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地震のご報告 [<その他>]

このたびは長野県北部で起きた震度最大6弱の地震に際し、皆様に多大なご心配をおかけし、わざわざお見舞いのメールやらコメントやらお電話やら下さった方々もおいでになり、心より御礼申し上げます。
友達少ない人間の九子でも、これだけ多くの方々にご心配頂けているという事実に、これもひとえに律儀な日本人の皆々様のお陰と、心より感謝しております。有難うございました。

善光寺の石灯籠が60基ほど倒れたり、墓石が転がっている映像がテレビで流れたため、皆様大変ご心配下さったようですが、考えてみると石灯籠やら墓石やらはただ積み上げただけのもので、地震には一番弱い構造物だと思います。

実は我が家のお墓も「○○家の墓」と刻まれた一番大きな石が地面に落ちてしまいました。同じ○○家でも、お隣にあるもっと古いご本家のは、少々墓石がずれた程度で無事でした。やっぱりかけたお金の差でしょうか?(^^;;
石屋さんが早速見てくれて「お宅の墓は背が高すぎた。あれじゃあ倒れなさいと言ってるようなものだから、今度は台座を抜いて背を低くしましょう。」と言ってくれました。お陰さまで倒れた石は砕けたりせず無事でしたので、そのまま使えます。
当時先祖は現在よりもずっと機運上昇の時期に当たり、墓も出来るだけ高くして目立つように建てたものと思いますが、18代目に至り、凋落の時代におきましては、身の程をわきまえた高さにしてもらうのが一番かなあと18代十兵衛予定者のM氏と話し合っております。

凋落はともかく、運だけは良い九子の事とて、実はこの2月でしたか、耐震補強の工事をして貰ってありました。
3月に終わる年度中に申請すると結構な額の補助金がもらえるというのが小さい記事で日頃ほとんど見ない市報に載っていて、そういう時だけ見逃さずに九子が必死で申請しました。

当初の我が家の耐震強度は、驚くべきことに0・2くらいだったそうです。今1・5とか何とか言っていますが、そんなどころではない驚きの結果でした!
もっとも百数十年耐えた家ですので、現代の建築基準では計れない構造上の特性があるかもしれない・・などと慰めては頂きましたが・・。

それでもまあ最低限として、かろうじて1.0を狙える0・9くらいにしておきましょうという事で、まあお金もいい塩梅でしたので(^^;;、そのあたりで手を打った訳でした。

今でも耐震強度0.2だったらどうなっていたかと考えると背筋が寒くなりますが、そんな訳で補強されて0.9になってた我が家は良く堪えてくれました。


そもそも地震の時、九子とM氏が何をやっていたかと言うと、テレビを見ていました。
サスペンス物が好きなM氏に合わせて、九子も熟女ホステスの嫉妬がらみの連続殺人事件というのを見ておりまして(^^;;、そうしたら突然ドーンと来た訳です。

こういう時、日頃と違って九子は素早かったです。早速テーブルの下に隠れて、そうしたらまあ、M氏がまだぽかんとして立っていましたので、「Mさん、早く早く!テーブルの下!!」と言ってあげました。
後で考えると、危急の時には女性の方が本能的に身を守る行動が素早く出来るのかもしれません。

地震の揺れは今までの中で一番強く、テーブルの下から、食器の開き戸が開いて皿やら茶碗やらが飛び出して割れるのが見て取れました。
こんな経験は初めてでした。

九子が小学生の時松代群発地震というのがあり、何年間も毎日のように震度3から5近い地震が続きましたので、震度5近くまでは慣れていましたが、さすがに震度6近いのは違います。

でも、地震の持続時間はそんなに長くは無かったような気がします。東日本大震災の時はいつまで経っても揺れが収まらず本当に怖かったけれど、それに比べたら三分の一くらいの時間で終わったように思いました。
3.11で被災された方の恐怖はいかばかりだったかと思います。

そう言えば3.11で石巻で被災された薬剤師さんがたまたま善光寺のご戒壇巡りをされていて、「地震の日の夜は一晩中灯りが無くて、あのご戒壇巡りのような暗さでした。」とおっしゃいました。
人間を本能的に不安にするものは、音やら揺れやらよりも、案外暗闇だったりするもののようです。

