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ストロベリーナイトとインビジブルレイン [<九子の読書ドラマ映画音楽日記>]

タイトルの「ストロベリーナイト」は、映画やテレビドラマとしての標題。そしてその原作シリーズものの一冊が「インビジブルレイン」だ。今回のテレビ版は、ほぼこの一冊そのままの展開だった。

お定まりのように後から読んだ原作の魅力の方が数段上だった気がするが、竹内結子と大沢たかお、それに今や人気絶頂の西島秀俊の絡みが魅せた。西島の役は、女刑事姫川玲子(竹内)に恋心を抱く年上の部下の役だ。

大沢たかおと言う人は、気になる俳優さんだ。
長身に甘いマスク・・と言うといかにも月並みだが、とろけてしまいそうな人の良い笑顔がこの人の持ち味だ。

その大沢たかおが「やくざ」になると言うから見始めた。
「ストロベリーナイト」 

九子が最初に大沢たかおと言う人を知ったのは、きっと多くの方々と同じように「星の金貨」でだ。
酒井法子演じる耳の聞こえない少女を温かく見守り、そして女性として愛していく青年医師の役だ。

育ちの良い大病院の息子と言う設定が彼にとてもよく似合って、誠実で純粋で理想化肌の医師役はこの人の十八番になるんじゃないかと思った。
彼は最後に悲劇的な死を遂げるのだが、そういう役どころを演じることを彼はきっと喜んでいるのだろうと思っていた。だってこの番組が彼の出世作だったし、彼のイメージにぴったりだったから・・。

ところがそれからしばらく経って、とあるトーク番組に出て来た彼は思いがけない事を言った。

「僕には「星の金貨」以来、来る役来る役いい人の役ばかりで、もううんざりなんですよ。汚れ役がしたいんです。」

九子自身はイケメン大沢たかおの汚れ役はあんまり見たくなかった。だから、以来、大沢たかおはあんまり見ていなかった。
ああ、「仁(JIN)」は見た。あれは真骨頂のいい人役だったし・・・。

それにしても大沢たかおが「やくざ」を演じるなんて! あの人に「凄(すご)む」なんて出来るのかしら?

そして見始めてみると・・・。

やくざはやくざでも、やっぱり大沢たかおのやくざだった。いや、大沢たかおでなければ演じられない、かっこよくて哀しいやくざだった。

「普通の人」の世界でも、決して浮かないおしゃれな身のこなしと品の良いマナー。

人はみな、何を持ってやくざと堅気(かたぎ)の人を区別するのだろう。
武器も持たず、服装も派手じゃなく、言葉使いも丁寧で、不遜な態度でなかったら、暴力団を見分けるのは難しいと思う。

もちろん大きな要素の一つが「怖げな顔つき」であろうが、イケメンでその上穏やかな面持ちであったら、普通の人と見誤ってしまう。

大沢たかおが演じた牧田勲(いさお)は、生粋のやくざではない。

190センチの長身と屈強な体つきの高校生だった彼は、町工場の社長だった父親を暴力団に騙されて金も仕事も奪われた挙句に殺され、母親も父の後を追って自殺する。
復讐に燃える彼は、たまたまつるんでいた暴力団幹部二人を刺身包丁一本で刺し殺して、その姿のまま警察に出頭する。

未成年だったため6年間で刑期を終えて出所すると、刑務所の出口に一台の車が待っていた。

それがのちの石堂組四代目組長、石堂神矢の車だった。


石堂は牧田の家庭の事情を気の毒がり、彼がたった一人で暴力団を二人も殺したその胆力に敬服し、「君が殺した二人はいつか俺がぶち殺してやろうと思っていたんだが、あいにく君に先を越されてしまった。前科者に対する世間の風は冷たい。よかったらいつか自分の組に入らないか?」と彼を誘い、出所祝いと言って当座の金もくれた。

決心がつかないまま組長と付き合い始めた牧田は、次第に組長に「惚れて」行く。石堂は極道ながら、曲がった事をしない昔ながらの任侠道に生きる男だったのだ。

そして二年が過ぎ、たった一人の妹まで水商売で働かされて薬漬けにされ、半年前に死んだという情報が石堂からもたらされた。

「・・勲、すまねえ。奈津子ちゃんな・・間に合わなかった。半年前に亡くなってた。人探しひとつも碌にできやしねえ。くだらねえよ・・。やくざなんてもんは・・。」

そして天涯孤独となった牧田は、彼を縛り付けていたすべての過去を解き放ち、石堂の組に入るのだ。


今回のドラマの見所は、何といってもやくざの牧田勲と、刑事である姫川玲子(竹内結子)の恋愛である。
特に、どういう風にして百八十度立場を異にする二人が知り合い、お互いに惹かれあっていったかというのは興味深い。

