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義兄のこと [<九子の万華鏡>]

ウツ明けは、思いっきり弾けた日記を書きたかった。皆様にたくさん笑って頂けるような・・・。

それがそういう訳には行かなくなってしまった。

7月のはじめ、M氏のお兄さんが亡くなった。M氏と10歳違いのたった一人だけの兄。肺がんだった。

折りしもM子が2ヶ月間の調剤実習で長野に帰省中。たまたま義兄の入院中の病院に配属されていて、名前で途中から気づいた彼女が「今日はおじちゃんの処方箋を調剤したよ。」なんて言っていた。
その頃はまだまだ義兄も元気で、酸素は吸っていたけれど普通に話が出来た。

大きな大きな義兄だった。
体格もM氏より一回りも大きく、毎日ゴルフに行ってもびくともしない体力の持ち主だった。

地元の国立大学の工学部を出て、N電子工業の創成期、従業員20人ぐらいの時に入社して、現在は600人の大企業に育て上げたのは義兄と現在の社長の力だと言われる。
社葬にしたいと申し入れがあったが、義姉が断固として断ったのだそうだ。

その義兄と義姉に、我が家の5人の子供たちは本当にお世話になった。

我が家の子供たちも5人兄妹だが、M氏自身も5人姉弟の末っ子だ。
姉が3人いるから、たった二人の男兄弟である兄とは、10才年が違っても小さい頃から仲良しだった。

今考えても本当に申し訳ないが、M氏は土曜日の午後になると、大好きな兄に会いに実家へ帰ってしまう。一人で帰るならまだしも、最後は5人に増えた子供たちを毎週連れて帰るのだ。

そして義兄とM氏は二人で近くにあるパチンコ屋へ行って、ずっと帰って来ない。
今でも「嫁の鑑(かがみ)」と称えられている義姉が、その間文句も言わず子供たちの面倒を見続けてくれていた。

義兄は大変手が器用で、子供たちに手巻き寿司だの手打ちうどんだのを作って食べさせてくれた。「おじちゃんのうどんやお寿司」でみんな大きくなった。

義兄夫婦に娘は居なかったので、N子、M子が立て続けて生まれた時は羨ましがられた。

九子は、今考えても強運だと思うが、N子が生まれて何ヶ月目かで風疹にかかった。これがあと数ヶ月早かったらN子は無事に生まれてこなかったかもしれない。

感染を恐れてN子は義兄のところに預かってもらう事になった。

娘が欲しかった義兄は大喜びでN子をお風呂に入れてくれ、次の日もそれを楽しみに会社から急いで帰ってきたら、何日もでは申し訳ないと母が連れて帰った後で、義兄はすごくがっかりしていたのだそうだ。

義兄もM氏も、人の良さでは甲乙付けがたい。
義兄は怒った顔など考えられないくらいいつもにこにこしていたが、ただ仕事の場では違っていたと言う。

瞬間湯沸かし器というあだ名がつくほど短気な怒りん坊だったそうだ。ちょっと想像がつかない。仕事となると厳しかったんだろう。

その点M氏はいつでもどこでも誰の前でも、おんなじようににこにこしてくれていて大変有難い。
彼の顔が曇るのは、身体の不調がある時だけだ。

こういうのを心配性と言うのか、すぐに最悪の病名を想定して医者にかかっては「なんともありませんよ。」とか、「気のせいじゃないですか?」と言われて、すごすごと帰ってくるのだ。(^^;;


義兄がまさかの危篤状況に陥ってしまった時、子供たちはみんな大慌てで病院にかけつけてくれた。お風呂に入れてもらった記憶などもう無いだろうが、一番遠い関西の町からN子も高速バスで帰って来た。

