九子の頭ん中 [<坐禅、仏教、お寺の話>]
なんとなくこの日のことが書きたくなった。
例によって特筆すべきことがあった訳ではない。
ただ理由も無く、この平凡な一日を日記の中に留めておきたくなった。
九子のありきたりな、人様から見ればなんと退屈な、日々の過ごし方の一例として・・。
長野では10年ほど前から、冬のこの時期に「灯明(とうみょう)まつり」をやっている。今年は2月9日から2月17日まで善光寺界隈で行われた。
はじめは有名な照明デザイナーの石井幹子氏などを招いて、善光寺の境内を五輪にちなんだ五色の色で染め分けるなどしていたが、もちろんそれも今でも続いているようだけれど、毎年のことだとだんだんどうでも良くなって(^^;;、とんと足が向かなくなった。
今年珍しく街中(まちなか)を歩いたのは、ちょうどこの日、薬剤師会の会合があったからだ。
大通りを善光寺とは反対の方角に歩くと、そこはもう車の乗り入れが規制されていて、道中所狭しとばかりにたくさんの灯明が地面に並んでいる。
灯明というのは、要するに飾り灯篭(とうろう)だ。
木製の四角い枠の四方を白いプラスチックガラスで囲まれた既成サイズの灯篭があって、その四方のガラス部分を、黒紙の切り絵で埋めていく。
そこに光を当てれば、白い部分が多ければ明るく、黒い部分が多ければ暗い灯篭が出来上がるのは皆さんご存知の通りだ。
雪の積もるこの季節だと、明りが一際美しく輝く。
作り手はほとんどが子供たちか、学生さんか、素人さんである。
本当にたくさんの作品がある中で、どれも美しいには違いないのだけれど、やはりどこやらの切り絵作家さんの手になるようにも見える、いかにも複雑に作りこまれた、器用なハサミ使いの作品は、誰が見ても思わず足を止めて見入ってしまうような見事さである。
そういう作品群の中で、少々毛色の違う一つの灯明に九子の目は引き寄せられた。
周りがみんな繊細な作りなのに対して、それはいかにもすっきりとして、とてものびのびとしていた。この作品を見ると、周りの繊細さがいかにも窮屈に思えてきた。
それは、良く見ると算盤だった。珠が上に一列、下に四列、無造作に描かれていて、算盤の四角い角(かど)までデザインになっていた。
光に描き出されたのは、きっちりとした多くの直線とわずかな曲線。
ここで九子はその巧みさに気が付いた。
それが算盤の珠でなければならなかった理由が・・。
算盤の珠は球ではない。ひとつひとつがなめらかな三角錐を二つあわせたような格好をしている。そして影がひし形になる。
だから美しいのである。
もしもこれが球であったとしたら、お団子やさんのお団子か、焼き鳥屋さんのつくねになって、まさに店先に飾られてる広告ちょうちんになってしまう。(^^;;
何を思ったか、九子は「ああ、これだわ。」とつぶやいた。
九子は自分の行くべき道が見つかったような気がしたのだ。
誰でも、小学生でも幼稚園の園児でも作れる直線と曲線の単純な形。
それなのに、圧倒的な存在感を持って、見る者の心を揺さぶる。
ああ、すごい!と思わせる。
不器用な九子がいくら修行を積んだって、器用な人たちに勝てるはずがない。(それ以前に努力が続くはずがない。(^^;;)
であるならば、九子が目指すべき道はおのずと決まってくる。
なるべく人がしないようなことをする。
人が思いつかないような、はっとするほど単純な技法で・・。
まあ、難しいけどね。(^^;;
薬剤師会の会場のホテルで、九子は今日二つ目の出会いをした。
それは会場の外の、人の目に付かないところに置かれたグランドピアノだった。
ひっそりと置かれていたせいか、なんだかとても小さく見えた。
九子はふたを開けてみた。YAMAHAと書かれていた。
それを見たとたん、ピアノがすすり泣いてる気がした。
坂本龍一が弾いていたピアノはたくましく洗練された「彼」であったが、今日のピアノはうつむき加減の「彼女」に思えた。
彼女は卑しくもグランドピアノとして生を得た。しかも世界のYAMAHAの名を冠している。
そこらの縦型ピアノを見ては、優越感を感じて生きて来たに違いない。
その上運ばれてきたのは、上級ホテルの大きなホールである。
中には小学校や中学校の音楽室に運ばれた仲間も大勢いただろうけれど、訳わかんない子供たちにチョークを付けられたり、ほうきや雑巾を投げつけられたり、そんな無法な取り扱いをされる心配のまったく要らない場所に運び込まれたことに、彼女は無上の喜びを感じて居ただろう。
自分が選ばれたピアノであるというエリート意識も芽生えたかもしれない。
九子は「彼女」の中に、少しだけ星の王子さまの薔薇の花を見出していた。
ところが彼女の出番は少なかった。
実は彼女と同じ境遇のピアノを、その日もう一台、目にした。
彼女たちは、サブのピアノなのだろうか。
それともいざとなったら、メインのピアノとして晴れの舞台に立てるのだろうか?
