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言葉の壁 [<九子の万華鏡>]

「だからさあ、ママおのぼりさんみたいにうきうきしちゃってるわけよ。」
娘と、例のドイツ行きの話題で盛り上がってた時、電話口でこう言いながら九子は考えた。

あれっ?おのぼりさんって言葉、この頃あんまり使わないけど、彼女に通じるかしら?

我が家で一番若い彼女が言った。「わかるよ。田舎から都会に出て行った人の事でしょ?」
彼女に通じたということは上の4人にもおのずと通じるはずだ・・と、胸をなでおろす。

それでも電話のたびに一応子供たちに尋ねてみた。
みんなすぐにわかった。ただ、そこにはある共通点があった。
おじいちゃん、おばあちゃんがよく使っていた言葉だから・・ということだ。

つまり、三世代同居のうちの子供たちは知っていたけれど、核家族で育った子供たちはどうなんだろう?

考えてみると「おのぼりさん」には田舎に住む人々への差別的なニュアンスが含まれる。

上野駅が地方に住む人々の夢と憧れの終着点だった頃、幼かった九子もよく父や祖父に連れられて何時間も汽車に乗り、東京の親戚のうちに連れて行ってもらった。

九子が当時乗ったのは今でこそSLと呼ばれてもてはやされる蒸気機関車の筈だったが、そんなものに興味がない九子は、いつもしかめっ面をしていた。

座席に付くと父や祖父が、一目見てきれいじゃなさそうなたぶん金属製の冷たい汽車の床の上に新聞紙を広げ、靴を脱いでその上に乗るように言うのだが、せっかくの白い靴下が新聞紙のインクのせいか、それともSLが噴き出す煙のせいかで黒くなってしまうのが嫌だったのだ。

そう。当時、汽車に乗るということは、黒い煙を浴びなければならないということを意味していた。

迷子にならないようにしっかりと手を繋がれて上野駅のホームに降り立つと、ボーっと耳をつんざく蒸気の音がして、どこか錆臭いような鉄のにおいが鼻をつき、たまり水に誰かが落とした新聞紙がはりついていたりしていて、東京に着いたという嬉しさを半減させる。

あの頃、確かに上野駅には貧しい身なりの人々がたくさん居た。
せっかく長時間の不快な人いきれから解放されたばかりなのに、またしても周り中どこか泥臭い人々の群。

九子の中で上野と言う駅は、綺麗な都会と汚らしい田舎の交差点だった。


あれからもう50年。どこへ行ってもこざっぱりとした身なりの人々が駅を行き交う。
掃除の行き届いた電車で服を汚す心配もなく、皆が日本中を快適に移動する。

全国津々浦々同じような大企業が画一的な店舗を作っているのを見る時、都会と地方との生活水準の差は確実に縮まったと思う。
「おのぼりさん」なんて言葉はもう用済みになってしまったのかもしれない。

「おのぼりさん」が死語であるかどうかはともかく、たかだか数十年で通じない言葉がたくさんあるのにびっくりさせられる。
同じ国に住み、同じ言語を使っていても、言葉の壁は世代の壁、文化の壁なのだなあと痛切に感じさせられる。


ところで冒頭の会話だが、30年ぶりの海外旅行にうきうきした九子が何をしたかと言うと、また別の文友(ふみとも)にドイツ旅行を吹聴したという話である。

娘には吹聴と言ったが、実はそうではない。

文友はこれも父が知り合いになったオーストラリア人で、素敵な女流画家さんである。

「30年ぶりの海外旅行先にあなたのところを真っ先に選ばないでごめんなさいね。実はこれには理由があって、ドイツの文友の奥さんと子供さんが大病を患っているの。だから、すぐに会いに行きたかったの。数年後には絶対にあなたのところにも行くから、今回は失礼するわね。ごめんなさいね。」というのを伝えたいという、まったくもって日本人的な気配りのメールだった訳なのだ。(^^;;

ところがそれを出してしまってから、また細かいことが気になった。

日本語では誰かが大病を患ったりすると「実は、あんまり良い話じゃないんだけど・・。」という言い方をする。

九子もドイツの文友の奥さんの病気の話を始める時、日本語にとらわれて"It's not a good story."と書いてしまったのだが、考えてみるとそういう状況でも彼らが海外から何十年ぶりに渡航する友達を受け入れてくれたというのはとても嬉しい話だし、彼らの美しい心根が伝わってくるようである。そうしたらこれは十分にgood storyである。
九子は”It's not a good story."ではなくて、" It's not a happy story."と書くべきではなかったか?

