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信じるということ [<坐禅、仏教、お寺の話>]

そのおじさんは、静岡県から笠原十兵衛薬局へやって来たと言った。車で4時間もかけて・・。
静岡県は長野県のすぐ隣なのだが、道路が整備されていないため郵便でもなんでも着くのに時間がかかる。

ところでこのおじさんという言葉、使う人の年齢によって対象の年齢層に幅が在ることに近頃九子は気がついた。

たとえば二十歳の女の子が使えば30歳以上くらいの男性をさす。
かく言う九子が使えば、どう考えてもおじいさんと呼ばれるような人。
ちなみに九子の言うおじいさんは、棺桶に半分足突っ込んでるような人だ。(^^;;

とにかくそのおじさんは、もう何度も雲切目薬を買いに来て下さっているらしい。(人の顔を覚えられない九子は、 あら、まっ!と思っている。(^^;;)

おじさんは関西弁とおぼしき言葉をしゃべった。
「関西の方ですか?」と九子は聞いた。

おじさんは静岡県から来たけれど、生まれは名古屋なのだと言う。
なるほど!静岡に移って何年経つのか知らないけれど、言われてみればおじさんの言葉は八丁味噌みたいに名古屋そのものだった。

おじさんは年に二、三度は必ず長野に来るのだと言う。その度に雲切目薬を買って下さるのだと言う。

「いやあ、女房がね、こっちにおるんですわ。」と言って、おじさんは善光寺の方向を指さす。
「ああ、近くにお住まいなんですね。」と九子。

「いんや。こんなに小さい壷ん中はいっちょっとです。」

善光寺の裏山、長野市内を見渡すところには納骨堂があり、春は桜が、秋は紅葉が死者たちの霊を慰める。

誰に話すともなく、おじさんは続ける。

「いやあ、わしゃあ大ばかもんなんですわ。あんないい女房を殺しちまって。わしが殺したんですわ、ひもで首しめて・・。」

「えっ?まさか・・。」

「いや、近所の人はみんな言っちょる。おまえは日本一の大ばか者じゃて。あんないい奥さんに苦労かけて、結局殺しちまったって・・・。」

おじさんは、自分が奥さんに苦労をかけて悲しませて、真綿で首をしめるように奥さんを苦しめて殺してしまったと言いたかったのだと思う。奥さんが亡くなったのは5年前だそうだ。

どういうご縁でか知らないがおじさんは善光寺の納骨堂に奥さんの骨を納めて、きっと命日と春秋のお彼岸にはきちんきちんと車を飛ばして4時間かけて長野にやって来るのだ。

なんだか九子は胸が熱くなった。
「おじさん、おじさんの思いはきっと奥さんに伝わってますとも。そうやってまじめにご供養されてるんだもの。」
口に出しては言えなかったが、おじさんにそう伝えてあげたかった。

すっかり気分が良くなった九子は雲切目薬8個ごとにプレゼントするおまけの百草丸を7個目でおじさんにあげた。(ケチッ!!(^^;;)

おじさんがそれでも嬉しそうな顔で帰って行ってしばらくしてから、九子はハッとした。

おじさんの話をすっかり他人事みたいに聞いていた九子だったが、九子だって何回生まれ変わっても恩返し出来ないほど世話になった出来すぎ母にひどいことをした。おじさんは奥さんをきちんと供養しているけれど、九子なんかお墓や善光寺のすぐそばに住んでいながら御無沙汰ばかりしている。おじさんの方が九子よりよっぽどましかもしれない。

出来すぎ母が亡くなった時、九子はどうしようもなく落ち込んでいた。
母が亡くなって悲しいのはもちろんだけれど、親孝行どころか母の死を早めるようなことをした自分がどう考えても赦せなかった。

辛くて辛くて仕方が無くて、何をしたかというと活禅寺で母の法要をしてもらった。活禅寺はお葬式をしないお寺なのだけれど、その代わりに菩提寺がどこであっても頼みさえすれば活禅寺独特の法要をしてくれる。