なんだか前者のような気がしてならない。
結婚式のピアノ演奏くらいになら使ってもらえるだろうけれど、名だたるピアノ奏者の演奏会やディナーショーには力量不足が目立ってしまう。
彼女は今頃、学校に運ばれた仲間たちを羨んでいるのかもしれない。
「チョークや雑巾で汚されたって、毎日何時間も弾いてもらえて、うらやましいわ。」
九子はこんなことを考える。
今度このホテルでピアノリサイタルがある時、有名ピアニストさんではたぶん無理だから、ピアニストのマネジャーをしてるピアニスト志望の若者とか、たまたまここに泊まった音楽家志望の有能な学生さんとか、お願いだからこのピアノのふたを開けて演奏をしてみてくれないかしら?
願わくばその若者たちがとてもとても広い心の持ち主で、「あれっ、君、こんなところに置かれているけれど、なかなか良い音色だね。ここに置くのはもったいないなあ。素晴らしいよ。」と、嘘でもいいからうんと彼女を褒めてあげてくれないかしら?
きっと彼女はその一言で、一生分の元気と希望をもらえると思うから・・。( ^-^)
帰りがけ、九子に声をかけてくれたのはNさんだった。薬剤師のお父さまを半年前に亡くされて、今現在はたった一人で調剤薬局を切り盛りしていらっしゃるという。
「だって妹さんも薬剤師さんでしょ?手伝いに来てくれないの?」
「あの人、気楽にやっててダメなのよ。」
その時九子ははじめて聞いた。妹さんが大きな病院の医師夫人であったことを・・。
「えっ?そうだったの!凄いわねえ。でも、それじゃあダメよね。お金の心配要らないんだもの。
調剤薬局で神経すり減らして仕事なんかしたくないし、する必要もないものね。」
ああ、医師夫人かあ。やっぱりいいなあ、その響き!(^^;;
思えば九子にもそうなる道はあったのだ。
でもまあ、「うちの娘は嫁に行かせるように育てていません。」と父がきっぱり断ってくれたから、今こうやってお気楽に暮らせてる訳だけど・・。(^^;;
とまあ、九子はいつでもこんな風に頭の中で種々雑多なことを考えて暮らして居る。そんな風にしていると、いつの間にか時間が経ってしまう。(ああ、だから友達居ないんだ!(^^;;)
唐突だが、あなたはこんなことを考えたことはないだろうか?
もしも誰かから、一生、今のあなたのそのままで居られる魔法をかけてあげましょうと言われたら、あなたはそれを受け入れるだろうか?
