再び、長野と松本 [<正統、明るいダメ母編>]
九子が「長野と松本」を書いてから、もうかれこれ7年が経つ。
当時両親はかなり体力が無くなっていて、でも好奇心だけは人並みだったため、リッチな親戚Cさんが貸してくれると言う伊豆の別荘に、夏休み、家族揃って向かっていた。
ワンボックスカーでの7時間の大移動で二人はかなり体力を使い果たしてしまい、青い海を一瞬たりとも見ることが出来た喜びと引き換えに、もしかしたら寿命を縮めることになってしまったのかもしれない。
でも毎日毎日テレビの画面と天井の両方を交互に見てるだけの生活を今日も明日も続けるよりは、「よぼよぼになって長く生きたくない。」と言っていた彼らの事だから、何かしら生きがいのようなものを感じてくれたんじゃないかなと思ったりする。
何より二人の思い出だけは確実に残った。
ふだん着物と言うものに縁の無い九子が三十数年ぶりに袖を通した着物は、母の形見の黒留袖(とめそで)だった。
思えばその前に九子が着た着物はといえば、誰が着ようともあでやかに映える婚礼衣装の打ち掛けである。(^^;;
(もちろん浴衣や活禅寺の正装である白衣(びゃくえ)は着物のうちに含まれて居ない。)
母が亡くなった時に、九子用に母が誂(あつら)えてくれた着物の数々を見て、今更ながら母の愛情を感じたものだが、(そして、出来すぎ母は株でどんだけ儲けたんだ!と感心しもした。(^^;;)
中に色留袖はあったが、正装用の黒留袖は見つからなかった。
黒留袖だけは私のを着てよねって母が言っていると思った。
母の留袖ならばお金がかかっているはずだから、まあどこに着て行っても間違いは無かろうと九子は考えた。
ところでそういう場には必ず黒留袖じゃなくちゃだめ!と教えてくれたのは義姉である。
義姉に言われなければ着古したドレスで出るところだった。
着物というのは便利なもので、母と身長差15cm以上、体重差20kg以上(言っとくが九子が太ってるのではなくて、母が痩せすぎていたのだ!(^^;;)であっても、そのまま着られる・・・と思い込んでいた九子であったが、実際のところは丈は足りたが、袖が短すぎた。
知らないということは恐ろしいもので、袖が七分丈でちょうど初夏向き!と思っていたら、今は袖の長いのが流行で、今回は直す時間が無いので「この次」までには直しましょうねと、馴染みになった近所の呉服屋さんに言われた。
「この次」って一体いつの事だろう。( ^-^)
5月19日は晴天だった。長野市じゃなくて、松本市の話である。
神社に程近い美容院では、若いがしっかり者の美容師さんがこう言った。
「あら、長野からですか? 私、長野にも何年か居たことあるんですよ。えっ?買い物?そうですね。 松本はこだわりが強い品物が多いと思う。万人向きのものが欲しい時は、長野の方が便利じゃないですか?」
優しい松本の人々は、長野市民が松本に対抗意識?あるいは、劣等感を抱いているのを知ってか知らずか、たいていはこうやって持ち上げてくれるものなんである。(^^;;
美容師さんの努力で、母の留袖はなんとか九子の凹凸の少ない身体を包んでくれた。(^^;;
ところが問題は草履であった!
