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小心と残心・・・沖縄の旅 [<薬のこと、ダメ薬剤師のこと、家のこと>]


☆沖縄の旅とありますが、実のところ沖縄についての情報はほとんど書かれていないのでご注意下さい。(^^;;

 

こういうのを鬼の霍乱というのか、年寄りの冷や水というのか(これだけは違う!と思いたい。)、青天の霹靂と言うのか、30年間飛行機に乗ったことの無い九子が、今年は2度も乗ることになった。
その最初が今回の沖縄旅行である。

30年前と言っても、手順も、飛行機そのものも、客室乗務員さんの制服さえもほとんど変わらない。

ボーッとしてる九子でもその変化に気が付いたことと言えば、タラップやそこまで行くための乗り物がなくなったこと、スチュアーデスがキャビンアテンダントになったこと、そして彼女たちが実際に着用して右や左に首を曲げ息を吹き込む真似をしていたのが印象的だった救命胴衣の説明が、ビデオ中心になったこと・・、くらいか。

今回の沖縄旅行を計画したのはM氏であった。それも生協のチラシから・・。

九子が生協の注文書を書き込んでいてもほとんど見ない(九子が勝手に注文してるだけで、見せたことも無い(^^;;)M氏であったが、いつの間に読んだのか、添乗員付き、3泊4日、いいホテル、いい食事付で格安なのを目ざとく見つけて申し込んだらしい。
考えてみたらこの時期、沖縄は梅雨だった。よりによってこんな時期にしなくとも・・・。その上M氏は雨男!

ところが、雨にはほとんど合わず仕舞いだった。
全国各地で30度を大きく越える炎天下の中、沖縄の最高気温はずっと27度ほど。快適だった!
やっぱ、強運九子が同行したせいか?( ^-^)

残念だったのは空の青さを反映する海の色が、くすんだままだったこと。
まあ、仕方ない。時期が時期だもの。

M氏の目当ては、沖縄に住んでいらっしゃるかつての恩師の高江洲義矩先生にお会いすること。ちょうど4時間ほどある自由時間を使って、80歳近くになられる先生と奥様に長年の無沙汰を詫びたいということだった。

5年前に重い脳梗塞をされたという先生だが、車椅子ではなく、しっかりとした足取りで歩いて出迎えて下さったのには感激!

「私はね、この人にたくさんのプレゼントをもらいました。ボストンに3年間も住まわせてもらったし、学会でいろいろなところへ連れて行ってももらった。だから、今度は私が恩返しする番だと思ったのよ。」と奥様。

口の利けない先生のそばに片時も離れずに寄り添ってお世話されたという奥様のご努力を思い、自分がそういう立場になった時に果たしてどれだけ出来るものだろうかと、じっとM氏の横顔を覗き込む九子・・・。

優秀な先生と違い、M氏は天下のハーバード大に通うためにボストンに住んだ訳でもなければ、学会で外国に連れてってくれた訳でもないんだけれど・・。(^^;;


高江洲先生の凄いところは、時間を大変に大事にされたところ。生徒たちの疑問には間髪を入れずに答えられ、あいまいなところはすぐに調べられる。行動力の人だった。

先生の著書はほとんどが東京歯科大学教授または同大名誉教授という肩書きで書かれているが、M氏は遠い北国の歯学部を卒業している。さて、その接点は・・。

実は先生は遠い北国の歯学部で長い間教鞭を取られ、ご家庭の事情で退官されて故郷の沖縄でいったん歯科医院を開業された。
こういうのを下野と言うのだそうだが、直後に先生の母校である東京歯科大から再び教授として招聘されたということだ。

こういうこと事体が大変珍しく、その上母校で更に名誉教授にまでなられた訳だから、これ一つ取っても先生の力量やご人徳がよく分かる。

先生の座右の銘は「迅速は親切なり」であったそうだ。
なるほど!言われてみるとその通り。だけどそれがとても難しいことは、誰もが皆知っている。

そんな偉大な先生が、なぜかM氏に目をかけて下さり、留学を薦めて何十校もの大学の資料に目を通して下さったらしいのだが、M氏のネックは英語力だった。

今でも外国の人を目の前にすると、M氏の日本語はなぜか外国人のそれになる。「ミガキカタ、ツヨスギマ~ス。モットヤサ~シク~。」
彼としても一生懸命伝えようとすればするほど焦って、結果がこれなんだからなんだかとっても可愛らしい。( ^-^)