もちろん提案は大変魅力的に思える。考えてみると「今のあなた」はこれから先の人生の中で一番若いあなたである。
もしもあなたが幸運なことに今20代であれば最高に素晴らしいが、そうでなくても一生今のままで居られるならば、これ以上歳をとらずに済むということだから、それはそれは素晴らしい提案である。
でも九子はいろいろ考えた末、やっぱり受け入れないことにする。
「今のあなた」は、これから先で一番若いあなたかもしれないが、「今のあなた」は100%完璧なあなただろうか。
ちょっと風邪気味で咳が出る。頭痛がする。鼻のあたまに吹き出物がある。指にささくれがある。
肌が荒れている。肩がこる。ちょっとおなかの調子が悪い。などなど。
心配事がある。落ち込んでいる。疲れている。眠れない。いらいらする。不安である。などなど。
身体も心も100%調子が良いという日など、一生のうちたぶん一日も無いのじゃないだろうか?
それなのに、たとえ95%が快調でも、5%の不快な部分が一生涯続いて、決して治ることが無いんだよ。他が快調な分、決して治らない不快な部分が尚更気になって、そんな提案を受け入れたことを後悔するような気がする。
考えてみると、ちょっと風邪を引いても、すり傷が痛くても、体調が悪くても、気分がすぐれなくても、明日になれば様子が変っている、良くなっている、楽になっているということを何の疑問も持たずに信じることが出来るから、みんな気楽に生きていけるんじゃないの?
それなのに、一生変らない人生を約束されちゃったら、ふだんは何とも思わないにきび一つだって、悩みの種になるのじゃないかしら?だって、いやでも一生変らずそこにある訳だから・・。
「世の中は無常だ。」とよく言われる。東日本大震災が起こってからあとは、頻繁に言われるようになった。
曰く、幸せな日々がいつまでも続くと思ってはいけない。無常の風が吹いたら、今の幸せなど砂塵のかなたに舞い散ってしまう。
それはその通りなのだけれど、無常はいつでも悪者じゃない。
どん底の時だって、無常だからこそ、いつまでもこのままじゃない、明日はもう少し良い日になっていると信じられる。
そう信じていらっしゃるからこそ、被災者の方々は希望を持って、懸命に明るい未来を築こうと努力していらっしゃる。
世の中に決して変らないものなど何も無い。体調も、気分も、天気も、動物も、植物も、人間も、物体も、天体も・・・。
たとえばくだらない九子の頭ん中で、考えることも記憶も、日々移ろい続けてひとつところに留まらないでいてくれるということは、九子にとって福音である。
いくら非道なことを考える時があったとしても、しばらく後には別の戯言(ざれごと)にすり替わって流されて行き、、また邪(よこしま)な考えが浮かぶ時まで、九子は自分の中の人並みの善良さをとりあえず信じていられるからである。
頭ん中で思い出したが、九子は父にも酷いことをした。
「十兵衛の頭ん中」 父が出す自叙伝のタイトルになるはずだった。
それより更に5年前、父が出版社の人に薦められて自叙伝を出すと言った時、九子が反対した。
「お金かかるんでしょ?九子が書いてあげるから、そんなの止めときなよ。」
結局5年近く、九子は何もしなかった。
いよいよ父が弱ってきてあわてて口述筆記を始めたが、最初の数ページ分くらいしか録音出来なかったし、父が亡くなってあたふたしているうちに、電池が切れて父の声そのものも消えてしまった。
あの時出してもらっていれば、ちゃんとした本になっていたのに・・。
これ以上無いほどの愛情で育ててもらった父にも母にも、詫びたい事は山ほど有る。
無かったことにして欲しかった言葉もたくさん投げつけたし、聞こえないふりも何度もした。
それなのに、そんな九子に、父も母も最後まで優しかった。
もちろん一人娘の九子を、いくつになっても目の中に入れても痛くないほど可愛いがってくれていたからだと思う。
でもその他に、彼らは歳を取り、余命いくばくも無い老人となって、日々に起こる嫌なことはきれいさっぱりと忘れてくれていたからではないか・・・?ということも考える。
惚ける(ぼける)(呆けるとも書く)と惚れる(ほれる)は同じ漢字だと誰かが言っていた。
歳をとって頭が惚けて嫌なことはすべて忘れてしまい、自分の人生を素晴らしい人生だったと自惚(うぬぼ)れてあの世に旅立つことが出来るのであれば、それは仏さまが人間に与えてくれた最後のお慈悲なのかもしれないと思う。
例によって特筆すべきことがあった訳ではない。
ただ理由も無く、この平凡な一日を日記の中に留めておきたくなった。