N子とM子は早速おじちゃんの病室に行き、意識の薄れかけた義兄の足を二人でさすった。

九子はその時「敵(かな)わないなあ。」と内心思っていた。

彼女たちはそれこそ物心つかない頃から、義兄と密な接触をしていた。
抱っこしてもらう、おんぶしてもらう、遊んでもらう。

彼女らの記憶の中にはおじちゃんの温かみが皮膚感覚として鮮やかに残っているはずだ。

翻(ひるがえ)って九子はどうかと言えば、義兄と会うのは年に数回。もともとが「犬の話」に書いたとおりの淡白な性質である。

その上、出来すぎ母になんでもやってもらって育ってしまったから、なかなか自分から手が出せない。

その時も九子は、義兄の指に挟まれた血中酸素計測器をどうしても動かせないで居た。家族でもない自分が勝手に動かしてしまって果たしていいものかどうか、躊躇していた。

動かしていいに決まっていた。忙しい義姉の手を煩わせる前に、九子が出来る事を何でもしてあげるべきだった。でも九子がしたことは、「お義兄さん、これ誰かに動かしてもらって下さいね。」と、かろうじて意識のありそうな義兄に伝えただけだった。


考えてみると一人っ子だった九子は高校、大学時代とずっと兄という存在に憧れを持っていた。
初デートの相手に「お兄ちゃん」と呼びかけて顰蹙(ひんしゅく)を買ったこともある。

考えてみたら九子が「兄」と呼べるのは、義兄だけだったのだ。
特に若い頃は、14歳も年の違う兄は、兄と言うよりオジサンのようで、兄貴という感覚にはほど遠く、申し訳ないが一度も学生時代のような憧れを持って見たことが無かった。


その頃は坐禅に出会う前でもあり、人がなんとなく怖かった。
優しい中にもどこか鋭い義兄の目もどこと無く怖い気がして、距離を感じてしまっていた。

坐禅と出会ってから人が怖いと思うことも、自分の居場所が無いと感じる事もぐっと減ったし、義兄の笑顔はそのまま笑顔として受け取れるようになったのだけれど、やっぱり「兄貴」と感じることはなかった。

義兄に危篤になられてみてはじめて、彼だけがこの世で九子が兄と呼べるたった一人の存在だったこと。九子はその兄に対して最後まで甘え切れなかったという事実を思い知らされた。

仕方が無い。一人っ子の九子は、子供たちが当たり前のように感じている兄弟姉妹という感覚すらも皆目わからないのだから・・。

目の前にいるN子とM子は違った。おおっぴらに涙を浮かべながらM氏に似て色白な義兄の足を必死でさすっている。
義兄の足は筋肉質で、これが死に行く人の足かと不思議に思うほどだ。

彼女たちにはおじちゃんとの長いつきあいがある。
おじちゃんに抱いてもらい、背負ってもらい、話しかけてもらい、食べさせてもらい、育ててもらった。

そういう密な時間を過ごしてきたからこそ、足をさすると言う動作が自然に出来た。

九子は自分の来し方を考える。
性格とは言いながら、あまりにも自分の手足を動かさない人生だった。

田舎の町で、男の子たちと野山を駆け回って育ったという出来すぎ母を羨ましく思う。
母ばかりではなく、小さい頃泥んこになって遊んだ経験を持つ人々に憧れる。

野山には美しい花が咲き、蝶や鳥がいる。青い空と白い雲と緑の大地がある。
毒のある植物もある。おぞましく嫌らしい虫もいる。たわわに実った木の実をついばむ鳥もいる。そして、雨の日もある、雪の日もある。

そういうものをしっかりと自分の目で見て心で受け止め、美しいと感じ、面白いと感じ、疎ましいと感じ、またすぐ次の光り輝くものに興味が移っていく自分になってみたかった。

この手でつかみ、この手で取り、この掌に乗せ、この目で観察し、この手で触れ、実際に感触を確かめてみたかった。

日が暮れるのも忘れて遊びに熱中した・・などという体験を一度でいいからしてみたかった。

母が見ているから手を伸ばし、先生に言われるから触ってみて、宿題に出されたから絵を描く・・ということでは無しに、自分の興味の赴くままにやってみたかった。

そして何より、「自分」なんてものに気が付く前に・・・。

もしそれが出来ていたら、自分の対する相手との距離感をつかみ間違うことは無かったように思う。

たぶんいつも、遠すぎるのだ。そしてたまあに、近づきすぎる。

もちろん今の自分の性格を否定するわけではない。
だけれども、もしもこれから子供を育てる世代の方が読んで下さっていたとしたら、どうか子供の興味や、やりたい気持ちや欲求を摘んでしまわないようにして欲しい。

