福田君を殺して何になる [<九子の読書ドラマ映画音楽日記>]
福田君って誰?と思って手に取った。すぐにわかった。 ---光市母子殺害事件の陥穽(かんせい)---と副題があった。
一瞬迷った。
どうせどこにもあるこの手の本よ。少年は更生しているから死刑にしてはいけないっていうんでしょ?
じゃあ、買わなきゃ良かったじゃない!
それなのに、なんとなく、買ってしまった。
口にしていた。何が書いてあろうと、だまされるもんか!あれだけの重罪を犯したのに、少年だから軽い罪なんて赦されない!
現代語にすれば、やられちゃった感!満載の本だ。本を読み進めていくうちに、しだいに募っていく少年に対する同情心。
この本は、福田少年と著者の増田美智子さんとの最初の手紙のやり取りから始まる。
最初の手紙を書き出してみる。
増田美智子様
孝行です。1982年(筆者注・1981年が正しい)3月16日生 魚座 とり年
つまりペンギン(小さなペンギンのイラスト)←こんな感じかな☆
なわけないか(笑) ぼく27さいだよ。こんなのでもいいのかなー。
心配してくれてありがと。外でデートとかしたかったね♡ なんて言ってみてもいい?
けっこうこわいです。くじけそう。ふるえる日もあるよ。抱かれてねむりたいもん。
それはそーと、面会たのしみにしてるよ。あけとくから。でもお金かかるじゃん。どうしようか。美智子さん 広島に知人、友人居る? いなかったら、ぼくの方でがんばってみるよ。とまる所とか。
今は事件のことはふれることはできないけど(ごめんね)。これ以上他の人の心をキズつけたくないもの。でも、ぼくのこれまでの歩み、個人的なことならはなせるかもです。それでもいいかな?(いっぱいエピソードあるんだよ☆☆)
ぼくも美智子さん(みっちゃん)のこと知りたいなー。今日はお手紙のお礼までに。
ありがとね。美智子さん。今日はゆっくりねむれそうです。次も書くね
♡
♡
孝行
あなたが幸せになりますように。
してやられた!と思った。いや、だが、こんなことでだまされるな!とも思った。
27歳になったというのに、福田少年の幼いくらいに純朴な、無防備に初対面の女性に甘える手紙の内容にびっくりさせられる。
ちなみに著者はフリーライターだ。
ジャーナリストの綿井健陽さんが、マスメディアが流す報道をいったん疑って、自らの目と耳でこの事件を再検証すると言うのに影響されたのだそうだ。綿井氏は、イラク戦争取材などを通して、 マスメディアが流す情報と取材現場との間に、大きなズレがあることに気づいていたからだ。
「予断を排除して、まずは現場に飛び込むのが自分の仕事…」
若い増田美智子氏は、綿井氏のこの言葉をさっそく実行にうつした。
彼女は広島拘置所に収監されていた福田孝行死刑囚に会いたいと手紙を書いたのだ。
奇しくも彼女は福田死刑囚と同じ27歳だった。
最初の手紙は誰が見ても他人との距離感がまるでわかっていない幼い手紙だが、その後届いた手紙はこんな風に綴られる。
肉体的な死を目前にひかえたぼくは、ともすれば社会的に精神的にさいさんにわたって他のきかんに殺されてきました。
よくなろうと想って誰かをキズつけてゆく。それが人間なのですとあなたはむねをはれますか?
ぼくも、そしてあなたも、そしてあなたにとってぼくにとって不都合な方も愛されたいと想う気持ちは持っていますよね?
大切なことですから、それだけでもねんとうにおきたいとぼくは想ってます。
ぼくは悪人だけどこれ以上悪人になりたくはない。ましてや人の幸せをこれ以上奪ってまで生きたいとは想えません。
その意思をかくにんすることをあなた(のまわりにいる方)はおこたっていませんでしたか?
