ボクの音楽武者修行 [<九子の読書ドラマ映画音楽日記>]
本の冒頭に出てくる写真は、20代の小澤征爾。
指揮してる顔は、なぜか石田純一に見える。(^^;;
ホントだよ。( ^-^)
指揮してる顔は、なぜか石田純一に見える。(^^;;
ホントだよ。( ^-^)
一言で言えば、マエストロ小澤征治はふてえヤロウだ。
長野の方言だろうか?「あいつはふてえヤロウだ。」と、父も祖父もよく言っていた。
太い野郎。肝っ玉が大きくて図太い。堂々として誰に対しても態度がデカイ。
「ふてえヤロウ」と評価されることは、決して嫌われているんじゃない。
むしろ、ちょっと図々しいが大物で見込みのあるヤツと期待されているのだ。
むしろ、ちょっと図々しいが大物で見込みのあるヤツと期待されているのだ。
小澤は満州生まれで、男ばかりの4人兄弟だ。
父親は歯医者だったが、北京に移る頃には別の仕事についていた。
一家が日本に帰ってきたのは小澤が小学校に上がる頃だ。
決して裕福な暮らしではなかったが、母はクリスチャンでいつも賛美歌を歌い、男の子4人で男声四重唱を組んでいろいろな歌を歌った。
決して裕福な暮らしではなかったが、母はクリスチャンでいつも賛美歌を歌い、男の子4人で男声四重唱を組んでいろいろな歌を歌った。
両親がどんなに生活に困ってもピアノだけは手放さなかった事に、小澤はいつも感謝している。
この本には彼が家族に出した手紙がたくさん引用されている。
「みんな元気?」で始まる心温まる手紙だ。
「みんな元気?」で始まる心温まる手紙だ。
最初のヨーロッパ行きは一人で決めた。
当時小澤は桐朋学園で齋藤秀雄先生(サイトウキネンの齋藤先生)から1対1で指揮の授業を受けていて、桐朋学園オーケストラ全員の欧州行きの話が持ち上がったのだが、資金の関係で中止になってしまう。
自分一人だけでもなんとか行きたい。
外国の音楽をやるためには、その音楽が生まれた土、そこに住んでいる人間、をじかに知りたいと小澤は堅く決心した。
後にニューヨークフィルのバーンスタインに「セイジ、お前は幸福な奴だ。こんな美しい国で育ったなんて・・・。それなのになんでニューヨークなんて住む気になったんだい?」と聞かれた時、彼はこう答えたかったそうだ。
「自分には西洋音楽を知りたいと言う強烈な気持ちがあって、その気持ちの前では日本の美しい景色も色あせてしまうんだ。」
もちろん金など無い。
彼が書き出した携帯品は、鞄、歯磨き、歯ブラシ、フランス語の字引、日記帳、シャツ、パンツ。
それっきり。(^^;;
それっきり。(^^;;
小澤が何より準備に時間と労力を費やしたのは、現地で使うスクーター、またはオートバイの調達だった。
東京中駆けずり回って、なんとか貸してくれる人を探した。
東京中駆けずり回って、なんとか貸してくれる人を探した。
一番最後に富士重工で、ラビットジュニア125ccの新型をもらった。
ただし、条件があった。
ただし、条件があった。
一、日本国籍を明示すること。
二、音楽家であることを示すこと。
三、事故をおこさないこと。
二、音楽家であることを示すこと。
三、事故をおこさないこと。
粋な条件だが、その条件を満たすため小澤は白いヘルメットにギターをかついで日の丸をつけたスクーターにまたがって欧州行を続ける事になる。これはどう考えても目立つよね。(^^;;
貨物船に乗せてもらって船賃を浮かす。
貨物船はお薦めだそうだ。
実に俗離れしていていろいろなことが考えられるから、音楽家にはいい薬になるそうだ。
実に俗離れしていていろいろなことが考えられるから、音楽家にはいい薬になるそうだ。
それと荷物の積み下ろしに時間がかかるので、ゆっくり街を散歩出来る。
そのたびに英語はうまくなるし、物知りになれる。
彼の手紙によると最初英語もあまり出来なかったのが、地中海に着く頃にはほとんど不自由しなくなったと言うことだ。
そのたびに英語はうまくなるし、物知りになれる。
彼の手紙によると最初英語もあまり出来なかったのが、地中海に着く頃にはほとんど不自由しなくなったと言うことだ。
スクーターについて、抜書きさせて貰う。
ヨーロッパを歩くには、汽車よりもスクーターかヒッチハイクに限る。安い市場の前を通るたびに必要な物を買い集めて背中にしょった袋に入れておくのだ。そして腹がへったら野原にシュラーフザックを広げて、青空を眺めながら食う。かならず子供か人のいい農夫が近づいて来るから退屈はしない。ぼくが日本語で大きな声で歌いながら、ゆっくりと道を行くので、みんなニコニコして手をふる。
しかし雨にはまいる。つくづく太陽のありがたさを感じたものだ。
スクーターで地べたに這いつくばるような格好でのんびり走っていると、地面には親しみが出る。見慣れぬ景色も食物も、酒も空気も、なんの抵抗もなく素直に入って来る。まるで子供の時からヨーロッパで育った人間みたいに。
