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安心立命 [<坐禅、仏教、お寺の話>]

年賀状には温かい家庭のささやかな日常が綴られるものだとばかり思っていると、時としてとんでもない非日常が書かれていてのけぞる事がある。

Kさんからの年賀状はその最たるものだった。

7~8年前まで、わが家のすぐ前でピアノ教室を開いていたKさん。
東京から引っ越されてすぐ、その行動力と明るさでまたたくうちに生徒さんを増やし、わが家の娘二人と
出来すぎ母も、いつのまにか彼女の生徒の末席に加わっていた。( ^-^)

出来すぎ母は小さい頃にピアノを習ったがすべて音感に頼っていたので、楽譜は特にシャープやフラットが増えて来るともう読むのがめんどうになる。
それでも年を取って暇が出来るとまた昔のようにピアノを弾いてみたいと思ったようだ。

その血を受け継いだ九子も同様に譜面を見ずになんとなあく弾いていて、母に言わせると「おっぽけばっかり弾いて!」と言う事になる。(そんな九子はピアノとは早々におさらばした。(^^;;)

おっぽけというのは、でたらめとか間違いとか言う意味の、これは稲荷山弁なのかな?
(今気がついたけど、もしかしたら語源は「大呆け」かも・・。)

Kさんはピアノ初心者でも「どうしてもこの曲が弾きたい。」というリクエストがあれば、その曲がなんとか弾けるようになるまで指導してくれた。

出来すぎ母も、「別れの曲」や「トロイメライ」を一丁前に弾く事が出来るようになった。

まあそんな訳で、Kさん御一家が大家さんの都合で三年ほどでここからそう遠くない別の場所に移って行かれるまで、Kさんは九子の数少ない友人の一人であり、わが家3人のピアノの先生であった訳だ。


九子がのけぞったのは、後から気付くと二年ぶりに届いたKさんからの年賀状の「脳死肝移植」という一言だった。

えっ?「脳死肝移植?信州大学病院で?」
Kさんはいつも元気いっぱいの人で、肝臓が悪いなんて一言も言っていなかったのに・・・。


早速電話して聞いた話はこうだった。

彼女は一番下のお子さんを生んだ時、C型肝炎に感染してしまっていた。
その後ずっと、ほとんど症状が出ないで済んでいたのだが、5年ほど前から症状が出始めて、肝硬変、肝癌へと進んでしまい、癌は肝臓全体に広がり、生体肝移植では間に合わず、肝臓全体の移植しか打つ手が無くなっていた。それが2010年の秋頃。

「来年のお正月は迎えられないかもしれない。」という余命宣告を受けながら、彼女は持ち前の勝気さで泣いても仕方がないと開き直って、前向きに、ひたすら前向きに、看護師さんに「何がそんなにおかしいの?」といぶかしがられるほど笑いながら毎日を送っていたそうだ。

「子供たちだって一番下がもう二十歳。ここまで生きてやればもう母親の責任も果たしたでしょ。」
彼女の強さはこういう割きり方だ。とても九子と同じ一人っ子とは思えない。

そういう前向きな気持ちが、確かに彼女に幸運をもたらした。
余命ぎりぎりの2010年の12月、肝臓の型が彼女とぴったりのドナーが現れたのだ。

そして7人の主侍医による23時間にも及ぶ手術が始まり、何度も生死の境をさまよいながらも、彼女いわく、「ベートーベンの生誕日に生まれ変われた。」のだそうだ。音楽にぞうけいの深い方は御存じだろうが、12月16日の事だそうだ。

幸い拒絶反応も起こらず、一ヶ月後にはもう退院して、長野から松本まで小型の酸素ボンベをひきづりながら受診を続けたそうだ。

そんなKさんのことは県下初の脳死肝移植ということでもちろん名前を伏せて地元紙やテレビでも取りあげられたそうで、見る人が見れば彼女だと言う事がすぐにわかる記事だったと言うが、九子は全然知らなかった!

そして彼女はこんな不思議な話もしてくれた。
彼女の肝臓は北の方から空輸されて来た男性の肝臓なのだそうだ。臓器はユニセックスなんだね。( ^-^)
そして移植手術中、彼女は不思議な夢を見ていたそうだ。
男性がどんな風に死んだのか、そして彼のお葬式の様子、それらが手に取るように見えたのだと言う。

そして麻酔からさめた時、彼女は彼女のものになった肝臓にこう語りかけたそうだ。
「よろしくね。縁あって私の身体の一部になってくれた肝臓さん、これからはずっと二人で頑張りましょうね。」


「もう一年経ったから、すっかり元どおり元気になったわよ。薬(免疫抑制剤)は死ぬまで飲むけどね。
 お金はすっごくかかったけど、命もらったんだもの。信州大学(医学部)優秀よ。考えてみたら肝臓移植最初にやったの信大病院だったもんね。先生方みんなアメリカへ留学して研鑚積んでるの。東京の友達に、長野に居たから助かったって言われたもの。そんな普通じゃ会えもしない優秀な先生方がみんな私の主侍医になってくれて、今じゃ気楽に話せるんだもん。それだけだってすごい体験よ。」

「私のピアノのお弟子さんさあ、みんな優秀で信州大学医学部へ3人も入ったのよ。」
一流のピアニストになるような人は頭脳明晰じゃないと絶対に成れないというのが彼女の持論だった。
言われてみると確かにそうだ。10本の指を別々に動かすという離れ業は、とてもじゃないが九子みたいなとろい人間には出来るはずがない。

「入院してるとさあ、夜中に泣き声が聞こえてくるの。泣き声で眠れないって人も居る。睡眠薬もらう人も居る。だけどもうしょうがないじゃない。泣いてたって何も始まらない。そんなら明るく笑っていようって思った訳。」

これらの言葉から垣間見られる勝ち気で前向きで陽気な彼女の性格が、彼女の術後の免疫力を高めるのに大いに効を奏した事は言うまでも無い。

癌患者でも、前向きに生きる人の方が予後がいいってよく言われる。
だけど九子にKさんと同じ事が出来るかと言われたら自信が無い。

もちろん九子は必死に坐禅をするだろう。それによってだいぶ不安は小さくなるに違いない。だけど果たしてKさんみたいに達観できるだろうか。「子供も一番下が20歳になったんだから、もういいじゃない!」
そんな風に思えるだろうか?