笠原十兵衛薬局の売りである古い店にも少々の被害がありました。素焼きの壺がふたつみっつ落ちて割れましたが、これはまだ代えの品物が残っていますので心配ありません。
一番は、父が薬局を開業した時の備品だと思うのですが、硝子ケースに入った精密ばかりの腕の長い上皿天秤が床に落ちて、硝子ケースは粉々、秤も多少壊れているようです。

DSCF0638_R.JPG 

まあでも今の時代の事ですから、ネットで修理をしてもらえる場所を探して復活させたいと思っています。

それにしても母が善光寺大本願で店を開いていた時に使っていた華奢なガラスケースなど、大事なものが入ったケースは悉く、耐震工事の時に床に止めて貰っていたので助かりました。
でもまあこれも、もしも本当に震度6を越える地震が来たとしたら、全然役になど立たなかったでしょうが・・。


M氏、その後の立ち上がりは早かったです。九子がもたもたしているうちに、懐中電灯を見つけて来て家中を点検し、二階をごぞごそ覗いていたようです。
いや何、電気や水道はそのまま使えましたし、始末の悪い九子がどこかに置きっ放しにしてしまった懐中電灯を見つけるのに多少手間取っただけです。

戻ってきてM氏は「二階の方が酷いぞ!N子とM子の勉強部屋の壁が落っこちてめちゃめちゃだ。」と言いました。
そしてまた、外へ出て行こうとするんですね。

「ねえMさん、また余震来るかもしれないから、外なんて明日見ればいいじゃないの。」と言う九子の言葉も聴かず、裏の家の様子を見に行くようです。

九子はつくづく思いました。
ほら、台風や大水の時、必ず畑の様子やら船の様子やらを見に飛び出して行って亡くなってしまうおじいさん、いるじゃない?
あれって絶対におじいさんなんですよね。おばあさんだった試しがない。
これもきっと種の保存の原則なんじゃないでしょうか。
そして男たちは、自分の命に代えてでも、自分のテリトリーを守りたがるもののようです。

「おお、裏の家は大丈夫だったぞ!」・・・やれやれです。

そんな訳で我が家の被害の大半は壁が落ちたこと、特に外壁も落ちて、M氏の安中古車がお釈迦になった事。でもまあこれも、また同じように安い中古車を買えばいいだけの話です。
大屋根から屋根瓦もかなり落ちましたが、夜中で道行く人もおらず、人に当たらなかったのが何よりの幸いでした。

実は200年位前、1847年に善光寺大地震というのがあって、北は飯山市辺りから長野市を含む広範囲に被害が出ました。しかもご開帳の最中だったそうです。
時間も夜8時ごろだそうで、当時の感覚で言えば今回の夜10時過ぎと同じようなものでしょうか。
マグニチュードが7.4。善光寺近辺の震度は7程度と言われています。善光寺の宿泊客を中心に善光寺近辺で3000人弱、全体で1万人弱もの死者が出たそうです。

善光寺本堂の一番前にある太い柱が、この地震でずれて、正面を向いていないのは有名です。
近くには地震塚もあります。

ところで来年4月5月は、折りしも善光寺ご開帳。
この地震がその時に当たらなくて本当に良かったとほっとしています。

「善光寺に護られているから、長野はあんまり災害が無い。」と長野の人々はよく口にしますが、そんな訳ではないことも肝に銘じなければならないかもしれません。


皆様、ご心配、本当に有難うございました。そして、どうぞご安心ください。

それでもこれでも九子の強運とM氏の尽力で、我が家はほぼ正常に戻っております。
部屋が散らかってるのも地震のせいに出来るので、九子はほくそ笑んでおります。(^^;;


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伊閣蝶

先日の地震、大変な思いをなさったことと存じます。
幸い、大きな被害はなかったとのことですが、壁の崩落や食器などの破損で、後片付けも大変なことと存じます。
心よりお見舞い申し上げます。
落ち着かれるまではしばらくかかるものと思料しますが、ご無理のないようくれぐれもお気をつけくださいませ。

しかし、さすがに九子さん、耐震対策をおとりになっておられたとは先見の明がありますね。
すばらしい!
私の実家のほうは震度4でしたので、母は大層びっくりしたようですが被害はなく、ほっとしています。
災害時における男女の行動の違い、なるほどなあと納得しました。
by 伊閣蝶 (2014-11-27 12:43) 

九子

伊閣蝶さん、こんばんわ。いつも心温かいコメント、本当に嬉しいです。有難うございます。

耐震補強は本当に良かったです。耐震補強の工事に補助金の出る最初の年だったようで、次の年からは補助金が減らされてしまうかもしれないと言われて、申請しました。
一応市の景観賞も取った築百年以上の建物だからと大書しておいたのが良かったのか(^^;;、なんとか間に合いました。

ああ、八ヶ岳も震度4あったのですね。東京近辺も3でしょ?かなり広範囲の地震だったんですね。あちらはあんまり地震慣れしていらっしゃらないから、お母様さぞやびっくりされたでしょうね。いずれにせよご無事で何よりでした!