九子のありきたりな、人様から見ればなんと退屈な、日々の過ごし方の一例として・・。
長野では10年ほど前から、冬のこの時期に「灯明(とうみょう)まつり」をやっている。今年は2月9日から2月17日まで善光寺界隈で行われた。
はじめは有名な照明デザイナーの石井幹子氏などを招いて、善光寺の境内を五輪にちなんだ五色の色で染め分けるなどしていたが、もちろんそれも今でも続いているようだけれど、毎年のことだとだんだんどうでも良くなって(^^;;、とんと足が向かなくなった。
今年珍しく街中(まちなか)を歩いたのは、ちょうどこの日、薬剤師会の会合があったからだ。
大通りを善光寺とは反対の方角に歩くと、そこはもう車の乗り入れが規制されていて、道中所狭しとばかりにたくさんの灯明が地面に並んでいる。
灯明というのは、要するに飾り灯篭(とうろう)だ。
木製の四角い枠の四方を白いプラスチックガラスで囲まれた既成サイズの灯篭があって、その四方のガラス部分を、黒紙の切り絵で埋めていく。
そこに光を当てれば、白い部分が多ければ明るく、黒い部分が多ければ暗い灯篭が出来上がるのは皆さんご存知の通りだ。
雪の積もるこの季節だと、明りが一際美しく輝く。
作り手はほとんどが子供たちか、学生さんか、素人さんである。
本当にたくさんの作品がある中で、どれも美しいには違いないのだけれど、やはりどこやらの切り絵作家さんの手になるようにも見える、いかにも複雑に作りこまれた、器用なハサミ使いの作品は、誰が見ても思わず足を止めて見入ってしまうような見事さである。
そういう作品群の中で、少々毛色の違う一つの灯明に九子の目は引き寄せられた。
周りがみんな繊細な作りなのに対して、それはいかにもすっきりとして、とてものびのびとしていた。この作品を見ると、周りの繊細さがいかにも窮屈に思えてきた。
それは、良く見ると算盤だった。珠が上に一列、下に四列、無造作に描かれていて、算盤の四角い角(かど)までデザインになっていた。
光に描き出されたのは、きっちりとした多くの直線とわずかな曲線。
ここで九子はその巧みさに気が付いた。
それが算盤の珠でなければならなかった理由が・・。
算盤の珠は球ではない。ひとつひとつがなめらかな三角錐を二つあわせたような格好をしている。そして影がひし形になる。
だから美しいのである。
もしもこれが球であったとしたら、お団子やさんのお団子か、焼き鳥屋さんのつくねになって、まさに店先に飾られてる広告ちょうちんになってしまう。(^^;;
何を思ったか、九子は「ああ、これだわ。」とつぶやいた。
九子は自分の行くべき道が見つかったような気がしたのだ。
誰でも、小学生でも幼稚園の園児でも作れる直線と曲線の単純な形。
それなのに、圧倒的な存在感を持って、見る者の心を揺さぶる。
ああ、すごい!と思わせる。
不器用な九子がいくら修行を積んだって、器用な人たちに勝てるはずがない。(それ以前に努力が続くはずがない。(^^;;)
であるならば、九子が目指すべき道はおのずと決まってくる。
なるべく人がしないようなことをする。
人が思いつかないような、はっとするほど単純な技法で・・。
まあ、難しいけどね。(^^;;
薬剤師会の会場のホテルで、九子は今日二つ目の出会いをした。
それは会場の外の、人の目に付かないところに置かれたグランドピアノだった。
ひっそりと置かれていたせいか、なんだかとても小さく見えた。
九子はふたを開けてみた。YAMAHAと書かれていた。
それを見たとたん、ピアノがすすり泣いてる気がした。
坂本龍一が弾いていたピアノはたくましく洗練された「彼」であったが、今日のピアノはうつむき加減の「彼女」に思えた。
彼女は卑しくもグランドピアノとして生を得た。しかも世界のYAMAHAの名を冠している。
そこらの縦型ピアノを見ては、優越感を感じて生きて来たに違いない。
その上運ばれてきたのは、上級ホテルの大きなホールである。
中には小学校や中学校の音楽室に運ばれた仲間も大勢いただろうけれど、訳わかんない子供たちにチョークを付けられたり、ほうきや雑巾を投げつけられたり、そんな無法な取り扱いをされる心配のまったく要らない場所に運び込まれたことに、彼女は無上の喜びを感じて居ただろう。
自分が選ばれたピアノであるというエリート意識も芽生えたかもしれない。
九子は「彼女」の中に、少しだけ星の王子さまの薔薇の花を見出していた。
ところが彼女の出番は少なかった。
実は彼女と同じ境遇のピアノを、その日もう一台、目にした。
彼女たちは、サブのピアノなのだろうか。
それともいざとなったら、メインのピアノとして晴れの舞台に立てるのだろうか?