おてほんとなるべき本来のやくわりをになうそのてのきかんが、おてほんをしめせていない昨今、あなたはどうこれらに向きあい、自らをしめすことができるのでしょうね・・。
よくなればねたまれ、わるくなればそらみたこととされるのでしたら、何もしない方がいいと、今日も一般の人は悪人を見すてて、見ようともせずほうちするのでしょうか。
不安な気持ちはいったいどこからやってきましたか?それはほおっておかれ、ぽつんと自分がとりのこされることからおこったりもしませんか?
ぼくは拘置所にいますよ。
ここはとてもさびしい住人がいっぱいやってきます。一輪のやさしさが彼ないし彼女たちにあたえられたら、みんなもうさびしい想いをしなくてもいいのに・・・。ぼくはとても無力ですね。
2008.7.8 孝行
表現にてきせつなものがなかった際はおわびいたします。大変に申し訳ないです。
最初の手紙のあまりな稚拙さと比べ、死と向き合い、すべてを達観しているように思えるこの手紙。
彼の手紙ではもうひとつ。帯にもなっている印象的なものがある。
拘置所のなかで、よくしてくれる刑務官の先生もいるんだよ。それによって僕はここまで来られた面もあって、そういう先生がいなかったら僕はダメだったと思う。そんな親しくなった先生たちに(死刑を)執行させるというのは、先生たちの負担を考えるとよくないと思う。だから、僕はここ(広島拘置所)じゃなくて、大阪(拘置所)か福岡(同)で執行されたいと思う。
そして、衝撃の第三弾が彼の中学の卒業写真と思える写真だ。
詰襟を着た丸顔の、いかにも人懐っこそうな少年が目をへの字にして八重歯を出して笑っている。天真爛漫と言う言葉が何よりぴったりする彼の笑い顔のどこにも、これから数年たってあのおぞましい事件を引き起こす予兆など微塵も感じられない。
同じ少年Aとは言え、1年ほど前に本を出版し、自らの裸身も納めたホームページを公開して注目されたが、1ミリの悔悛の情も持ち合わせていないように見える神戸の少年Aとは確実に違う種類の少年のような気がする。
人間は変わる。変われる。良い風にも悪い風にも・・。
神戸の少年Aは良い方に変わった事を司法にことさら印象付けて少年院での矯正教育をくぐり抜けて世に放たれた。
それに比して、誰もが記憶する唐突なドラえもん発言。あの発言と、弁護団が突然法廷を欠席してしまった事への世論の批判は、彼の死刑を決定付ける方向に事態を動かす分岐点だったと思う。
とっぴな話だと誰もが呆れるあの発言は、弁護士の口から話されるといかにも荒唐無稽だけれど、この本に書かれている手紙をつなげて読んでみれば、福田君の一連の行動と齟齬はないような気がしてくる。
福田君はもしかしたら発達障害を疑うくらい幼かったためか、父親に受けたひどい体罰の影響か、わが身を守る術があまりにも未熟だったのではないか。
彼の同級生が皆、面白いヤツ、と評していた中学校時代。いつも笑顔を浮かべることで、父から受ける虐待体験の辛さを表に出すまいと必死にピエロを演じていた彼。
自分の言葉が投げかける影響の大きさに無頓着だったと思われる彼が、ドラえもんという言葉を選んで使った時、「何をふざけた事を」と応じた九子も含めた世論の大多数が彼を死刑にしてしまったのではないか?
「福田君を殺してなんになる。」
筆者からの問いかけは九子にはよく届いた。
とは言え彼は死刑が決定し、拘置所で死刑を待つ身の上だ。
裁判の結果とは、事実に厳粛なものではなくて、世論とか、検事や弁護士の能力によって大きく変わってしまうもののようだ。それがもうひとつ、読後によくわかったことだった。
罪を裁くのは何も裁判官や裁判員だけじゃない。世論というものが大きく影響する以上、私たち一人一人が真実を見極める目を養うことは非常に大切だ。
くれぐれもメディアにはセンセーショナルではない公平な報道を求む。
福田孝行君が社会に戻る道はもう閉ざされてしまったが、少なくとも世に放たれた少年Aたちがこれ以上の罪を犯さないように、観察の目を緩めないことは必要なのではないか?
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