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韓国がノーベル賞を取れない理由?? [<九子の万華鏡>]

そろそろノーベル賞の授賞式が始まるらしい。
今年も大隅教授が受賞されて、このところ

日本人は鼻高々だ。

毎年ノーベル賞の時期になるとお隣韓国ではこんな話題で盛り上がり、ブログが炎上したりもするのだそうだ。
日本はこんなにたくさんのノーベル賞を取ったのに、なぜ韓国は取れないのか?という書き込みである。
常に日本のノーベル賞受賞を意識し自国が取れないことに悩む韓国人の症状をノーベル症」と呼ぶこともあるのだとか

人の事なんてどうでもいいでしょ?!!と思いながらついついメルマガのタイトルをクリックしてしまう九子。(^^;;
書いているのは黄文雄氏。台湾生まれで日本に帰化された方だ。

 


私の持論...と但し書きをつけて書かれていることはつまり、こういう事だった。


日本語は中国から入った漢字だけではなく、自らひらがな・カタカナを創出した。表意文字である漢字と表音文字である仮名を組み合わせることで、複雑な思考や感情をきわめて的確に表現することができるようになった。外来語についてもカタカナでその音をそのまま表記できる。



表音文字と表意文字をあわせて使用するということは、きわめて複雑な言語体系である。
そのような複雑な言語を通してでしか、海外、とくに欧米の最新科学や哲学を理解し、さらにそれを和製漢語として翻訳することはできなかったのだ。

日本に留学した魯迅は、日本語による読み下し文によって、それまで漢文では理解できなかった四書五経の内容をようやく理解できたそうだ。
明治維新後、欧米の科学や哲学を学んだ日本は、その概念をうまく日本語に翻訳し和製漢語を作り出した科学、哲学、文化、物理、化学、原子、臣下、改革、進歩、共産主義……などは日本人が作り出した言葉だ。現在の中国語における熟語の7割はこうした和製漢語であり、これがないと中国語は成り立たないとも言われている。「中華人民共和国」という国名自体、「人民」も「共和国」も和製漢語だ。

中国語・漢語だけでは、近代を理解するための概念を説明、表現することができなかったわけだ。

日韓合邦時代、日本は朝鮮半島にハングルを広めた。それまで朝鮮の両班(貴族階級)たちは宗主国の文字である漢字を尊び、ハングルは愚民が使うものだとして侮蔑していたため、ハングルはほとんど使われなくなっていたが、日本は国民教育の観点からハングル(諺文)の普及を目指し、漢文との併用を推奨した。ハングルは基本的に表音文字だから、いわば日本のように漢字と仮名を組み合わせるようなものだった
ところが戦後、韓国では民族意識の高まりから、漢字を追放し、ハングルだけを使用する動きが強まった。1948年にはハングル専用法が制定されて公文書はハングルのみに限定され、朴正熙政権では学校教育から漢字が追放されるようになった。


韓国が日本統治時代に日本が行った漢字導入を嫌い、いわばひらがなだけのハングル文字のみ採用した結果、表現が単純になってしまった。

やはり言語的な影響が強いのだと思います。(要約)




へえ~、中国で使われる熟語の7割が日本人が作った和製漢語だなんて、ビックリだ!
当たり前に使っている日本語がそんなに複雑な言語であることも、ましてやノーベル賞を取るだけの学力を維持するために必要であったとも思えないのだけれど、まあ、直接の原因かどうかはさておき、間接的には影響があったのかもしれないと思わせる。

でも反面、欠点もある。思い出したのは、日本人が英語が出来ない訳。
アジア諸国では自国の言葉ではどうしても表現出来ない言葉があまりにも多いがために、英語のテキストを導入し、小さい頃から学校で英語に馴染むが故に、英語が出来るようになるという。

日本語でなんでも表現できるせいで、英語を導入する必要が無く、結果日本人の英語は何年やっても上達しない。

必要とされないことは廃れていくという良い例が、日本の着物文化だろう。
日本女性は着物を着なくなり、「始末する」という言葉も日常から遠くなり、その結果、器用さも、握力も、家事力もすべてなくしたのではないか?

