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芸術と青春・・・岡本太郎 [<九子の読書ドラマ映画音楽日記>]

extar15さんが、岡本太郎の言葉をずっと取り上げられていて、その力強さに圧倒されながら、いつかこの人の人生を垣間見てみたいという欲求にかられた。

そういう意味で「芸術と青春」は最適な一冊だったと思う。

芸術と青春 (知恵の森文庫)

芸術と青春 (知恵の森文庫)

  • 作者: 岡本 太郎
  • 出版社/メーカー: 光文社
  • 発売日: 2002/10
  • メディア: 文庫

岡本太郎、明治44年生まれ。漫画家岡本一平と小説家岡本かの子の一人息子。
ぎょろりと人の心を射抜くような目と「芸術は爆発だ」という言葉で有名だ。

父親岡本一平氏の仕事(朝日新聞に政治漫画を書いていた人気漫画家だが、特派員としてロンドンに派遣される)の関係で、両親と一緒に18歳で渡欧する。

人気漫画家が一家3人で渡欧するというので港には大変な数の人々が見送りに来ていたそうだ。
当時(昭和のはじめ)渡欧するとは、そういう事だったのだ。

太郎はすぐにロンドンに行く両親と別れ、パリで一人住まいを始める。


本の最初にある「はじめに・・・「青春・太郎」」は岡本太郎記念館館長である岡本敏子氏によって書かれているが、これがとてもいい。

初っ端の「色気と喰気」で、太郎が当時、いかに日本人離れした艶やかさでフランスの女性たちと交流を持ったかが鮮やかに描かれる。 


ヨーロッパでは女性に近づき口説き落すには、まず夕食に誘うのが定石らしい。勿論、レストランで待ち合わせるなどという野暮なことはしない。キャフェのテラスなどで、アッペリティーフ(食前酒)をのみながら、鮮やかな会話で攻撃戦を展開しはじめるのである。

レストランはやっと七時すぎ頃から開かれる。白から始まり、赤の葡萄酒に進む。コースが終わる

と、コーヒーと共に酒好きはまたディジェスティーフ(食後のリキュール)等を飲む。
酔いは全身に情感の花を開かせ、満腹感は必勝の信念となる。

九時か十時頃から始まる芝居や映画を一しょに観てから、十二時すぎ、また軽いスーペ(夜食)に誘う。それは、何よりも微妙な含みを持った色っぽい味を持っている。
ここで前半戦が終り、後半戦の続行はかけひきしだいなのである。しかし、実はすべてが決定している。彼女のそぶり、眼の輝きは、あらわにそれを語っているにちがいない。

彼女があなたと、それ以上つきあいたくない場合、そのそぶりは絶望的である。また、心は惹かれても、どうしても事情が許さない場合もあるだろう。彼女がいやいやしたら、極めて紳士的に全てを諦め、慇懃(いんぎん)に彼女を戸口まで送りとどけて、おしまいである。

しかし彼女の、あなたのいざないに期待する眼の輝きを見逃してはならない。そして、彼女が深夜の歓楽境、モンマルトルあたりのキャバレーにつきあってくれるなら、翌朝まで、あなたはふんだんに、虚偽と真実をつきまぜた数万言で彼女を口説くことができる。
あとは腕しだい、男ぶりしだいである。


 

 

 

 酒が強くて、体力もあって、何より魅力的なフランス語が話せなきゃダメなんだ!
その上引き際はあくまでも紳士的に!
ハードル高いぞ!(^^;;


wikipediaによると、彼は「フランス語習得のためにパリ郊外の中学の宿舎で生活。語学の習得は早く、半年後にはソルボンヌ大学で学ぶようになる。」とある。

これは凄い!日本から行ってたった半年であのソルボンヌ大学に入学!
そしてフランス女性を口説く雨霰(あられ)の殺し文句を携えての女性遍歴。
なかなかこれだけの事が出来る男は、今だっていないよねえ。驚いた!

その上太郎は身長156センチだったと言う。見た目じゃないんだ!

 

しかし彼は後に続く章で、「優れた芸術家に己を育て上げなければならないという、選ばれた運命に対する義務感は私をからめて、全く絶望的であった。
芸術は手先の問題でない。生活がその土台にならなければならないことは私にも解っていた。まず日本的小モラルから脱して、自由なパリの芸術家の雰囲気を身につけることが急務であるにちがいない。私はできるだけ自由に、放縦に、むしろ己を堕落させるように務めた。」とも書いている。

なるほど!女性遍歴も、己を堕落させるための真面目な日本人的発想だったんだ。( ^-^)


パリが大好きだった太郎もしかし、オランダやらベルギーを一人旅した当初の記憶を「辛かった」と書いている。「憂鬱」「空しい」「グンと迫ってくる淋しさを心に噛みしめた。」などの文字が並ぶ。