なんだか前者のような気がしてならない。
結婚式のピアノ演奏くらいになら使ってもらえるだろうけれど、名だたるピアノ奏者の演奏会やディナーショーには力量不足が目立ってしまう。
彼女は今頃、学校に運ばれた仲間たちを羨んでいるのかもしれない。
「チョークや雑巾で汚されたって、毎日何時間も弾いてもらえて、うらやましいわ。」
九子はこんなことを考える。
今度このホテルでピアノリサイタルがある時、有名ピアニストさんではたぶん無理だから、ピアニストのマネジャーをしてるピアニスト志望の若者とか、たまたまここに泊まった音楽家志望の有能な学生さんとか、お願いだからこのピアノのふたを開けて演奏をしてみてくれないかしら?
願わくばその若者たちがとてもとても広い心の持ち主で、「あれっ、君、こんなところに置かれているけれど、なかなか良い音色だね。ここに置くのはもったいないなあ。素晴らしいよ。」と、嘘でもいいからうんと彼女を褒めてあげてくれないかしら?
きっと彼女はその一言で、一生分の元気と希望をもらえると思うから・・。( ^-^)
帰りがけ、九子に声をかけてくれたのはNさんだった。薬剤師のお父さまを半年前に亡くされて、今現在はたった一人で調剤薬局を切り盛りしていらっしゃるという。
「だって妹さんも薬剤師さんでしょ?手伝いに来てくれないの?」
「あの人、気楽にやっててダメなのよ。」
その時九子ははじめて聞いた。妹さんが大きな病院の医師夫人であったことを・・。
「えっ?そうだったの!凄いわねえ。でも、それじゃあダメよね。お金の心配要らないんだもの。
調剤薬局で神経すり減らして仕事なんかしたくないし、する必要もないものね。」
ああ、医師夫人かあ。やっぱりいいなあ、その響き!(^^;;
思えば九子にもそうなる道はあったのだ。
でもまあ、「うちの娘は嫁に行かせるように育てていません。」と父がきっぱり断ってくれたから、今こうやってお気楽に暮らせてる訳だけど・・。(^^;;
とまあ、九子はいつでもこんな風に頭の中で種々雑多なことを考えて暮らして居る。そんな風にしていると、いつの間にか時間が経ってしまう。(ああ、だから友達居ないんだ!(^^;;)
唐突だが、あなたはこんなことを考えたことはないだろうか?
もしも誰かから、一生、今のあなたのそのままで居られる魔法をかけてあげましょうと言われたら、あなたはそれを受け入れるだろうか?
もちろん提案は大変魅力的に思える。考えてみると「今のあなた」はこれから先の人生の中で一番若いあなたである。
もしもあなたが幸運なことに今20代であれば最高に素晴らしいが、そうでなくても一生今のままで居られるならば、これ以上歳をとらずに済むということだから、それはそれは素晴らしい提案である。
でも九子はいろいろ考えた末、やっぱり受け入れないことにする。
「今のあなた」は、これから先で一番若いあなたかもしれないが、「今のあなた」は100%完璧なあなただろうか。
ちょっと風邪気味で咳が出る。頭痛がする。鼻のあたまに吹き出物がある。指にささくれがある。
肌が荒れている。肩がこる。ちょっとおなかの調子が悪い。などなど。
心配事がある。落ち込んでいる。疲れている。眠れない。いらいらする。不安である。などなど。
身体も心も100%調子が良いという日など、一生のうちたぶん一日も無いのじゃないだろうか?