何人がかりでようやく履かせてもらったのはいいけれど、数歩歩くのも難儀をするくらい足を締め付ける。
やっぱり母のじゃダメだったわね、バックとお揃いの佐賀錦(さがにしき)でちょうどいいと思ったんだけど・・。
仕方が無いので新しいのを買うことにした。
「履物や」という看板を見つけて入っていったら、親切に、うちには無いと別の呉服屋さんを教えてくれた。
(足の痛い九子の代わりに、日頃アッシー君をやり慣れてるSが動いてくれて助かった。(^^;;)
その呉服屋さんは家族4人でやっていらして、若いお嫁さんまでみんなが当たり前のように和服を着ていらした。
着物を着慣れているらしく、草履もたくさんある中から素早く見つけてくれ、もう着くずれしたらしい九子の襟元も直して下さった。
そうそう、バッグの置き場所に困ったら、お太鼓の隙間にバッグをしまう裏技も教えて頂いた。
「松本には呉服屋さんが多いんですね。」と言う九子に、お嫁さんはこんな話をされた。
「ここらへんにはお茶の文化が残っていて、だからみんな和服を着る機会が多いんですよ。呉服屋が多いのはそのせいかしら・・。」
どうりで松本から、たまに着物姿で雲切目薬を買いに来て下さる若い女性のお客様が居る。
着物を着ること事態が、九子みたいによっこらしょ!じゃあないんだね。
きっと生活の一部になっているんだ。
呉服屋さんで買った草履には本当に重宝した。N子も履きなれないピンヒールの踵でヨチヨチ歩いていて、新しい草履が無ければ彼女に肩を貸してやることも出来なかったと思う。
四柱神社は緑深い中にある堂々とした神社だ。明るくて風格がある。
長野でここに匹敵する神社の名前を探したが、思い浮かぶところは皆無だった。
長野の神社は、たいてい薄暗くて、人の気配が無い。だから自ずと人を遠ざける。
神主さんはたいてい神社の敷地の隣に居を構えているから、神社は無人なのだ。
それに長野は善光寺さんが偉大すぎて、神社の影が薄い。
四柱神社で奉納された舞には驚いた。若い巫女さんが舞を舞う。
そもそも舞が奉納されること自体が、長野ではまず無い。
もともと長野では式場へ神主さん一人が呼ばれて行って、お払いだけを済ますというのが一般的だ。
音楽がかかるとしたら、当然、録音である。
巫女さんの舞そのものも珍しかったが、横笛と笙(しょう)の生伴奏がついて、朗々とした声で神主さんが歌われたのにはびっくりした。
う~ん、こういうところにも本物を求めるんだね、松本人は・・。
そもそもサイトウキネンの齋藤秀雄先生も松本なら、スズキメソッドの鈴木鎮一先生も松本だ。
実はM氏の一番上のお姉さんが松本に嫁いで、もともと頭が良くて習い事の好きな義姉だったが、
75歳でサックス、つまりサクソフォンを習っていると言うのを聞いて驚いた。
彼女はずっと琴を続けてやってきたので、サクソフォンの先生と琴とサックスのセッションも計画しているらしい。
彼女の一人息子はずっと鈴木メソッドでヴィオラをやり、京大の医学部でもオーケストラに所属していた。
息子を京大出の医者にするなんて、九子じゃ絶対に無理だ!根性なしの母親に出来る話ではない。
彼女がもし長野に嫁いでいたら、長野でサクソフォンの先生がそんなに簡単に見つけられるとは思えない。
こういうのを聞くと、松本の人々が、音楽とか茶の湯とか、日々の糧にはならないものにたくさんの時間やお金を割いているのがよくわかる。
その後の会食会場のレストラン鯛萬も、明治時代の建物をそのまま残して、文明開化の雰囲気を醸し出している。
ここで結婚式を挙げるのが、松本市民の憧れだそうだ。
そして極め付きは、車の窓から見下ろす市内の普通の家々の庭が、どこもかしこも良く手入れされて美しいことだった。
ああ、こりゃあ長野に勝ち目は無いよ、と、九子は完璧に敗北を認めた。
子供達も東京にある店々が松本にはあって長野に無いことを、「ああ、松本に負けたよ~。」と嘆いていたけれど、事はそんなに単純じゃない。
何より松本は隙が無い街なのだ。
当たり前だ、彼らの先祖は武士なのだから・・。
松本市民は志が高いのだ。知識欲と言う意味では、池上彰氏なんかはその最たるものだ。
「学べるニュース」なんかで池上氏の解説を聞くと、彼の知識が緻密なことに驚かれると思う。
実は松本市を含む区域が、長野県一高校入試の競争率が高いのだという。
やっぱり基本、競争社会なんだなあ。
音楽も、茶の湯も、和服の文化も、庭の手入れも、店を小奇麗にしておくことも、すべてが自分を高めることだ。
そういうことを嬉々としてするのが松本市民だ。
