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「ゼロ 」 堀江貴文 [<九子の読書ドラマ映画音楽日記>]

ホリエモンこと堀江貴文氏が2年近くも収容されていた刑務所が「長野刑務所」だったと聞いた時、とてもびっくりした。

長野刑務所と言っても、長野市にあるわけではない。長野の隣の須坂市にある。
昔子供たちを連れて遊びに行った時など、必ず通る道沿いにあった。
もしかして最後に通った時に、彼は収監されていたのだろうか?

そこはいつもひっそりとしていた。
刑務所と言うのは、中に居る人も、外から見る人も、その存在を消してしまいたいと思うところだ。
まあ、静かで当たり前なのかもしれない。


堀江貴文という人は、2年も収監されるほど悪い事をしたのか?一体どんな罪だったのか?
この判決については、九子みたいな何もわからない人間ばかりでなく、当事者からも「当然執行猶予が付く程度の犯罪だったのになぜ刑務所へ?」という疑問をはさむ声も出ているらしい。


「ゼロ」はそのタイトル通り、すべてを失った堀江氏が出所して文字通り「ゼロ」の時点で書かれたものだ。
真っ白な表紙に太マジックペンで手書きされた「ゼロ」の文字。
そしてその横に「何も無い自分に小さなイチを足していく」・・とある。
すっきりしている・・を通り越して、潔く見える。
まるで子供が書いたような文字をさらけ出しているからだろうか。


潔いと言えば、彼は刑務所で過ごした日々を全く悔いていないようだ。愚痴ることもない。
執行猶予が付いた程度の犯罪で収監されていたとしたら誰かを恨みたくもなるものだろうけれど、彼は誰も恨まず、むしろ高齢者の介護係として働いた刑務所の日々に感謝しているようにさえ思えた。


どんな失敗をしても、絶対にマイナスにはならない。ゼロになるだけだと説く彼の理論は終始一貫している。


もしもあなたが変わろうとしているならば、僕のアドバイスはひとつだ。

ゼロの自分にイチを足そう。
掛け算をめざさず、まず足し算からはじめよう。


この本は堀江貴文少年がどういう少年時代を過ごして東大に入り、東大でどんな生活をして、会社を立ち上げ、成功者として有名になったかの、言わば半自伝小節である。
彼が一人っ子だったことや、百科事典をすべて読破した話は割合有名だと思う。

ところが彼に言わせると、当時の堀江家は共稼ぎで、両親が文化的というには程遠い人々だったため、家にはただ当時のステータスシンボルであった百科事典だけが見栄を張るようにおいてあり、それ以外の本が一冊も無かったため、仕方なく読んだものだという事だった。

それであっても何十冊もあるものをことごとくすべてに目を通していくなどという作業は、九子のような怠け者には絶対に出来ない芸当だ。
それに読み始めたときはまだ小学校の中低学年だったに違いないから、漢字や言葉の理解力も人並み以上に優れていたのだろう。


堀江氏の著書はなんと百冊以上に及ぶのだそうだ。非常に読みやすく面白いから、きっとこの時の経験が彼の国語力の礎になったに違いない。
実際百科事典のおかげで彼は国語力だけではなく、、勉強ではどの科目に置いても絶対王者に躍り出た。


彼の家族は凄まじい。
父も母も、一人っ子の堀江少年のことなどまったく眼中にない様に見える。

彼が刑務所で働き詰めに働いて一日の疲れを癒した布団のぬくもりは、家庭の温かさなどではなくて、たった一度だけ背負われたことのある曽祖父の背中のぬくもりの記憶だった。

刑務所に入れられたことでは愚痴一つ言わなかった堀江氏が、小学校の時の人生でたった一度きりの一泊二日の東京旅行の思い出では、せっかくの東京でのたった二回の食事が、全卓インベーダーゲーム機の安っぽい喫茶店と、駅の立ち食いそば屋だったことを、思いっきり悔しがって書いている。

なんだかホリエモン、子供っぽくて可愛らしいなあという思いと、たった一度の家族旅行に描いていた自分の夢が一つも実現されなかったら、特に彼のようなこだわり屋にとっては歯がゆいだろうなあという思いが交差する。


彼の事を現役で東大に入った天才と思っていたが、実は仕事大好き人間の努力の人だった。
「努力が出来るのも才能」という言葉があるけれど、彼の場合もそれであったようだ。