太郎、当時18歳。日本が恋しいこともあったのだろう。

 

九子は同じ一人っ子として、弱い筆頭の一人っ子として(^^;;、目を見るだけでも魂を抜かれそうな岡本太郎氏の強さの秘密に迫りたいと思う。


彼の母親岡本かの子は、豪商のお嬢さんとして生まれ、両親からは「この娘は普通の子とちがう。他人様のところへ、順当に嫁にやれるような娘ではない。」と言われていたそうな。

この言葉を聞いた時の九子のかの子さんへの共感、もうお判りですねえ。
そう。九子も父親から「お前は嫁に出すつもりで育てた娘ではない。」と言われておりましたから・・・。(^^;;

三四歳の頃、太郎は机に向かって書き物をする母の背によじ登って、後れ毛を掴んで引っ張る動作を止めない。集中したい母は、ついに太郎を細紐で箪笥に結わえつけてしまった。

この気持ち、九子もわかるよ。九子にはなんでもやってくれる出来すぎ母がいてくれたけど、九子がもし一人だったら同じことしちゃったかも。(^^;;


かの子が太郎と暮らした日々は実は「無残なほど」短いのだそうだ。小学校を半年で退学になり、いろいろな学校を転々とする「やんちゃ」な太郎は、ほとんど小学校時代全部を寄宿舎で過ごし、家には日曜日だけ帰る生活だった。


この「やんちゃ」というところが、太郎の生まれつきの強さを表しているのだろう。
そこへもって彼に言わせると「放置されたままに生い育った」強さであり、「世間知らずの芸術家の母に、全く得意な育て方をされた私の徹底した無邪気さは、年相応にませている他の子供たちと比べて突飛だった。」ということになる。

その上、母には何人も愛人がいて、愛人の一人は一緒に家に住んでいて、父も稼いだ金を全て遊びに使ってしまうような生活。
そういうのを見て育てば、大抵の事には驚かない強靭な性格が出来上がるに違いない。

この時点で岡本家は破綻しているように見えるのだけれど、母の最愛の愛人が悲劇的に亡くなり、抜け殻のようになった母を、それまでの罪滅ぼしのように初めて父が全面的に支えるという転機を経て、母を中心にした芸術家三人の家族は、「肉親とか、血のつながりという、べたべたした、もたれあいの気配はまったくない、きりりと、一人一人が独自の素質を貫き、ひらききった芸術家として立っている、それでいて、人間同士がこれほど濃い情愛で結ばれるということが、と嫉ましく思われるほど、互いに相手を想い、いたわり、心を投げかける。その緊張感は美しく高貴だ。」と岡本敏子氏に言わしめるほどになっていた。

 

パリで十一年を過ごした後、大戦前の逼迫(ひっぱく)した情勢の中で、太郎は自分が単なる浮き草でありエトランジェであったという孤独感から逃れ、「社会人として現実生活の上に己を見出すために」母国に帰らねばならないとひたすら痛感する。

そして母国に帰った太郎は、社会の現実に触れることによって、むしろ孤独者の純粋な苦悩が如何に稀な尊いものであるかということを覚った。


芸術家の純粋な孤独は、その反対極としての現実と対決するために、やはりそれを強力に把握しなければならない。二者を矛盾する両極として立てるのである。
この二つの極を、妥協させたり混合したりするのではない。矛盾を逆にひき裂くことによって、相互を強調させ、その間に起こる激しい緊張感に芸術精神の場があるという考えである。

芸術家はこの対立の場で、烈しく一方の極に己を置くのであるが、その烈しさのゆえに、反対極からの制約は強大である。
ただこれは太陽を求める幼児の無自覚な絶望ではなく、極めて意志的に、己の位置を決定するのだ。それによってのみ純粋は貫かれ、芸術は可能となる。
この決意こそ、私の芸術の信条なのである。


岡本太郎が選んだ烈しい生き方である。


私は日本に帰ってきて以来、極めて広範囲に人々とふれることに努力している。(略)
それなのに、一日中大勢の人とふれあって帰宅し、夜ひとりぼっちになると、結局、誰にも逢わなかったという空しい感じで、心身ともに虚脱してしまう。逢っているときには、それでも何となく感じられていた連帯感が、結局、夢想にすぎなかったのだと思えてしまうのだ。

 私は淋しさのあまりに、そんなとき、家の猫をつかまえてきてひねくりあげる。
猫は歯をむいて怒る、いじめれば鳴く。可哀そうに思い、謝罪の意を表し、食物をやると、はじめは疑い深いようすだが、やがて馴れ馴れしくすり寄ってくる。
この猫に、私は少しも愛情を感じてはいない。醜い野良猫である。
だが、夜もふけて、一室に彼と共に坐していると、私は激しく彼に対してヒューマンなつながりを感じてしまうのである。