少しは競争という側面もあるのだろう。
でも彼らの武士の血筋の中に、そういうものを厭わない頑ななものがあるような感じがする。
長野市民はその点、実に素朴だ。(^^;;
平気で隙をさらけ出す。
みんながみんなとは言わないが、少なくとも九子なんかは典型的だ。
残念ながら、店を綺麗にしようと努力するよりも、このまんまがいいと言って来てくれるお客さん相手に商売しようとか、そんな不遜なことばかりを考えている。(^^;;
そもそもが善光寺商法だ。善光寺がある限り、努力しなくても客は来てくれた。
大事なお客様がいらっしゃるなら、前もって努力して綺麗にしておけばいいのに、「散らかっててすみません。」の一言で済ませようとする。露悪趣味という言葉とはちいと違って、がっかりさせたくないばっかりに、必要以上にダメなところを強調する。
隙がある・・を通り越して、もはや隙ばかりで出来ているのが九子である。(^^;;
もともとが不器用だからして、一生懸命やればやるほど緊張してドジの種をまく。
「ほら、ほら、言ったとおりでしょ。まったくいつもこんななんだから、いやになっちゃうの。」
でもそうして言い訳さえしておけば、努力は最小限で、なんとか相手をがっかりさせずにやり過ごせると考える。
松本市民が100%を狙う完璧主義者だとすれば、長野市民は中庸の5割、6割を重んじる仏教徒と言えるだろうか。
それが積もり積もったものが今の違いなんだね。
そうなのだ!そして九子は、長野そのものなんだよね、きっと。( ^-^)
その長野市も、昨今善光寺近辺ににわかに新しい店が立ち始め、だんだん変わり始めている。
長野オリンピックを契機にしてアーケード通りの屋根が取っ払われてからと言うもの、お世辞かもしれないが「綺麗な街」と言ってくれる人も増えてきた。
残念ながら九子んとこの店は、その「綺麗」な中には確実に入らない。(^^;;
新しく店を出してくれたのは、長野にはまるで無縁の人々である。
彼らの存在によって、長野も少しずつ華やかな街になってくれたらいいのだけれど・・・。
リッチなCさんは、「九子ちゃんちの散らかり方を見ると、ああ長野の家へ来たんだなってやっと安心するのよ。」と言ってくれる。(^^;;
変わりたいと思っても、そういう人が一人でも居ると、九子はなかなか変われない。(^^;;(^^;;
なるほどなあと思いながら拝読しました。
私は南信、それも山梨県との国境の出身ですから、どちらかといえば松本の方が近く、同じ県内でも長野は遠い存在です。
善光寺さんも、二~三回くらいしか詣でたことがありません。
尤も松本城だってそんなものですが。
九子さんの、長野と松本の違いについての論考を拝読しながら、正直なところどちらも遠い世界のように感じてしまいました。
私自身が現在神奈川県に住んでいるから、というわけでもなさそうで、自分ではそうは思いたくなくても、結局、甲斐に近いところの文化圏なのだからなのかなと、ちょっとため息をついてしまった次第です。
ところで、「バッグの置き場所に困ったら、お太鼓の隙間にバッグをしまう裏技」。
これはすごい!そんな裏技があるのですね!
早速家内に教えようと思いました。
by 伊閣蝶 (2012-06-05 12:06)
伊閣蝶さん、いつもコメント有難うございます。m(_)m
伊閣蝶さんのところは八ヶ岳の麓、そうですよね、山梨に近いところですね。
次男が4年でいいところ6年もお世話になった山梨県(^^;;、暑い寒いが厳しいところだそうですね。
私もおんなじ。自分の生まれた場所以外はよく知りません。何しろ広いですもんね。長野からだと伊那市や飯田市に行くのは4時間もかかるそうなので、東京の方がよっぽど近いですもん。
奥様はお着物よく着られるのですね。いいですねえ。( ^-^)
奥様が御存じないところを見ると、最近の若い子たちが考えたことなのでしょうか。やってみると便利ですよ~。( ^-^)
by 九子 (2012-06-05 13:28)
長野県とは違うところで生まれた人間には、是非はとにかく「長野県人」という言葉でひとくくりです。生真面目で、どこか学校の先生みたいなところが感じられて、いい加減って言っても愛知(私の出身)みたいないい加減さは持ち合わせていないんじゃないかと思ったり(沖縄の「てーげー」はもっといい加減らしいけど)します。
by さきしなのてるりん (2012-06-05 13:38)
なるほど!長野県以外の方からすれば結局そういうことですよね。( ^-^)
愛知県はそんなにいい加減なイメージは無いですよ。
そうなのかしら?
