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文友 [<英語の話>]

「文友」と書いて「ふみとも」と読む。
そんな言葉があるかどうかは知らないが、少なくともメル友ではなく、ましてやブログやLINE仲間でもない。

一年に一度だけの年賀状でつながっている。年賀状ひとつだけでつながっている。

友達少ない人間の九子には、実はこの文友が二百人は居る。驚くことはない。それだけ長く生きてるってことだ。(^^;;

何年か前にお世話になって、お世話になったお礼に雲切目薬をお送りしますからと、その時に住所を伺った。
その後一度年賀状をお出ししたらその方からも年賀状が返って来て、以来毎年年賀状を出す。

何十年か前の海外旅行で知り合った方々の何人かとも、いまだ文友である。
当時九子たちの親くらいの年代だった数人の方はもう亡くなられ、残りの方々とは万が一街でお会いしても絶対にわからない自信がある。(^^;;

年賀状ももうそろそろ出さなくてもいいかしらと思っていると、あちらから先に頂いたりして、結果、綿々とお出ししている。律儀に御丁寧なお返事も届く。

そういう方とは不思議なもので、「もうこれで」と思ったはずなのに更に一段お付き合いが深まったような気がして書くのを止められない。

たぶんあちらも同じ思いで出されているのだと思う。


でも九子は、こういうお付き合いが嫌いではない。

と言うか、そういうお付き合いの方が九子にとっては心地良い。

一人っ子のせいか一人で居ることが割合平気で、メールも、電話も、会って話をすることも、友人たちにはご無沙汰することが多い。
ふだんの他愛も無い話は、M氏や子供たちで十分こと足りる。

一年に一度、うず高く積まれる年賀状の束の中から、極まれに、「そちらに伺うつもりです。」とか、「「こちらにいらっしゃるならお会いしませんか?」という類の誘い誘われ文言が浮き出て、それが実現したりするととても嬉しい。
「袖摺りあうも他生の縁」と言うが、ほんのわずかの事からご縁が生まれることを実感するのだ。


そもそも「メル友」などという言葉が生まれるずっと前から、A君は九子の生まれてはじめての文通相手だった。当時の言葉で言うところの「ペンパル」だ。

A君を九子に紹介してくれたのは父だった。
父が始めてのヨーロッパ旅行でスイスのロープウエイに乗った時、そこに居合わせたドイツ人家族の長男がA君だった。

知ってるドイツ語など誰もが思いつく「ダンケシェーン」と「ビッテ」と挨拶のみ。ただひとつあまり一般的でない言葉「イッヒ・ビン・アポティーカ」(私は薬剤師です。)っきり知らない父が、今考えてもどうやってそこまで話を進められたかが謎であるのだが、A君のお母さんにあたる彼女が偶然にも薬剤師だった!
父が満面の笑顔で「オー・オー・イッヒ・ビン・アポティーカ」と言ったであろう事だけは察しがつく。

A君の父親に当たる彼はベンツの技術者で、休暇に家族を連れて、スイスアルプスを見にロープウエイに乗ったらしかった。

九子の父と言う人は、心配性の癖に底抜けに陽気で、外人さんが大好きな人だった。自分の語学力が無いのをまったくものともせずに”Where are you from?”ひとつで話しかけ、返事がまともに返って来ると意味がわからないので誰か英語に堪能な人を手招きする。

当時父は40代。長野オリンピックの時はもう80才だったが、なんとしてでも外国の人と仲良くなりたいという情熱は消えていなかった。

昔は父のように誰かが英語で話しているのを聞くと近寄って行って話しかけていた九子が、今ではさっぱりその気が失せてしまったのと比べると、父の人間好きは凄い事だと思うし、嬉しそうにはしゃぐ子どもみたいな笑顔が忘れられない。

そんな父のおかげで、九子は海外に文友が何人も出来た。

当時確かA君は13歳で、九子は15歳。その後高校生くらいになるとA君は190cmを越える長身になった。
九子は必死で辞書を引き引き、当時は年に何通も、短い英語の手紙を書いた。

A君とて英語は母国語ではなかった。
今になるとわかるが、ドイツ人という人種も、日本人と同じく、国境が地続きのヨーロッパにおいては語学が堪能では無い方に属するらしい。
A君にとってはフランス語の方が得意であるらしかったが、いずれにせよ尖った、癖のある文字で青インクの手紙が毎回来た。
節約家のドイツ人らしく、紙の裏表にびっしりと文字が書かれていた。

彼は大学院を出て、経済学だか経営学だかの博士号を取った。その後、とても大きな経理、会計会社を友人と二人で立ち上げていた。
当時ドイツのネットでA君が立ち上げた会社の立派な建物とホームページを見るとわくわくしたものだった。

A君などともう気楽に呼べないほど、彼はビッグになっていた。


結婚してからは、一年に一度クリスマスカードと年賀状を交換するだけの年月が続いた。
そうこうしているうちにもう40年以上が過ぎてしまったことになる。

お互いの結婚も、子供の誕生も、家族の訃報も、近況も、とりあえず一行くらいでさらっと伝え合っては来た。
だからA君のことは特別な友人と思ったし、「ドイツ」と聞くと、とても近しい国と言う気がした。

