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夢をあきらめない話 [<九子の読書ドラマ映画音楽日記>]

森公美子さんの涙を初めて見た。明るくてパワフルで、どんな時でも豪快にガハハと大笑いするのがトレードマークと思い込んでいた彼女は、イタリアのミラノにあるスカラ座を眺めて懐かしそうにした後で、「辛い時にはいつもここに来ていたの....」と言った。
九子は始めて知った。彼女は二十歳の時オペラ歌手を目指してイタリアに留学したのだそうだ。
仙台の裕福な旅館のお嬢さまだった彼女は日本のコンクールで優秀な成績を上げて、意気揚々とかの地に乗りこんだ。
ところが努力すれど努力すれど、努力ならもうこれ以上は無理というほど努力したが、なかなか成績が上がらない。
一体どこがいけないのだろう?
そしてある日、彼女は気付いてしまった。
クラスメートのイタリア人は、母親のお腹の中にいる時からオペラを聴いて育っていた。
日本人の自分がちょっとやそっと声が良いくらいでは到底太刀打ちなど出来ない。

絶望の中で泣きながら電話をかけると、ふるさとの父の優しい声がこう言った。
「おまえはそっちで生活を楽しんでいるのかい? イタリア人はみんな楽しく生きているのだろう? おまえも充分に楽しんでおいで。」

そして彼女は絶望のフチから這い上がる。
父の言うとおりだ。一体私は何をしていたのだろう?

その日から彼女はカフェでアルバイトを始める。学校の授業はもう二の次だ。
普通の人々の当たり前の生活の中で、彼女は学校では決して学べないイタリア人の日々の暮らしの楽しみ方を、陽気に飲み歌う喧騒の中で、自分でも大いに楽しみながら学んでいった。

この時彼女の中で何かが壊れ、何かが始まったのだろう。
言い換えれば、何かをあきらめることによって、新しい何かが手に入ったということだ。
そしてその新しい始まりは、最愛の彼女のお父様の言葉がもたらしてくれた。

その後の彼女の活躍ぶりは万人が知るとおりだ。
彼女はオペラ歌手というよりもミュージカル歌手として、幅広い活躍を続けている。

ただ、結婚間もない頃にご主人が大事故に会い、介護を余儀なくされてせっかくアメリカで決まっていた大役を降板せざるを得なかったり、あの底なしに明るい笑顔の下には大きな悲しみが隠れているようだ。

森公美子さんのイタリアエピソードを見た次の日、松方弘樹が大間の旅番組をやっていた。
松方弘樹と言えば、マグロ! マグロと言えば大間!

その時に彼が「マグロの臭い」と口にした。
マグロが獲れる時には海からマグロの臭いがするのが彼にはわかるのだという。
沖に出てもマグロの臭いがしない日には、さっさと漁をあきらめて引き上げてくるのだと言う。

海がマグロの臭いになるという話の面白さはもちろんだが、上手にあきらめる話が続いたので、なんだか興味深かった。
実はブログをお休みしていた間に、フジコ・へミングを聴きに行った。
例によってウツっぽくはあったのだが、コンサートは夕方6時半始まりでその時間帯になるとウツは軽くなるし、何より上田市の新設ホールサントミューゼとあっては、知人に会う心配はほとんど無い。(ウツの症状が出ると知人に会うのが辛くなります。)
だから安心して出かけられた。

フジコさんは、CDジャケットで見るそのまんまのフジコさんだった。
フリルのついたふわっとしたドレスは彼女の手作りだそうで、理由は彼女の体型に合う服が見つからないからだそうだ。
服ばかりではない。レコードジャケットやプログラムにも取り入れられている夢見がちな可愛らしい絵やイラストも彼女の手によるものだそうだ。
天は二物も三物も彼女に与えたのだなあとついつい考えてしまうが、それは彼女を襲った悲劇のなせる業であったという事がわかる。

彼女は16歳の時に中耳炎で右耳の聴力のほとんどを失う。
その上、苦労の末にやっと掴んだデビュー直前に、またもや風邪による中耳炎が残っていた左耳の聴力も奪ってしまう。
風邪を引いたのは、貧しさ故に暖房も無い部屋に住んでいたからだそうだ。

音の無い世界に住むことを余儀なくされた彼女が、小さい頃から好きだった絵画や手芸に惹かれるのは当然といえば当然だったのだろう。

大舞台のデビューを逃した彼女は、耳の治療を続けながらピアノ教師としてほそぼそと生計を立てた。
そのうち、失った左耳の聴力の4割は回復していた。

不遇な時代が長かった彼女は、母の葬儀で日本に戻った1995年に、聴力を失って才能を開花させることが出来なかった悲劇のピアニストとして注目され、にわかに有名になった。