彼の名誉のために言っておくけれど、会話力が無いだけで、彼だって文字で読めば英語くらいちゃんとわかるのだ。

でも外国なんかに行ってくれなかったおかげで、九子はM氏に出会えた訳だし、M氏が家に来てくれたから、いつでも出来すぎ母の助けを借りられて、5人の子供をなんとか育てることが出来たというわけだ。

その上M氏は、怠け者のダメ嫁が朝からお昼寝していても、時間ばかりかかってろくな料理が出来上がらなくても(^^;;、埃と物で溢れた家に住もうと怒った顔もせず、いつもニコニコ笑顔を絶やさぬ出来た人なのだ!
だから彼の英会話力に、九子はとっても感謝している。( ^-^)


ホテルの窓から見えたのは、残念ながら毎日毎日灰色の海と空だった。
まあそれでも、今日の海の色の方が昨日のそれよりも少し明るい。

その時あれっ?と気がついた。窓ガラスに貼られた「小心手夾」の文字。
中国語に違いない。

沖縄は思った以上に中国、韓国、アジアの人々が多い。
おんなじ顔でも違う言葉を話す人々を何人も見ていると、おんなじ顔の日本語を聞くとほっとする。

上の「小心手夾」を日本語にすると「指を挟まないようにご注意下さい。」となる。
窓を閉める時に指を挟まないようにという注意書きだが、それがなんとなく面白かった。

「『気をつけて』っていうのを中国では『小心』って言うんだ!小心って日本語の意味は『小心者』みたいにあんまり良くないのにね。」・・・と九子。
M氏は指と手の方に注目した。 「指という単語は、もしかしたら中国では別の意味になるのかもしれないよ。そうじゃなきゃ、そのまま指と書くよ。」・・とM氏。

それで終わりになった会話を、例によって九子は考え続けていた。

小心って言うのは、何に付けてもおおざっぱな中国人が、意識して心を小さい事にも向けるように、つまりは注意してっていう意味になったのかも。

日本人の心は最初から繊細だから、それ以上に気遣いしちゃうと、おどおどびくびくの「小心」になっちゃう。

心の捉え方ひとつ取っても、国民性って出るのかも・・・。

指の方はもしかしたら、クレイマー対策かしら? 
指に気をつけて・・・じゃあ、手をはさんで指以外の部分を傷つけた場合はどうなのよって言われた時に、とりあえず手全体には責任取りますよ・・みたいな。


そう言えば、九子が沖縄で出会った見かけは日本人そっくりの人々は、みんなとてもお行儀が良かった。
なぜか九子は彼らに二度、英語ですみませんと言われた。

一度目などは、子供のおもちゃを拾ってあげた時だから”Thank you !”が相当なのに、”Sorry !”と言われた。
この人、日本人みたいだなと思った。

まさか日本人が九子を見て外国人と思った??という想像はあまりにもばかげているから、その外国人と思しき人は、「私に非がありますよ。」とも受け取られ兼ねない”Sorry"を日本人と同じように無防備に使ったことになる。

二回目も、いかにも気を遣った感じのSorry !で、中国人も韓国人も、普通の人はいい人じゃないの?と思わせた。
それでも執念深い九子は、「あっ、やっぱりあれは台湾の人か!」と結論付けてしまったのだったが・・。(^^;;


残心の方は、帰りの飛行機の機内で出会った。

頭の上の方に写ってる小さなテレビ画面。その音が、手元のヘッドホンで聞けることに気がついたのは、帰りの飛行機の中。

外国人と思われる男性が剣道を小さい子供たちに教えていた。日本人の子供たちだったから、彼は日本に住んで居るようだ。

彼はニュージーランド人。時はバブル時代。ニュージーランドにはたくさんの日本人が働いており、日本語を勉強すればお金になりそうだと軽い気持ちで始めた日本語。

日本の高校に留学し、アニメ好きが昂じて入部した剣道部は、遊びが全くない厳しさで、直ぐに入部したことを後悔する。

だがある時、普段なら数分で倒されてしまう先生との試合中、何とも言えない清々しい気持ちになり、全く疲れも感じないまま気が付けば1時間近くが経過していたと言う。

剣道を何も知らない九子が言うことではないかもしれないが、これぞ坐禅で言うところの三昧(ざんまい)の境地だと思う。

これを契機に、彼は剣道にのめり込んで行く。何とか剣道の奥義を極めたいと思っていた彼が、ある時「残心」と言う言葉に出会う。

「残心」とは文字通り、心を残すこと。

剣道ではとくに技を終えた後、力を緩めたりくつろいでいながらも注意を払っている状態のことだそうだ。意識した状態を持続しながら、相手の攻撃や反撃を瞬時に返すことができるよう身構えていること。
一本を取った後にガッツポーズなどするのは、奢り高ぶっていて残心が無いと言うことになるらしい。