これもよく考えてみると、私たちは、「良い」という言葉を実にいろいろな場面で使う。本当は幸福なとか、幸運なとか、美しいとか、めでたいとか・・、そんな言葉がふさわしい場面でも「良い」の一言で済ましてしまうことがある。


ところが、西洋文化では、とりわけキリスト教文化では、「良い」は善悪の善ときっちり決められているのではないか?
すなわち「悪」に対するものとして「善」があり、だから九子が思わず使ってしまった "not good" は、すなわち「悪」として捉えられてしまう。


そうすると、ドイツ人家族の善良なもてなしのうるわしさや、それに感激した九子の気持ちが十分に伝わっていないのではないか?

その点病気は常にunhappyであるから、上の場面で十分通用する。ああ、やっぱり”happy" と書くべきだった。
(と、九子はいつでもこんな些細なことに気をもんでいる典型的な日本人なんである。(^^;;)

そう。ここでもやっぱり言葉の壁だ。
もちろん九子自身の英語力の壁もあるが、日本と西洋の宗教を含めた文化文明の壁の力が大きいように思う。


「良い」という言葉に多種多様な意味を持たせるのは、東洋の、そして仏教の曖昧、混沌の文化なのかもしれない。
そして、「良い」と「悪い」はきっちりと際立たせる西洋のキリスト教文化。

幼稚園児でも知っているgood グッドとbad バッドに、それだけの違いがある事を認識するのは、また認識すべきなのは、社会を作る大人の役割なのかもしれない。

 

この間のテレビで、なぜ日本人は英語が下手なのかというのをやっていた。

九子もつい先ごろまで、英語のスペシャリストたちがこぞって「英語力よりもまず日本語力」と言うのを聞いてから、そんなに早期に英語教育を導入しなくてもいいのかと思っていたのだけれど、例の韓国船沈没事故で「韓国がアメリカの救助船を要請して、安倍総理の申し出を断ったのは、日本とは言葉が通じないからだ。」という韓国側の返答に思わずぞっとした。

九子は何もパククネ大統領の言葉の裏にあるものに興味があるわけではない。だけど確かに危急の時に、自衛隊の英語が米軍に伝わらず、韓国軍と米軍だけの意思疎通がしっかりとしていたら、いったい何が起こるのだろう?
ちょっと笑い事では済まされない事態が起こりはしないだろうか?

そう考えた時、やっぱり日本人の英語力は、せめて普通の人が簡単な受け答えが出来るレベルまでにしておかないといけないんじゃいか?と、強く思った次第である。

番組の中で紹介されていたのは、フィリピンの小学校だった。
特徴的なのは、小学校一年生から英語の教科書を使っていて、先生も英語で教えていることだった。

番組の中で述べられていて象徴的だったのは、日本では日本語の言語レベルが高いので大学生用の教科書まで日本語で書かれているが、世界の他の国々はそうではない。
自国の言語では高度なレベルのものは教えられないので、英語の教科書を使う国がたくさんある。いや、そういう国が大部分なのだそうだ。

要するに彼らは必要に迫られて英語を学習する。
ところが日本は、日本人だけの世界で、日本語を極限まで発展させ、日本語だけで事足りる社会を作り上げてしまっている。

なんだかこれこそ、日本=ガラパゴスそのものなんじゃないの??(^^;;

だけど、確かに英語の教科書を使い、英語で教えるというのは効率的だ。
九子が考えるに、とりあえず小学校の「理科」の時間を英語で教える時間にするのはどうだろう?

だって、算数じゃ専門的過ぎるし、社会科は難しそうだし、国語はもちろん国語力を伸ばさなくちゃいけないし、理科なら日常会話に使えそうな言葉も良く出てくるし、目で見てはっきりとわかる学問だから、言葉に頼らなくても大丈夫じゃないかなあ?

第一、英語の教科書を小さい頃から読み慣れていたら、英語に違和感がない。

読書力は努力なくしてはなかなか身に付かないから、薄い教科書を精読するだけの中学高校英語ではとても無理!一日に何十ページ、いや何百ページも読み進められなければアメリカで大学生にはなれないだろう。

小学校で英語の教科書のたとえ100ページに満たないページ数であっても、三学期までには必ず終わる訳だから、全てが英語で書かれた教科書を一冊読み終えたという満足感はとても大きいと思う。
速く読めるようになれば、その分速く聞くことも出来るという。

結局、言葉の壁は、心の壁なのだ。
おもてなしの心だって相手に伝わらなければ意味がない。

そりゃあ何ヵ国語も話せたら素晴らしいけど、とりあえず東京オリンピックまでに世界で一番多くの国の人々に使われている英語を可及的速やかにかつ効率良く身につけたい!


