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北朝鮮 楽園の残骸 [<九子の読書ドラマ映画音楽日記>]

北朝鮮「楽園」の残骸―ある東独青年が見た真実

北朝鮮「楽園」の残骸―ある東独青年が見た真実

  • 作者: マイク ブラツケ
  • 出版社/メーカー: 草思社
  • 発売日: 2003/09
  • メディア: 単行本

 

川口マーン惠美さんの名前を見つけたのは、「現代ビジネス」という講談社が作っている硬派のサイトだった。

名前を見ればお分かりの通り、マーンさんというドイツ人と結婚されて長らく現地に住んでいらっしゃる。

何でもピアニスト志望でドイツに渡られたとのことだが、今現在は執筆で身を立てていらっしゃるらしい。

まず第一に彼女は美人である。その上彼女の文章がとても読みやすくて、知性を感じさせる。

中学生位のお嬢さんがいらっしゃる・・様なことが書かれていたので、ずっとお若いと思っていたら、九子とほとんど違わない年らしくて二度びっくり。それにしてもお美しい!

彼女の本はアマゾンの評価も上々なので、どれか一冊買ってみよう・・!と思いたった結果、選んだのは申し訳ないけれど彼女の著書ではなくて彼女の訳書。

ドイツ人青年マイク・ブラツケ氏の北朝鮮体験記である「北朝鮮 楽園の残骸」だった。
彼女のなめらかな和訳のおかげで、大変読みやすい本に仕上がっている。

ブラツケ氏の3年半の北朝鮮滞在期間中、ピョンヤン以外の土地も含めて撮り貯められた171枚にものぼる写真が、奇跡的に当局の目に触れないまま持ち出されたのである。これはもう買うっきゃ無いでしょう。( ^-^)

一枚一枚の写真に添えられている説明文を丁寧に読めば、もっといろいろなことが見えてくると思う。


ドイツ人の青年がなぜ北朝鮮に?というのは、きっと誰もが疑問に思うことだろう。
九子も真っ先にそれを不思議に思っただったのだけれど、ドイツはドイツでも、彼は東ドイツ出身。

共産主義の国で民主主義国家を仮想敵国とする教育を受け、少年の彼はそれを疑いもせず受け入れた。

ところが16歳でベルリンの壁が崩壊し、価値観が一変した。

彼は西へ出て、世界を見てみたいという欲求からNGO法人を受験する。
幸運なことに25歳という最年少で採用され、以前から興味を持っていた東洋の共産主義の国、北朝鮮に派遣されたのだ。

彼は北朝鮮の生活を、ある程度馴染みのあるものとして捉えることが出来た。

たとえば彼は、「(北朝鮮の人々は)なぜ自分たちの置かれた状況を認識できないのか」とか、「なぜ、それを前例と同じように行うべきなのか」ということを、他の外国人のように執拗に尋ねたりしない。

彼はむしろ、北朝鮮の不透明な方針決定方法についてどこかなんとなくわかってしまうところがあり、「他の外国人」に説明して欲しいと反対に懇願されたりもした。

そういう「理不尽さ」に対して誰よりも寛容で居られた事こそ、彼の滅亡した祖国から受け継いだ遺産のなせる業だったのだ。


まず彼は、外国人の誰もがそうであるように、モデル都市と言われるピョンヤン(平壌)に足を踏み入れる。

彼のピョンヤンの第一印象は、「暮らしやすい普通の町」 そして、「コンクリートだらけの町」だった。

今やもう誰にとっても常識になっているピョンヤンと他都市の落差。

九子もある程度は理解していたつもりだったが、要するに唯一まともに暮らせるのはピョンヤンのみで、都市という体をなさない都市と、より悲惨な町や村がどこまでも茫々と広がるばかりというのが北朝鮮という国らしい。

コンクリートだらけのピョンヤンの高層ビル群を作ったのも、いったい車がいつ何台通るのかも不明の高速道路を作ったのも、すべて人力であると聞かされると卒倒しそうになる。

その高層ビルだって、エリートたちの住むほんの一握りを除いて、エレベーターはいざ知らず、水道も電気も通っていないところがほとんどなのだそうだ!