それなのに、たとえ95%が快調でも、5%の不快な部分が一生涯続いて、決して治ることが無いんだよ。他が快調な分、決して治らない不快な部分が尚更気になって、そんな提案を受け入れたことを後悔するような気がする。
考えてみると、ちょっと風邪を引いても、すり傷が痛くても、体調が悪くても、気分がすぐれなくても、明日になれば様子が変っている、良くなっている、楽になっているということを何の疑問も持たずに信じることが出来るから、みんな気楽に生きていけるんじゃないの?
それなのに、一生変らない人生を約束されちゃったら、ふだんは何とも思わないにきび一つだって、悩みの種になるのじゃないかしら?だって、いやでも一生変らずそこにある訳だから・・。
「世の中は無常だ。」とよく言われる。東日本大震災が起こってからあとは、頻繁に言われるようになった。
曰く、幸せな日々がいつまでも続くと思ってはいけない。無常の風が吹いたら、今の幸せなど砂塵のかなたに舞い散ってしまう。
それはその通りなのだけれど、無常はいつでも悪者じゃない。
どん底の時だって、無常だからこそ、いつまでもこのままじゃない、明日はもう少し良い日になっていると信じられる。
そう信じていらっしゃるからこそ、被災者の方々は希望を持って、懸命に明るい未来を築こうと努力していらっしゃる。
世の中に決して変らないものなど何も無い。体調も、気分も、天気も、動物も、植物も、人間も、物体も、天体も・・・。
たとえばくだらない九子の頭ん中で、考えることも記憶も、日々移ろい続けてひとつところに留まらないでいてくれるということは、九子にとって福音である。
いくら非道なことを考える時があったとしても、しばらく後には別の戯言(ざれごと)にすり替わって流されて行き、、また邪(よこしま)な考えが浮かぶ時まで、九子は自分の中の人並みの善良さをとりあえず信じていられるからである。
頭ん中で思い出したが、九子は父にも酷いことをした。
「十兵衛の頭ん中」 父が出す自叙伝のタイトルになるはずだった。
それより更に5年前、父が出版社の人に薦められて自叙伝を出すと言った時、九子が反対した。
「お金かかるんでしょ?九子が書いてあげるから、そんなの止めときなよ。」
結局5年近く、九子は何もしなかった。
いよいよ父が弱ってきてあわてて口述筆記を始めたが、最初の数ページ分くらいしか録音出来なかったし、父が亡くなってあたふたしているうちに、電池が切れて父の声そのものも消えてしまった。
あの時出してもらっていれば、ちゃんとした本になっていたのに・・。
これ以上無いほどの愛情で育ててもらった父にも母にも、詫びたい事は山ほど有る。
無かったことにして欲しかった言葉もたくさん投げつけたし、聞こえないふりも何度もした。
それなのに、そんな九子に、父も母も最後まで優しかった。
もちろん一人娘の九子を、いくつになっても目の中に入れても痛くないほど可愛いがってくれていたからだと思う。
でもその他に、彼らは歳を取り、余命いくばくも無い老人となって、日々に起こる嫌なことはきれいさっぱりと忘れてくれていたからではないか・・・?ということも考える。
惚ける(ぼける)(呆けるとも書く)と惚れる(ほれる)は同じ漢字だと誰かが言っていた。
歳をとって頭が惚けて嫌なことはすべて忘れてしまい、自分の人生を素晴らしい人生だったと自惚(うぬぼ)れてあの世に旅立つことが出来るのであれば、それは仏さまが人間に与えてくれた最後のお慈悲なのかもしれないと思う。
今回も拝読していて、何だか胸が締め付けられるような感動を覚えました。
九子さんのような繊細な感受性の、百分の一でも良いから私も欲しいなとつくづく思います。
ピアノに寄せる愛情には、思わず目頭が熱くなりました。
彼ら彼女らは、全身を響かせて、その空間を圧倒する音を出す機会を、ずっと待ち続けているのでしょうね。