菩提寺での七七忌の法要の日の朝、活禅寺で朝6時から1時間の法要を頼んだ。
その法要で、九子の心はとても楽になった。

なぜ楽になったのか?それは母がその時、あの世と言われるところで幸せに暮らしていると確信できたからだ。微笑んでいる母の姿が見えたからだ。
残念ながら菩提寺の和尚さんのお経を聞いても、九子に母の姿は見えてこなかった。

それを錯覚と言われようが、迷信といわれようが、大事なのはもう二度と会えない大切な人が今どうしているのか、目に耳に心に訴えてくるものがあると言うこと。

正しかろうが間違いだろうが、確信を持ってそうだと語れるのであれば、それがその人にとっての真実なのだと思う。
だって結局誰もあの世のことなどわからないのだから・・。


九子のウツがひどかった頃の話だ。
ご存知の通り、うつ病には波がある。日替わりで気分が変わる。今日が楽でも明日はひどく落ち込むかもしれないし、誰も予測が立てられない。
一日のうちでも午前中が悪くて、午後4時頃になると楽になるとかいうリズムもある。

そんな中、友人に薦められた一冊の本が九子の気持ちを確実に明るくしてくれた。涙が出るほど嬉しかった!
これで明日には確実に元気になれると思った。(実際はいったん発症したうつ病はそんなことで治るほど甘いものではないのだが・・。)
それが飯田史彦著「生きがいの創造」だった。

生きがいの創造―“生まれ変わりの科学”が人生を変える

生きがいの創造―“生まれ変わりの科学”が人生を変える

  • 作者: 飯田 史彦
  • 出版社/メーカー: PHP研究所
  • 発売日: 1996/06
  • メディア: ハードカバー


それは過去世の記憶を持った子供たちの話から始まった。
そういう子供は結構たくさんいるらしくて、ただ3歳頃を境に過去の記憶は急速に失われていってしまうそうだ。

キリスト教には輪廻転生という考え方が無いので、「生まれ変わり」という考え方はキューブラー・ロス博士 あたりが提唱しなければ出てこなかったはずだ。つまりそういう子供たちが居る事が「生まれ変わり」の何よりの証拠ということだ。

飯田氏によると、人間はもともと「あの世」にあるべき存在で、この世の姿は仮の姿であるそうだ。

今の世の中であなたの周りに居る配偶者や子供や両親や兄弟姉妹や友人や、先輩や同僚や大嫌いなヤツや、そういう人々はみんな必ず次の世の中でも自分の近くに生まれ変わって、お互いに影響を受けながら与えながら生き続けるのだという。

彼らは'soul mate'つまりは「魂の友人たち」と言われて、何度生まれ変わってもお互いに離れることはない。

そもそも私たちはこの世に宿題を解くために生まれてきたのだそうだ。
それぞれが前世で解き残したさまざまな宿題を抱えて、生まれる場所や親を自分で選んで生まれて来ると飯田氏は言う。

だから亡くなったと思っているあなたの大切な人は、今現在本来の居場所である「あの世」であなたを静かに待っている。そしてsoul mateたちが次々と自分の宿題を終わらせてまた「あの世」に帰ってくるのをじっと見守っている。

幼くして亡くなる人々も、それは自分の宿題をきちんと終えて亡くなって行くのだという。ちょっとこのあたりは信じるのに辛いものがありそうだが・・。

全員が揃ったところでこの次はいつ、どんな場所で生まれて、それぞれがどんな役割を演じようかと皆が相談するのだという。だからあなたの妻は前世ではあなたの父親だったかもしれないし、大嫌いなあの人も、実はそういう役割の、あなたの大切なsoul mateなのかもしれないのだ。

こういう風に考えられれば、少なくとも大切な人を亡くして悲しんでいる人はずいぶん気持ちが楽になると思う。

当時九子はうつ病の最中だったけれど、読んで涙が止まらなかった。久しぶりの嬉しい涙だった。
自分がうつ病という病気であると言う自覚はまだ無くて、医者に行ったり薬を飲む事も思いもつかず、頻繁に来る落ち込みの中で辛い毎日を送っていた。

だけど変だなあ。考えてみれば当時九子の両親はまだ二人とも年より若いと言われてピンピンしていた頃で、飯田先生の「生まれ変わり」の思想のどこが、憂鬱な九子の心を楽にしてくれたのだろうか?