最初からあれはダメ、これはダメ、こうしなさい、ああしなさいと指示をして、指示待ち人間を作らないで欲しい。

なるべく親は手を出さず、子供にやらせるようにして欲しい。

きっとその方が、子供は社会に順応し易い。人生を楽に送れる。

親は自分に無いものを子供に求めたがる。
九子の場合は有難い事に、少なくとも娘たちの性格は九子に似ていない。
それでいい。それでよかった。

だが、出来すぎ母の場合は、もっと自分に良く似た娘に九子を育てて欲しかった。彼女の世の中の面白がり方を、もっと九子に伝えて欲しかった。

もちろん母の罪ではない。楽に流れてそれをわかろうとしなかった九子のせいだ。

死に行く人の枕辺でこんなことを考えてるなんて、やっぱり九子はどうかしている。

 

義兄の葬式は盛大だった。会社の中堅どころの男性社員が何人も人目も憚(はばか)らず泣いているのも見たし、娘のように若い女性社員もほとんど、目を真っ赤に泣きはらしていた。

近所で仲人をしてもらった人たちも、単なる仲人ではなくて「親分子分」の間柄というのになるのだそうで、それはもう親子と同じ付き合いなのだそうだ。

だから「おとうさん」の死を子供のように悼んでいた。

義兄と言う人はこうやって心の底から皆を愛した。皆に尽くした。
だからこそ、こうして皆に惜しまれる。


せめてあと10年・・と考えない訳ではないけれど、義兄の充実した人生の濃さを思う。

 

 

 

 


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浅葱

お義兄様の御冥福をお祈りいたします。
旦那様もどうか気落ちされませんように。
by 浅葱 (2013-07-22 00:03) 

mu-ran

心からお悔やみ申しあげます。素敵な方でしたね。読んでいて、お人柄が目に浮かぶようでした。人は身の周りに居る人びとの生きざまを見ながら、自分とひとの違いを凄く意識します。でもみんながそれぞれ違うヒストリーとストーリーを作るんですよね。僕はちょっと変な、オリジナルな、オンリーワンが、自分らしさの定義だと思ってる。それで良いって覚悟を決めるかどうか、それが人生の分かれ道。覚悟を決めるかどうかダケだと思ってる。
by mu-ran (2013-07-22 00:03) 

九子

浅葱さん、前回も今回も温かいコメント有難うございます。
はい。義姉もM氏も、表面上は何事も無かったように元気にしています。
みんな大人ですね。( ^-^)

でもガン、特に肺ガンはこわいです。2年前に手術した時はほんの初期で小さいものと言われていたのですが・・。それに義兄ももうかなり長い事タバコは止めていたのですが・・。

M氏で心配なのはパチ屋さんの副流煙ですね。(^^;;
義兄がいなくなってもう行かなくなるかと思いきや「兄貴が守ってくれるかも・・」とか何とか言って行っています。
懲りない奴!(^^;;
by 九子 (2013-07-22 21:25) 

九子

mu-ranさん、温かいコメント本当に有難うございます。

はい。兄夫婦が穏やかで温かい人でしたから、子供たちもとてもよい環境で育ちました。
彼らが凄いのは、私たちに対してだけではなく、誰に対しても「さあ、寄って、寄って!」と声をかけ、その強引とも言える(^^;;引止めで家に上げてもてなしてくれ、いつでも行き届いた心配りで歓待してくれることでした。

彼らの嫌な顔を見たことがありません。本当に出来ない事だと思いました。

>人は身の周りに居る人びとの生きざまを見ながら、自分とひとの違いを凄く意識します。でもみんながそれぞれ違うヒストリーとストーリーを作るんですよね
はい。その通りですね。

>僕はちょっと変な、オリジナルな、オンリーワンが、自分らしさの定義だと思ってる。それで良いって覚悟を決めるかどうか、それが人生の分かれ道。覚悟を決めるかどうかダケだと思ってる。

それがそのままmu-ranさんの強さですね。覚悟を決めるというのがなかなか出来ません、私みたいな人間には。

これを書いたのもちょっと心が弱ってる時で、そうするとすぐにこういう考えになっちゃうんです。

でも私の場合は、いつも覚悟が決められずにフラフラしながら、ああでもない、こうでもないと迷っているのが私らしいのかもしれません。

それも私らしさのひとつと観念して頂いて、これからも今までどおりお付き合い頂けましたら有難いです。( ^-^)

