夜のラウンジでは二胡の合奏が鳴り響き、無料で楽しめた。
いつでも無料で飲める冷たい沢の水のおいしさも出色だった。

温泉の良さもさることながら、Kおねえちゃんのご主人のM先生といろいろお話出来たのも楽しかった。

実はM先生はちょうど長男Rが信大付属長野中学に在学中に教頭先生として赴任されていた。従兄弟のご主人が単身赴任されているのだから、一度くらい食事にお誘いするとかするべきだったのに、当時九子は今よりもウツがひどくて(病気と言う認識が無くて、薬も飲んでいなかった。)、出来すぎ母もわりあいあっさりとしていたので、何のお招きもしていなかった事がずっと気がかりだった。
これでやっと長年の借りがお返し出来たように思えた。

M先生は改めてお行き会いしてみると本当に自由な人だった。いろいろなことに気兼ねせずに、やりたいことをやりたいようにやって生きていらっしゃる。

話の途中に席を立ち、早々にお風呂に入って、食事のあとも一人で冷蔵庫からビールを出して350ccを手酌で一杯、9時には悠々と布団に入って寝てしまう。

Kおねえちゃんによると、庭の木々さえ「自由に自然にのばしておくのがいいんだ。」と言って、手入れもせずにのばし放題なんだそうだ。「困っちゃうわあ。」と言いながら、おねえちゃんは笑顔だった。

M先生にはお嬢さんが二人いて、二人ともばりばりと働いていらっしゃるのだけれど、両親が教師という家庭にありがちな「親のために良い成績をとる」というプレッシャーは全然無かったようだ。

今回M先生とお話して、「自由に自然にのばしておくのがいい」という先生の教育方針の正しさがよくわかった。
 
実は前述の九子の命の恩人の精神科医T先生にも男女二人ずつ4人のお子さんがいらっしゃるのだけれど、良くお医者さんの子どもがそうなるようにお父さんの後を継いで医者になったお子さんは居ないのだそうだ。
先生にとってはお淋しいのではないかとも思うけれど、子供の幸せを一番に考えたら、子供には自分の生きたいように生きさせるという両先生のスタンスは、教育者と精神科医=カウンセラーという立場を超えてさすがだなあと思う。


当然のように子どもたちの事に話が及ぶ。
「さっきの話じゃないけれど、自由に、生きたいように育ててやれなかった子が居てね。この頃その子とぎくしゃくしているし、いつまでたっても心配な訳・・・。」と九子。

するとM先生、すっと立ちあがると九子の肩ごしに「人生なんて死んでみるまで良かったか悪かったかなんてわかんないの!これからだよ!さてと、もう一度お風呂行って来ま~す!」

自由な人は、どこまでも軽やかだなあ。( ^-^)


実は九子は不安の強いその子にどうしても坐禅を教えたかった。
自分が座禅でどんなに生きるのが楽になったかを伝えて、同じように幸せになって欲しかった。

まだ座禅の良さが本当にはわからずにいるその子を、なんとしても自分の手で坐禅にもう一度向き合わせたかった。それがまで出来ていないのに、彼に背を向かれてしまうのが何より切なかった。

T先生の最後の診察でその話をしたら、「もうお母さんの出番じゃないですよ。」と言われてしまった。
その途端、すっと胸のつかえが落ちた気がした。

自分が、自分がと思うのは九子の「我」だったんだ。「我が強い」とか言う時の我、つまりエゴ。
子供のため、子供のためと思いながら、実は自己満足。

大事なことは子供を抱え込むことではなくて、解き放してやることだった。


M先生と言い、T先生と言い、自由な生き方を知っている人の言葉はさわやかだ。そしてそれを言われた人の心をも軽やかにする。


嬉しいことがあって良くなるのは鬱病じゃないともよく言われるし、それは正しい。
九子も鬱病の真最中は、3億円が当たっても決して嬉しくないと思う。

ただ嬉しいことがきっかけで、だんだんと少しずつ良くなっていくということは有ると思う。
九子もそんな訳でいろいろな言葉に救われて元気になりました。m(_ _)m


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