たぶんそれは著書全体に流れる明るさというか、とにかく死のような忌まわしいものや嫌いな人とかいう否定的な事の中にもちゃんと意味があって、それは次の世に肯定的につながっていくという極めて楽観的な考え方が、八方ふさがりの心に灯をともしてくれたのかもしれない。

とにかく飯田史彦氏で特筆すべきことは、彼は宗教家でも宗教学者でもなくて、大学研究室に勤める科学者であり、宗教活動は一切していないということだ。


ところが以前大川隆法の「幸福の科学」本を頂いて、読んだ途端にびっくりしたことがあった。そこに書いてあったことが、飯田史彦先生の言ってたことと良く似ていたからだ。
「幸福の科学」本は一時古本屋に結構高く引きとってもらえたので、もらったそばから売ってしまって(^^;;なんというタイトルの本だったのか明言できないのが残念なのだが・・・。


要するに大切なのは「信」なのだ!!

「生きがいの創造」は著者が何度も書き直して現在は最新版が出ているそうだが、多くの賞賛のコメントとともに、少数だが否定的なコメントも散見される。

大雑把に言うと、肯定的コメントはこの本を信じた人からのものであり、否定的なコメントはこの本を信じられなかった人からのものだ。もちろんこの本を信じられるか信じられないかは、その人の環境や生い立ちやその他もろもろの影響が加わる。

考えてみると日常生活の中で「信」が問われる事は毎日のようにある。いや、毎日何度となくある。

上司を、先輩を、先生を、友人を、交渉先を、親を、兄弟を、子供を、そして一番大切な「自信」に通ずる自分をどこまで信じられるかという問題。

何かを選択する際には、必ず何かを信じて選択していると思う。つまり判断する時には、必ず「信」がついてまわる。

活禅寺の無形大師は「信は万法の母」という言葉で信じる事の大切さを説かれた。
「信じるものは救われる」とか「イワシの頭も信心」とか言われるけれど、とにかく信じなければ宗教は成り立たない。

九子なんかはいつもいつも仏様に守られているという自覚があって、そのくせこの頃あんまりお寺に行かないのを申し訳なく思っているのだけれど、それでも子供の帰りが遅かったり、M氏からなかなか電話がなかったりするとその度に不安になったものだった。

考えてみると不安だったり、びくびくしたり、おどおどしたり、そういう時は必ず「信」がぐらついている。
九子の場合どんな時でも仏様を「信じきる」ことが出来れば、心配事がおきるはずが無い。

何の宗教にも属していないあなたでも、あなたに心配かけてるその人への「信」が怪しくなるから心配になるのではないだろうか? その人を「信じきる」ことが出来ないから「あの人なら絶対大丈夫!」ではなくて、「何かあったらどうしよう?」と考えるのじゃないかな?

あのおじさんだって善光寺の納骨堂へ行けば奥さんの供養になるし、奥さんに会えると信じてるから4時間の道をわざわざみえるんだと思う。

「信」というのはきわめて個人的なものだ。正しい信も、正しくない信も無いのだと思う。
自分が信じるか、信じないかというその一点にかかっている。比較も評価も値しない。

日本が自信を失っていると言われて久しいけれど、日本人の一人一人がもう少し自信を持てるようになるときっとこの国も変わっていくと思う。

自信とは、自分自身を信じること!どんな状況でも自分を最後まで信じきれること!他人がなんと言おうとも、自分が自分をすごい!自分なら出来る!と思うこと。

難しいなあと思う人は、是非坐禅を始めてみてくださいね。

坐禅をすると、自分が本来生まれもっている力の大きさを確認することが出来ます。仏様と同じだけの力を持った自分を感じることが出来るのです!

