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藪の中の家・・・芥川自死の謎を解く [<九子の読書ドラマ映画音楽日記>]

ああ、どうか、山崎光夫先生が当時と同じくパソコンをされないままで、もちろん九子のブログの存在などに気づいていらっしゃいませんように・・・。(^^;;


山崎光夫先生。山崎先生のおかげで、雲切目薬は世に出た。言わば雲切目薬の大恩人なのだ。

百草丸の研究で偶然我が家に立ち寄って下さり、父と二人で薬局店頭で元祖雲切目薬のお話をして、見本に差し上げた雲切目薬をとても気に入って下さった。

その後先生が「週刊東洋経済」に載せて下さったコラムが、正真正銘の雲切目薬メディアデビューになる。平成14年春の話だ。( ^-^)

文士と言われる人々は、もしかしたらちょっと変わっていて世の中の常識が通用しないのではないかと思っていた九子なのだけれど、山崎先生は大変に折り目正しく、誠実でいらして、こちらは先生のおかげで目薬が売れるようになった訳だから、信州の果物などお送りするのは当然で、お返しなど頂く筋合いは無いのに、新しい本が出るたびに「著者謹呈」の一冊を必ず送って下さる。もう十何冊目になろうか。

誠実と言えば、「毒蛇」の小林照幸氏も山崎先生に負けず劣らず、礼儀正しい好青年だ。( ^-^)

小林照幸氏は弱冠二十歳やそこらで開高健ノンフィクション奨励賞を受賞され、作家で生きる道を選ばれて明薬大を辞められた訳だけれど、今回の「藪の中の家」は、山崎光夫先生がテレビ局や雑誌記者のキャリアを積まれてから作家に転向され、多分十数年目にして新田次郎文学大賞を受賞された出世作だ。

恐れ多くて取り上げられないはずの山崎先生の本を今回取り上げたのは、もちろんわくわくするほど面白かったからだ。( ^-^)


とにかく緻密な本だ。
先生は大変入念に資料を集め、事実の裏づけを取るのに労を厭わない。
ただただ足を使って、主人公が生活していた界隈を実際に歩いてみる、当時の知人を頼って情報を集める、そして故人の墓に詣でて手を合わせる事を欠かさない。

今回は本文中に参考図書がすべて明記されているから別だが、先生の他の著書の巻末には、何十冊と言う参考資料の数々が載っている。
こういう血の滲むような努力をなさって書かれた先生の著書は、知的で、凛として美しい。

山崎先生は本当はセリフ使いが大変お上手でいつも感心するのだけれど、今回に限ってはあくまでも史実に忠実に、セリフは文献中以外にはほとんど見当たらない。

先生はある時、芥川龍之介の近所に住んでいた主治医の下島勲(いさお)医師が書かれた日記を御親族から借りられることになる。
「熱意が人の心を融かすものだとわたしは久しぶりに感じとった。」と山崎先生は興奮気味に書かれている。

借りられたのはいいのだが、下島医師の日記は崩し字が多くてほとんど読めない。
それを書道の大家の親戚の助けも借り、何度も何度も読むうちに、だんだんわかるようになってくる。

そうやって苦労の末、日の目を見たのが下島日記だ。特に芥川が亡くなった当日を含む4冊のノートは山崎先生が執念で発掘されたものだ。

 

芥川は下島医師の他に、精神科の主治医として齋藤茂吉の診察も受けて薬を貰っている。
とにかく不眠症に悩んでいた芥川が睡眠薬を多量に飲んで自殺したというのが、ある時期までの定説だった。


文庫版の表紙には、魅力的な写真が使われている。

藪の中の家―芥川自死の謎を解く (中公文庫)

藪の中の家―芥川自死の謎を解く (中公文庫)

  • 作者: 山崎 光夫
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2008/07
  • メディア: 文庫

痩せてはいるが、まだあごにも丸さが見える芥川龍之介が穏やかな顔で書斎の前の机に座り、自分と瓜二つのいがぐり頭の少年をひざの上に載せている。これが龍之介の長男の芥川比呂志氏だ。

そしてこの机が、龍之介が終生大切にしていたと言う結婚式の時に夏目漱石夫人から頂いたという紫檀の机だ。そう、問題の机なのだ。

実は俳優であった芥川比呂志氏は、九子の若い頃の憧れの人だった。( ^-^)

彼と弟の他加志氏、也寸志氏の三兄弟は、父亡き後、果たして幸せだったのだろうか?