それから、今の自分を生涯保ち続ける魔法のこと。
私も全くかけて欲しくはありませんね。
歳を取って失っていくものももちろんあるのでしょうが、年を重ねることによって新たに生み出される悦びも、またあるのではないかと信じているからです。
by 伊閣蝶 (2013-02-24 11:46)
九子さま、こんばんは。
拝読して、私は下取りされていったグランドピアノを想いました。
高校の時、何を血迷ったか音楽科を選んでしまい、両親はなけなしのお金をつぎ込んでグランドピアノを買ってくれました。
しかしながら、部類の練習嫌いで、楽譜通りに弾かない(弾けない)私をオーナーとしたピアノは本当に可哀相でした。
嫁いだ先にも持っていったのですが、以前にも増してほったらかしで……。
果ては下取りに出して、電子ピアノに鞍替えをしてしまい……。
寂しい思いをさせただろうなあ、と反省しきりです。
もし今どこかで(海外かも)、誰かに奏でてもらえていたのなら、幸せでしょうが、本当に申し訳なかったです。
第二の人生を送ってくれていることを祈ります。
ちなみに今は、音楽室でチョークにまみれた古いグランドピアノを弾いています。
by お夕 (2013-02-25 19:45)
伊閣蝶さん、こんばんわ。
またまた過分なお言葉を有難うございます。
ですけれど、繊細な感受性などというものを九子は持ち合わせていないわけで、少なくともいつも一緒に居るM氏が聞いたら、それこそのけぞって腰を抜かすような話であります。(^^;;
こんなつまんない話からいろいろなことを感じ取ってくださる伊閣蝶さんこそ、素晴らしい感性をお持ちで、私なんか羨ましいです。
いつか書けたらと思っていますが、音楽をなさる方は皆さんご自分の好みがはっきりしていらっしゃいますよね。そういうのがいいなあ、羨ましいなあと思います。
>歳を取って失っていくものももちろんあるのでしょうが、年を重ねることによって新たに生み出される悦びも、またあるのではないかと信じているからです。
その通りです!
というか、そう信じなくっちゃやってられない!って歳になりました。(^^;;
でも、絶対に伊閣蝶さんなら、まだまだどこまでもどこまでも進化を続けられることでしょう。( ^-^)
by 九子 (2013-02-25 21:46)
お夕さん、こんばんわ。
ご無沙汰すみません。もしかしたらお邪魔するつもりでお邪魔していなかったかも・・。これから伺いますね。
お夕さんにもそんなピアノの思い出があるんですか。そうですよねえ、当時、というか、今でもかもしれませんが、女の子はたいていピアノを習わせられてましたよね。
しかも、グランドピアノ!お母様の意気込みが感じられますね。( ^-^)
私も幼稚園までピアノをさせられました。させられるのはたいていダメですね。続かない。
うちのは縦型でしたが、たまたま子供がそこそこ大きくなってから目の前にピアノの先生http://kumokirimegusuri.blog.so-net.ne.jp/2012-01-15が越してみえて、母がそれを機会にまた弾き始めました。
それから、長男がロックバンドをやっていて、彼はボーカルですが、楽譜は読めないけど耳が割りに良かったらしくて、B’Zの曲とか独学で弾いていました。
今はまた誰にも弾いてもらえないかわいそうなピアノになってしまっています。
お夕さんはそれでも、お仕事柄ということもあるでしょうが、ピアノを弾かれる訳だから、素晴らしいですよ!
私など、シャープフラットが多くなるともうパニックだし・・。
でも、惚け防止にはいいかもね。(^^;;
楽譜を見て弾ける人は本当に凄いと思います。
今頃お夕さんのピアノは、貧しいアジアやアフリカの国々で、とってもとっても大事にされていると思いますよ。うん!絶対!
by 九子 (2013-02-25 22:05)