そのうち整理整頓まるでダメの九子が大事な住所録を無くし、仕方が無いからネットに彼の名前を入れて検索し、出てきた世界中の経営者が集うSNSを連絡の場としていた時期もある。
(そのおかげで、トンデモ経営者の九子は今でもそのSNSに在籍している。(^^;;)

このあいだ、人生は3万日というのを聞いた。そして、九子に残っているのは1万日を切っていることがわかった。
だから・・という訳ではないが、海外旅行をするなら今しかないんじゃないかと言う思いに駆られた。

何しろ怠け者である。運動嫌いが昂じて、足腰立たなくなる日がそう遠くないかもしれない。

そう思って、A君に突然メールをした。「近い将来、ドイツに行くつもりだ。」と。

彼はとても喜んでくれた。
もし訪ねてくれるなら、ホテルや乗り物の手配をしてくれると・・。

本当は一人で行くつもりだった九子だが(つまり経済的な理由である。(^^;;)、末娘のM子が急遽参加することになった。
まだ学生のうちの今年の10月ならば、彼女も何とか時間が取れるという。

M子の参加を後押ししたのはN子だった。
「ママ一人だと、何をしでかすか心配!。お目付け役にMちゃんを連れておいでよ。」(^^;;
そして今年10月渡独計画は密かに九子の中で動き出していた。

ところが、あちらでは予想外の出来事が起こっていた。

実はA君の奥さんとお子さんは癌にかかっている。
九子がドイツ行きを急いだ本当の理由はそれだった。

上の子の白血病は脊髄移植で完治したようなのだが、下の子の脳腫瘍と、奥さんの乳がんの両方の転移が更に大きくなっていて、予断を許さないのだという。

奥さんやお子さんのどちらかが・・という話ならたまに聞くこともあるけれど、4人のお子さんのうちの2人と、奥さんが癌で、しかもお子さんの脳腫瘍は手術しても取りきれずに後遺症が残り、奥さんの転移も深刻と言うのは彼にしてみればどんなにか心配だろう。

彼は敬虔なカトリック教徒だ。だから、あまり泣き言は言わない。
いつの日も、「僕は妻を誰よりも愛している。」と言い、どんな試練にも負けない厚い信仰がある。

こんな状態では、とても10月のドイツなんて無理だ!と思っていたら、彼からメールが来た。

「僕も妻もあなたたちの来訪をとても待ちわびている。だから、絶対にキャンセルなどしないで予定通り来て欲しい。
10月のドイツはもう寒い。月末にはもう雪も降る。だから、来るなら早めをお薦めする。」

家族の具合が悪い時に、他人を受け入れるなんて簡単に出来るだろうか?
九子ではまず無理だ。家族に心配事が起きると、自分の視野が狭くなり、それ以外のことが考えられなくなってしまう。

それなのに彼と彼女は、来て欲しいと言ってくれる。

これは単に彼らと九子の問題ではない。ドイツと日本の友好の問題だ!
この誘いを受けなかったとしたら、九子の女が廃(すた)る!
同時に、日本人としての九子が問われている!
ウツが来ようが、店が忙しかろうが、10月には絶対にドイツに行くぞ!

・・と、まあ、拡大解釈甚だしく、九子は武者震いをした。(^^;;


この続きは、本年10月以降に・・・。( ^-^)


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リンさん

今は新年のあいさつもメールの時代ですが、年賀状って大事ですよね。
今年は写真付きの年賀状をやめたら、友達に
「写真楽しみにしてたのに、何で今年はなかったの?」
と言われました。
なかなか会えないからこそ、写真を楽しみにしてくれているそうです。
来年は写真付き。九子さんにも出すね^^
by リンさん (2014-04-25 18:19) 

九子

リンさん、こんばんわ。コメント有難う。( ^-^)
そうそう。写真があると捨てられないよね。ずっと会っていない人でも、なんだか知ってるみたいな気になります。

りんさんからの年賀状、楽しみにしてますね。( ^-^)
by 九子 (2014-04-25 21:28) 

伊閣蝶

文友、なるほどなあと拝読しました。
私も、200人以上、そうした友人がおります。
仰る通り、街で偶然であっても、すぐにそれとは分からない可能性もありそうです。
でも、そうしたおつきあいも大切ですね。
それにしても、九子さんのグローバルなおつきあいには脱帽です。
拝読しながら思わず感激してしまいました。
by 伊閣蝶 (2014-04-28 22:51) 

九子

伊閣蝶さん、こんにちわ。
ああ、やっぱり!伊閣蝶さんは本来のご友人の上にそのくらいいらっしゃりそうですよね。
だって、律儀でマメな信州人ですもの!(私もそう言われたい。(^^;;)

いえいえ。グローバルなどとんでもない。
でも、ほんのわずかなことでも何十年も続けてるとこうなるんですね。

やっぱり律儀って大事!ドイツ人と日本人っていう律儀者同士だったからよかったんでしょうか?
by 九子 (2014-04-30 13:13) 

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