美人もよく目についたが、気おくれなど全然感じない。大げさに言えば、美人が皆ぼくのために存在しているようにさえ思えた。音楽に対してもそうだ。
自然の中での、人間全体の中での、また長い歴史の中での音楽が素直に見られるようになった。
これはぼくにとっては大きなプラスだ。
美人もよく目についたが、気おくれなど全然感じない。大げさに言えば、美人が皆ぼくのために存在しているようにさえ思えた。音楽に対してもそうだ。
自然の中での、人間全体の中での、また長い歴史の中での音楽が素直に見られるようになった。
これはぼくにとっては大きなプラスだ。
こういう圧倒的なプラス思考。是非日本人みんなが身につけたいよね。( ^-^)
現地でも同じ桐朋学園同期の江戸京子さんはじめ多くの人々の世話になって暮らす。
(後にこの三井財閥のお嬢様と最初の結婚をするのですね。( ^-^))
(後にこの三井財閥のお嬢様と最初の結婚をするのですね。( ^-^))
何と言っても、江戸さんからその名を初めて聞いたブザンソンの国際指揮者コンクールで、初出場でいきなり優勝してしまったのが凄い! 日本から行った学生に毛の生えたみたいなのが、いきなり世界一になってしまったのだ!
でも考えてみると、それがヨーロッパの器の大きさだよね。
初めての外国のオーケストラ、苦手なフランス音楽の、しかも難曲というので、かなりの難関だったが、記者たちのインタビュー攻めにあった時は「この程度のことは、日本の音楽教育の過程ではほとんど基礎的なことにすぎない。」と言ってやった、と言うのがまた凄すぎる!(^^;;
だがこの言葉は、小澤にとってまんざら大風呂敷と言う訳ではない。
恩師齋藤秀雄先生の教育法は、基礎的な訓練に関しては完璧で、世界でも例を見ないと小澤は言う。
具体的に言うと、齋藤先生は指揮の手を動かす運動を何種類かに分類して、たとえば物を叩く運動からくる「叩き」とか、手を滑らかに動かす「平均運動」とか、鶏の首がぴくぴく動くみたいに動かす「直接運動」というような具合に分類する。そのすべてについて、いつ力を抜き、あるいはいつ力を入れるかというようなことを教えてくれた。
その指揮上のテクニックはまったく尊いもので、一口に言えば、指揮をしながらいつでも自分の力を自分でコントロールすることが出来ると言うことを教わったわけだ。
言い方を変えれば、自分の体から力を抜くと言うことが、いつでも可能になるということなのだ。
言い方を変えれば、自分の体から力を抜くと言うことが、いつでも可能になるということなのだ。
これはちょっと考えてみると妙な理論かもしれない。
しかし実際に皆さんがおやりになるとわかると思うが、力を完全に抜ききるということが、どのくらいむずかしいことか、それはインドのヨガや、いろいろな健康法でも、ときどきこの頃言われてきていることだ。
力を抜くということ、自分の筋肉の力を抜ききる状態をつくることが、指揮のひとつのテクニックだとぼくは思っている。
しかし実際に皆さんがおやりになるとわかると思うが、力を完全に抜ききるということが、どのくらいむずかしいことか、それはインドのヨガや、いろいろな健康法でも、ときどきこの頃言われてきていることだ。
力を抜くということ、自分の筋肉の力を抜ききる状態をつくることが、指揮のひとつのテクニックだとぼくは思っている。
マエストロのこの言葉は、実は九子にとってもすごく役立った。
坐禅にも同じように通じるからだ。
この頃ずっと、九子はまともに坐禅をしていなかったのだということに気づいた。
いや、やってるつもりだったのだが、九子が初めて坐禅に出会った頃のあの、幸せがほとばしるような素晴らしい坐禅とはいつしか違ってしまっていたのだ。
あの頃は毎日が真剣勝負だった。薬も飲んでいなかったから、おどおどびくびくから開放されて、幸せで有意義な一日を過ごすためには、必死に坐禅をするしかなかったのだ。
今、九子は死ぬまで飲み続ける気分調整剤を毎日飲んでいる。薬のおかげで、気分はいつも安定して落ち着いている。
M氏は九子が何をしようとも、いやむしろ何にもしなくても(^^;;決して怒らないし、とりあえずのお金に困るわけではない。
M氏は九子が何をしようとも、いやむしろ何にもしなくても(^^;;決して怒らないし、とりあえずのお金に困るわけではない。
そうなると怠け者の九子は、坐禅の必要性を昔ほど感じなくなってしまっていたのだ。
ある日、一日ゆっくりと時間をとって坐禅をしてみた。(薬局が暇だったってことだ。(^^;;)
マエストロが言うとおり、身体の力を抜くことの大切さ。
もっとも坐禅の場合は、背筋だけはぴんと伸ばしていなければならないから腰骨の力は抜いてはいけない。
もっとも坐禅の場合は、背筋だけはぴんと伸ばしていなければならないから腰骨の力は抜いてはいけない。
何回も坐りなおして数時間坐ると、おかげで九子にあの時の坐禅が戻ってきた!