龍之介は「或阿呆の一生」の中でこう書いている。

「何の為にこいつも生まれて来たのだらう?この娑婆苦の充ち満ちた世界へ。
 何の為にまたこいつも己(おれ)のやうなものを父にする運命を荷ったのだらう?」
  しかもそれは彼の妻が最初に出産した男の子だった。

 

芥川龍之介が遺した四通の遺書のうち「わが子等に」と題された遺書には、熟慮に熟慮を重ねたであろう八項目が並べられている。
九子には以下の項目が取り分け鮮烈だった。

一.人生は死に至る戦ひなることを忘るべからず。

三.小穴隆一を父と思へ。従つて、小穴の教訓に従ふべし。

四.若しこの人生の戦ひに破れし時には汝等の父の如く自殺せよ。但し、汝等の父の如く 他に不幸を及ぼすを避けよ。

六.汝等の母を憐憫せよ。然れどもその憐憫のために汝等の意思を抂ぐ(まぐ=曲げる)べからず。是亦却つて汝等をして後年汝等の母を幸福ならしむべし。

八. 汝等の父は汝等を愛す。(若し汝等を愛せざらんヤ、或は汝等を棄てて顧みざるべし。汝等を棄てて顧みざる能はば、生路も亦なきにしもあらず)

 著者注)子供たちを棄ててしまえるくらいなら生きていけるだろう、棄てられないので生きていられない。


文豪としてのゆるぎない地位にまで上り詰めた芥川だが、父親としてははなはだ心もとない存在だった。特に末子の也寸志については、彼の小説の挿絵書きであった親友の小穴隆一に「自分にもしものことがあったら、おまえにやるよ。」と生前から言っていたと言う。

山崎先生もこれには、「龍之介は父親失格」と手厳しい。

不眠と胃腸障害、それによる下痢や痔疾患で、薬を切らせない生活。

驚いたことに齋藤茂吉は芥川にアヘン製剤まで処方していたそうだ。
当時はまだアヘン製剤が合法で、齋藤茂吉自らも、頻繁に服用していたらしい。

痛み止めというよりもむしろ、「精神解放薬」つまりストレス解消のために、ドラッグ感覚で使われていたらしいのだ。

幸いなことにアヘンの量が少なかったためか、芥川は麻薬中毒にはならずにすんだようだ。

彼は流行作家としてかなりの稼ぎをあげていたはずだが、財布は養父母が預かっていて自由になるお金は少なかったとのことだ。

その上美男子の芥川には女性の影が引きも切らず・・・・・。
それでも文夫人は文句一つ言わずに、家事にいそしみ男の子三人を育て上げる。


もちろん本著では、芥川の死の直後、下島医師が「此間(このかん)義ちゃんの案内で二階へ行き真相が諒(わか)った。」と書いた真相・・、つまりは例の紫檀の机の上にあった小瓶の中身が何かというのが一番の問題なのだが、その答えは割合早い段階で出てくる。

それでも最後まで、読者の興味を逸らさない山崎先生の筆力に脱帽だ。

実は小瓶の中身については、九子はもう答えを知っていた。
だから九子にはむしろ、文夫人と芥川龍之介の結びつきの濃さの方に感じるところが多かった。

文は龍之介にとって幼馴染であり、文の叔父に当たる山本喜誉司と龍之介が中学の同級だった。

龍之介が文に送ったという恋文はさすがだ。

 

 文ちゃん
先達は田端の方へお手紙を難有う(中略)会って、話をする事もないけど、唯まあ会つて、一しょにゐたいのです。へんですかね。どうも

へんだけれど、そんな気がするのです。笑つちゃいけません。

それからまだ妙なのは、文ちゃんの顔を想像する時、いつも想像に浮ぶ顔が一つきまつてゐる事です。どんな顔と云って 云ひやうがありませんが、まあ微笑してゐる顔ですね。(略)

僕は時々その顔を想像にうかべます。さうして文ちゃんの事を苦しい程強く思ひ出します。そんな時は、苦しくつても幸福です ボクはすべて幸福な時に、一番不幸な事を考へます

さうして万一不幸になった時の心の訓練をやって見ます その一つは文ちゃんがボクの所へ来なくなる事ですよ。(そんな事があったらと思ふだけです。理由も何もなく。)

それから伯母が死ぬ事です。この二つに出会っても ボクは取り乱したくないと思ふのですね。
が、これが一番むづかしさうです。もし両方一しょに来たら、やり切れさうもありません。

もう遅いから(午前一時)、やめます。文ちゃんはもうねてゐるでせう。ねてゐるのが見えるやうな気がします。もしそこにボクがゐたら、いい夢を見るおまじなひに そうつと眶(まぶた)の上を撫でてあげます  以上

   十月八日夜                          芥川龍之介

塚本 文子様


ああ、もしも九子なら、完璧に落ちる!(^^;;(^^;;
そして嫁に行って3日もしないうちに「役立たず!」と言われて実家に帰される。(^^;;


確かにラブレターにまで伯母さんのことが出てくるのはショックだけれど、相手は天才芥川、天下の芥川龍之介さんですよ。その心を射止めたとなれば、世の女性達の頂天に立てたような気分になれるじゃないですか!(^^;;

ここで言う伯母とは、龍之介が生まれてわずか7ヶ月目に発狂したと伝えられる実母ふくの姉のフキさんのことで、ずっと親代わりに龍之介を育てて来た。


文さんは芥川の八つも年下なのに、さすが軍人のお嬢さん、人間が出来ている!