それと、必要な時にはしゃんとする予定ですから、ご心配なく!(^^;;
by 九子 (2013-07-22 22:24) 

youzi

お義兄様のご冥福をお祈りいたします。
by youzi (2013-07-25 12:47) 

ぼんぼちぼちぼち

お義兄様 安らかにお眠りくださいでやす。
合掌。
by ぼんぼちぼちぼち (2013-07-26 10:11) 

九子

youziさん、有難うございます。
義兄の一生は、とても幸せな一生だったと思います。
愛を与えれば愛を返してもらえる。
義兄ともっといろいろな話が出来ればよかった!

こちらから伺う前に来てくださって有難うございました。m(_ _ )m
by 九子 (2013-07-26 10:53) 

九子

ぼんぼちぼちぼちさん、有難うございます。
昨日伺って半分くらいはお読みしたのですが、ちょうどネットが混んでる時間で、nice!をつけた途中で次のに移ってしまったらnice!がまだ付いていなかったり(案外短気だったりします(^^;;)、付け忘れてるところが結構あると思いますが、お許しください。

続きはまたお伺いしますね。( ^-^)

義兄のこと、有難うございました。
by 九子 (2013-07-26 11:00) 

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九子さんは、覚悟なんてとうの昔に決めて居られる。別に心配なぞしていない。どうやら人前で、私は弱い〜と語るのがお好きで、それをご自分の文章のスタイルにされているようだが、どうして、どうして、覚悟の決まり様は大したもんだ…
by お名前(必須) (2013-07-27 23:48) 

お名前(必須)

by Muran
ゲストになってしまった…
by お名前(必須) (2013-07-27 23:50) 

九子

お名前(必須)さんは、Mu-ranさんですね。
再度のコメント有難うございます。( ^-^)
たぶんスマホやアンドロイドからコメント頂くとguestになっちゃうのではないでしょうか?
自分でもコメントのお返事書こうとしてguestになりました。
ブログ主が書いてるのに、わかってよねえ(^^;;

え~、本文の方ですが、自分の中では本当に覚悟の決まらない弱い人間なんですよ。
スタイルでもなんでもなくて・・。

でもMu-ranさんのような強~い人に「覚悟が決まってる!」と言って頂ける事は、暗示効果としてはかなりのものがあります!

覚悟は決まらずふらふらはしていますが、「覚悟はとうに決まってる!」と信じて最後までやってみましょうか。 それっきゃない!・・ですね。(^^;;
by 九子 (2013-07-29 10:17) 

伊閣蝶

お義兄様、大きな方であられたのですね。
優しさの中に真の強さを秘められ、皆から頼りにされる、大きな大きな樹のような方だったのではないかと、想像いたします。
疲れ果てた人たちも、その木陰に身を寄せて憩えば、心のそこからの安らぎと力を授けられるような。
本当の強さとは優しさの中にある。
私はずっとそう思ってきましたが、今回の九子さんの愛情にあふれる記事を拝見し、やはりそういう方は、市井の中にもおられるのだなと感動いたしました。
ご逝去は誠に無念ですし、それは九子さんはじめ、伯父様のために涙を流しながら足をさすってくれたお嬢様方のお心を忖度すれば、痛惜に耐えません。
しかし、お義兄様が残された恩寵は、きっとこれからも皆様の心の中に深い根を下ろされることでしょう。
悲しいお話であるのにもかかわらず、とても心が温かくなりました。
お義兄様のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

by 伊閣蝶 (2013-08-01 12:47) 

九子

伊閣蝶さん、こんばんわ。
いつも優しいコメント有難うございます。( ^-^)

はい。義兄は今考えても大した人でした。もっともっといろいろな話をしておくべきだったと後悔しています。

確かに「大きな樹」、その通りの人でした。

最初の入院は、ガンを小さくするための治療の入院のはずでした。
それがどんどん状態が悪くなってしまって・・・。
あれよあれよという間でした。

つくづくガンは怖いです。

義兄と義姉の子供たちはまだ40になるかならずです。せめて子供が50歳位になるまでは生きていてやりたい気がします。

まあ欲を言えばきりはないのでしょうが・・。
by 九子 (2013-08-01 22:37) 

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