この辺は、テレビよりも原作本のほうがより自然に表現されていると思う。

「インビジブルレイン」を紐解いてみる。

インビジブルレイン (光文社文庫)

インビジブルレイン (光文社文庫)

  • 作者: 誉田哲也
  • 出版社/メーカー: 光文社
  • 発売日: 2012/07/12
  • メディア: 文庫


最初に彼らが出会うのは謎の男「柳井健斗」のアパート前だ。柳井の消息を尋ねに来た牧田と姫川が出会い、自己紹介を交わす。この時牧田は、何枚も持っている名刺の中から、一番当たり障りのなさそうな「不動産屋 槇田功一」を選んで渡す。

一人牧田だけが姫川の正体を知るという寸法だ。

「柳井」をめぐって情報を求め合ううちに、惹かれあっていく二人。彼らが実際に会うのは都合5回だけか。それぞれの逢瀬?は決して長くは無いが、互いの心に強い印象が刻まれる。

一番多いのが、喫茶店でテーブル越しに・・と言う場面だが、姫川が牧田を見つめるシーンで、「左目で右目を、右目で左目を」という表現に出くわしてはっとする。
ことさらにそう書かれてみて始めて、なるほど、そうだったと思う。 


原作者は誉田(ほんだ)哲也という人だ。若いのにめちゃめちゃ才能のある人だと思う。

横山秀夫、宮部みゆき、東野圭吾、伊坂幸太郎etc。現代の代表的と言われる推理作家の本は、そこそこ、いや、数冊ずつ(^^;;読んでみたが、その
誰の作品よりも文章が解りやすく、心情が理解しやすかった。

いや、ここにあげたすべての作者の作品は大変に読みやすく、九子に、推理小説に対する偏見(つまり謎解きがメインで、ドラマ性が乏しい。)を取り払ってくれた押しも押されもしない現代の大作家たちだ。


でも、はじめて読んだこの人の作品は、どこか違う気がした。

一つには、彼が他の誰よりも主人公の心の中を正直に見せてくれるからかもしれない。

たとえば・・・。


 自分はあの女に、どう思われたかったのだろう。堅気の不動産屋、槇田功一として見られていたかったのか。シノギだの義理だのという面倒から解き放たれて、束の間、飯事(ままごと)遊びのような時間を過ごしたかったのか。
 くだらねえ。ガキじゃあるまいし。
 だが、そんな自問に意味の無いことは、自分が一番よくわかっている。
 ヤクザ者と知れた以上、姫川玲子はもう、自分と会おうとはしないだろう。この前のように、柳井健斗に関する追加情報があるのだがと餌を撒いてみたところで、もう決して喰いついてはこないだろう。あの女は、自分とは最も利害が対立する立場にある、現役警察官なのだから。
 もう、自分があの女に会うことはない。
 そう心の中で唱えると、ほんの少しであるが、気持ちが軽くなった。強いて喩えるなら、それは十代の頃に味わった失恋後の乾いた気分に似ていた。
 失恋、か-------。
 くだらねえ。ガキじゃあるまいし。
 この台詞。自分はさっきから一体何回呟いただろう。


もうちょっと、その部分だけ抜き出して書いてみようか。


何やってるんだろう、あたし

馬鹿だな、あたし

駄目、言わないで    やっぱり

へえ、そうなんだ。 牧田ってそういう人なんだ。

そんな、子供みたいな顔をするなと、憎らしく思った。


これだけじゃあ何の事だかちんぷんかんぷんだが、こんな台詞の直前で、生き生きと場面が展開されていく。


こういう、自分の気持ちや行動に自分で突っ込みを入れるようなことって、たぶん誰もがしているのだと思う。特に九子は、いつも言うように自分一人の世界に住んでいる時間が長いので、こういうことはよくある。

だけど今までの小説で、それをそのまま表現した人ってそんなに多くはなかったんじゃないだろうか?             誉田氏ほど巧みに印象的に使った人はいなかったんじゃないか?

 それから、犯罪者を描いても、なりたくて犯罪者になった訳ではない。すべてがそうではないけれど、犯罪を犯すなら犯すなりのちゃんとした理由があるということを分からせてくれるのも作者の才能だ。

謎の男と書いたけれど、柳井健斗の生い立ちは手記の形で早々と第二章に出て来る。彼の壮絶な家庭環境。
牧田は自身の過去と、柳井の過去を重ねていた。だから、面倒な仕事も請け負った。

そういう立場に立たされたら、自分もおんなじことするだろうな、しても仕方ないな・・と思わせる。犯罪者の目線を読者の目線に限りなく近づける。
それも誉田哲也のうまいところだと思う。


誉田哲也を調べてみると、面白いことが分かる。
彼は学習院中,高、を経て大学を卒業。
と言うからには、よほど高貴な家の出なのだろうか。
それなのに、と言うか、それだからと言うか、就職もせずにロックミュージシャンをめざしていたそうだ。

ところがその最中、椎名林檎の才能に魅せられて、自分がプロになるのをあきらめてしまった。

椎名林檎の存在が無ければ、作家誉田哲也はこの世に存在しなかった訳で、椎名林檎には感謝すべきだろう。

それにしても文学の才能は彼のメインじゃなかったなんて、何て器用な人だ!