実は九子が密かに尊敬する女性が居る。
80歳になろうとするご年齢でありながら、いつもきちんとおしゃれをされ、家事全般をすべてこなされ、長い間ずっと一人で家を完璧に守っていらっしゃった。
その女性が手を差し出されて握手してくださるというので握手してみて驚いた。病後でいらっしゃるというのに、なんという強い握力!!

完璧に九子の負けだった。

彼女は和服を着られる。それだ!と思った。
毎日の家事もさることながら、昔の女性は良く手足を使った。
着付け教室で習ってもうまく出来ない着物の着付けを、女性たちは毎日のくり返しでいつの間にか覚え、楽々と着物を着こなしていた。
絹で厚く織られた帯を締めるのに強い力が必要なのは、着付けをしてくれる美容師さんが息を切らし、額に汗を浮かべて締めているのでもよくわかる。

昔の女性が誰でも当たり前に出来ていたあれやこれやを、私たちは機械にまかせ、人にまかせ、ややこしいことは忌み嫌い、楽に流れた。
特に毎日の家事をおろそかにしている九子の握力は、毎日をきちんと生きて来られた美しい目上のご婦人にあっさりと負けてしまった。

ところでみなさまは着物を畳んだことがおありだろうか?
九子もさすがに着るのは出来ないが、畳むだけならなんとか出来る。

着物をたたみながら、これはまさに日本文化だと思った。
西洋人なら、ひたすら左右対称に畳むのだと思う。
だが着物は違う。

西洋人の畳み方は、まさに温泉の寝巻きのゆかたのたたみ方なんじゃないかな?
内側から袖に腕を通してぱたんと身体の前で合わせ、そのまま腕を抜いて袖を同じ方向にたたみ、上から三回くらい折る。
子供でも出来る一番簡単な着物の畳み方だ。
これだと着物を畳に置くことなくすらすらと畳める。

ところが本式の畳み方は違う。
 

必ず着物を畳の上に置く。

ここで言われているところの2番目と3番目がひどく不思議な気がする。
2番は襟と襟とを合わせていて、しかもそれは真ん中に来ない。

三番はもっと不思議で、半分に折るという常識を覆して、合わさっていないものを無理やり合わせている感じがする。
だけど最後はきれいな縫い目どおりの畳み方になる。

もちろんこれは、着物を裁って、縫った昔の日本人が考えたしまい方なのだろうが、さぞかし賢い人だったのだろうと思う。
幾何学なんてものを超越して、頭の中で空間を理解していたのかもしれない。

着物は織るのも、染めるのも、それから帯を結うのも、物凄い技術の塊だ。
着物に限らず袴だって、それはそれは凄い。

M氏は善光寺の用事や祭のために、一年に一二度袴をつける。
器用なM氏は何でも自分でやってしまい、九子の出番は帯の後ろに三味線のバチみたいな形をしたヘラを差し込むだけだが、
帯の細い紐がM氏のいい頃加減につき出たお腹の上できれいに十文字を描くように結ばれるのを見ると、いつもああ、いいなあと思う。
(M氏じゃなくて、袴が・・・。(^^;;)

着物文化をこのまま廃れるままにしてしまうのは本当に切ない。
歩くたびに伝わる絹磨れの音。紐を縛る時、帯を結う時の緊張感。そして、絹の匂いとナフタリンの匂いが混ざり合ったような懐かしい香り。
着物とはほとんど無縁に過ごして来た九子だって、いや、だからこそ、娘の時代にも母が残してくれた手を通したことも無い着物たちが、立派に生き延びてくれることを願っている。


必要としないものは廃れる。
ノーベル賞の話も、着物の話も、そんなことを持ち出さなくたって、九子はちゃんと知っていた。

出来すぎ母に何でもやってもらって育った一人っ子の九子の手、そして足。
母が全部してくれるから、自分では何もしなくていい。する必要が無い。

友達も居ず、外遊びも大嫌いだったから、疲れるほど歩きまわったり、汗が出るほど走ったりの経験はごくわずか。
そうして物心付く頃には、友達よりも動かすのが遅く、不器用で、思い通りに動かない手と、すぐに疲れる足になっていた事を・・。

あああ、この際、日本の着物文化をどうこうするなんて壮大なことはどうでもいいから、九子のこの怠け切った手足と、疲れきった頭を一瞬のうちになんとかして欲しい!!!