この残心、日本人は日常生活の中で普通にやっていると言う。

たとえば、相手の姿が見えなくなるまでずっと見送る。
たとえば、相手が電話を切るのを確かめて、しばらくしてから受話器を置く。

これらは武道のように敵に対しているわけではないが、相手の動作に最後まで心を寄り添わせる日本人の気遣いそのものだ。


「残心」と聞くと、九子くらいの年代の人ならこの歌を思い出す方も多いのではないか?

I left my heart in San francisco

この歌は、残心なのではないか?
ならば残心は日本の専売特許ではないんじゃないの?と、初めは思った。

でもやっぱり違うのだ。

パリも行ったし、ローマも行った。
マンハッタンなんか、もう二度とごめんだ。

やっぱり僕が心惹かれるのはサンフランシスコ。
何といっても愛する君の住む、太陽輝くサンフランシスコが一番さ!

と言う歌なのであって、心はサンフランシスコにずっと留まって動くことが無い。


日本人の、特に武道の「残心」は、一時留まった心が、またすぐに動き始める。
いつも精神を研ぎ澄ましている武士の心の在り様がよく表された言葉なのだと思う。


武士のごとき「残心」はそうそう簡単に身につかないけれど、「心残り」なら九子にもあるよ。

I left my heart in Okinawa!

次来る時は、ちゃんと晴れてね。( ^-^)


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伊閣蝶

高江洲義矩先生は、歯科について大変深いご研究と成果を残された方なのですね。
その先生の座右の銘が「迅速は親切なり」ということが何とも感動的です。
子弟の縁も不思議な巡り合わせという気がしますが、ご主人が先生への長年のご無沙汰をお詫びするために、自らツアーに申し込まれた、という下りから、とても強い絆を感じております。
重い脳梗塞を患いながら、ご自分の足でしっかりとお歩きになるお姿も彷彿とさせられました。
奥様の、肩の力を抜かれたようなご献身も素敵ですね。
30年ぶりの飛行機ご搭乗とのことで、それは戸惑われたことだろうなと思いましたが、たくさんの素敵な発見もあり、充実した沖縄行であられたことが伝わって参りました。

「小心」と「残心」。
うーむなるほど、と、この九子さんの解釈にも唸ってしまったところです。
by 伊閣蝶 (2014-06-12 06:00) 

九子

伊閣蝶さん、こんにちわ。

サポートさんの力を借りて、やっと原因がわかりました。
昔スパム華やかだった頃「バッグ」を禁止wordに登録してあったのをすっかり忘れていました。画像認証が付いたので、さっそく外しました。

こんなこともあるんですね!

一応改めてお答えを・・。


いつもながら深い読みをして頂き、有難うございます。
そんな立派なこと書いたつもりは無いんだけれど、伊閣蝶さんにそう言われると駄文が格調高くなるような・・。(^^;;

高江洲義矩先生は本当に凄い先生です。もちろん奥様のご献身もですが・・。

ネットで先生のことを取り上げた項目が少ないので、それもあって今回実名で書かせて頂きました。

飛行機は30年たってもそんなに変わってはいませんでした。今回荷物を預けなかったので(ぼーっとしている二人なので、ビニール袋の大きいみたいなバッグしか持って行かず、さすがにそれを預けるのは破損とかの心配を考慮すると出来なくて、結局すべて手荷物になりました。)、次回、預けるのにまごまごするんじゃないか?という心配はありますが・・。

今はみんなキャリーと言うのですか?ごろごろ転がすのを持っていますね。
私は昔ながらの大きなサムソナイト(両親が使っていた)を持っていくつもりでしたが、キャリーのタイヤがもう動かないかもしれません。そうしたらまた買わなければ・・。

結構余計なことにお金がかかりますね。

by 九子 (2014-06-16 13:15) 

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