もちろん言葉でわかりあえない事だってある。

その筆頭がこじれにこじれてしまった隣国との関係かもしれない。

だけどそういう時でも、いや、そういう時だからこそ、お互いの言語を知っているといいのかもしれないのだが・・。


九子はどうしても中国語や韓国語を習う気になれない。それがすなわち九子の「バカの壁」である。

こっちの方はその気になりさえすればすぐにでも無くなる気はするんだけど、どういう訳か、いつまで経っても無くならない高い高い、高~い壁。(^^;;


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ぼんぼちぼちぼち

おのぼりさんって言葉、通じてなんかほっとしやすね。
あっしが使って若い人に通じなかった言葉は、「流し」と「流行歌」でやす(◎o◎)
by ぼんぼちぼちぼち (2014-04-30 12:17) 

九子

ぼんぼちさん、こんばんわ。( ^-^)

考えてみると「おのぼりさん」は差別的だから使わなくなったのかも・・って気もして来ました。

なるほど!「流し」と{流行歌」
「流し」って、実際に私の大学時代にもそうそう会ったことありませんでした。まあ、品行方正でそちら方面には縁が無かったせいかも・・。(^^;;

でも、「流行歌」もわからないんですか! 流行って言葉はわかるはずでも「か」の部分がわかんないんですかね?
そのうち「歌謡曲」ってのも無くなりそうですね。

ほんと!辞書作る人大変だわ。(^^;;
by 九子 (2014-04-30 23:24) 

ちゃるこ

九子さん、私のブログに来て下さり有難うございますm(__)m
九子さんには5人もお子様がいらっしゃるのですね!
2人でもあっぷあっぷしている私には大尊敬です☆
「おのぼりさん」、私もよく使います!
年代によって伝わらない言葉が増えてくるかもしれませんね(^_^;)
by ちゃるこ (2014-05-03 15:08) 

九子

ちゃるこさん、こんばんわ。
来て下さってありがとう!( ^-^)

ああ、子供の数は、まったく関係ないの。私は一人っ子で、うちの逞しき母親がみんな育ててくれて、私は子供に孫が出来たらどうしようと恐怖に駆られているダメ親なのです。
2人のお子さんをきちんと育てていらっしゃるちゃるこさんのほうがずっと凄いと思います。

私も子供がもっと小さい頃からブログがあったら何か焼くになる事を残せたのに・・とお思いますが、子育ての傍らブログを書くのは大変だと思います。

だから、本当に今の若いママさんたちは素晴らしいです!

ちゃるこさん、よかったら九子にメールを下さいませんか?
左側欄の一番上のほうにメルアドがありますので・・。

コメント頂いた方みんなにお願いしていますので、よろしくお願いします。( ^-^)
by 九子 (2014-05-03 22:48) 

mu-ran

考えさせられました。。
by mu-ran (2014-05-05 17:26) 

九子

日本語が発展しすぎたおかげで英語が使えないと考えると、本当に皮肉な結果ですよね。
でもやっぱり、世界中が英語を必要としている以上、日本人も頑張らねば・・・。
mu-ranさんもそこまでにおなりになるには凄く努力をされたのだと思います。努力とは思っていらっしゃらなかったかもしれませんが・・。
やっぱり努力しないとダメなんでしょうね。
by 九子 (2014-05-05 21:06) 

moz

おのぼりさん、色々と意味があるのかもしれませんね。
電車に上りと下りがあって、上りに乗ってくる人、初めての都会で不案内の人? そんな感じでしょうか?
言葉も時とともに生まれたり死んだりしていくのだと思います。若い人たちの間では、どんどん新しい言葉が生まれ、すでにぼくには読解不能です 笑
It's not a good story も面と向かって話していると、ニュアンスは伝わるのでしょうが、文字だけだと、そうですね、真意が伝わらない時もあるかもしれませんね。ただ、それだけでなくて、文章全体で人は読むでしょうから、文脈からは九子さんの気持ちが伝わるのだと思います。
ドイツへ旅行されるのですね。楽しんできてください。 ^^
本当にご無沙汰してしまいました。これからも、よろしくお願いします。
by moz (2014-05-06 07:21) 

九子

mozさん、こんばんわ。
mozさんのブログにはとても多くの方々が集まって、その分コメントされる方も多い訳だから律儀にコメントされていらっしゃると本当に大変だと思います。
だからお返事はいらないかと言うと、やっぱりコメントは返して頂いたほうが嬉しい私です。(^^;;

そうですね。手紙のこと、全体の流れできっと伝わっていると信じたいです。
海外旅行なんて30年ぶりなんですよ。元はと言うと弾みで言ってしまった一言なんですが・・。(^^;;

でももういつまでも元気で居られる訳ではないので、思い切って行って来ようと思います。
こちらこそ、これからもよろしくお願いします。( ^-^)


by 九子 (2014-05-06 21:01) 

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