いつも必ずと言っていいほど演奏される彼女の代表曲 「ラ・カンパネラ」
実はその少し前、何気なくテレビで辻井伸行君の「ラ・カンパネラ」を聴いてしまった。

力強い正確なタッチ、少しの乱れも迷いも無く、若い情熱とエネルギーの全てを注ぎ込んだ魅力的な演奏。
はっきり言って、聴かなきゃ良かったと思った。
80代のフジコさんの演奏が完璧な辻井君のを超えられるとは思えない。

ところが!フジコさんのは別物だった。まるで鐘の響きのように軽やかに耳に残る複雑な共鳴。辻井君よりもゆったりとしたテンポは聴きやすく、彼女の年にならなければ出来ない演奏なのかもしれない。

彼女は、決して恵まれたピアニストではなかった。「私の指は太いのよ。」と見せてくれた指は、確かに普通の人の1.5倍はあろう。
ミスタッチが多いと言われるのもそのせいかもしれない。
でももちろん一番の悲劇は聴力障害と言う致命的なハンディーを背負わされた事だ。
それでも彼女はピアノが好きだった。決してピアノを捨てなかった。

彼女が一番楽しかったこと。それは夢多き若い頃、ピアノの勉強のために渡ったドイツから日本に戻る船の中で、ピアニストが居ないからと請われてダンス音楽をピアノで弾き、皆に絶賛されたことだったと言う。

高齢の品のいい紳士が「お嬢ちゃん、とても素敵な演奏でしたよ。」とキスをしてくれた。皆が喜んでくれ、フジコさんもとても嬉しかった。

自分の歌が、演奏が、誰かを幸せに出来るとわかったら、これほど嬉しい事は無い。

森公美子さんもフジコへミングも、それぞれに大きなものをあきらめたとは言え、音楽そのものをあきらめたわけではなかった。

諦めというのは禅語で「諦観(ていかん)」と言うけれど、これは決してギブアップするのあきらめるという事ではなくて、明らめる、はっきりと理解する、知り尽くすという事だ。

今のこの状況で自分は大きな夢はあきらめたけれど、では今の自分には一体何が出来るのだろう。好きな音楽を続けるために、一体何をすれば良いのだろう。それを極めつくし知り尽くすことだ。

きっと二人とも凄く悩んだに違いない。悩みながらも音楽は止められなかった。

そうだ。大好きな事は何があっても決して止められない。
そしてその好きと言う奥底に、若い頃に魂に刻まれた音楽の楽しさがあった。

下手とか上手とかに関わらず、好きな事がある人は幸せだ。
それを続ければ、努力し続ければ、(好きならば努力も容易いはずだ)
きっとあなたの夢は叶うはず!(運もあるけど.....)

 
そんな訳でいつもの調子で夢の話が書けるようになったから、九子のウツももう完治 !
まあ、世の中、いろんな事がありますよねえ。(^^;;





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伊閣蝶

記事を拝読しながら、夢について考え込んでしまいました。
夢というものが、人生の目標のように語られるとするのであれば、結果としてある意味では自分を縛り付ける罠のようなものにもなりうるのでしょう。
そこから自由になるためには、もしかすると自分を縛る「夢」を自分の手で切っていかなくてはならないのかもしれません。
そうして、きっとまた新しい生きる目標たる「夢」を見つけるのでしょうね。
森公美子さんとフジコヘミングさんの歩んでこられた道。
挫折ゆえに見つけることのできるさらに大きな「夢=目標」というものもあるのだなと改めて感じました。
フジコヘミングさんの実演を私は聴いたことがありませんが、CDは所持しており、あの「ラ・カンパネラ」の演奏には、いつ聴いても魂を揺さぶられます。
フジコさんが尊敬するピアニストがサンソン・フランソワであることも、私にとっては大変納得のいくところでした。

by 伊閣蝶 (2015-12-05 14:53) 

九子

伊閣蝶さん、コメント有難うございます。

〉夢というものが、人生の目標のように語られるとするのであれば、結果としてある意味では自分を縛り付ける罠のようなものにもなりうるのでしょう。

なるほど。そういう事もありえるんですね。伊閣蝶さんのような真面目で根性のある方ならそう言うこともあるかもしれません。

わたしはずっといい加減な人間なので、夢ってもっとほんわりとしたもので、なにかを縛るようなものとは考えませんでした。

きっと伊閣蝶さんの夢は、目標に極めて近いものなのしょう。

私もCDのラ・カンパネラに感激しました。
サンソン・フランソワさん。いつも感心しますが、伊閣蝶さんは本当に物知りですね。ググってみます。(^^)

by 九子 (2015-12-06 21:18) 

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