コンクリートで思い出したが、動物園(のあるところはまだまだマシな場所に違いないが・・・)に居るのは、動物ではなくて動物の形をしたコンクリートの像なのだそうだ。

ピョンヤンでさえ たまにしか車が通らない道路に、信号機の代わりに交通整理の女性が立っているありさまなのに(もちろんこれは節電のためだろうが)、地方へ行けば 線路も道路もあるにはあるが、車一台列車一本通らない。

その列車も通らない線路が、人々が歩くための格好の最短距離の道になる。

人々は黙々と線路の上を歩く。交通手段のほとんど無い北朝鮮の人々は、食うや食わずで80キロや100キロの距離なら、重い荷物を背負いながら歩くのだそうだ。

そんな劣悪な環境の中で、驚くことに津々浦々まで普及しているのはテレビだと言う。

そう。そのテレビから流れてくるのは、将軍様こと金正日や息子の金正恩のニュースと、軍からの一方的な報告。

一日の放送時間の大半がそんなニュースや、資本主義の国が悪者になる脚色されたドラマや、軍の力を誇示するプロパガンダのみ。

金正日視察の折など「将軍様がこの道を通られた。」というのはすぐに、それを見た者によって誇らしげに人々に伝えられ、それを伝えられた人々は、まるで戦前の日本人が天皇陛下をあがめるように、この世のものではないお方が自分たちのところまで降りてきて下さった事への感謝と畏敬の念で、うっとりとした表情を浮かべて頬を上気させる。
(☆もちろん九子は天皇制を否定するものではありません。)

洗脳というのは、こうして行われるものらしい。

たとえば、小学校の算数の授業では、「鉄砲の弾が9発ありました。5人のアメリカ兵に一発ずつ当たりました。残りは何発でしょう。」というような問題が出されるのだそうだ。

これにより、子供たちは算数と一緒に、アメリカ兵というものは撃ち殺して良い者なのだと理解するわけだ。

「教育」という名の洗脳。

他から何も情報が入って来ない状況で、毎日毎日、ひたすら一つの情報のみを与え続ける。

ある意図を持って「教育」することの怖さがここにある。


自由な解釈を許さない言葉は、もはや言葉ではない。
一方的な意味のみを押し付ける言葉は、暴力である。

その暴力の言葉に抑えつけられた人々は、無言になるしかない。
つまり対話は決して成り立たないのだ。

「もの言えば、唇寒し、秋の風」
誰もが知っている松尾芭蕉の句だけれど、日本人の我々は、きっと誰もがこの句の持つ意味を理解することが出来ると思う。

今はちょうど秋だけれど、冬だろうと春だろうと夏だろうと、取り返しのつかない事を言ってしまった後悔の念。まるで心の中に秋風が吹くようなわびしさ。

考えてみると、この句を理解するにはまず、言葉が自由な解釈を許される場で使われる必要がある。

この句の場合、自分が意図したことと相手が解釈したであろう意味とが一致しているというのが最低条件だ。

この双方の一致を経てはじめて、要するに「後悔の念」というものが湧き上がり、生きてくる。

もしも自分の言葉で相手が傷ついていないかもしれない可能性があれば、「唇寒し」までの思いはせずに済むはずだ。

そしてこの句が共感を呼ぶのは、私たち皆が生涯のうちに一度や二度同じ思いをしたことがあり、その思いを理解できるからだ。

ところが多分北朝鮮では、そもそもが「もの言う」などという状況がありえないのだと思う。

言葉はすべて命令という形で上から下へ伝えられる。
ノーは許されない。答えはイエスに決まっている。

となれば、「解釈」すらありえない。
言葉そのものに、自由が無いのだ。

誰だって下手なことを言ってそれがスパイの耳に入り、強制収容所送りなどになりたくはないから、イエスマンになる。

かの国で皆がイエスマンになることを、部外者の我々の誰がいったい責められよう。

誰かが言っていたが、北朝鮮の人々が住んでいる家も耕している土地も、すべて自分のものではなくて国家のものなのだそうだ。

だから彼らは「所有」という概念が分からず、結果として国家に敵対心を抱かないのだそうだ。

教育と、法律と、体制と・・。何重にも張り巡らされた洗脳のワナ。


この本によると朝鮮戦争後1960年頃までは、経済的に良い時代もあったという北朝鮮。その時代を知っている老人たちは、もうほとんどが死んでしまっているのだろうか?