日本中どこも安全ではないですから、どうぞお気をつけ下さい。
by 九子 (2014-11-27 22:27) 

浅葱

ご無事で何よりでした。
丁度その時刻、私は爆睡中で。。
翌日まで全く気付きませんでした。
by 浅葱 (2014-11-30 19:00) 

九子

浅葱さん、こんばんわ。
爆睡は私も得意中の得意ですが、さすがにあれでは目も覚めたと思います。(^^;;
この間、しっかり見ておいて頂いたらよかったのに・・。
でも是非この次の機会を期待しています!
東京も他人事じゃないから気をつけてくださいね!
by 九子 (2014-11-30 22:18) 

youzi

地震、大変でしたね。
東京も同じ日(たぶん)に揺れたのですが、
長野は凄かったのですね。
ご無事で、本当に良かったです。

by youzi (2014-12-02 06:26) 

リンさん

御無事で何よりです。
東日本大震災のときは、近くの墓地でも墓石がたくさん倒れていました。
未だにそのままのところもあります。
ご先祖様も、さぞかし驚いたでしょうね。

by リンさん (2014-12-06 14:44) 

九子

youziさんこんばんわ。
お返事が大変遅くなりました。すみません。

あの地震は結構広範囲だったみたいですね。東京、神奈川あたりも震度3くらいあったみたいですね。

我が家も屋根だの壁だのお墓だの、修復するには結構お金がかかりそうです。
子供の学費がやっと終わったと思ったら、やれやれです。(^^;;
by 九子 (2014-12-06 23:17) 

九子

リンさん、こんばんわ。お見舞いコメント有難うございました。
ご先祖様、驚かした上に、お墓が低くなりますから、がっかりしていらっしゃるかも・・。(^^;;
まあでも背に腹は変えられないということでしょうか。

市内で被害が出たのは善光寺の近くの限られた場所、しかも古い家ばかりみたいです。
新しい建築方法は昔とやっぱり違うんでしょう。
by 九子 (2014-12-06 23:21) 

さきしなのてるりん

怖かったですね。こちらは一人でいたので心細かったです。九子さんのことは頭をかすめたのですが、長野市は善光寺さんに守られてると、本気で思っていて声もかけずに済みませんでした。ずっといただいたものの報告をしておかねばと思いつつ、ご連絡せずにおりました。その節はありがとうございました。丁度おなかの調子が悪く、百草丸のほうをずっと服用させていただいています。目薬もこの頃霞目がひどく本気で点眼しています。大変気持ちよく使わせていただいています。戴いたとき、遅れたのですが記事アップしました。http://terurin-sakisina.blog.so-net.ne.jp/2014-11-22-1です。それを見て注文したという人もいて少しは役に立てたかなと喜んでいます。
by さきしなのてるりん (2015-01-02 22:33) 

九子

てるりんさん、コメント有難うございました。てるりんさんのブログにお返事しようと思ったらもうコメント出来なくなってたのでこちらに致します。
長野市は「善光寺さんに守られている」というのは、長野市民誰の頭にも多かれ少なかれあるみたいです。「だからこの程度で済んだと・・。」(^^;;

ツレさん、いけませんね。甘いものしか欲しがらないツレさんに百草丸は厳しかったでしょう。一度でも良く飲んで下さいましたね。

入院させてて先生方が充分手を尽くしてくださるはずなので、もうおまかせするしかないと思うけれど、ご心配ですね。

ウチの祖母は当時東京へ電気かけに行って、帰ってくるときれいに直っていたようです。
(当時は長野では出来なかったらしいし、良い薬も無かったから・・)


目薬や百草丸の記事、心より御礼申し上げます。
少しでもお役に立てましたら幸いです。
by 九子 (2015-01-03 22:38) 

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