ああ、今思えば坐禅をおざなりにしていた何年間、九子はなんと無駄な時間を過ごしてしまっていたのだろう。
人生、もうそう長くないのに・・。(^^;;
マエストロ小澤は、その後さまざまな経緯を経て、現在に至る。
有名なN響事件の後、彼は30年以上もN響とはいっしょに演奏しなかったらしい。(1995年に事件以来はじめて共演している。)
心のボタンの掛け違いは誰の心にも、たとえマエストロにだって同じように起こるのだなあと思う。
マエストロの本で初めてわかったことがもう二つ。
人間が大好きな人の方が外国で成功するみたいだと言うこと。
そして、指揮者は体力勝負だということ。
文体からはもちろんだが、マエストロの明るく人懐こい性格は挿入されてる写真にも良く現れている。
図々しく誰かの肩に腕を回してる写真がなんと多いことか!(^^;;
隣の国と地続きで長い戦争の歴史のあるヨーロッパでは、自分が敵ではないことをまず相手に指し示す必要がある。笑顔と馴れ馴れしいくらいの親愛の情を恥じる事無く披露できるマエストロが外国で受け入れられ易かったのは当然のことだろう。
小澤は、指揮者を目指す若者たちに次のように述べている。
「何より、柔軟で鋭敏で、エネルギッシュな体を作っておくこと。また音楽家になるより、スポーツマンになるようなつもりで、スコアにむかうこと。」
これが小澤が外国で学んだ中で一番貴重なことだそうだ。
そうか!今マエストロが一年間休養して未来に備えているのはそのためなんだね。
この本が書かれたのは昭和37年。50年も前の話だ。
その時すでにマエストロはこう書いている。
欧米では音楽家は音楽のことだけを考えていればいい。それ以外のことを何も心配する必要がない。
ところが日本では、対人的な感情、派閥、コネ・・・これらのことを無視しては世に出られないということである。それだけ日本が貧乏国であり、音楽のマーケットが狭く、音楽ファンが少ないからだということも言える。
ところが日本では、対人的な感情、派閥、コネ・・・これらのことを無視しては世に出られないということである。それだけ日本が貧乏国であり、音楽のマーケットが狭く、音楽ファンが少ないからだということも言える。
さて50年たって、今の日本はどうなのか?
少なくとも貧乏国では無く、音楽ファンも音楽マーケットもそんなに少ない訳ではないと思う。
だけど音楽業界に限らずとも、コネや派閥は昔と変わらず存在するんじゃないのかな?
50年だよ、50年!
50年だよ、50年!
小澤征爾は現在のマエストロだが、未来のマエストロMuranさんが日本の外から、それこそ声を絞り出すように発信される記事を読んでいると、日本人が変わるって相当難しい事のように感じてしまうのだけれど・・・。
「ボクの音楽武者修行」、私も、30年以上前のことですが、あまりのおもしろさにむさぼり読むように読んだことを思い出します。
普通の音楽好きの青年がいきなりプザンソン指揮者コンテストで優勝してしまうような風に読めますが、もちろんそんな甘いものではなく、それだけの実力を既に身につけていて、しかも大変な努力をしてきた結果であることは明白です。
今でもそうだといいますが、小澤さんは徹底的にスコアを分析し、数限りなく振った曲でも、演奏の前にはさらい直すそうです。
その姿をみていた他の指揮者が、「あんなことに時間をかけるくらいなら、細かいことは楽譜を見ながら振ることにして、もっと能率的にやればいいのに」といったとか。
それに、斎藤秀雄さんの指揮法の教え方は、当時恐らく世界で一番先進的なものであったと思われます。
それまであのような体系的かつ具体的な運動の観点から教育した人はほとんどいなかった。
斎藤さんが学んだローゼンシュトックが考えていたものをこのような形で実践したという意味でも誠にすごい人だなと思いますね。
斎藤さんの言葉で印象に残っているのは、「音楽をやろうと思っているヤツは音楽が好きだからやっているわけであって、努力ではない。努力というのは辛いことをいやいやながらやることなんだから、好きなことで頑張るのは努力ではないのだ」というものです。
なるほどなあと感心したことを思い出しますね。
by 伊閣蝶 (2012-03-16 09:47)
伊閣蝶さん、こんばんわ。( ^-^)
さすが、伊閣蝶さん!もうそんなに早くにこの本を読まれていらっしゃるんですね。
>普通の音楽好きの青年がいきなりプザンソン指揮者コンテストで優勝してしまうような風に読めますが、
私も小澤征爾は天才だからそんなものだったんだろうと思ってしまいました。
すごく努力をなさったのですね!
