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ザルツブルグの城塞コンサート [<九子の旅日記>]

以前より続く

例の地震騒ぎで、ドイツ旅行記の最終章を書こうという意欲が鈍った。
いや、九子の場合、いつだって詰めが甘いのだ。
その結果として、買った本は最後まで読まれることが少なく、やるぞ!と思った事は続いた試しがない。(^^;;

でもまあいつまでもそれではいかんから、ドイツ旅行記は本日で完結させることにする。


ドイツ旅行最後の一日は、バイエルン切符を駆使してモーツアルトが生まれた町ザルツブルグに行こうと決めていた。
言うまでも無くザルツブルグはドイツではなくオーストリアに属するが、バイエルン州限定のはずのバイエルン切符でザルツブルグまでは行く事ができる。
たったの29ユーロ、日本円でも4000円ほどで九子とM子の二人が(実は五人まで)ミュンヘン中央駅からザルツブルグへ行って帰って来られる一日限定お得切符だ。
その「一日」というのも、ミュンヘンに帰り着くのは深夜1時を回って日付が変わってしまうのだが、大目に見てくれる有難さなのだ。
これはもう使わない手は無いでしょう!( ^-^)

前に書いたごとくバイエルン切符はM子が見事券売機から入手した。
ザルツブルグ行きの列車を探すのに苦労したが、結局は駅員さんと思しき人にM子が尋ねてくれてわかった。

確かガイドブックでは治安の良い1等席を薦めていたが、M子が買ったのは2等車にしか乗れない切符で、でもそれで十分だった。日本の特急電車の自由席みたいな感じだった。

M子は長い間自分の意思で立っていたようだが、九子はすぐに40代前後の女性の隣に席が取れた。
彼女は銀行員で、幸いなことに英語が出来た。


九子は自分が日本人で娘と一緒に日本から来たこと、30年ぶりの海外旅行はペンパルのA君を訪ねるための旅であったこと、父親がスイスのケーブルカーでA君一家に出会い、たまたま父とA君のお母さんがApotieker つまり薬剤師だったことから文通を始めたこと、そして九子が一応薬剤師で(一応は訳さなかった、いや訳せなかった(^^;;)、娘が薬学部の学生であることなどを話した。

彼女はチェコ生まれだと言った。そして小さい頃に家族でドイツに越してきたそうだ。
ザルツブルグの手前の小さな町にお姉さんだか妹さんだかが住んでいるので、これから訪ねて行くのだと言う。

彼女が特に・・なのか、ドイツ人一般の傾向なのかわからないけれど、福島の放射能汚染のことをとても気にしていた。「今はもう大丈夫なの?あなたの町はフクシマから何キロ離れているの?」としきりに聞いてくる。

地理の知識が乏しい上に、数字を覚えるのがからっきしの九子であるゆえ「長野はだいたい400キロくらいフクシマから離れている。」と答えてしまったが、本当は300キロ行かないくらいらしい。
「フクシマがまだ終わっていないのに、安倍首相がベトナムに原発を売るなんておかしいと思う!!」という事だけは、一日本人の意見として彼女にアピールしてきた。


ザルツブルグでも大いに迷った。駅を出て、行けどもいけどもモーツアルトの家は現れず、またしてもM子の機嫌は悪くなり(^^;;、道を訪ねると人々は親切に教えてくれるのだけれど、行った先にはまだそのまた先があるという感じ。

そこに一人の60代後半か70代の初めとおぼしきマダムが登場。彼女はドイツ語しかしゃべらない。
彼女に道を尋ねた場所も悪かった。バスの停留所のすぐそばのところだった。

ふつう日本人なら、英語がわからないからとすぐに逃げ出すところだけれど、彼女は違った。

さあ、乗りなさい乗りなさいと九子たちを促して一台のバスに乗せた。言われるままに乗り込んで、すると彼女も一緒に乗り込んだ。
まったく理解できないドイツ語で彼女は話す。そして、さっき乗ったばかりなのにもう次の停留所で下りるように指示する。

たった一駅でも、バスの料金は一律と見えて、二人で10ユーロくらい払った。
何がなんだかさっぱりわからない。
それでも彼女はきっと困っている東洋人を助けてくれようと思ってしてくれたことだと思うので、丁重にお礼を言った。M子も得意の、満面のM子スマイルだ。

彼女はわざわざ用もないのにあのバスに乗ってくれたのかな?と最初思ったのだけれど、九子たちを降ろしてそのままバスに乗って行ってしまった。
さっきと同じように途方にくれたまま、九子とM子はさきほどから数百メートル離れた同じ円周上に取り残された。
10ユーロだけが消えていた!
以来この時の話は二人の間では「謎のマダム事件」として語られている。(^^;;


偶然にも遠くにザッハトルテでお馴染みのホテルザッハ(のザルツブルグ店)が見えて、時間さえあれば絶対にザッハトルテをここで食べたかったのだけれど、時間に追われる身ゆえ諦めることにする。残念!