沖縄はいい加減っていうよりも、のんびりしてるって感じですか・・。
信州人はやっぱりまじめですかねえ。(^^;;
by 九子 (2012-06-05 15:01)
長野県っていってもかなり広いですよね。
自分の生まれた岡谷は松本よりもっと南信ですし。北信と南信では土地柄も人もかなり違うのかもしれません。雪の降り方も違うのでしょう。
うちの奥さんの田舎は北信でお墓も長野にあります。色々と話を聴くとやはりうちとは少し違うんですよね。同じ県なのに面白いです。 ^^
by moz (2012-06-06 10:01)
mozさん、こんばんわ。( ^-^)
mozさんは岡谷ですか。すみません。行った事がありません。(^^;;
でも、諏訪湖の回りの「しばれる」ところですね。きっと頑張りやさんでいらっしゃるのでしょう。
奥様は北信なんですね!話が合いそうです。( ^-^)
中の人間は違いをうんぬんしますが、他県の人から見ると割合変わらないかもしれない。まじめな信州人!ということかもしれませんね。( ^-^)
メール、是非お待ちしていますから。m(_)m
by 九子 (2012-06-06 20:18)
そうなんですよね。外の人間から見るとみんなひとくくりなんですけれど、地元では全く違う文化があったりするんですよね。
私も奈良県吉野郡天川村出身の妻とつきあうまで、まず奈良と和歌山の間に抜き差しならぬ対抗意識があることすら知りませんでしたし、奈良の中でも都市部の県北と山間部の県南で違うし、さらに天川村の中でも峠を一つ越えれば言葉も違うしもちろん対抗意識もあって、村長選の時はそれがもろに出て盛り上がるなんてこと、まさに衝撃の連続でした。
奈良よりもさらにスケールのでかい長野県だとなおさらでしょう。
兵庫県もやはり、港町の神戸と城下町の姫路で違いはありますね。もちろん日本海側に行くと言葉も全然違いますし。松本清張さんの『砂の器』で有名になりましたけれど、山陰地方の言葉は東北弁に近いんですよ。
長野五輪の影響で長野も「キレイに」なったということですけれど、そういうと聞こえがいいですけれど、それは結局田中角栄の目指した「国土の均衡ある発展」と同じで、本来多種多様な人間の集まりである日本列島を、まさにブルドーザーで平らにならすがごとく、「均質化」していくのであるとするならば、さらにその先に「日本」あるいは「日本人」という作られた理想があるとするならば、もう一度考え直さなければならない時期に来ているのではないでしょうか。
だから九子さん、自信持って、変わらずにいてください。世の中「いい加減」で結構ですよ。無理に決められた尺度に合わせる必要などありません。
ああ、そういえば、オリンピックと言えば世界最大の運動会ですけれど、この間息子の小学校の運動会がありまして、保育園のころと比較して気がついたんですけれど、まさに小学校の運動会というのは、均質な兵隊を養成する「軍事教練」ですね。
果たして運動会は子供のためにあるのか、大人たちが自分たちに都合の良い子供たちを「生産」するためにあるのか、そんなことを考えさせられました。一生懸命教師たちの言うとおりに動こうとしている子供たちを見て、「もっとええ加減でええのに」と強く思いました。相変わらず落ち着きのないうちの息子を見て、かえって救われました。あいつは自由ですわ。それだけに学校の「軍事教練スタイル」の中で悩みも抱えているようですが…
話が飛んでしまいましたが、とにかく、長野と松本をはじめとして、この日本と呼ばれる島々が均質化の波にのまれないように、私は願っております。
by 轟 拳一狼 (2012-06-12 11:22)
拳一狼さん、お久しぶりです。
長いコメントを有難うございました。m(_)m
奈良県と和歌山県にもそんな対抗意識があるんですか。知りませんでした。
そもそも長野の人間は申し訳ないけれど関西には疎いんですよね。
東京から来るテレビで、栃木県と群馬県がそんな風な関係と言うのは知っていましたが・・。
「砂の器」、確かに東北弁に近い言葉が、最後の鍵を握っていましたね。
>峠を一つ越えれば言葉も違う
なるほど!長野もきっとそうなのだとは思うのですが、普段はさほど気にしないで生活しています。
>だから九子さん、自信持って、変わらずにいてください。世の中「いい加減」で結構ですよ。
凄く嬉しい拳一狼さんからのお言葉なんですが、ちょっとそこまで言われちゃうとなんだかなあ・・みたいな思いもあったりして・・。(^^;;
でも、そういう方もいらっしゃるのであれば、ますます九子は図々しくなって、怠け放題生きていくことでしょう。(^^;;
でも確かに、日本全国みんな小ぎれいな似た様な町になったらつまりませんよね。
自由な息子さんに万歳!!
by 九子 (2012-06-12 22:41)