私の生活にふれる誰よりも彼は人間なのである。いったい、人間が云々する生活とは何だろうか。
おそらく人間自身、それを識ったためしはないのではないか。まして、生活の信条などという文句はナンセンスである。そんなものがあったとしたら、差し当たり、猫にでも喰わしてしまえばよかろう。

 

 

九子はこの一文が大好きだ。
太郎は包み隠さず猫に対する虐待をさらけ出す。だがすぐに可哀そうになってえさをやる。太郎は猫を憎むが、それは愛情の裏返しだからだ。
九子みたいに、無関心なのが一番悪い。
いや、関心は無くはないのだけれど、愛情表現が薄いのだ。(^^;;

 

 

岡本太郎の目は、相手を射る。彼の目はちっとも自分を見ていない。
相手の姿のみを執拗に追い求める。
相手がたじろぐほどに、相手の目だけを見据える。

こういう見方をすることは、九子にはとても難しい。
気弱な九子は、そもそも相手の目が見られない。(^^;;

自分が相手からどう見られているかなんて、岡本太郎にとってはどうだっていいのだ。
あくまでも自分にとって、相手がどうであるかが問題なのだ。


私たち日本人は「おまえはこうだ!」と言われると、「果たしてそうだろうか?」と無意識に自分を見てしまう。
自分を見る分だけ、相手の姿を見失う。
日本人が弱腰な理由がここにある。

相手とこういう関わり方が出来る日本人は今でも少ないと思う。
だから岡本太郎の生き方は、いつまでたっても鮮烈で、孤高で、まばゆい。

岡本太郎がなかなか増えない訳は、やっぱりこの国の教育にあるのだろうか?


さて、パリであれだけもてた岡本太郎だが、不思議なことに日本では生涯独身を通した・・と思っていた。
ところが「はじめに」を書かれた「養女」である岡本敏子氏が、実は太郎の良きパートナーであり、実質上の妻であったということをwikipediaで初めて知った。

一説には、岡本太郎は結婚という形を嫌ったからだと言う。両親を見ていて思うところがあったのかもしれない。そしてもう一説には、「妻」とすると、太郎の遺産が異母兄弟にまで行ってしまうが、「養女」とすることにより、敏子氏一人に相続させることが出来るからだと言う。
彼の遺作を管理出来るのは、敏子氏をおいて他には居ないと太郎はわかっていたのだろう。

敏子氏は、岡本太郎という芸術家を世に知らしめるという大役を実に聡明にやってのけた。
岡本太郎の妻たる女性を見抜く眼力は、なるほど!さすがであった。

 

 


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コメント 4

moz

太陽の搭と渋谷駅の大壁画と、芸術は爆発だ~でしか知らない岡本太郎さん。実はそんな育ち方をしているんですね。
多感な青年自体を孤独に? ヨーロッパで過ごして、いろいろなことを考えたんだろうな。
小澤さんと同じように日本に中でなく、異国だと日本のこと自分のことが良く分るのかもしれません。
なるほど、その結果の作品達なんですね。
by moz (2012-09-05 05:35) 

Extar15

九子さんこんばんは。ブログに御紹介くださり本当にありがとうございました。岡本太郎さんはこのようにもおっしゃっています。

心のなかに生きている。
その心のなかの岡本太郎と出会いたいときに出会えばいい。

存在を全く知らなければ別ですが、作品(著作も含めて)に直に触れた時から岡本太郎さんは一人一人の心のなかに“爆発”し、永遠になると僕は信じています。決して朽ち果てることの無い、数少ない本当の永遠の存在です。
by Extar15 (2012-09-05 20:00) 

九子

mozさん、こんばんわ。
渋谷駅の大壁画。はて~、若かりし頃ずいぶん通ったはずだったのに、気づきませんでした。(^^;;

>異国だと日本のこと自分のことが良く分るのかもしれません。

そうかもしれませんね。日本の若者たちはもっと海外へ行くべきですね。
自分では行っていないですけどね。(^^;;
by 九子 (2012-09-05 20:33) 

九子

Extar15さん、こんばんわ。

>心のなかに生きている。
その心のなかの岡本太郎と出会いたいときに出会えばいい。


わあ、良い言葉ですねえ。
岡本太郎を自分の名前にして、誰かに言ってみたいですねえ。( ^-^)

その力強さと、誰の目も気にしないまっすぐなところと、潔さと、確かにおっしゃるとおり朽ち果てることの無い、数少ない永遠の存在なのでしょう。

それもそうだし、やっぱり敏子さんの存在も大きかったように思います。
by 九子 (2012-09-05 20:43) 

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