えっ?それが出来たらノーベル賞ものだって?
おあとがよろしいようで・・。(^^;;

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伊閣蝶

ノーベル賞の話から日本語のこと、そして、着物の話題まで、今回も目くるめく展開される「九子節」を面白く堪能させていただきました。
どれ一つをとっても話題としてはかなりの重さになるのに、それをすっきりと一つにまとめられる九子さんの筆力に改めて感じ入っております。
ところで日本語が、表意文字である漢語と表音文字である大和言葉を一体化して論理性を会得した、という話は全くその通りと思います。
その端緒は恐らく平家物語あたりからではないかといわれており、同じ古典でもこのあたりの書籍から、ぐんと私たちにもなじみやすい文章になりますものね(源氏物語は、その意味からすると、やはりかなり難しい部類でしょう)。
ところで着物の話ですが、私もたびたび着物を着て袴をつけることがあり、一人で着て畳むことも一応できます。
要所をきちんと締めないとぞろっぺいな着方になってしまうので、仰る通り力はいると思います。
着物文化は今、危機に瀕しています。
絹糸や生地はもちろん、縫製まで中国とかベトナムとか、そのほとんどを海外で担っていて、日本国内の職人さんの数は激減しているそうですから。
私にも友禅染をしている友人がいますが、カツカツの生活で、職人は如何に腕があろうともそれに見合う収入は確保できないと云います。
結局、卸だの小売だの組合だの、中間で搾取する連中がいっぱいいて、着物の値段は高止まり、その割に生産者に恩恵がないという構造に問題があるのでしょう。
嘆かわしいことです。
by 伊閣蝶 (2016-12-10 13:50) 

九子

i伊閣蝶さん、早速のコメント有難うございます。

あっ、いえいえ、私は伊閣蝶さんのように多くの知識を持っていないので、ふたつみっつ繋げてみてるだけです。

私はいつも言うとおり友達居ない一人っ子で、自分の世界に閉じこもっておりましたので、ボーッとして世の中を見ているしかなかったのです。
現在もその続をしているような感じでしょうか・・・。

あら、伊閣蝶さんも着物、袴を身に着けられるのですね。
ぞろっぺい、知りませんでした。八ヶ岳周辺の方言でしょうか。
だらしが無いみたいな感じでしょうか?たしか長野にも似たような意味の方言があったような・・。ちょっと思い出せませんが・・・。

着物の未来、本当に心配です。そんな素晴らしい技術を持った方が、安い賃金でしか働けないなんて。

みんなが着物を見直して、日常使い出来る様にする良い方策は無いものでしょうか?
by 九子 (2016-12-11 01:01) 

chibacandy

いっぷくさんのブログから遊びに来ました。5回分?押し逃げしてしまいました。
母がいつ亡くなってもおかしくない状態で、自分のブログはお休み中!気分転換にまた遊びにきますので、よろしくお願いします。
by chibacandy (2017-03-10 13:00) 

九子

chibacandyさん、よくぞお出でくださいました!
いっぷくさんに集まるあの広大な読者の中から私なんぞを見つけて頂き、心より感謝申し上げます。<(_ _)>

お母様、大変ですね。お気持ちお察しします。
私の母もそんな時期がありましたが、私の場合結局母に何もして上げられなかった後悔のブログばかりがいくつも載っています。

chibacandyさん、まだまだあきらめずにお母様に出来る事をしてさしあげて下さいね。( ^-^)

初めてのコメントの方には皆さんにお願いしています。
左欄メール&お知らせの一番下の方にメールアドレスがあります。
どうぞ一度メールを下さいね!
本当に有難うございました。一度に5つもnice貰ったことなんか初めてだったのでとても嬉しかったです。( ^-^)

by 九子 (2017-03-10 23:46) 

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