誰もが忌み嫌う「死」すらも慰めになる社会・・。

 

エピローグもまた興味深い。ブラツケ氏が経験したベルリンの壁崩壊が詳しく描かれている。

そして彼の見た北朝鮮の人々の心の中のオアシスのようなもの。

それは・・。

 

彼らは多かれ少なかれ、みな思い込みのなかで生きているように見えた。

 思い込みといっても、幻想や錯覚を抱いているわけではなく、現在の生活環境は自分たちの欲求からそれほどかけ離れたものではないと思い込んでいるのだ。
欲求自体が長年の抑圧で矮小化し、あるいは自虐性まで帯びている。

つまり、欲求とは日常生活の中で手に入れることの出来る慎ましい喜びであり、
また、苦しみに耐え抜く力を発揮することである。<略>

つねに虐げられてきた人間には、苦しみに耐え抜く信じられないほどの力が備わっている。その能力がいわば彼らの財産であり、誇りでもある。

これがあるからこそ苛酷な現実そのものと折り合いをつけ、所詮こんなもんだろうと甘んじてもいられる。

ひいては彼らに課せられる過酷な条件に意味が生じ、毎朝新しい気持ちでより苛酷な生活を受けとめることも可能となるのだ。

 

 

 

 

貧しさ、ひもじさの中で親は子供を守り、劣悪な環境の中で先生は生徒たちを身を削って守ろうとする。

北朝鮮の暮らしの中には、それでもまだ、言葉の力がかろうじて生きているらしいことが救いだ。

ブラツケ氏が滞在したのは1998年6月から3年半と、NGOを閉鎖するために再入国した2003年の数ヶ月。

この本の写真に出てくる北朝鮮の人々は、まだこざっぱりとした身なりで、子供たちの顔には笑顔もあるのだけれど、あれからもう10年以上。人々の暮らしは今、どうなっているのだろうか?

彼らにとって何が最良で、彼らはこれからいったいどうすべきなのか?
衣食足りて、平和を享受している私たちが軽々に口に出来るほど生易しい問題ではない。

 


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コメント 4

伊閣蝶

「幸せ」というものは、それを感ずる個人それぞれの心のうちによって異なるものなのかもしれません。
実際、高校生の頃の私は、北朝鮮に対して、貧富の格差や差別を克服した夢のユートピアだと考えていました。
資本主義が弱肉強食の世界であると考えていた頃のことです。
しかし、最も平等であるはずの共産主義社会こそが、一部の特権階級による搾取の横行する官僚主義の権化であることを知り、絶望に近い目眩を感じました。
東ドイツで生を受けたブラツケ青年の想いが如何ばかりのものであったのか、しみじみと思いを馳せています。
by 伊閣蝶 (2013-10-16 23:03) 

九子

伊閣蝶さん、こんばんわ。
もしかしたら私たちが高校生ころまでは、北朝鮮はまだまだよい時代だったのかもしれませんね。(私など、北朝鮮って国があることすら気に留めていないノンポリ学生でしたが・・。)

ブラツケ氏は当時のことを「自分が何を考えなくても、国家が考えてくれる楽な時代だった。」とどこかで書いていました。
そのツケがいつか回ってくることに気がついたのかもしれません。
でも、自由な国に生まれついた私たちからすれば、自分のことを国が考えてくれるなんて、気持ち悪いですよね!
by 九子 (2013-10-17 21:48) 

moz

教育という名の言論統制と思考操作、洗脳なんですよね。
北朝鮮もそうですが、中国と韓国も同じようなことをしています。なるほど、テレビなんですね。マスメディアによる大衆操作なんだ。
でも、長い歴史の中で証明されているように、そのまま続くことはないですから・・・。
by moz (2013-10-20 12:37) 

九子

mozさん、こんばんわ。コメント有難うございます。
あんなに食べるものも足りない、人が飢え死にするかしないかという状況下で、テレビだけはどこにもあるという状況は、誰が考えてもどうかしていますよね。
北朝鮮に生まれついたというだけで、不幸な人生を約束されてしまう人々がいると言う事実を、金一族はどう思っているのでしょう!
そのまま続くことはない・・。そのとおりかもしれませんが、続かないなら続かないで、それも不幸かもしれませんよね。
まったく!という言葉しか出てきませんね。
by 九子 (2013-10-21 22:34) 

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