何百年も続く古い細い通りの両側にさまざまな店が続く。中には1600年代から続いているという古い薬局もあった。(九子は古さではウチの方が勝ち!えっへん!と思っていた。笠原十兵衛薬局。創業1543年(^^;;)
早速入ってみるが、ダメ薬剤師ゆえ「処方箋ではどんな血糖降下薬が使われてるの?」などという気の利いた質問が出来るわけではなし、「まあ、日本から?薬剤師さんと薬学部の学生さん?よく来たわねえ。」という通り一遍の会話が行われただけであった。

迷いに迷った唯一の収穫は、M氏のみやげに鞄を買えた事!
自分たちだけ贅沢して、一人日本に残って毎日激務?にいそしむM氏へのせめてもの罪滅ぼしに、なるべく軽そうなA4が入る鞄を買った。土産の中では一番高価だった。
ところが軽いと思ったのは九子たちが持ってみて「比較的」ということであって、所詮は屈強なヨーロッパ人仕様。
M氏は最初有難そうな顔をしたものの、以来使われる気配は無い。(^^;;


モーツアルトの家には程なく到着!ああ、良かった!
ネットで見ていた黄色の鮮やかな壁の家。

見た感想は・・・・・・。う~ん、普通の家だった!

たぶん事前に知識を入れていけばもっと興味深かったのかもしれないけれど、彼が使ったと思しきピアノがあったこと、彼の毛髪が残されていたこと、それが当時の標準の暮らしだったかもしれないがつつましい家だったこと・・・くらいしか記憶に残っていない。

考えてみればこの家のおかげでモーツアルトが育ったって訳じゃない。モーツアルトは天才だから、天賦の才があったから有名になったのだ。お父さんも、そりゃあ気合入れて育てたかもしれないけれど・・。

ついつい誰それが生まれた家と言われると見てみたい衝動に駆られるが、結局は展示物が充実していない限り期待はずれが多い気がする。
彼の生家よりはむしろ、彼の住居だった大邸宅の方がもしかしたら見る価値はあったのかも・・・。

住居の方もネットで見ると鮮やかな黄色い壁だった。本当に黄色だったのかはわからないが、映画「アマデウス」で見た奇妙な笑い声をあげている早熟の天才の魂は、自分を駆り立てるような目いっぱいの明るさに飢えていたのかもしれない。

本日最大の、そしてこの旅行最後のイベントが、ザルツブルグのホーエンザルツブルグ城と呼ばれるが、実は昔は要塞であったお城で行われるクラシックコンサートだった。
モーツアルトの生まれた町でほとんど毎日というほど開催されているコンサートが、一人72ユーロでしかも食事つきだ。

実は「ザルツブルグでモーツアルトを聴く」プランは何種類もあった。

最初見つけたのは街中のレストランでオペラを見るというものだった。そこを選んでいてもそれなりに満足して帰ったかもしれなかったが、後から見つけたケーブルカーで登って行くホーエンザルツブルグ城という高台のお城で夜景を見ながら食事をして、モーツアルトの演奏を聴く方がずっと良かったと思っている。

実はこのお城と食事プランにも、週末のみ開催されるプランと平日もやっているプランの2種類があるようで、最初週末のみプランしか知らなかったのでどうしても時間配分が出来ずに一旦諦めようかと思った。
でも次の日、またネットを見ているうちに平日プランもあることがわかった。こういう風に、困った時になんとなく救いの神が現れてくれるのが九子の運の良さなのだ。( ^-^)

ホーエン城から眺める夕刻から夜へと変わる景色の美しさと、丁寧に作られたたっぷりとしたコース料理は秀逸だった。考えてみたらヨーロッパに来て始めてのちゃんとしたレストランでのコース料理だった。

オーケストラは10人ほどで、要するに室内管弦楽と言われるタイプ。たしかピアノは後から入ったように思う。

モーツアルトも良かったけれど、ヨハンシュトラウスを弾いてくれたのが思わぬ収穫だった。
父が大好きだったヨハン・シュトラウス!
夜の底で聴いてみると、心配性で神経質なところのあった父だったけれど、彼の魂はとても前向きで陽気だったということが改めてわかるような明るいヨハンシュトラウスだった。

九子はその夜、ひたすら父の事を思った。
「その人を思い出すと、その時、その人の魂はきっとあなたのそばに居る。」とどこかで聞いたからだ。

「パパ、本場のヨハンシュトラウスだよ。レコードは聴いても、ヨーロッパへ何度も行ってても、ザルツブルグでコンサートなんか聴いたことなかったでしょ?ほら、聴こえる?いい音色だね。」