九子は活禅寺で「安心立命」という言葉を習った。仏を信じて(坐禅をして)安心しきって、自分の使命をまっとうするという意味だ。

若い頃はなかなかわからなかった「自分の使命」だが、この頃なんとなく見えてきた。たぶん大きく外れてはいないと思う。
若い頃は別の事を自分の使命と思い込んだ時期があったが、それはやっぱり間違いだった。それが自然にわかってきた。
自分の使命はそんなに自分とかけ離れた難しいことの中には無いようだ。
そういうことがわかってくると、年を取るってまんざら悪い事ではないと思えてくる。

仏教では一期一会だの、会うは別れのはじめだの、今日と言う日が二度と来ないことを戒めることわざが多い。

Kさんみたいに人生を2回も味わうような体験はそうそう出来ないと思う。普通の人はたった一度の人生だ。

九子なんかはその人生もそろそろ先が見えてきて、とにかく死んでいく時に悔いだけは残したくないと思うようになった。

自分の使命はわかった。ならばその使命のために何をなすべきか。
今年はそんな事を考えながら過ごせたらいいなあと思っている。


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コメント 6

Cecilia

お友達、お元気になられたようでよかったですね。
私たち夫婦にもこのお正月びっくりするような年賀状がありました。
毎年贈り物をしている相手で、何があっても礼状を欠かさないご夫婦(礼状は必ず奥様)でしたが、ここ二年ほど何の音沙汰もなく、離婚しているのかと思っていたのです。年賀状も二年ぶり、いや三年ぶりでしょうか。
何と奥様がクモ膜下出血で倒れたまま意識が戻っていないとのことです。
とても健康的で倒れるなんて考えられなかった方なので驚いています。

最近自分の体のことも含めて人生で起こったいろいろなこと、自分がやってきたいろいろなことが急速に繋がり始めて動いていると感じます。
by Cecilia (2012-01-16 08:30) 

リンさん

移植成功して良かったですね。
私も6年前に大きな病気をしました。
今はすっかり元気ですが、病気の人の気持ちはわかるようになりました。
生まれ変わって新しい人生を歩み始めたんですね。
明るい方みたいなので、きっと楽しく生きるでしょうね。

メール送りました。
by リンさん (2012-01-16 18:56) 

九子

ceciliaさん!( ^-^)
コメント、nice!有難うございました。m(_)m

ceciliaさんのコメントとnice!の相関関係?、読ませて頂いてよくわかりました。なんだかceciliaさんらしいなと思って、ほほえましくなりました。
( ^-^)

御友人も大変な目にあわれたんですね。
くも膜下は本当に怖いです。愛する奥様が何年も意識が戻らないなんて、ご主人様もさぞや気がかりでいらっしゃるでしょう。

>最近自分の体のことも含めて人生で起こったいろいろなこと、自分がやってきたいろいろなことが急速に繋がり始めて動いていると感じます。

それは素晴らしい!
私もたまにそういう風に思うことがあります。
私の場合は痩せても枯れても仏教徒なので(^^;;、「ああ、こういうことだったのか!やっと仏様の意図がわかった。」みたいな感じになります。

きっと実りある良い一年になることでしょう。( ^-^)
今年もよろしくお願いします。m(_)m
by 九子 (2012-01-16 22:46) 

九子

りんさん、nice!とコメント有難うございます。m(_)m

りんさんも大病なさったんですね。
私はこの年になるまでお産以外で入院したことがありません。
来るならこれからかしらね。

>今はすっかり元気ですが、病気の人の気持ちはわかるようになりました。

病気してみないと本当のところはわからないから、そういう意味では良い体験だったのかしらね。きっとその体験は確実にりんさんの人生に大きな財産になっていらっしゃると思いますよ。

私も唯一うつ病の人の気持ちはわかるかもね。

友人はピアノの先生としてお弟子さんを誉めて育てるのがうまい人だから、きっとこれからもたくさんの良いお弟子さんを育てていくことでしょう。

今年もよろしくね。( ^-^)
by 九子 (2012-01-16 22:55) 

扶侶夢

肝心な事を考えずに生きているのが一般の人間というもので、本当は生きていること自体が大変貴重で有難いということを忘れているんですよね。
by 扶侶夢 (2012-01-22 02:41) 

九子

扶侶夢さん、こんばんわ。( ^-^)
今年もよろしくお願い致します。m(_)m

>本当は生きていること自体が大変貴重で有難いということを忘れているんですよね。

まさにその通りですね!そしてそれに気がつくのは大病をした時。

だから死にそうな体験をした人はそれ以降の人生を大切に生きられるのかもしれませんね。

命の瀬戸際には立ちたくないけれど、そういう気持ちで生きることは大切。
たぶん仏教はそれを教えているのだと思います。

何度もくどいようですが、是非メールをい下さい、扶侶夢さん!( ^-^)
メルアドは左欄上方です。
by 九子 (2012-01-22 23:01) 

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