大いなる力に庇護してもらうだけならどんな宗教でも同じことだと思うけれど、坐禅だけがあなたが気づかないでいるあなたの中の偉大な力に気づかせてくれます。

なあんも出来ない九子でも、少しは自信がつきましたよ!( ^-^)


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ダイナ

いつもご訪問&ナイスをいただきありがとうございます!
よいお年をお迎えくださいね(*^^*)
by ダイナ (2011-12-24 17:02) 

youzi

☆彡。.:・*゚ Merry (*v_v)人(u_u*) Xmas ☆彡。.:・*゚
。.:・*゚ 素敵なクリスマスになりますように 。.:・*゚
by youzi (2011-12-24 21:21) 

九子

ダイナさん、YOUZIさん、クリスマスコメント有難う。( ^-^)
九子は風邪で寝て暮らしマスでした。(^^;;
新しい年もよそしくね。( ^-^)
by 九子 (2011-12-26 20:59) 

般若坊

Christmas comments ありがとうございます。
メールですか??? 意味がよくわからないのですが・・・
by 般若坊 (2011-12-27 19:38) 

niki

九子さん、私のメールの設定が悪いためにOUTLOOKが邪魔をして送信できないので、別アドから後日メールさせていただきますね!
明日で仕事納めなので^^
by niki (2011-12-28 15:02) 

九子

般若坊さん、わかりにくくてすみません。
この画面をずっと上にたどると左側のアイコン写真の下にメール&コメントがありますので、「そこのメールはこちらへ」をクリックするとメールソフトが立ち上がります。 ダメでしたらリンクにある薬局のHPの下のほうのも同様のメールマークがあるので試してください。m(_)m
by 九子 (2011-12-28 15:20) 

九子

nikiさん、昨日は全部見切れないまま寝てしまいました。(^^;;ごめん!
ああ明日からお休みなんですね。どうぞどうぞ日ごろのお疲れをたっぷりの睡眠で補って(というのは私だけか・・。(^^;;)また力いっぱいのお正月をお迎え下さい。( ^-^)
ではメールお待ちしています。
by 九子 (2011-12-28 15:23) 

般若坊

年末のご挨拶
今年も押し迫ってまいりました。
東日本大震災の発生と大津波、およびそれに起因する福島原発放射能漏えい事故等々、はっきり言って暗い世相の2011年でしたが、so-netブログに集われた皆様との明るい交流に救われた感じです。
今年一年のご厚誼に感謝申し上げると共に、貴ブログの益々のご発展を祈念しまして、年末のご挨拶といたします。どうぞ良い年をお迎えください。

by 般若坊 (2011-12-28 20:29) 

youzi

☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*☆
昨年中は大変お世話になりました
今年もよろしくお願いいたします
2012年がよい年になりますように!
☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*☆
by youzi (2012-01-01 21:41) 

Cecilia

あけましておめでとうございます!
今年もよろしくお願いいたします。
何と!年賀状が届き驚きました~。
私のは・・・気長にお待ちください。
でもうれしかったです。ありがとうございます。
九子さんのところとうちは近いような遠いような距離ですが、いつかお会いできますように。

by Cecilia (2012-01-03 21:26) 

九子

般若坊さま、ご挨拶頂いておりましたのにお返事が遅れてごめんなさい。
m(_)m

何しろ日ごろ怠けているので、年末年始はやることがいっぱいで・・。(^^;;

私もso-net途中参入者ですが、おかげさまで大変楽しく過ごさせて頂いております。今年もどうぞよろしくお願い申しあげます。( ^-^)
by 九子 (2012-01-03 21:46) 

九子

般若坊さん、コメントいただいた方にはメールをお願いしています。
もしうまくメール出来ないようでしたら、メールアドレスを左欄上のメール&お知らせのところへ貼り付けますから、そちらにメールをお願いします。
お待ちしています。m(_)m
by 九子 (2012-01-03 21:49) 

九子

youziさん、こんばんわ。御返事遅れてすみません。
本当に今年こそ良い年になるといいですね。
youziさんとこにはそろそろももちゃんの次の子が来るかもって噂が・・。
もしかしたらももちゃんもそれを願ってくれてるかもですね。( ^-^)
今年もよろしく!
by 九子 (2012-01-03 21:53) 

九子

ceciliaさん、こんばんわ!
あっ、びっくりしてくれた?私は年賀状書くのが趣味??なのです。(^^;;

そうですよねえ。長野県は大きいので県内のどこに家があるかで近い隣県が違ってきます。う~ん、cecileさんとこは確かに近くはないけど、本当は遠くも無いんだよね。( ^-^) 会おうと思えば会える!ガッツだぜ!

年賀状首を長くして待ってますよ~。( ^-^)
by 九子 (2012-01-03 22:00) 

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