>斎藤さんが学んだローゼンシュトックが考えていたものをこのような形で実践したという意味でも誠にすごい人だなと思いますね。
齋藤秀雄氏にも師匠がいらっしゃったのですね。小澤さんは大変良いタイミングで齋藤先生に会われた訳ですね!( ^-^)
>好きなことで頑張るのは努力ではない
なるほど!きっと齋藤先生の言葉どおり、小澤さんも「これは努力ではない!」と思い込みながら、練習を重ねられたのでしょう。
それにしても伊閣蝶さん、博学でいらっしゃいますね!( ^-^)
by 九子 (2012-03-16 20:04)
小澤さん、来年まで1年間休養とのニュースが先日ありましたね。
しっかりと治療をして、また指揮台に戻ってきてほしいです。
by マチャ (2012-03-18 07:25)
マチャさん、こんばんわ!
指揮者って体力が必要な職業なんですね。知らなかった!
マエストロがもう一度力強く復活されることを待ちたいと思います。( ^-^)
by 九子 (2012-03-18 20:48)
九子さん、九子さん、九子さん
ありがとう。
今日、私のところに「印刷されたBlogデータ」が送られてきて
あなたが、マイぷれすの管理人さんと話していた部分を読みました。
デジタルの世界で話をしただけの私を気遣ってくださるあなたが
ここに移動したことを告知から見つけて、お礼を書きにきました。
実際、「不慮のBlog消失」は、打撃として大きすぎたでしょう。
私はすでに共同運営者を震災津波で奪われていましたから。
彼女の居住地に存在していた全てのデジタルデータを含めて。
テキストは手元にありましたが、5000を超える記事ですから・・・。
幸いなことに管理人さんを含む複数の人たちの善意によって
私は隠れていた部分も含めて、全部のデータを手元に残せました。
さてこれからどうしよう。
まだ、決めかねていますが、Blogは残すことにしました。
それはあなたを含む多数の人たちとの間のWebの糸(赤い糸より強いかも)の証ですから。
とりあえず、あなたを見つけました報告、として、コメントします。
あなたの優しさに心から感謝しています。
また、来ますね。
by 九子さんありがとう (2012-03-21 02:50)
わあ、良かった!連絡取れた!
データも無事だったんですね!良かった良かった!
だってMIYUさんのデータ膨大でしょ。あれが全部無くなっちゃったら辛いものねえ。でも管理人さんが助けてくださったんですね。
いやあ、良かった。
でも知らない間に悲しい目にもたくさん遭われたんですね。
知らなかった。お見舞い申しあげます。
私はぜ~んぜん優しくなんてないです。
優しくはなりたいけど、あれは生まれつきだわね。(^^;;
書いたものが無くなる事だけは自分でもすごく辛いと思ったからコメントしたまでです。
でも、MIYUさんとの赤い糸、また強まりましたね。
気が付いてくれて有難う。( ^-^)
by 九子 (2012-03-21 15:37)
九子さん お久しぶりです(^-^) こちらではじめてレスします。春先のせいか少し↓なので なるべく静かに過ごそうと思います。九子さんもご自愛下さい
by 秋桜 (2012-03-25 10:08)
秋桜さん!コメント有難うございます。( ^-^)
そういえば秋桜さんとは春先にお話することが多いような・・。(^^;;
くれぐれも無理をされないで、自然に任せてくださいね。
私この頃また毎日坐禅をするようになって、気分は至って快適なのですがどこかでしわ寄せがくるんじゃないかと少しだけ心配です。
まあでも、出来る時にいろいろやって、出来ない時に休む。基本的にはこれで行こうと思ってます。
来て下さって有難う。( ^-^)
by 九子 (2012-03-25 21:23)
「ボクの音楽武者修行」、
始めて読んだのは、たぶん1975年頃と思います。
いまも、書棚のどこかに隠れているはずです。
久しぶりに引っぱり出してみましょう。
>なぜか石田純一に見える。
そう言われればそうかもしれないですね、
記憶の中のモノクロ写真がなんとなく思い出されます。
個人的にも、音楽関係の本をむさぼるように読んでいた時期、
きっと視覚の印象も強かったのでしょう。
by e-g-g (2012-03-27 19:29)