新婚生活にも伯母さんの影があり、夫が稼いでくる大量のお金は養父母が管理していて自由に使えず、心遣いの花瓶を買っても夫にまで贅沢だと言われ、子供が出来てもさほど夫は関心を示さず、その上、家には客が多く、夫に言い寄る女性達もたくさんやってくる・・となれば、今の時代ならば即刻離婚!となっても仕方が無い状況を、賢夫人文さんはひたすら夫の身を案じて耐える。

秀しげ子は特にしげしげと出入りしては芥川を悩ました悪女だけれど、彼女のことも文さんは「気にしておりませんでした。」と涼しげだ。

ただ、芥川が自殺する二ヶ月ほど前、平松やす子と心中事件を起こして事なきを得た時は、文さんは烈火のごとく怒って芥川を叱りつけ、芥川は涙を見せて謝ったと書かれている。

そしてこれほど怒ったのは、後にも先にもこの時だけだったと・・。

主人が亡くなりました時、私はとうとうその時が来たのだと、自分に言い聞かせました。
私は主人の安らぎさえある顔(私には本当にそう思えました)を見て、
「お父さん、よかったですね。」という言葉が出てきました。     「追想 芥川龍之介」より


こういう文夫人だったからこそ、三人の遺児を立派に育てあげられた。

wikipediaの芥川文という項目に、文さんの生涯がまとめられている。
なかなか消息のつかめなかった次男多加志氏が、龍之介に一番似て文学志向が強かったこと、そして第二次世界大戦で戦死されたことなどが書かれている。

これを言うと文さんに酷かもしれないが、もしかしたら多加志氏が文学の道に進み、天才の父親と比較されて辛い思いをするよりは、運命によって戦死するほうが幸せかもしれないと思う気持ちもおありだったかもしれない。

文さんは68歳まで生きて、自らのダイヤの指輪を売り払ってまでピアノを買うお金を工面したという末っ子の也寸志氏の家で、幸せに暮らされたようだ。

也寸志氏は父親の印税が途絶えてしまって金銭的に大変な生活を送らざるを得なかったこの頃のことを踏まえて、音楽使用料規定を改正し、徴収料金を倍増させるのに貢献されたという。

芥川龍之介の遺児は三人とも幸せに育った。
それは、父親としては頼りなかったかもしれない龍之介その人が選んだ文夫人のおかげだ。

芥川龍之介は、父親としての責任を最低限果たしたと九子は信じたい。

 

 


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さきしなのてるりん

芥川の作品で記憶にある題は侏儒の言葉、蜘蛛の糸、鼻、地獄変、
羅生門、河童、ってとこでしょうか。短編が多いので、長く続くのがニガ手なわたしには読むのが楽だった気がします。面白かった印象なのに、あらすじは?と聞かれると入り乱れてとぎれとぎれ。乱読ですね。もう一度図書館で読みなおそうっと。
by さきしなのてるりん (2012-05-13 22:31) 

伊閣蝶

芥川龍之介と平松やす子さんのことは、川西政明著「新・日本文壇史 第1巻」にも出てきますね。
しかし、やはり文夫人の偉さが光るような気がします。
私は、この「藪の中の家」をまだ読んでいませんので、早速読んでみようと思いました。
by 伊閣蝶 (2012-05-14 13:57) 

九子

てるりんさん、こんにちわ。( ^-^)

すごい!いろいろ読まれていらっしゃるんですね。
あらすじは知っていても、しっかりと読んだことの無いものばかり・・。
これを機会にしっかり読もうと思っています。

山崎先生が「芥川の小説は100%完璧なものばかり・・」とおっしゃるので、その完璧がどれほどのものかわかるまで、少なくとも読んでみようと思っています。
by 九子 (2012-05-14 16:26) 

九子

伊閣蝶さん、こんにちわ。( ^-^)

いつもの事ながら、博学の伊閣蝶さんはすべてよく御存知なんですね。

文夫人、本当に良く出来た人だと思います。覚悟が出来ているのはやはり軍人さんのお嬢さんだからでしょうか?

藪の中の家・・本当にお薦めですよ。( ^-^)
by 九子 (2012-05-14 16:30) 

moz

百草丸、じぶんは毎日飲んでいます。目薬、興味津々です。
そうなんですか、すごいいわれのあるお薬なんですね。
つながりで芥川龍之介まで ^^
最近また芥川龍之介、本屋さんに文庫本が並んでいますよね。久しぶりに読んでみたくなりました。
by moz (2012-05-22 06:14) 

九子

mozさん、こんばんわ。( ^-^)
はい。目薬、古いだけは古いんですよ。
川中島の合戦の時、山本勘介が使ったのではないか?と言われてるくらいです。(^^;;

芥川、名前とタイトルは知ってても、実際に読んでない本ばかりで・・。(^^;;
これを機会に読もうと思ってます。( ^-^)

mozさん、左欄上にあるお知らせ&メールの通りに、九子にメールを下さいな。同郷人のmozさんには是非ともお知らせしたいので・・。
by 九子 (2012-05-22 19:58) 

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