 

ところでテレビ版を見た多くの西島秀俊ファンが「可哀想!!」と悲鳴をあげたという問題のシーン。

牧田と姫川が車の中で身体を重ね合い、西島演じる菊田は最初は歩道に寄せた車の中から、そしてついには降りしきる雨の中につっ立って、抱き合う二人を呆然としてじっと見つめている・・以外何も出来ない・・という場面は、原作には無い。

原作では二人が抱き合うのは駐車場内と言う設定だから、菊田の車が後ろについてきたらすぐにわかって、そもそもこんなことは出来ない訳だ。
どしゃぶりの雨が降りしきる公道上という設定に変わったからこそ、菊田の車も怪しまれずに後をつけられた。

まあ、何の関係も無い九子だってテレビ見ながら、「何やってんのよ!そんなとこからすぐに離れなさいよ!」と思わず声かけちゃったくらいなので(^^;;、西島ファンの気持ちは良くわかる。


もともと西島演じる菊田の存在も、原作ではその他大勢・・的でそれほど大きくは無い。きっと西島秀俊人気にあやかってのプロデュースなんだろう。

こうして思い出してみると、不思議にテレビ版の記憶が少ない。上に挙げた菊田刑事=西島秀俊が雨の中、例によって眉間に皺を寄せながら車内の二人を微動だにせず見守る禁欲的な姿が強く残るばかりである。

結局誉田哲也氏の原作の魅力に負けて、ドラマの記憶が上書きされてしまったのだろうか。だから、原作には無いあのシーンばかりが頭に焼きついたのだろうか・・。

 

何やってんだ、あたし。せっかくの大沢たかおも良く覚えてないなんて!
覚えてるのは菊田が姫川に贈ったカバンの鮮やかな赤色と、牧田と抱き合った時の姫川の白い肌と黒い下着の色。そして、雨の中、死人のような顔で突っ立っていた菊田の姿のみ、、、。

ボケちゃったのかな、あたし。仕方ないからまた、ビデオ借りに行こう!
ついでに、椎名林檎のCDも・・・・。


って、原作を気取ってみても、ボケてるってとこがあんまりリアル過ぎて笑えない○○才のあたし=九子(^^;;(^^;;



 

★ブログ「ママ、時々うつ。坐禅でしあわせ」 頑張って更新中です。是非お読みくださあ~い。(^-^)




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まりかママ

初めまして。母の死,という検索からこちらのブログにたどり着き,読ませていただきました。
歳の離れた兄二人のあと生まれ,とても両親にかわいがられた私は,母を2年前,父を9年前に亡くし,なぜかここ数日悲しくてしょうがない気持ちになり,ネットで悲しい言葉を検索してしていました・・・
5児とまではいきませんが,3児の母である私ととても似ているような気がして,九子さンのブログを涙しながら読ませていただきました。
最近はいかがされておられますでしょうか?ご両親のことは,乗り越えられましたでしょうか?もし,お気持ち的に可能でしたら,乗り越えるプロセス,のようなものがありましたら教えていただけますと幸いです。
by まりかママ (2014-06-06 23:42) 

九子

まりかママさん、はじめまして。 コメント有難うございました。 はい。私はお陰様で元気にしています。もうあれから8年が過ぎようとしていますから・・・。

まりかママさんは小さいお嬢さんのお母様なのでしょう。お若くしてお父様とお母様を亡くされて、何と言ってお慰め申していいかわかりません。

私の場合は両親とも年に不足は無い年まで生きてくれましたから・・。

私はウツがあるので、その部分だけでは共感できるかもしれません。
もしかしたら、ふだんは可愛らしくてたまらないお子さままで、煩わしかったりなさることもあるかもしれませんが、そんな事でどうぞご自分を責めたりなさいませんように・・。

私なんかで役に立つことがあるかどうかわかりませんが、何か書くことでお気持ちが楽になられるのなら、メール大歓迎です。

このブログの左欄上のほうにメール&お知らせと言うところがあり、そこの下のほうにメルアドがあります。どうかメール下さい。お待ちしています。( ^-^)

コメント本当に有難う! 嬉しかったです。( ^-^)
by 九子 (2014-06-07 11:52) 

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