この本の最初に書かれているのも、
自分を変え、周囲を動かし、自由を手に入れるための唯一の手段、それは「働くこと」なのだ。  
である。
 

それともう一つ、彼の気に入ったことへののめり込み方は凄い。要するに物凄い集中力で、時間を忘れてとことんやるのだ。

こういう形の天才を九子も何人か知っている。
国を動かし、世界を仰天させるのは、皆そんな天才らしい。
 
のめり込む。それは仕事に限らない。
東大時代の彼は、自分の夢のさきがけだった先輩が就職でつまずいて貧乏生活をしているのを見て、急激に勉強に対する意欲を失い、マージャンにのめり込んだ。

そういう彼の原動力は、なぜか死への恐怖なのだという。
小学1年生の秋、木枯らしが吹く中を一人、落ち葉を踏みしめて家に帰る時に突然感じた「僕はいつか死ぬのだ。」という恐れが、それ以来ふっとした隙に襲ってくる。何かに夢中になっていればそれが襲ってこないことがわかって、彼はひたすら勉強に、遊びに、仕事に集中し出した。

実は上記の天才の中には、同じように小さい頃、死に対する恐怖を感じてそれが尾を引いていると語る人がいた。
堀江氏は一人っ子に珍しく、ひどく寂しがり屋なのだそうだ。
誰か人がそばに居ないと、寂しくて仕方が無い。
もしかしたらこれにも例の「死への恐怖」が関係しているのかもしれない。
とにかく東京拘置所の独房がなんといっても気が狂いそうに辛かったという。

この本は、一連の堀江氏の著作のなかでどうやら一番売れているらしい。
たぶんそれは、彼の言葉に重みがあるからだと思う。
これは、成功者堀江貴文の本ではない。
刑務所から出てきて、ゼロになって、皆と同じスタートラインから今始めようとする堀江貴文の言葉だからこそ、人の心を打つ。

人が新しい一歩を踏み出そうとするとき、次へのステップに進もうとするとき、そのスタートラインにおいては、誰もが等しくゼロなのだ。
つまり、「掛け算の答え」をもとめているあなたはいま「ゼロ」なのである。
そしてゼロに何を掛けたところで、ゼロのままだ。物事の出発点は必ず「掛け算」ではなく、「足し算」でなければならない。
まずはゼロとしての自分に、小さなイチを足す。小さく地道な一歩を踏み出す。ほんとうの成功とはそこからはじまるのだ。

ちなみに「掛け算の答え」とは、堀江貴文の講演会などに参加して、手っ取り早く成功する方法など探ろうとすることだそうだ。
あなたも「ゼロ」になった時、この本を開いてみませんか?( ^-^)

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U3

いい話でした。
良いお年をお迎え下さい。
by U3 (2015-12-28 19:24) 

伊閣蝶

この本を、私はまだ読んでおりませんが、九子さんの記事を拝見し、大変興味を持ちました。
特に、変わろうとしたときにはまずゼロに戻ってそこから1を足す、という発想は、全くその通りだと思います。
ゼロにどのような数字をかけてもゼロ、ということも納得ですね。

堀江さんは、かなり挑発的なコメントを遠慮なく発するので毀誉褒貶が著しいのですが、冷静になって彼の発言を考えてみると、ある意味、大変筋が通っていると思います。
相当頭のいい方なのでしょうね。

by 伊閣蝶 (2015-12-29 12:31) 

九子

U3さん、こんばんわ。長くお休みしていて再開を見つけて下さって有難うございました。
来年もよろしくお願いします。
by 九子 (2015-12-29 22:47) 

九子

伊閣蝶さん、こんばんわ。
伊閣蝶さんみたいに仕事をきっちりされる方にはあんまり得るところが無い本かもしれませんが、やっぱり私もゼロに何をかけてもゼロだから、小さなイチをまず足してみるという考え方はなるほど!と思いました。
百科事典を読み通す意志の力は凄いと思うから、頭のいい人というのは確かです。
でも、東大に行くにはいい家庭で育った子供!という思い込みはあっさり覆されました。
「ゼロ」は面白く、読む価値ある本だと思いました。( ^-^)

良いお年を。
奥様、お大事に!
by 九子 (2015-12-29 22:54) 

秋桜

お久し振りです。九子さんお元気ですか?
私は 病気はわりと安定してますが 娘のことや主人のこと 金銭的なこと…。色々背中にのし掛かってきて しんどいです。年齢のせいか体が思うようにならなくてゴロゴロしてるし。
記事の内容に関係なくぼやいてしまい ごめんなさい。
by 秋桜 (2015-12-30 11:01) 

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