その時父は、本当に九子のそばに居たのだと信じている。

これが九子30年ぶりのドイツ旅行のあらましだ。

こうしてたった2ヶ月しか経っていないのに記憶から抜けて行っていることがいかに多いかに唖然とするが、きっとここに書いたようなことは何年経っても忘れずに「あの時のドイツ旅行の思い出」として九子の頭ん中に残っていく事だろう。

 

ところで皆さんの旅の記憶とはいったい何だろう?もちろん人によって様々だとは思う。
普段と違う景色や食、温泉、旅館、少々羽目を外した遊び、いつもと違う体験などなど。

九子の場合は、おみやげや食べたもの、有名な景色など、要するに五感を刺激するものの記憶はすぐに忘れてしまう。
かろうじて九子の頭の穴だらけの記憶網に残るものは、人々とのつながりの記憶のようだ。

今回の旅でも、ここに書かなかったけれども、九子が後ずさりした時に自転車の紳士にぶつかってしまい、彼が転びそうになったので慌ててEntschuldigung!(すみません)と謝ったら、彼が体勢を立て直して右手を挙げてOKと言いながら走り去って行った背中とか、ザルツブルグのコンサート会場で隣合せたご婦人が咳で困っていらしたので、たまたまドイツの薬局で買ってあったのど飴と風邪薬を差し上げて、渡す時にA君に教わったとおり「Gesundheit!お大事に!(ドイツではくしゃみや咳をした人におまじないのように言う言葉らしい。)」と言ったら、びっくりしたような顔で大いに笑われた話とか・・・。

30年ぶりで海外旅行に出た人間が偉そうに言う事ではないけれど、日本語が通じずに基本的にコミュニケーションが困難な場所では、つたない言葉でも誰かと心が通じ合えたという体験がとても嬉しい。そして嬉しかった思い出は記憶の中に必ず残る。

考えてみたら九子は友達少ない人間だ。いつも自分の心の世界の中に住んでいる。その九子が、海外旅行では人とのつながりの体験を喜ぶなんておかしいと思われる方もいらっしゃるだろう。
自分でもちょっとおかしく思う。

だけど考えてみたら、友達が多い人にとっては日々が人とのつながりの連続なのだ。あまりにも普通の事過ぎて、もしかしたら人とのつながりを新鮮に思う機会を逃しているのかもしれない。
そういう彼らにとっても、海外で、海外の人に出会う事は特別なのだろうと思うけれど・・。

九子みたいに日頃家族や薬局のお客様以外の人々とあまりつながりを持たない人間にとっては、浅いお付き合いの方が普通! 
お客様は薬局店頭だけのお付き合いだし、一期一会のお客様も多い。

ドイツで出会った人々もおんなじで、たぶんこれからの一生で二度と会わないであろう人々だ。
実は九子はそういう出会いが結構好きなのだ。

そういう方々とご縁があってまたお会いしたり連絡を取ったりするようであれば、最低一年に一度、連綿と手紙やメールを送り続ける。
「会わない」ことが前提みたいなお付き合い。これが九子にとってはとても心地よい。

まあねえ。あなたの場合、誰かに会ったりうちに訪ねて来られたりなんかしたら、絶対に相手にがっかりされますからね・・。(^^;;

 

 

ミュンヘンはとてもお勧めの町です。何と言っても、ドイツで一番治安がいい!
東京と同じ感覚で歩けます。深夜1時を過ぎても街は明るくて、女性もたくさん歩いていました。

うっかりハンドバッグのチャックを閉めずに歩いている女性を見かけました。
それが出来るのは、平和な町の証拠です。
これがロンドンやパリやローマのいけない場所なら、パスポートもお財布も一瞬にして無くなっているでしょう。

列車の中の彼女も、日頃ミュンヘンに住んでいるのでつい気が緩んで、ロンドンでバッグを開けて歩いていて全部盗まれたそうです。


30年前と比べたら、格安航空、格安旅行社を使えば、かかるお金は半分以下です!
どうぞあなたも、親しいお友達やご主人、奥様、お子さんと、ドイツにお出かけになってはいかがですか?( ^-^)


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Hirosuke

ドイツでは【原発汚水漏れは世界最大のスキャンダル】としてトップニュースで報道されてるそうです。

情報源
http://ameblo.jp/cecilia311/entry-11606128981.html
by Hirosuke (2014-12-12 13:43) 

九子

Hirosukeさん、早速コメント有難うございました。

ドイツ人の環境に対する考え方は世界の模範にすべきですね。
保守党無所属の市会議員だった父に育ち、どちらかと言うと保守的な考え方をする私であっても、原発をこの時期に他国に売るなんて理解できません!

汚染水の報道なんか全然なされませんよね。タンクが一杯になるって話は聞いたけど、そのあとどうなったかの報道は全く無し!
こういうことも秘密保護の対象になってしまうのかと聞いて見たいですよね!!
by 九子 (2014-12-12 22:49) 

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